琉球王朝時代から現在までの歴史

翁長雄志氏(以下、翁長): まず、沖縄の簡単な歴史から話をさせてもらいますと、沖縄は約500年に及ぶ琉球王朝の全盛期の時代がございました。そのなかで「万国津梁の精神」といいまして、アジアの架け橋になるんだと。

あるいはまた日本と中国と、それから東南アジアの貿易の中心になるんだということで、ずっと何百年やってまいりました。その大交易時代があったときには、ベトナムの博物館に行ってもびっくりしたんですが、600年前に「琉球人が来ましたよ」という年表もありました。

それから中国のほうでは、北京に行く途中、福州市に立ち寄って行ったものですから、向こうに琉球人墓といいまして、琉球の人が亡くなったお墓があるのを今も地域の人が管理しております。それからそこに宿がありまして、琉球館といいますけれども、それも残っております。

それから北京のほうでは国子監といいまして、中国の科挙の制度を乗り切ってきた一番最優秀のところに琉球学館というのがありまして、琉球のエリートがオブザーバーで勉強させてもらったというような、琉球王朝がアジアと付き合いをされてる。それから沖縄の名産であります泡盛はタイのお米を使って泡盛ができてるわけで、タイとの何百年に渡るお付き合いもあるわけです。

1800年代にまいりますと、アメリカのペリー提督が初めて日本に来航したのが1853年、浦賀であります。ですから、日本の歴史の中ではペリーさんは浦賀に最初に着いたということになっております。

それは間違いありませんが、ペリーはその前後、実は5回沖縄に立ち寄ってまして、85日間滞在をいたしております。1854年には独立国としての「琉米修好条約」を琉球と合衆国の間に結んでおります。それからオランダとフランスとも条約を結んでおります。そして琉球はその25年後の1879年に日本国に併合をされました。私たちはそのことを琉球処分と呼んでおります。

それから、(日本国は)沖縄の言葉である「ウチナーグチ」を禁止されました。「一人前の日本人になりなさい」ということで「日本語をしっかりやるように」と言われまして、「沖縄の人たちは立派な日本国民になるんだ」ということで、公民化教育もしっかり受けて、日本国に尽くしてまいりました。

その先にあったのが、70年前の沖縄の戦争であります。そして戦争のなかでも、唯一の地上戦で、10万を超える沖縄県民が亡くなりました。そして日本軍、アメリカ軍あわせて20万を超える方々が沖縄で亡くなっております。

米軍政権下の27年間

そういった戦争の話をすると時間がありませんから、そういう意味では沖縄は、戦前・戦中・戦後と、ある意味で日本国に操(みさお)を尽くしてまいりました。

その結果が、戦後すぐサンフランシスコ講和条約で、日本の独立と引き換えに、沖縄は約27年間米軍の政権下に差し出されたわけであります。米軍との過酷な自治権獲得闘争というものは、想像を絶するものがございました。

今の日米地位協定も私たちからすると若干問題がありますけれども、当時はもう治外法権みたいなものでありますから。高等弁務官というのがありまして、それからアメリカ民政府というのがありまして、そしてその下で沖縄の議会や立法院議会があったわけですね。

そういうなかですから、日本国憲法の適用もありませんし、児童福祉法の適用もございません。 27年間、国会議員を出したことも一度もございません。沖縄はその間、日本国民でもなく、アメリカ国民でもありませんでした。

インドネシア沖で沖縄の漁船が拿捕されたときには、「沖縄だよ、琉球だよ」と三角の旗を掲げてやったんですが、拿捕をされたときにその旗は何の役にも立ちませんでした。

ベトナム戦争には、沖縄から毎日B51を中心として爆撃でいきました。その間、日本は自分の力で日本の安全を維持したかのごとく、高度経済成長を謳歌したわけでございます。

新辺野古基地の建設について

今回の普天間の基地のあり方のことになりますけれども、日本政府は「普天間基地の危険性除去が原点である」と言っております。そして、その唯一の解決策は、「新辺野古基地が唯一の解決策である」と言っております。

しかし、沖縄からすると普天間基地の原点は、戦後、住民が収容所に入れられているときに、米軍に強制接収をされまして、あの普天間基地はできてるんです。何も貸したわけじゃないんです。強制的に取られました。これも改めて確認をしますけれども、沖縄は今日まで自ら基地を提供したことは一度もございません。

普天間基地も、それ以外の飛行場も、基地も、戦後、沖縄県民が収容所に入れられているときに取られたか、住民が住んでいるときに(米軍が)銃剣とブルドーザーでどかして、家も壊して、今の基地はすべてできているんです。

今日もそうですけれども、私たちはこの銃剣とブルドーザーで基地に変わったものを見ながら、27年間過ごしてまいりました。

ですから、「新辺野古基地につくれ」と言ったときに、私の言い分は、「自ら土地を奪っておいて、県民に今まで大変な苦しみを今日まで与えておいて、普天間基地が老朽化したから、世界一危険になったから、お前たちが負担しろ。辺野古が唯一の解決策だ」。

「それが嫌なら代替案がお前たちはあるのか」「日本の安全保障はどう考えているのか」「沖縄県のことを考えているのか」。こういった話がされてるわけです。

私は、それは日本の安全保障を考える、日米同盟を考える、日米安保体制を考えるときに、日本の国の政治の堕落ではないかと、こういうことを申し上げてるわけでございます。

そして今、新辺野古基地が、ボーリング調査が始まっておりますけれども、工事の現状も、まさしく今回、海上での銃剣とブルドーザーでの基地の建設が始まったなあ、というような様相でございます。

私は、「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々にその価値観を共有することができるのかな」と大変不思議であります。日米安保体制、日米同盟、私は自由民主党の出身でありますから、日米安保体制は大変理解をしております。

その日米安保体制、日米同盟はもっと品格のある、誇りの持てるものでなければ、アジアのリーダーとして、世界のリーダーとして、この価値観を共有することができないのではないかと、こういうふうに思っております。

安倍総理との会談について

安倍総理と会談をいたしました。そのなかで安倍総理が私におっしゃったのが、「普天間を、新辺野古をつくるわけだけれども、その代わり嘉手納以南は着々と返すので、あるいはまたオスプレイも沖縄に配備しておったけれども、何機かは本土のほうで訓練しているので、基地負担軽減を着々とやってるから理解をしていただけませんか」という話でございました。

私からいたしますと、総理にこう申し上げました。「総理、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南が返された場合に、一体全体、沖縄の基地はどれだけ減るかご存知でしょうか?」と。

これは一昨年、小野寺(五典)防衛大臣と話をして確認しましたところ、普天間が辺野古に移って、嘉手納以南のキャンプ・キンザー(牧港補給地区)とか、那覇軍港とか、キャンプ瑞慶覧(ずけらん)とかそういったものが返されてどれだけ減るかというと、今の米軍専用施設の73.8パーセントから、73.1パーセント。0.7パーセントしか減らないんです。

その0.7パーセントしか減らないのはなぜかというと、みんな県内移設なんです。どこそこに持っていく話じゃないんですね。いわゆる県内移設だもんですから、普天間は辺野古に行きますし、まだ決まってないところがありますから、個別の理由は言えませんけれども、そういった所もみんな県内移設なんですね。

こういったようなもので、たった0.7パーセントしか減らない。それから総理がおっしゃるように、それぞれ年限をかけて、例えば那覇軍港だったら2025年、それからキャンプ・キンザーだったら2028年に返すと言ってるんです。

それを見ると、日本国民は「おお、やるじゃないか!着々と進んでるんだな」と思うんでしょうけれども、その年限を区切ったあとで何と書いてあるかというと、「または、その後」って書いてある。

「2028年、またはその後」。そうすると沖縄は、こういった(曖昧な)ものには70年間本当に付き合わされてきましたので、いつ返還されるかわからんような内容だということが、これでよくわかると思います。

ですから私は、「沖縄の返還に着々と進んでいるというふうには見えませんよ」、という話をさせてもらいました。

オスプレイの沖縄配備

それからオスプレイもだいたい同じようなことになります。オスプレイも本土のほうで分散して訓練をしておりますけれども、実はオスプレイが2012年に配備をされる半年くらい前から「沖縄に配備されるんじゃないか」という話がありました。

私は当時の森本(敏)防衛大臣などにも、「沖縄に配備されるのか?」というような話をしに行きましたが、「一切そういうことはわかりません」「そんなことは聞いておりません」と言っておったんですね。

その当時、防衛大臣をしておった森本さんが学者時代、今から5年前の2010年になりますけれども、本を出しているんです。その本のなかにこう書いてあるんですよ。

「(オスプレイが)2012年に12機、2013年に12機、配備されます」と書いてある。 防衛省がわからんと言っているものを、一学者が3年前に「2012年に12機、2013年に12機配備される」って、その通りになってるんですね。

ぼくはそういう意味からすると、日本の防衛大臣というのは、防衛省というのは、よっぽど能力がないか、いわゆる県民や国民を欺いているか、どっちかにしかならないと思うんですね。

そして、森本さんの本のなかに何が書いてあるかというと、「もともと辺野古基地はオスプレイを置くために設計をしているので、これから100機以上オスプレイは辺野古基地に配備されます」ということが書いてあるんです。防衛大臣も経験した森本さんの本のなかにです。

そうすると、今24機きました。何機か本土に行ってます。辺野古基地ができ上がってきます。そうすると、みんな沖縄に戻って来るんですよ。

その沖縄に戻ってくるものが全部見えるだけに、私は総理に、「それはちょっと、このような経緯で信用できませんよ」ということを話をさせてもらいました。

最後になりますが、13年前ラムズフェルド元国防長官が、普天間基地が危険だということで見にお出でになりました。そしてこの普天間基地を見て、「これはダメだ、世界一危険だから早く移転をしなさい」、とラムズフェルドさんは言ったんです。

そしたら今、菅(義偉)官房長官なども、再三再四、「普天間は世界一危険だから辺野古に移す」と言っているんですけれども、私が日本政府にお聞きしたいのは、「ならば新辺野古基地がつくれない場合に、本当に普天間は固定化しますか?」と。

「アメリカも日本政府も、主要な人間がこれだけ世界一危険だと言っている普天間基地を、新辺野古基地ができない場合に固定化できるんですか?」と、そうお聞きしているわけです。「そうしないと固定化するよ」と私たちを脅かしているもんですから。

「新辺野古基地ができなければ、普天間をそのまま使うぞ」と言っているんですが、ラムズフェルドも菅官房長官も再三再四「世界一危険だ」と言っているのに、できない場合に本当に固定化できるのか、これをお聞きするんですが、安倍さんは返事がありませんでした。

以上、報告をして、あとはまたご質問に答えたいと思います。

制作協力:VoXT