イエモンインタビューをボウリング場で撮った理由

司会:いらっしゃいました。

高橋栄樹氏(以下、高橋):いらっしゃいました。

吉田照幸(以下、吉田):大変遅くなりました。ごめんなさい。

高橋:いらっしゃいました。やった!

吉田:本当にごめんなさい。すみません。

高橋:どうもお疲れ様です。

吉田:すみません。

高橋:息が荒いんですけど。

吉田:ちょっと何か飲み物を……。

司会:お茶とか。

吉田:はい。すみません。

高橋:一通り自分の話をさせていただいて。

吉田:そうですか。

高橋:何か僕的には気持ち良かったんですけど。果たしてみなさんが気持ち良かったかどうかわからず。

あと、吉田さんと初めてお会いした経緯とか、そういうところをみなさんにお話させていただいて、かなり十分温まってます。

吉田:そうですか。

高橋:みんなどんな人が来るんだろうって。

吉田:これ(「パンドラ」)、見られましたか? 素晴らしいですよね? 何が素晴らしいって、インタビューをボウリング場でやっているんですよね。僕らがモノ作る時に、インタビューっていうと、どうしても室内で落ち着いたところがいいんじゃないかと思ってやっちゃうんですけど、それをボウリング場でやったところに、素晴らしいなって思っちゃうんですよね。そのあたりどうなんですか?

高橋:要はメンバー自身も、久々にみんなが会う場だったので、対談形式にしちゃうと緊迫するのではと思って、「当時オフの時にどんなことしていました?」って言ったら、「ボウリングとかよくやっていたよ」っていう話があったので、「じゃ、ボウリングから始めましょうか」というところで。

体を動かしていくと、段々みんな和気あいあいとしてくるじゃないですか。あとは、ちょっと昔のことなんかもよみがえってきたりもする中で、「じゃ、お話しましょう」っていうところで。場の作り方ですよね。

吉田:田町ハイレーンですか?

高橋:田町じゃなくて、川崎の方でしたね。

吉田:家の近くが田町で、この前潰れたんです。

高橋:なくなりましたね。

吉田:なくなりました。それほど興味ないですね(笑)。

現場で演技の仕方を指示する演出家は能がない

吉田:でも、僕も今日撮ってきたドラマが、リリー・フランキーさんと尾野真千子さんが出られるようなドラマなんですけど、演出家って、そこで例えば「もうちょっと大きな芝居してください」とか、「ここはもうちょっと、こういう理由で、だからこういうふうな演技をしてください」って言っている演出家っていうのは、ほぼ能がないと思うんです。

高橋:そうですね。

吉田:ないんですよね。やっぱり今、ボウリング場っていう場を与えたことによってそれが自然に出せるっていう、その自然に出せるっていうことが演出なんですよね。

高橋:おっしゃる通りだと思います。

吉田:例えば演技できない方に、どうやったら上手く演技させられると思われますか? 「あ、この人緊張しているな」っていう時に、どうしたらいいと思いますか?

会場:興味のありそうなことを話しかけることとか。

吉田:なるほど。これが真逆で、例えばほうきを与えてあげるんです。それで「掃除してください」と。「掃除しながら、そのままセリフ言ってください」って言うと、自然な演技になるんです。

でもみんな演技しようとすると、面と向かって、目を見て喋るんです。普段目を見て喋ることって、あまりないんですよね、実際は。それを下手な役者は、ものすごい目力入っちゃって、相手の目を見て喋るわけです。「そんなに見る!?」っていう。

それで「目線外してください」って言うと、今度は目線ずっと外しちゃうんです。だからそういうときに、別のことをやったり飲み物を与えたりしてやっているのが演出家ですよね。

高橋:そういうの、よくありますよね。

吉田:AKBさんなんか、結構大変なんじゃないですか? その辺、ぶっちゃけ。

高橋:確かに。アイドルって必ずしも職業的に演技訓練された方たちじゃないので、演技に興味ある人は、いろいろ頑張ってやるんですけど、本当に「演技よりは、どっちかって言うとモデルになりたいな」とか、そういう人にとっては苦痛でしかなくて、そういう人が渾然一体となる中で、しかも時間がない中でやるしかないっていう大変さはあります。正直。

吉田:これがまたすごい高名な演出家でも、大女優の方に48回泣きの芝居をやらせて、「すごい、あの人は48回泣ける」っていうような話がありますけど、「お前48回の中で、その違いって説明できるのか?」って言いたくなるんです。

だけどその人は「もう1回、もう1回」って言い続けるだけだっていう。それでも有名な人になっていたりするわけです。でもスタッフは、2度と一緒にやりたくないですからね。長続きしないっていう……あれ?

高橋:いや、何となくわかりますけど。

吉田:この場って何の話でしたっけ?

高橋:悩みますよね。

AKBドキュメンタリーで受けた衝撃

吉田:そうですよね。高橋さんと対談してくれって言われたんですけど、高橋さんと会うの3回目で。

高橋:ぐらいですよね。だいたい飲みの席で。

吉田:はい。

高橋:これも変な言い方ですけど、僕すごい飲んじゃうので、だいたい最後にわけわかんなくちゃって。

吉田:僕はお酒飲めないのでものすごい冷静なんですけど(笑)。

高橋:ただ、いろいろ共通点がありまして、一つにはある大きな組織の中の、社員のディレクターとしての立場を作り上げているっていうのがあるのと、あとは「アイドルと震災」というテーマで作品を作るっていうことを、ほぼ同じような時期にやらせていただいているっていうのがあるかなと思っています。

吉田:そうですね。僕、全くアイドルにはちょっと興味がなかったんですけど、「あまちゃん」やるんで、アイドルの勉強しようと思って新宿に映画を観に行ったんです。

その時にAKBのドキュメンタリーを2本観たんです。1本目は女性の監督がやっていらっしゃって、綺麗なインタビューで、「あ、こんな感じかな」と思って観てたんですけど、やっぱり2本目の衝撃があったわけです。前田あっちゃんが、こう。

高橋:はい。プレッシャーで。

吉田:過呼吸になったような。もう1つ衝撃だったのは、日本のドキュメンタリーってナレーションを打つんです。ナレーションっていうのは、いわゆる説明ですよね。でもドキュメンタリーでナレーションを打った瞬間に、いくら事実って言っても、それはもう恣意が入っているわけです。「こういうふうに見せたい」っていう。

それが、なかったんです。外国のドキュメンタリーっていうのは、僕も外国に行って観るんですけど、ほとんどナレーションがないんです。そういうものは必要最小限。科学のドキュメンタリーは違いますよ。でも人のドキュメンタリーはほとんどついてない。

それが劇場で、AKBで行われていたことに衝撃を受けたんです。今初めて言いますけど……今後も言いませんけど……何かそういうことで、どんな人かなと思ったら、凸版印刷の社員って言われて、二重の衝撃だったんです。

ドキュメンタリー映画のリテラシー

吉田:どうしてそういうふうにしようと思ったんですか?

高橋:僕もあの時、劇場映画のドキュメンタリーって初めてで、リテラシーがなかったんです。はっきり言えば。僕が好きだったドキュメンタリーって、それこそ「ゆきゆきて、神軍」とか、ナレーションないのが多かったんです。

だからドキュメンタリー映画って普通こういうものだと思って、ナレーションを少なめにしたんです。完全にないわけじゃないんですけど。事実を最小限に説明するのに留めて。

吉田:あれはなかなかできないんですよね。みなさんご職業とかどんな方が多いんですか? 今回は。

高橋:どうでしょう。全然お伺いしていません。

吉田:どっちかっていうと、おもしろい話の方に興味がある方ですかね。それともクリエイティブな話ですかね。

高橋:(『「おもしろい人」の会話の公式』)一応僕拝読しました。すごい参考になりました。

吉田:本当にこれ正直言って、1冊目は全く売れなくて、担当の多根ちゃんに、原宿の表参道を歩きながら「タイトルが悪かったんじゃない」って毒づいたら、急に立ち止まられて、泣かれ始めて。

高橋:こっち(前著『発想をカタチにする技術』)ですね。

吉田:そうです。これは僕が本当に自分がやってきたことを込めて、大きな組織ですごい闘って、コントを作ってきたわけです。要は、自分が才能があると思ってないんですけど、ただ、こうやればアイデアが生まれるんじゃないかと思って、精魂込めて書いたんですけど、全く売れなくて。

このタイトルが、ちょっと僕、嫌で。「変わったことやろうって言ってんのに、こんな普通のタイトルでいいんだっけ?」と疑問を呈しながら。そうしたら「いや、売るのは出版社ですから」って言われて、任せた挙句に売れなくて、泣き始めちゃって。

で、「もう1回本つくらせてください」って言われたんですけど、パスタ食べながら。それで「はい」って言って、今度は変な、いやらしい話、ちょっと売れる本つくろう、みたいな感じで。

しゃべるほうは全く門外漢じゃないですか。だけど、これ、やってみようと思って。本の中にも書いてるんですけど、よく考えたら、ディレクターってしゃべることしかできないんですよね。カメラ回すことも、何か技術があるわけでもなく、何か言葉で何かを伝えて、人の力を引き出すっていう力なんですよね。本当に、踊ったりもなんにもできないんです。だから結局書いてるうちに、ああ、意味あるなと思ったんですけど。

監督と演者のコミュニケーション

吉田:なにか気になることありますか?

高橋:僕この本、監督論だなと思って。

実は僕、こっちの最初の1冊目ってすごい大好きで、非常に勉強になったなと思うんですよね。1冊目はどちらかというとプロデュース論っていう感じがして。

新しい本は、監督をされた方の経験が入ってるなっていう気がしましたね。結局コミュニケーションじゃないですか、監督って。だからさっき言った、「もう1回」って言いながらコミュニケーションか何かがジワジワいく偉い方もいらっしゃいますけど、多分、もう時代的にそれってむずかしいとこがあると思いますね。

だから、どうやって自分なりのコミュニケーションで、演者さんなり、スタッフの人たちと、そして結果的にはお客さんと対話していくのかっていう部分の、おもてなしって言ったら変だけど、そういうものがすごいいっぱい入っている気がします。

吉田:そうですね。あと、やっぱり芸能人の方って個性が強い方が多いじゃないですか。志村けんさんと尾野真千子さんじゃ、同じ泣きの芝居をやってほしくても、全く伝え方が違うわけですよね。

例えば尾野さんだったらテクニックがあるから、こういう涙が欲しいって言ったら、なるほどって分かっていただけるけど、志村さんに、例えば「涙を流してほしい」って言った瞬間に、お笑いの人っていうのはあまのじゃくだから、「そう簡単には泣けませんよ」みたいな感じになっちゃうわけですね。

これ、志村けんさんが言ったわけじゃないですよ? でも多分、言ったらそうなるんですよ。

だから志村けんさんだったら、僕は「泣かなくてもいいですから」って言うんですよね。そうすると、「泣けるよ」となる。焚きつけなきゃいけないわけですよね。

いや、こんなことしませんよ、普段は。でも、コミュニケーション論のような本を読むと、ほとんどの本に「自分がこうすればいい」って書いてあるんですよね。

だけど、「コミュニケーションなのに、なぜ自分が変わったら全部が変わるんだ」ってずっと疑問だったんですよね。相手に合わせて、どういうふうな形にしなきゃいけないかっていうことなんです。ですから、最初に「受ける」っていうことをすごく強調してるんですけど。

役者とは対等に向き合うことが大切

吉田:例えば、高橋さんでも、現場でAKBの方に、言葉遣いすごい丁寧ですもんね。

高橋:できるだけ丁寧にします。

吉田:あれ、「なんとかちゃん」とか「なんとか」って呼ぶ人、なんか違和感あるんですよね。

高橋:僕、ちゃんづけとか駄目なんですよ。できないんですよ。

吉田:子役の子に対しても業として一緒だったとしたら、やっぱり丁寧な言葉を使ってる人のほうが、「なんかこの人いいな」って思われるんじゃないかなっていう。

今ちょっと話がとっ散らかりましたけど、その辺りもあるかなと思って。でも何書いたかももう覚えてないんですよね。

どうですか、最近は。

高橋:演出の方っていっぱいいらっしゃると思うんですけど、吉田さんは相手に対してきちんと、尊敬じゃないんですけど、できるだけ上から目線とかでなく、かといって変にへりくだったりとかじゃなく、対等な形で接する中で、お互いのいいところを導き出したいっていうやり方をしてるんじゃないのかな、と思いますよね。

逆に「あまちゃん」みたいな場合って、どうされるんでしょう? というのは、能年さんみたいな新人の人もいれば、宮本さんから小泉さんから、いろんなバリエーションの方がばっと一堂にいる瞬間とかあるわけじゃないですか。

吉田:能年さんなどには、まず基本的に、一度もため口をきいたことはないですね。例えば橋本愛さんだったら、17歳だったんですけど、当時。だからといって、「じゃ、ここに立って」とは言わないですよね。「じゃ、ここに立ってください」と。でも小泉さんにも、「ここに立って候」みたいなことじゃなくって、「ここに立ってください」と。

へりくだるとか丁寧にするっていうのは、ちょっと引いてればいいって思っても、極端になりすぎてもいけない、なんでも。そういう意味じゃなくて、本当に今言われたように、対等に付き合うための努力をしなきゃいけないわけです。

これは努力なんですよね。だから若い俳優さんには、こっち側が敬意を表するってことはあるし、ベテラン俳優さんには、今度は逆に勇気をもって話をするっていうふうに切り替えてましたね。

高橋:すごいですね。いろいろこみ上げてきてるような感じが。

吉田:そうですね。

高橋栄樹監督が今でも覚えている痛恨のミス

吉田:「あまちゃん」って、十何人が出てるようなシーンが多かったんですけど、そしたら飲み物1個も全員に用意しなきゃいけないんですよよね。そのときに、全員ウーロン茶っていうわけにはいかないわけですよ。やっぱり、この人はコーヒー飲んでるとか、この人はなんとかっていうのがある。

そしたら「暑いな」とか言ってる人にコーヒーを置いておくと、「どういうこと?」みたいなことになるわけですよ。でも、もう覚えてないわけですよね、そんなの。その瞬間ですよね。「あっ」と。「大分クーラー効いてましたかね」とかスパッと言えるか。もう素直に「すみません、忘れてました」って言うかですよね。そこで自分のミスを認めないような感じをすると、そのあとずっと不信感を覚えられますからね。謝らない人、多いですね、最近ね。

高橋:どうでしょう、僕は他の方の現場って、それほど対峙したことないんで。ただ、自分のミスとかまだ覚えてますね、今でも。

吉田:どんなミスですか?

高橋:ある方とご一緒したときに、ずっと一緒にやってきてたから、そんなに仲悪くなかったと思ったんだけど、撮影の中で階段を降りるタイミングが、いろいろなものが複雑に組み合わさって、「このタイミングでこう降りてね」っていうお願いをしたことがあったんです。

でも1回目や2回目ではできなくて。その時にじっと考えてから、その人が「できません」って言ったんです。

その「できません」って言ったときに、今から思えば、どうやってやろうかって2人だけで相談すれば良かったんですけど、その時に、「いや、できるよ」って言い返しちゃって。

「だって音楽のこのタイミングとこのタイミングで、こうして、こうすればできるから。ここを聞いた瞬間にこの1歩を踏み出して、こうやりゃ絶対できる。じゃ、やろうよ」って言ったのが、痛恨のミスですね。多分、僕これ一生覚えてると思います

吉田:ああ。もう、それ以後。これ、どうですかね、みなさん。自分が正しいと思ってると、こうやっちゃいませんかね。特に公の場で言うと、相手が恥をかいたような気分になって、当たってるだけに、余計嫌になっちゃったりすることがありますよね。

高橋:だから本当にやってもらいたかったのであれば、どこか見えないところで2人だけで話をするか、さっき吉田さんが言ったほうきの例じゃないですけど、違うアプローチでそのタイミングを作り出せば良かったのを瞬時にやれなかった自分が、今でも駄目だなって。以来、そういうことは絶対やってないですけど。

制作協力:VoXT