高橋監督が「あまちゃん」を客観視できない理由

会場:質問していいですか?

高橋:全然いいですよ。

高橋栄樹氏(以下、高橋):吉田さんがいらっしゃる前に、吉田さんがいらっしゃる時には言いづらい「あまちゃん」の感想とかを伺いたいです。

高橋:「あまちゃん」の感想ね。吉田さんに言わない?(笑) 「あまちゃん」全話見てないんです(笑)。そんなもの言い訳なんですけど。ちょっと込み上げてくるものがあるんです。見ていると。

例えば上野のああいう劇場でやっている感じとか、奈落とか、俺なりに「うわーっ」と思うことがいっぱいあって、時々見られなくなるんです。客観視できないというか。あと僕の実家が岩手というのもあって、よく知っているんです。あの路線のこととか。

だから申し訳ないのは、歯抜けで全部拝見してないっていうところですよね、「あまちゃん」を。でもすごい良くできたドラマだなと思っていて、宮藤さんの脚本も含めて、演者も演出も本当にすべてが上手くかみ合っている。

何より僕の実家が岩手なので、地元でいろいろ話も聞くんですけど、みんな喜んでいます。「あまちゃん」ができたことに関して。だから、実家のそういう評判なんかも見ると、やっぱり「いいんだな」って。だから客観視できないこととかいっぱいあります。

僕も岩手から出てきて、東京で今こうやって仕事しているわけじゃないですか。出てきた大きな理由には、やっぱり田舎が嫌だったっていうのがあるんですよね。嫌だったというか、「あまりおもしろくないよね」と思っていたので、上京当時は。

そういうのもあるので、小泉今日子さんの役柄やユイちゃんという女の子の気持ちとか良く分るし、宮本信子さんが自分の母親に見えるところもあって。

AKBのブレイクの背景にあったものとは

会場:いいですか?

高橋:どうぞ。

会場:秋元康さんが、あまり作詞活動とかしていない時期があって、その時に「時代に求められてないような気がした」みたいなことをおっしゃっていた何かを目にしたことがあって。そのあとAKBでまた作詞活動されていると思うんですけど、高橋さんが考える、AKBが売れた時代感とか、後押ししたことって何かあったりするんですか?

高橋:後押しとか、何でしょうね。

会場:時代背景とかあったら教えていただきたいです。

高橋:劇場だったってことかもしれないですね。やっぱり直接会えるのが。それまでアイドルってテレビがメインで、テレビとか映画館とかではあまり会えないことが多かったと思うんですけど、それを直接会って話ができるぞっていうところの盛り上がり。それはインターネットが発達してきて、なかなか現実感がなく過ごしている人からすると、ものすごい新鮮だったんじゃないかなと思うんです。

僕がAKBの初めてミュージック・ビデオを撮影したのが2007年の2月14日、バレンタインデーで。たぶんその前の月に、劇場で初めて拝見したんです。それがチームK公演で、確か「脳内パラダイス」という演目だったんです。

その時に劇場で観て、生でものすごい熱い、今でこそコールとか普通になったけど、「何なんだ、ここ!?」「大丈夫か!?」「警察呼んだ方がいいんじゃないの?(笑)」というくらい盛り上がっていて。

そういうのは確かにお目にかかったことがなかったので、公演が終わって秋葉原を歩いていたら電話が鳴って、秋元先生から「どう思った?」って聞かれて、その場で「何か劇団みたいですね」って答えるのがやっとだった。

そのぐらい何て言っていいかわからなかった、そういうリアルな生の盛り上がり。そういうものがあれ(後押ししたもの)だったのかもしれないです。

期待を上回る作品を返すための秘訣

高橋:せっかくなのでもしあれば、いいですよ。全然。

会場:お伺いしていいですか?

高橋:何か言いたそうじゃないですか。何か言ってくださいよ。

会場:高橋さんは、映像のディレクターの方が多いんですよね。プロデューサーっていうよりかは。

高橋:ディレクターですね。監督です。

会場:たぶんディレクターやっている方って、要はディレクションがすごい得意な方と、おもしろいモノを作る方で2通りいると思うんですけども、今お話聞いていると、おもしろい話を持ってきたものを、さらにおもしろく形にするのがすごい得意なのかなと思ったんですね。

そのおもしろいものを、本当におもしろく、そのプロデューサーの期待するおもしろいレベルまで持って行くことができないと、たぶん秋元さんとか、すぐ人を変えちゃうと思うんですけども、それを高いレベルでずっと維持し続けられるのって、秘訣みたいなのってあるんですか?

高橋:秘訣? 秘訣っていえば、そうですね、自分が確かに得したなと思うところがあるのは、「刑事コロンボ」が好きだったということですかね(笑)。もともとミステリーが大好きだったんです。子どもの頃から。江戸川乱歩やアガサ・クリスティをよく読んでいて、それから派生して、刑事コロンボが大好きになったんです。

ご存知ですか? 刑事コロンボってどういう話だか。2時間くらいのアメリカのテレビ番組なんですけど、だいたい犯人っていうのはお金持ちで、めちゃくちゃ頭がいいんです。そいつが殺人に関する完全犯罪をたくらむ。それが冒頭に出てきます。犯人がまず最初に出てきて、殺人をする。そのあとに出てくるのが、刑事コロンボっていう、汚いコートを着て、ヨレヨレで、全然しょぼくれた人なんです。

でもその人がお金持ちを相手に抜群の推理力で、言葉のちょっとした矛盾や、普通の人なら見逃す微細な証拠なんかを手掛かりにして、犯罪の立証をして、お金持ちを逮捕するっていうシリーズで。

子どもの頃から大好きで、刑事コロンボってトレンチコートを着ているんですけど、僕、小学校の頃トレンチコート着ていたんです(笑)。本当に。トレンチコート着て、ランドセル背負っていた(笑)。要するにコロンボになりたかったんです、僕。子どもの頃は。

作品とは「完全犯罪」である

高橋:だから、それが頭のどこかに今でもあって、要はアーティストないしプロデューサーの人っていうのは、非常にお金持ちの、言ってみれば一種の完全犯罪を企んでいるような人なんじゃないかと。その人の生み出す「作品」というものが、コロンボにおける「完全犯罪」だと。

その作品の中に、その人の言いたいことが入っている訳なんだけど、はっきり言って直接的には言わないですよね。密かに歌詞の中に入れたり、メロディの中で感じさせたり、プロデュースの方法論の中などに反映したりするわけじゃないですか。

それを額面通りに受け取って「はい、こうですね」ってやっていると、あほな流通業者みたいなポンとしたものしかできないので、その奥にある心理みたいなものとか、真意みたいなものを、さっき言ったような、ちょっとした手掛かりとか、言葉、お会いした時の言葉の雰囲気とか、感情とか、あるいはその作品の中の歌詞の言葉のつながりであったりとか、そういうものの中から自分なりに探っていって、「伝えたいことはこういうことじゃないでしょうか?」っていうことを、映像作品という形でお返しするようにしてます

だからクリエイティブの方とお会いした時は、その裏にある真意が何なのか、もっと言うと、その先にあるはずの普遍性みたいなところを考えるようにしています。

お答えになっているかわからないんですけど、仕事をやっていく中での秘訣っていうのは、そういうふうなものの見方だったりします。

他に何かもしあれば。どうぞ。

テクノロジーの発展には乗っかっていきたい

会場:ミュージック・ビデオの黎明期から、ディレクターとしてずっといらっしゃって、さっき8ミリフィルムだとかVHSだとかって話が出ましたけど、90年代ゼロ年代と、どんどんテクノロジーが発展していくにつれて、現場でミュージック・ビデオっていう映像を作っていらっしゃる立場として、それをどう思っていらっしゃいますか?

高橋:ごめんなさい。今カバンがずれているのが気になって、ちょっと今立て直しました。もう1回言ってもらっていいですか? 刑事コロンボがいいとか言いながら、全然話を聞いていないという(笑)。

会場:現場でやっていらっしゃる方としては、どんどん映像の技術というか、テクノロジーがどんどん発展していくっていうことで、仕事の内容が当然変わっていったりとか、どんどんできることが増えていくと思うんですけど、そのテクノロジーの発展っていうもの自体をどう思っていらっしゃるというか、そういうものに対してどういう立場を取っていらっしゃいますか?

高橋:今はちゃんと聞いていました。僕自身はテクノロジーの恩恵を、とても被った人間だと思っています。これが10年ぐらい前に生まれていたら、たぶん僕は映像のプロにはなれなかったと思うんです。

というのは、アナログの時代は、それこそフィルムを使って撮影してそれを編集してというのは、いろいろな意味でやり直しがきかない。アナログって。非常に精神力と、あと組織力。人をまとめ上げて、それを通して、やり通すみたいなことが必要で、ひとことで言うとすごく根性がいるんです。その根性が僕にはあまりなくて。

僕は映画を初めて撮ったのは1999年なんですけど、その時からフィルムじゃなかったんです。ビデオで撮っていたので、何度でも撮り直しがきく。そういうテクノロジーの恩恵をいっぱい被っちゃった人間なんです。

あと編集もコンピューターでやるようになってからの方が、僕は自分のやりたいことがやれるようになりました。なので、テクノロジーそのものは、じゃんじゃん映像に投下されるべきだと思っています。あまりそれに反対するっていう意思はないですよね。

ただ、同時にフィルムとかもメディアとしては知っていたし、その良さがあるから、そこを守りながら、だけどテクノロジーにはアレルギーなく、乗っかっていきたいなと自分としては思っています。

時代がシネコンを要請するならば、その中でやっていく

高橋:例えばこういうことです。映像のデジタル化がもっと激しくなって、昔映画館だったものが今シネコンという形になった。シネコンになった時に、映画館っていう劇場の持っている温もりみたいなものがなくなっていく、映画の持っている慎み深さがなくなっていく、というふうには、実はあまり考えてない。

もし時代がシネコンという形を要請するのであれば、そこの中で(やる)。シネコンっていうのは結構大変なんです。つまり劇場であれば、そこでずっと1本の映画をかけていただけたりとかして、それが最初は当たっていなくても、案外口コミで広まってっていうことがあって、それはそれで本当に素晴らしいんです。僕は本当にそれが大好きなんです。そうやって映画を観てきた人間だから。

それが時代の流れと共にシネコンになると、シネコンって非情極まりなくて、最初の1週間で結果が出ないと、もうあっという間に時間帯がすごい夜中になっちゃう。みなさんも「あの映画観よう」と思って、ふと見逃しちゃったら「いきなり夜中?」みたいなことあるじゃないですか。

ただ、「いや、やっぱり劇場だ」とは僕はあまり思っていなくて、「だったらもう徹底的にシネコンというところでやったらどうなるの」と思ってはいるんです。

それは何故かっていうと、やっぱり僕がそこに乗っかっちゃって登場した人間だというのがあって、例えばビデオテープがあったから僕は映画を撮れたし、「DOCUMENTARY of AKB48」っていうのも、要するにデジタルで配信、デジタル完パケすることができるようになって、初めて2ケ月半で作れるようになっているんです。

普通完成しても、それを各劇場にきちんとコピーして持って行こうと思うと、えらい時間がかかるんですけど、デジタルだったら変な話、例えば1週間ぐらいで何とかなるのかな。そういうところで初めて勝負できて、やることができちゃったから、非常に恩恵被っていると思うんです、私。感謝しなくちゃいけない。

だから、そういう意味ではあまりそこを否定しないで、何かそれの持っている変革の可能性みたいな部分で、自分もどんどん進化していけたらなと思っています。

こんな感じでいいかな?

会場:いや、全然大丈夫です。

制作協力:VoXT