人間の身体が技術によって拡張されたときに、何が起こるか

もともとゲーム研究者である井上明人氏はいま、パラリンピックや、サイボーグ技術といったテーマに関心を寄せているといいます。「サイボーグ的身体拡張」の広がりによって、必ずしも自分の身体だけが「身体」とは言えない現代に、私たちは身体の価値や単位について、どのように考えていけばいいのでしょうか?

――まずは井上さんが、「PLANETS vol.9」の企画でやりたいことや、考えていることについてお聞かせください。

井上 自分の興味の話から入りますが、僕はコンピューターゲームについて考えてきた人間です。で、コンピューターゲームって、人間の考えるプロセスだとか、知性のあり方の組み替えができるメカニズムなんじゃないか、ということをずっと思ってきました。技術によって人間の行為や行動、さらには考え方まで、すべてが変化してしまう。そうやって考えていくと、僕の興味の行き着く先のひとつは「サイボーグ技術」のようなものなんですね。ちょっとわかりにくいですが、それがパラリンピックへの関心とつながっていきます。

――サイボーグ技術への関心が、どういった点でパラリンピックに結びついていくのでしょうか?

井上 パラリンピックの話と、サイボーグ技術はよく考えてみると2つのレベルで繫がっているんです。1つは「ゲームである」ということ。パラリンピックも広い意味でゲームの一種なので、ゲーム研究者である僕は当然関心を持っています。もう1つは障がい者と、サイボーグ技術が密接に絡んでいるということです。というのも、サイボーグ的な最先端の技術の利用者というのは、実は身体障がい者の方々だったりするわけです。彼らは既に身体に取り込んでいますよね。彼らが使っている義足や義手や、もっと複雑な技術もたくさんあります。

――障がい者の義足や義手は身近なサイボーグ的身体拡張の例ですね。

井上 僕が考えたいのは、「人間の身体が技術によって拡張させられたときに、何が起こるか」ということ。ここを考えていくと、面白いことがわかりそうだと感じています。

サイボーグ技術が、身体を超えたとき

井上 1つ象徴的なエピソードを話すと、南アフリカのオスカー・ピストリウスという陸上選手がいます。彼は、アテネパラリンピックの短距離走で数々の結果を残して、まさに南アフリカのスター的存在だったんですね。そして彼は北京大会に際して、パラリンピックだけではなくオリンピックに出るという話が上がっていて、国際陸上競技連盟で出場に関しての検討が行われたんです。その検討の際の論点が「義足の性能は、実際の身体である足の性能と比べて、フェアであるのかどうか?」というところだったんです。

――興味深いですね。義足vs人間の足というなんとも言えぬ戦い。

井上 その戦いの結果だけでいうと、義足のほうが足に比べて、25%〜30%ほど力の負担を軽減しているということがわかりました。そんな調査結果がわかった状態でオリンピックに出したら、それこそドーピングしているのと同じことなんじゃないのか……ということで問題になり、「オリンピックに出すのはよくない」という意見もでてきてしまった。裁判などを経て、最終的にピストリウスは2008年の北京オリンピックに出場するのですが、メダルに絡むことはありませんでした。変な言い方をすると、メダルに絡めば色々な問題が起こったでしょうから、事なきを得たというわけなんです。

「身体はフェア」という大前提の消滅

――そうなると、今度は人間の身体ですらもフェアなのかという議論に発展していきますね。

井上 当たり前の前提を、もう1度疑ってみるといいかもしれないですね。オリンピックの場合は、「人間の身体はフェア」であるという建前を作っているけれど、よく考えてみると、実際はそんなこともない。たとえば、「黒人の方が身体が大きい」とか、「そもそも生活様式が違う」とか。でも人間の身体だけだとせいぜい、そういうレベル感の話だったものが、パラリンピックになってくると、今度は身体の多様性だけで議論することが不可能になるんです。

――サイボーグ技術が加わるパラリンピックはさらに混乱する、と。

井上 サイボーグ技術という新しい概念が、「身体はフェアだ」という建前に侵入せざるを得なくなるのがパラリンピックです。人間が今までごく自然に前提としていた、元来身体が背負ってきた「フェアネス」というものが、サイボーグ技術の登場と進化によって完全に組変わりつつあるというわけです。

――なるほど、面白いですね。

井上 人間の身体の単位や、その公平性について考えていく上で、パラリンピックは非常に重要なキーワードになってきます。今までは当たり前に同一とされていた人間の身体という概念が、サイボーグ技術の登場によって複雑に多様化してしまう。そういった話を、今度の特集では取り上げたいな、と思っています。 (構成:ミヤウチマキ)

※この記事は、『PLANETS vol.9 特集:東京2020(仮)』制作のために、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛氏が集めたメンバーへの連続インタビュー企画を転載したものです。井上明人氏が過去に参加した座談会記事は『PLANETS vol.8』およびKindle版『日本的想像力と「新しい人間性」のゆくえ』をチェック。