テニスサークルを作って年間2000万を動かしていた

佐俣:小泉さんは極めて真っ当に就活されたタイプなんですよね。

平尾:エリートですから!

小泉:僕、2001年、2002年ぐらいの就活組なんですけど、サイバーエージェントとかみんなネットバブル?でバーっと落ちたから、インターネットの会社なんてありえないと思って、受けてもいない。ただ、僕ね、なぜか学生時代にずっとネットでものを売っていたんですよ。右から左に流すだけ。

佐俣:その当時、メルカリで、ですか?

小泉:当時はヤフー掲示板(笑)。

吉田:それがメルカリのアイデアですか!

小泉:ヤフー掲示板で、本当、普通に売ってたの。ほとんど毎晩高田馬場で飲んでいて、朝になるじゃないですか。そうすると裏原に行って並んでAPEとかのTシャツを買って、それを青森とか地方の人に3倍ぐらいの値段で売るっていう……。

佐俣:今、ちょっとね、地方の人に対して感じ悪いこと言いましたよ!

小泉:僕がもともとクソ田舎の出身だったんですよ。僕らは逆にそういうのを普通に買っていたんですよね。ネットで。だから、「これ絶対にできる!」と思って。

佐俣:今、好感度が上がりましたよ(笑)。

小泉:就活は、僕も実は1ヶ月もやっていないんですよ。内定もすぐに出ちゃって。でも、投資銀行にしたのは、僕には一方で経営のプロになりたいという気持ちがあったんですね。起業のプロもあるけれど、当時はどちらかというと経営のプロになりたくて。今もちょっと「なりたい」っていうところがあるんですけれど。

平尾:もうプロじゃないですか!

小泉:これ、どう返したらいいんだろうね(笑)。

佐俣:ノリをやりすぎたら僕が切りますよ!

小泉:あとは、3年生の頃に、先ほど言ったように早稲田で一番大きいテニスサークルを作ってたんですけれど、1年間で2000万円以上使っていたんですよね。

メンバーからもらったお金とかいろんなお金。その収支計算をするじゃないですか。そうすると100万円以上残るんですよ。利益みたいな感じで。それが会社っぽくて、そこは何か自分の中でいい経験だったなというのがあります。

17社連続で落ちてやむを得ず大学院に

佐俣:なるほど、ありがとうございます。では丹下さんいかがですか。丹下さん、油断してると出番なくなっちゃうので、どんどんアピールしてください。

丹下:今日はどんなポジションなのかなと思ってたんですけど(笑)。

佐俣:理系じゃないですか。この中では。

丹下:僕は一番親近感が近い関西なんで、大学は同志社大学なんですよ。大学時代はずっと遊びまくっていて、オートバイに乗ってコンパばっかりしてたんですね。専攻は機械なんですけど。7台ぐらいのオートバイに乗っていて、ロン毛だったんですよ、僕。

ちょうどチーマーの頃で。チーマーってちょっと古い? 京田辺市って京都の奥のほうにあるんですけど、僕はそこにずっといて何もしていなくて、就活は全部落ちたんですよ。17社(笑)。

佐俣:それはすごい!

吉田:あれ? 丈は17社?

平尾:内定いただきました。

丹下:真逆、真逆(笑)。

佐俣:会場の中で就職活動とかいろいろされて、結構落ちた方とかいると思うので、好感度上がってますよ(笑)。

丹下:じゃあそのポジションで行こうね(笑)。17社落ちて、どうしようもないので大学院に行かざるを得ないじゃないですか。それで受けたらまたそれも落ちて、成績も一番ぺいぺいな感じだったんで、これ、どうしようもないなということで一回フリーターになって、それで京大と慶応と同志社の3つを受けて全部受かったんですよ。その間に、実は僕、ちょっと慶応に行ってたんですけど。

佐俣:そうなんですか。

丹下:京大に受かってるって知らなくて(笑)。大学院に受かったら誰かが教えてくれると思ってたんですよ。だから、ずっとほったらかしにしてたら「何で来ないんですか?」って言われて、先に慶応に行ってたので、慶応からもう一回戻ってきたんです。

佐俣:普通にダメな人ですね(笑)。

丹下:試験で燃え尽きちゃう人ですね(笑)。

佐俣:なるほど。

捨てられたMacをヤフオクで売っていた学生時代

丹下:それで京大に来て、何となくニュアンスわかりますよね、「同志社と京大の温度の違い」って。もう全然違うじゃないですか。京大の人たちって本当に就活しないので、有名な話なんですけれど、京大の人はすぐにパナソニックとか行っちゃうじゃないですか。「おかしいな、この人たち何で就活しないのかな?」と思って。

70人ぐらい同級生がいるんですけど、ベンチャーは僕一人だけなんですよ。小泉さんの話を聞いて思い出したんですけれど、理系なので、よく、学校の中にMacが捨てられてたんですよ。

オールドMacが。それを「わー! すごっ!」と思って拾って、すぐそこの南田中ってところのマンションに持って帰って、洗って、ヤフオクで売りまくってたんですよ(笑)。結局それで結構稼がせてもらったんですけど。

それでやっと就活をして、僕はやっぱりコンサルティングファームを狙ってたんですよ。会社っていきなり作れないじゃないですか。なので、コンサルティングファームを狙ったけど、マッキンゼーとかボストンとかってぽっと出だと受からないんですよ。おかしいなと思って。

ただ、一社だけインクスっていうものづくり系のコンサルファームがあって、その会社が新宿の東京オペラシティっていう当時一番背の高いビルの最上階に入ってて、Appleが調子悪かった時にぱっと入った会社だったんですね。

当時アクセンチュアかインクスで悩んで、自分は頭もいいわけではないし、平尾さんみたいに会社も作ったこともないし、「僕のトラックレコードを作るのはこういう潰れそうな会社かな」と思って就職したんですよね。

学生起業した人はだいたいヤフオクでものを売っている?

佐俣:みんな変な人たちなんですけれど、共通点はあって、自分でいわゆる商売をやってるんですよね。

僕もいろんな学生の起業家の方に会うんですけど、スタートって別に起業じゃなくていいと思っていて、今は多分メルカリの方ほうがいいと思うんだですけど(笑)、洋服を買ってヤフオクで売るとか、そういうのが起業とかの一番のスタートだと思うんですよ。

要は、みんなが目をつけていないもので、差益があるもの。東京で1万円のものが京都では8000円だったら、8000円で買って1万円で売るみたいな、そういうのをちょっとずつやっていくというのが実は起業の一番の近道なんだなって。

皆さん、そういうことをやられてる人なんで。僕の奥さんは京大卒業生で起業してるんですけれど、僕、学生の頃、当時の奥さんに初めて会ったときに、すごく高級なホテルでシャンパンを飲んでるんですね。これ何なんだろうと思ってたら、京大の生協で売っている電子辞書が京大限定で特殊なものがいっぱいついているので、それを毎月30台買って、ヤフオクで売っているって言っていました(笑)。

吉田:またヤフオク! ヤフオクいいね! ヤフオク起業!

佐俣:でも、びっくりするんですけど、当時はヤフオク、今はもしかしたらメルカリかもしれないんですけれど(笑)、やっぱり学生起業している人とか今大きくなっている人って大体みんなヤフオクでものを売ってたんですよ。そういうのが商売の始まりだと思う。

学生はみんなお金ないじゃないですか。お金なくてもそういうのを始めていると、学生にとってというか、僕にとってもなんですけど1万円ってすごく大きいじゃないですか。その1万円が簡単に手に入る。

アルバイトして時給900円で10時間働くよりも、「いいものが一緒に手に入る」みたいなことが、商売とかインターネットとかの一番初めの接点だったりするのがいいので、とりあえず、今日、みんな帰るときにどっかで何かを買ってメルカリで売る(笑)! これを忘れないで欲しいなと思います。

小泉:これ、間違いないね(笑)。

平尾:お金払ってるんですか? 大丈夫ですか?

小泉:一応後でお金渡そうと思ってる(笑)。

佐俣:ありがとうございます。交通費をもらえると(笑)。

出世コースのレールを敷かれた瞬間、ダメだと思った

佐俣:では、皆さんみたいな人がどういうターニングポイントで起業家になっていったかっていうのをいろいろ聞きたくてですね、僕が話を伺っていて一番おもしろいと思うのは、僕の中では小泉さんがすごいなと思っていて。

小泉さんってサラリーマンを3年半やって、突然ミクシィっていう会社の社長室長として転職して、取締役になったのが26歳ぐらい。

ミクシィって今でもすごいですけど、当時インターネットの中では断トツですごい会社。ヤフーかミクシィかみたいな時代だった時のミクシィの取締役に26歳でなっちゃってるんですよ!

さっき聞いた中で22、3歳の子とかいるんだけど、3、4年後にそういう会社の取締役になるという経験が突然やってきたりするんですよね。そこのターニングポイントって何だと思いますか。

小泉:僕は大企業の頃にDeNAとかミクシィとか、実はそれ以外のネット企業もいくつか担当させてもらっていて、目の前に世の中を変えるような人たちがごろごろいたんですよね。

僕は成績がよかったので企業で出世コース的なものに乗せられたんですよ。当時の小泉首相が郵政民営化を言っていて、要は10兆円ぐらいのプロジェクトで、10年かけてやるんですよ。だから、25歳の頃に「10年間お前はこのプロジェクトをやれる」みたいな。

社内的には「10年のキャリアが固定化されて、完全にお前は出世コースだ!」みたいな感じだったんですよ。

佐俣:エリート街道!

小泉:エリートみたいな感じだったんです。でも僕は、そのレールを敷かれた途端に「いや、これはまずい。全然ダメだ!」と。

やっぱりレールは自分で敷いていかなくちゃダメだし、意思決定が人生でできないっていうのは「これ、やばい!」と思って、その瞬間に冷めたんですよね。「こんな大企業にいたらやっぱりダメだ」と。

佐俣:それは、普通の勤め人にとっては一番嬉しい話なんですよね。僕、それ言われたら絶対に辞めないですね(笑)。

勉強会での出会いは大切なもの

吉田:というか、そのときに会っているんだよね、これ。

小泉:そうそう。

吉田:ここ。

小泉:アンリも学生だったもの。

吉田:アンリが学生のときで、(小泉が)大和のときで、(吉田が)ドリコムの役員のときに勉強会をやっていて、何か学生で1人、社会人の中に。

小泉:すごい気が狂った、ベンチャーキャピタルに対してめちゃめちゃ無駄に知っている大学生がいるみたいな。

佐俣:僕は、皆さんぐらいの年齢のときは頭がちょっとおかしいというか、ひたすら社会人とずっとお会いさせてもらっていて、だから当時の平尾さんに会ったりとか、30歳ぐらいの社会人の人たちの勉強会に1人だけ大学生で正座をしているという。

吉田:突っ込んで来ていたよね。

佐俣:はい。しかもすごい生意気という。

小泉:そう。

吉田:ガンガン発言していた。

小泉:最初、大学生と思わなかったもの。

吉田:だからそういう意味でいくと、今ここにいらっしゃる人で横で交流しておいたほうがいいですよ。絶対にその後それぞれの、ベンチャーで社長をやったりとか大企業の部長になったりとかして一緒に仕事をするようになるので、ここでも。

佐俣:そう、特に朝一番にこんなイベントに来る人は、ちょっと頭がおかしい。

吉田:確かに。ここ、朝イチで張っている人結構すごいよね。

佐俣:そう、でね、もうこの人たちはここから老いていくわけですよ。なんだけれども、ここにいるみんなというのは、これから登っていく一方なんだから、友達たてて、登らなかったら置いておいて、登る人もいるから。

起業家には同期はいない

吉田:うちには女性役員がいるんですけれども、その子は東大法学部を出た後にトヨタのマーケへ行っていたんですね、その時代に私は知り合ってて。お互いメーカーのいちサラリーマンですよ。

私はその後転職した、でもサラリーマンですね。サラリーマン同志知り合って、結局東大法学部でトヨタのマーケで、その後A.T.カーニーに行って、何か私としては感じ悪いわけですよ(笑)。

佐俣:結構いろんなコンプレックスがあります。

小泉:コンプレックスの塊みたいなのあるからね。

吉田: A.T.カーニーってなんだよみたいな、エヴァンゲリオンかみたいな、それぐらいの感覚でいて。

佐俣:ちょっと頭悪いですね。(笑)

吉田:そんな感覚でいたんですけれども、12年の時を経て、たまたま今の社会に対する問題感が一致して、うちの会社で女性役員として、うちの20年計画を立てるという役回りになっているんですけれども、それもやっぱり損得勘定がないときにつき合った友達関係の縁なんですよね。

佐俣:なので今すぐ隣の人たちと顔をまず見合わせてみて、隣のやつとまず顔を合わせてみて。

吉田:こんにちはと言っておいて、こんにちはと(笑)。

佐俣:これで。

吉田:重要。

佐俣:こんにちはと言うじゃないですか。よくわからないけれどもFacebookでつながっていると、5年後とかに同じ会社で一緒に起業したりするんですよ。

吉田:何かあるんだよね。

佐俣:みんな、まさかと思って笑っているでしょう。これ本当に起こるから。こういう場所に来る、今は多分70人ぐらいかな、というのは本当に頭がおかしいの。

日本中どこでやってもこういうのに来るやつらというのは決まっているのね。この世代の中でみんなで成長していって成功していくから、やっぱり辛いときに同期とか仲間になったりするんだけれども、みんな起業家とかになっていくんだから同期というのはいない。この場にいるやつらがみんな同期なの。

なので全員とメールアドレスを交換するとか、あとは誰かが1人発起人になってFacebookグループをつくりますとか言って、全員を入れてやるじゃない、それで大体そういう幹事をやっているやつが起業したりするの。そういうことをやれるやつが何だかんだね。小泉さんは大きいサークルつくっていましたという人だし、そういうちょっとしたこと。

だから今自分たちからするとメルカリでものを売るとか、みんなを束ねるとか、そんなすごくないと思うじゃない? でもそういうのの延長線上に意外と起業とかあるから、どうせ失敗したって借金とか、借金できたわ(笑)。そういうのがあるから。