更地から15年かけて作った、こだわりの家

――話が戻ってしまうかもしれないですけれども、この家には最初、お父様とマークさんが(トンカチで)カンカンやって作られたんですよね? どれくらいの時間がかかりました?

マーク・パンサー氏(以下、マーク):実は、最初は更地だったんです。最終的に15年くらいかかりましたね。なぜ、ここの土地を選んだのかと言うと、当時の剣道の先生が、この土地の下側に住んでたんですよ。先生の家に、バーベキューをやる為に親と一緒に遊びに行ったんですよ。

その先生は、実は、フランス人なんですよ。剣道や居合いの世界ではすごい有名な人で。どれくらい有名かと言うと、持っている段を合計すると48段とか50段とか、武道バカみたいなおっちゃんなんですよ。下駄で京都から東京に来ちゃうような先生。途中で、下駄が壊れちゃっても、足を血みどろになりながら来てしまうレベル。

――昔ながらの。

マーク:武士ですね。その先生がそこで道場兼別荘みたいなのを作っていたんですね……。

――道場みたいな?

マーク:あのレベルまで到達してしまうと、自分の道場欲しくなるんですよ。

――今後の人生でも武道をやっていきたいからですか。

マーク:そうなんですよ、あのクラスのレベルの人は。その先生の話を聞いて、地主さんから、おやじが土地を買ったんですよ。地権は、売買が出来るけど、いろいろな状況で安く土地が持てるということで、ここを購入んたんですよ。冒険家の考えのように「じゃ、ここに住もっか」というノリでこの土地に家を作り始めました。

ノリは軽かったんだけれども、毎週金土日の3日間、おやじに強制的に東京からここまで連れて行かれていました。

――金曜日? 仕事終わりにですか?

マーク:そうそう。月曜日に学校へここから行っていました。最初はテントを持ち込んで作っていましたね。

――最初にマークさんがここに来たときって、何歳頃なんですか?

マーク:何歳だろうな、中学じゃないですかね?

――中学生の時。当時どうでした? その家を作るっていうのは。

マーク:結構僕は、そういうワクワクドキドキが好きです。でも思春期だし遊びたいし、だから途中は来なくなっちゃったりとかもするけど、最初は、キャンプしながら作っていくというのはすごいおもしろかったですね。

――そうですよね。山奥じゃないですか、場所的に。周りには宿泊施設もないじゃないですか? 今みたいにコンビニとかもない時代ですので。つまりテントを張って寒いなか家を作っていくわけじゃないですか。

マーク:さすがに、冬は来なかったね。

――さすがに危ないから。

マーク:そうですね。

――じゃあもうここに基礎を作って、みたいな?

マーク:基礎や土台はプロの人と一緒に、習いながらやっていましたね。

――すごいですね。

マーク:骨組みから、壁や屋根を作って、ペンキを塗ってとか。断熱とかってやってるうちに、十何年が経ってしまいましたね。

――まさしく北の国からの世界。

マーク:最初は1階だけ作る予定でしたが、地下も作り出してしまって。最後は倉庫兼スタジオっぽいのを作ったりしちゃいましたね。

――そうなんですね。最初は1階だけ?

マーク:そうですね。確か地下までは作っていなかったですね。

――じゃあ増改築していった感じですね。そのようには全く思えない感じのつくりですね。

マーク:そこにあるテラスもなかったし。

――このテラスも自作なんですよね、すごい。

マーク:よく見れば見る程手作りなんだなと分かるんですよ。

400坪の土地と家を50万円で買った

マーク:実は、隣の家も、おばあちゃんが「もう私は来れなくなっちゃうから」って。家を壊したりとかして更地にして売る為には100万円位かかるそうなんですよ。「マークさん売りますよ」って言ってくれて、隣の400坪の土地と家があるんですけど、全部で50万円で買いました。

――400坪?

マーク:全部で合計5000坪。

――5000坪?

マーク:合計5000坪になって。夏は向こうに友達とかを泊めて、ゲストハウスみたいな感じにしました。

――5000坪? この半分の1000坪が全部そうなんですか? 上の階も含めて。後は自分の好きなようにしていいわけですよね?

マーク:そうそう。だからサウナとかジャグジーとか作ったりして。

――すごいですね。

マーク:自分の好きなものが形にできるじゃないですか、そうやって。

――日本に来られている間は、比較的にここにいらっしゃるんじゃないですか?

マーク:そうですね。ちょっとでも期間があけば長野に来ちゃいますね。実は駐車場 も駅の隣に3万円で借りてるんですよ。

――今日はたまたま、昨日が雨だったんですけど、今日は晴れてるじゃないですか。すると、すっごい周りの景色が良くて。

マーク:いいですよね。

――今日は青空だし、雪とのコントラストが。ここいると音が無くて静かですよね。

マーク:静かです。なんの音もしない。朝起きて、20分かけて、星空の湯っていう名前の温泉があるんで、そこでじいちゃんばあちゃん達と話しをするんですよ。

自ら売り込んで『MEN'S NON-NO』初代専属モデルに

――ちょっと話が戻るんですけれども、中学生の頃に家を作り始められて、高校生の時ってどんな感じで過ごされていたんですか?

マーク:高校生、中学生と東京にいると悪くなっちゃうんですよね。

――いわゆる不良になっちゃうんですか?

マーク:そうですね。当時はちょうど、チームとかが始まり出した時期ですね。

――チーマーですね?

マーク:最初は、頭の良い学校のウィンドウブレイカーをみんなで着たり、そして、その後にアメカジとかが渋谷で流行りだして、っていう不良全盛期ですよね。

――まさしくもうど真ん中ですね。

マーク:そうです。勝手に家出して、1人で渋谷に住んでいましたね。それがメンノンの頃ですよ。15歳の時です。

――メンノン。15歳の時?

マーク:15歳ですね、オーディションを受けたのは。阿部さん(阿部寛氏)が最初、でっかいポスターで出て。集英社が海辺で撮影すると聞いて、付いて行って、浜辺で横たわっちゃいました。当時、ハーフモデルがいない時代でしたから。「僕を使ってくださいよ」って直接言いに行ったんですよ。

――マークさんが自分で売り込みに行ったんですか?

マーク:そうです、自分で行ったんですよ。外国人の色が強いハーフがいなくて。実は、桐島ローランドがいたんですが、どちらかというと僕系じゃなくて、日本人の色が強いハーフなんですよ。これはチャンスだと思い勝手にのりこみましたね。実は、最初は断られてしまいました。お酒とかたばこがスポンサーでついていた雑誌でしたから。

でも、当時の大物カメラマン、近藤さんかな? 彼が「使おう」と言ってくれて、ずーっと使ってくれてました。毎日遅刻していたのに、7年間ずーっと使ってくれましたね。表紙も多分、阿部さんと同じ割合くらい出てたんじゃないですかね?

――それで専属モデルになったわけじゃないですか。『MEN'S NON-NO』って当時のモデルさんでも憧れの的だったと思うんですけど。

マーク:その前が『FINEBOYS』とか『チェックメイト』とか。全部出てたんですよ。実は。

――それも自分で売り込みに行かれたんですか?

マーク:それは当時のモデル事務所が売り込んでいました。

――じゃあ『MEN'S NON-NO』だけは自分で?

マーク:そうですね、自分で。それで他の雑誌を辞めて。「辞めてでも専属になります」って専属になったんですよ。

――当時は色んな雑誌に出ていたからMEN'S NON-NOの専属になったんですよね。

マーク:一応MEN'S NON-NOモデルっていうのが素人モデルの募集をしていましたね。田辺君(田辺誠一氏)は募集からモデルになった感じだね。

――他のモデルさんはみなさん、先輩ですよね?。

マーク:そうですよね。風間さん(風間トオル氏)とか阿部さんとか、一緒でした。

止まっている仕事から、動く仕事にシフトしたかった

――モデルのお仕事はどうでした? 楽しかったですか?

マーク:もう生活の一部じゃないですか? 2歳からやってるので。もう普通ですよ。

――もうすごく当たり前な?

マーク:そうそう。だから笑顔がすごい自然だったんじゃないんですかね。笑いたくなくても普通にそれができてしまうから。学校よりもモデルの仕事が好きだったから。でもモデルの仕事の終わりの頃は笑顔ではなく、睨み系にコンセプトが変わってくるんですよ。

――クールな感じですか?

マーク:そうです。そのタイミングで辞めちゃうんです。MTVが日本上陸したばかりだから、止まっているポーズを撮影するモデルの仕事から、動きを撮影してもらう仕事に移ろうという事で。それで、MTVのオーディションを受けに行ったんですよ。

――なるほど。MTVが日本に上陸したって言うのはどうやって知ったんですか?

マーク:ポスターです。日本中に「MTV日本に上陸!」みたいなポスターがあって、問い合わせたらオーディションがありました。そのオーディションには200人くらいの人がいたのかな。

――結果は、合格でした?

マーク:受かっちゃったんです。

――で、初代VJですね?。

マーク:初代VJですね。

オーデションに持って行ったのは、キヨスクで買った『MEN'S NON-NO』

――あの時の事は比較的鮮明に覚えていらっしゃいますか? やはり、MTVが日本に上陸したって事は、自分の中でも衝撃的だったと思うんですよ。

マーク:実は、オーディション当日は二日酔いだったんですよ。自分の中では、どうでも良かったんですよ。結果は。でも、そのどうでも良さが受かる秘訣だったような気がしますね。周りを見るとすごかったですもん。みんなの。やる気というか、絶対に受かってやる的な闘志みたいなのが。

――当時は、海外で流行っているものが、日本で始まるというのは、珍しかったと思うので、その初代VJになれたというのはかなり貴重な存在だと思います。

マーク:そう。実は、俺は、ジャージを着ていったんです。ラスタカラーのジャージ。しかも、上下。

――ラスタカラー? それはかなり強烈ですね。

マーク:普通、モデルの仕事している人は、ブックを持ちこんで来るんですよ。僕は、その日にキオスクで買った『MEN'S NON-NO』を、審査員に渡しました。

ネタも台本も自分で作った

マーク:小栗プロデューサーが僕を採用したんですよ。それからが、小栗プロデューサーは怖かったです。採用されてからは、しゃべった事がなかった。

――それまではしゃべりの本格的な仕事っていうのはなかったんですよね?

マーク:ないですよ。

――かなり緊張しました?

マーク:緊張しましたね。テレビの仕事をやった事が全くなかったので、もう、しゃべりも「ですます調」でしたね。

「こんにちは、マークパンサーです」

「です」とかやめてって言われながら。もう、すごい怒られながら。ひたすら、カメラに向かって友達と話している感じを醸し出すのが本当に難しかったです。常に怒られっぱなしでした。

――当時は、辛かったですか? それとも、楽しかったですか?

マーク:いやー、もう本当に大変でしたね。しかも1人なんですよ。1日に撮影する本数は6本なんですね。1日6時間、7時間をずっとスタジオで撮影して、それが終わるとスタジオでしゃべるネタも台本も自分で作んなきゃいけなくて。

――その辺も自分で?

マーク:もう全てです。僕とディレクターと一緒に考えるんですけど。全ての情報をネットで探していました。

――そうなんですね。

マーク:どんなネタも全て自分で見つけ出さなきゃいけなかった。

――当時は、ネットの方が情報が少なかったですよね。

マーク:そう。だから、生きてる毎日が勉強でした。生きている毎日が教科書だから「これはこうだから、こうやって下さい!」みたいな決まったやり方を押し付ける様な教え方をされると、妙に反発をしていたような気がしますね。

マークが高校を中退すると、父親も会社を辞めた

マーク:ここでも最終的に悪くなっちゃうんですよ。実は。高校も辞めちゃうんですよ。大学受験も何もかもが意味が無いモノであると感じてしまって、何の為に学校の勉強をやるのかが、僕には全く理解できない状況になりました。それをやれば、どこかに就職して安定した生活を過ごすという道が僕には全く魅力的じゃなかったのかな。

で、高校を途中で辞めちゃうんですよ。その時、おふくろは泣いてしまったんですよ。でも、親父は賛成だったんですよ。なぜか。自分の道を行きたいんだったら、行け行けみたいな。

――さすが世界を旅した方の反応ですね。

マーク:そうだと思うんです。高校を辞めて、家も出て、勝手に1人で暮らして。後でおやじに聞いたら、おやじもその時に仕事を辞めちゃっていたそうなんです。なぜか。「子どもも辞めるなら俺も学校辞める」みたいな。

――その学校とは?

マーク:ベルリッツっていう学校の先生だったです。ヘッドティーチャーにまでなって1番偉い人のポジションまで上がったんですよ。けど、結局その地位も全部捨てて、「辞ーめた」ってなっちゃったんでしょうね。

――「お前も自由な事をするんだったら俺も自由にする」と。

マーク:そうそう。子どもを育てるためだけにその仕事はやってたと思う。

――すごく芯の強いお父さんですね、本当に。誰かのためなら、じゃなくて誰かのためにというか。何でも好き勝手やってる風に見えるけれども、実は全て子どもの為と。

父親が嘘っぽく笑うことはなかった

マーク:当時、両親は、すげー働いてましたね。家に帰ったら親なんて全然いないから、完全に鍵っ子でしたね。夕食の時間にやっと帰ってきてましたね。でも、みんなで必ず夕食は食べてましたね。

――当時は皆さんお仕事されていたんですね。マークさんも。

マーク:家族全員仕事してましたね。

――働き者の家族ですね。スーツを着て会社に行って仕事して、とかいうようなサラリーマンのお仕事に就こうと考えた事は、1回もないですか?

マーク:ないですね。

おやじが1番嫌いなものが金とネクタイだったから。サラリーマンはネクタイをしないといけないじゃないですか。

――ネクタイが嫌いなんですね。

マーク:金よりも人を大事にする人です。自分の周りの人を大事にして、自分の友達を大事にして、とにかく、人と接する事を大事にする。未だにそうだけれど、だから好かれるタイプだと思います。

自分にとって嫌なことがあると、すぐに怒って喧嘩しちゃうし。すごくわかりやすいんですよ。嘘がなく、嘘っぽい笑いっていうのは全くない人ですね。

取材協力:シネマズ by 松竹

制作協力:VoXT