日本のインターネットには母がいない

竹内郁雄氏(以下、竹内):マイク入っているね。さっきまで盗聴されるんじゃないかと思って心配だったんですけれども。これから対談をやります。対談と言いながら対談をなさる方は私の昔からのお知り合いなので「あんた、3人だろう」と「鼎談だろう」とおっしゃるんだけれども、私はモデレーターに徹しますので。

お題は「IoT時代を切り拓く創造的人材 未来を創る異端力!」です。ご紹介しないといけないですね。ステージに立たれるのは、今ほとんど全世界のデバイスに入っていると言われているTRON(トロン)の創始者、坂村健先生。ステージでは先生呼びしなくて、坂村健さん。

それから、日本のインターネットの父……母がいればもっとよかったけれども(笑)。父しかいない日本のインターネット。というわけで、村井純先生ですね。

お二人とも研究者としてスタートされた頃は、誰がどう見ても異端者でありましたね。異端者的な存在でありました。そのお二人に異端力について語っていただくというわけで、楽しみにしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃると思います。

私はモデレーターなので左端に座りますけれども、異端じゃございませんので、誤解のなきようお願いいたします。それではお二人に上がっていただきましょう。

おたまじゃくしが食べられるかどうか

竹内:さて若かりしときは誰もが完全に異端児と思わせていたお二人。

坂村健氏(以下、坂村):それは……。

竹内:いやいや絶対そうなんですけれども、この中にはあんまり若い方がいらっしゃらないんですけれども、ニコニコで見ていらっしゃる方は若い方がいらっしゃると思うので、まず幼少のみぎり、あるいは研究者スタートの頃の自分の異端ぶりについて語っていただけますか。

坂村:ここにいるのは若い方が多いからあれなんですけれども、私の世代というのは、そもそもコンピューターを専攻としようというのが異端だったんです。だからコンピューター自身が異端だったんですね。

僕より村井君のほうがちょっと若い。彼は僕の後輩なのにもかかわらず、こっちが先輩だと思われたことが何回もあるんですよ。だけどこの人のほうが若いですよね。

それで、竹内さんもちょっと年上で同じぐらいの世代なんですけれども、この方は異端で、本当に異端でびっくりして、最初に何か学会の若手の会というときに会ったときに、おたまじゃくしを飲んでいたじゃないですか。

竹内:ああ……。

坂村:それで異端力を競うといったときに、おたまじゃくしが食べられるかどうかということを言いだしたのが竹内さんで。みんなびっくりしちゃって。そういうのを異端と言うのかみたいな感じもあったような、昔のことを思い出します。

そもそもコンピューター自体が異端だった

坂村:そもそも僕の世代はまだ、コンピューターをやっていることが異端だったです。ですからこういう異端な方とたくさん知り合ったんです。私だけが異端だったわけじゃないんです。

村井さんの頃になってくると、もうちょっとよくなったんじゃないかなと。もう少し、僕らの世代よりはもうちょっとよくなったかなという感じがしますけれどもね。その2、3年の差というのはすごく大きいです。もうちょっとあるか……4、5年の差ですよね。

村井純氏(以下、村井):大体。

坂村:だから異端じゃなかったんだ。だって異端だけでずっとということはなくて、結構最初から私、今日の皆さんのとは違って、組み込みのリアルタイムオペレーティングシステムというのをずっとやっていて。組み込み機ですよね。最近IoTなんかになったので、また再び注目されているんですけれども。

だからそういう世界自体が、メインストリームの情報処理とはちょっと外れていたということもあるの。異端というのが「ちょっと外れていた」ということなら異端だったかもしれないですよね。組み込みでリアルタイムなんてやる人は少なかったから。

竹内:当時はね。

坂村:当時は少なかったです。メインフレームじゃない。それと、そもそも私の頃の時代はコンピューターをやっている人が少なかったというのが一番大きなことだと思うんですよね。

村井:そうですよね。そもそもコンピューターをやる計算機科学科とかそういうのがなかったんだから。まずそういう意味では変でしょう。

その上に僕なんかコンピューターをつなぐというのを始めたから、ますます変で。「何で電話会社の仕事を大学でやるんだよ」みたいなことがあったんだけれども。そもそも竹内さんもそうだけれども、この先輩方はやっぱりひどい意味で、違った、いい意味と間違えちゃった(笑)、いい意味ですごい異端の先輩で。竹内さんにも同じことを感じていましたし、だから楽しくてしょうがなかったよね。

コンピューター関係の会議に行くと楽しくてしょうがなくて、みんな好きなことをやっていて、みんなでたらめなことを言うでしょう。だからすごい楽しかったですよね。

ケン・サカムラというすごい人がいる

村井:坂村さんは僕の研究室の先輩で、世界中で活躍されていたんだけれども、アメリカに行ってなくて、東大に行っていて。僕はARPANET(アーパネット)の最初のところで日本でネットワークをどうやってつなぐかという話をしていたわけ。だから誰よりも速くARPANETに流れるメッセージを日本から、盗聴と言わないけれども見ていたわけね。

そしたらまず「気をつけろ! ケン・サカムラがやってくる」というメッセージが流れたんですよ。何を気をつけるんだと思います? コンピューターの裏を閉めろと書いてあるんですよね。それを覚えています、僕。「ケン・サカムラが行ってコンピューターの裏を見たら、全部バレるから閉めておけ」というメッセージがARPANETに流れた。これはすごい人がいるなと思ったんだよね。

坂村:それはちょっと誤解があって、アメリカに少しいたときに何でそうなったかというと、時代背景で言って、若い人たちはわからないかもしれないけれども、日本は最初、Look to America、アメリカを追えということで大型計算機からつくっていたんですよね。

あの頃はまだ各社がみんな別々のアーキテクチャで独自のコンピューターをつくろうとしたんですけれども、途中から「もうIBMに勝てないだろう」ということで、日本のメーカーはみんなIBMコンパチ。今日ここに関係者の人がたくさんいるんじゃないの?

だって通商産業省という通産省と言っていたところとか、まだすごい力を持っていた。今、力がないみたいなっているけれども(笑)。その頃は力があって業界再編成とかいろんなことがあって。昔のことだから何を言っても大丈夫だと思いますけれども、そういうことをやっていた時代なんですよね。

ARPANETの時代

坂村:それでちょっと残念なことにいろんな事件が起きたりしてね。独自のコンピューターをやろうというので第5世代コンピューターとか。竹内さんだって第5世代には関係していて。

竹内:私、全然関係していない。

村井:あそこに近山(隆)さんいるよ。

坂村:あそこにいるよね。近山さんも、最後ICOTに行くんですよね。そういうことをやった。とにかくメインフレームから全然違うことをやったほうがいいということになって、人工知能コンピューターをつくるって言いだしたの。そういう話になったんですよね。

竹内:そうですね。

坂村:そのために予備調査をいろいろやらなきゃいけないということで、アメリカに行って人工知能の研究がその当時どこまで進んでいるかを調べて来い、みたいなことを言われて、調べたんですよ。それでさんざん調べましたけど、調べたときにたまたま最初に行ったスタンフォード大学では、別に日本人は(ダメだ)とかスパイが来たなんていう話は全然なかったんです。

そのときに僕も初めてARPANETがあって、みんなが学会で知り合っていた先生とかなのでいろいろ親切で、どこか次に行くと「じゃあ次MITに行け」とか「次どこ行け」と言ってARPANETで連絡してくれるんですよ。

竹内:うん。

坂村:そういうことがあった。ところがそのときから言われたんだけれども、反日的なところもあるよというのを親切な先生は教えてくれて。そういうところはちょっと外国人は、特に日本人だけじゃないけど、(ダメだ)というところもあるというようなことをARPANETでみんなバンバンやりとりしてたから。だからそういうことでなったんじゃ……。

村井:違うよ。「ケン・サカムラはアーキテクチャに関しては神様みたいだから」と。

坂村:うそだよ(笑)。

村井:そういうニュアンスで。

坂村:そんなとき神様じゃなかった。

竹内:すごいな。

インターネットも異端だった

坂村:そういうことがあったから、僕は日本に帰って「国費を投入するなら人工知能の研究はやめたほうがいい」と言ったんですけれども。ARPANETを見たので、これからはインターネットだろうと。

あとは、ベルラボとか行ったらUNIXだったのでそれを見たりして。UNIXのもっと前の段階ですよ。言語もCがなかったからBだったもの、そのときまだ。

そういうのがあってCが出るか出ないかというあたりのときだった。それがオープンソースですからね。それ全部「ケン、持っていけ!」みたいな、バンともらって、すごいなこれと言って見ていて、帰ってきて、こういうのをやったほうがいいということを言ったんですけれども、全然相手にされないで。それで第5世代コンピューターが始まって僕なんてクビ。

プロジェクトが始まった途端に「お前みたいに人工知能はいらなくてUNIXでインターネットだと言うんだったらそっちやっていろ」みたいなことになって。だから私は第5世代コンピューターには参加していないの。その前の調査のところにいただけ。

竹内:調査ですか。

坂村:僕の調査では、やめたほうがいいと言ったんだもの。人工知能はやめたほうがいいと。そのときはですよ、そのときは。今またシンギュラリティとかいろんなことになっているから、ちょっと状況が違ってきたけれども。

そのときはマイコンが出始めだったから、これに特化して、大型コンピューターで負けたんだったらエンベッドのほうをやったほうがいいというようなことを言って。人がやってないことをやらないと。異端というのはそういうことで。

竹内:まさに。

坂村:人と違うことをやったほうがいいと言ったの。彼はインターネットと言ってインターネットのほうに興味を持っていろいろやったわけだけれども。

異端力を排してきたのが日本のダメなところ

竹内:村井さん、今の坂村さんの話で事実誤認あるいは歪曲とかありませんか。大丈夫ですか。

村井:歪曲はないですよ。恐ろしい。我々の研究は先輩後輩の厳しい掟があるから。振らないで、そういうことは。

それはともかく、歪曲はないけれども、異端ということから言うと、やっぱり坂村さんの組み込みもそうだし、ユーザインターフェースの考え方ですよね。今日の話も、要するに物理的なものの空間とコンピューターの関係というのはずっと坂村さんが言っていたことで。

やっぱり、そういうことは本当にできるのかみたいなことに、リアリティーがあったよね、坂村さんの話はね。リアリティーがあって言っているから、あんまり異端という定義じゃなかったですよね。

坂村:異端なのは日本の学会でしょう、あと日本の大学ですよ。全然ダメだなと思ったもの。そういう意味でいくと。

竹内:なるほど、異端力を排斥することが重要であると。

坂村:だって慶応だって。

竹内:話が違ってきた。

坂村:この人の頃になったら慶応もちゃんとそれなりになっていますけれどもね。私たちの時代なんて、まずとにかくダメなのが、電気電子やっているところは、もうダメ。最悪だ、そういうところって。だって、コンピューターなんて言ったら「そんなことやりたいんだったら、どこかほかへ行ってやったらどうですか」みたいな感じだし。その後慶応はコンピューター学校をつくったんだ。つくりましたね。

村井:だけど僕も言われましたよ。学会でそういうネットワークなんかをやるとか、そういうの。僕、情報処理学会で何て言われたか知ってますか?

竹内:知らない。

村井:コンピューターネットワークのことをやると言ったら「おもしろいからやれ」と。「ただ、今はヤバいから黙っていろ」と。「俺たちは絶対かばってやる」と学会で言われましたからね。

竹内:言われた!

村井:言われた。名前も言えるけども、今言うとまだ差し支えがあるから。まだ生きているから言わないけれども、それでそういうものなんだと。つまり僕のときに難しかったのは、例えばプロトコルでTSIPとか、そういう別のプロトコルというのは何かおかしい、つまり通信というのはみんなで国で決めてやるものなのに、と。そこにいらっしゃったのであまり言えないけれども。

竹内:某電電公社というやつですか。

村井:某ね。竹内さんがいたところ。だからそういうところでやる話なのに、好きなことをやるなよみたいな話が出て。つまり好きなことをやることは異端かもしれないのね。そういう意味では今日も好きなことやっているからね、いいんだよね、それで。