バカバカしさのおかげでフェミニズムへの敷居が低くなる

柴田英里氏(以下、柴田)さっきのとちょっと重複するかもしれないんですけど、フェミニズムアートの歴史で考えて、ジュディ・シカゴやハンナ・ウィルケと、ろくでなし子さんの違いが。

“笑い”っていうのが今の社会の中でなぜ必要かというと、真綿で締め付けられるように表面的には男女が平等になっているっていう建前がある社会の中で、悲しみや怒りみたいなのをフェミニズムとして打ち出したときに。

今の若い世代の女性は、女性が悲しかった歴史も、権利がなかった歴史も知らないにもかかわらず、女がこんなに苦しんできたんだっていうことを言われたら「私すごい幸せなはずなのに、私を不幸扱いしないでよ」ってそういう拒否反応が出ることってあると思うんですよ。

バカバカしい笑いっていうので、フェミニズムを無意識に避けようとしている若い女の子たちも、敷居がすごく低くなって入りやすい。

フェミニズムに自覚的じゃない人も巻き込みやすいというのと、もうひとつ、自分の身体性に悩んでペシミスティック、痛みを感じている女性たちも「こんなバカバカしいと思ったっていいんだ」って、青天の霹靂みたいな衝撃を受ける人だっていたと思うんですよ(笑)。

だってすごく自分が悩んでいたことが「これ大したことなくね?」みたいに思える。そんなバカバカしい力がまんこちゃんだったりマンボートだったりにはあると思うので。

ろくでなし子氏(以下、ろくでなし子):確かに最初の『デコまん』という単行本を出すときに、私はすべてがノリで生きてきたので、漫画家になって仕事がどんどん減ってきて、体験物漫画だったら枠が入りやすいから。

性的な体験漫画のほうがより載りやすくて、自分の赤裸々な話とかを載せて行く過程で「あ、まんこの整形手術なんてあるんだ。おもしろそう」と思って、半分ネタで、これでまんこの漫画家っていうオモシロポジションを持てるかも。

くらいな感じでやったのに「それだと女性向けのエッセイだから女の子に共感されない、もっと悩んだ体にしろ。じゃないと単行本出さない」って言われたんで、仕方なくものすごい悩んでる人の体で書いて。

結局売れなかったんですけど、その責任誰も取ってくれなくて。でも一旦そういう本が出てしまうと、私がすごく悩んでるかのように捉えられちゃって。

最初は話を合わせてたんですけど「ちょっとこれはまずいな」と思って、あるときから言うようにはなって行ったんですけど。今回、本が金曜日さんから出たので、それを期にちゃんと本当のことを説明しておこうと思って。

やっぱり整形手術をする人は、悩み過ぎてやってるとか、人の目を気にし過ぎてやっているという思い込みがすごく強いんですけど、逆に言えば自分の美意識だけが強すぎる人のほうが結構やっていて。

例えば肛門の形とかを整形する人もいるんですけど、そんな誰も見ないようなところも、本人の美意識で許せないからやってるって、例えば彼氏に見られたら嫌だとか、そういう理由じゃないんですよね。

人間には「狂う権利」がある

柴田:それも本当にフェミニズムの問題のひとつで、ペシミズム。痛みに回収し過ぎる。

要は女性が抑圧されてきた歴史、人間扱いされて来なかった歴史っていうのがずっとありまして、それはヒステリーだとか、あとはサディストの女性は人間じゃないみたいな、精神病だとか。

あとアリストテレスなんかは「女性の唯一の美徳は忍耐である」とか。それはエリザベート・バダンテールの『プラス・ラブ―母性本能という神話の終焉』。1981年に……。

ろくでなし子:アリストテレスが?

柴田:アリストテレスはギリシャ哲学者なんですけれども、それをエリザベート・バダンテールの本に書いあって。フランス人で、結構母性愛について論じている哲学者ですごくおもしろいんですけれども。

あとはナオミ・ウルフとかも『美の陰謀―女たちの見えない敵』っていう、彼女はアメリカのフェミニストなんですけれども、やっぱり女性が抑圧されてきた歴史を痛みとして歴史化しているけれども、最初は痛みとして打ち出す必要があったっていうのは人間扱いされていなかったからなんですよ。

精神病だとかそういう病気扱いされているから、女性も人間であるっていうことのために打ち出して行ったけれども、これから必要になってくるのって、人間には「狂う権利」があることを考えることだと思うんですよ。

キチガイになる権利だってあると思うんですよ。人間って狂う人だっているわけだから、肯定的に狂うことを捉えるっていう考え方だってあっていいと思うんですよ。

ろくでなし子:何か今すごいポジティブな気分になりました(笑)。キチガイと言われてきたので。狂う権利があるぞって。

柴田:(笑)。痛みに回収し過ぎてしまうと、人間が本来持っている狂う権利だとか、あと最近だとSNSとかインターネットって「いい人でいなきゃいけない圧力」ってすごいじゃないですか。

ポリティカルコレクトネス(人種、宗教、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いること)とかも当然あるっていうのはわかりますけれども、皆が皆いい人でいなきゃいけないって、自分をすごく抑圧してつらい、みたいな。

それでたまに空気を読まなくてバカなことやっちゃう人がいたらもう総叩き。それって逆にすごく不健康だなって。

ろくでなし子:何かをやってる人、例えばオリンピック選手だった人とかが、人間的にも優れてないといけないみたいな思い込みもあるじゃないですか。

そういう人が、例えば安藤美姫さんが婚外子産んだことも叩かれたりとか、競技と関係ない。本当なんて言うか、息苦しい。間違っちゃいけないってことは自分にもそれが(当てはまる)。自分が間違ったら叩かれるわけで、お互いつらいのになんでそう生きづらくしちゃうのかなと思いますよね。

柴田:そういうのってピアプレッシャー(同化圧力)、いい人でいたい症候群みたいな感じだと思うんですけれども、そういう中で、なし子さんの「空気読まなくたっていいじゃん」みたいな作品ってすごく重要だと思ってます。

一部のフェミニストに嫌われた理由は「悲しみや怒りがない」

ろくでなし子:フェミニズムアートともよく言われるんですけど、ハンナ・ウィルケとかを見終わったあとに痛々しい気分になって帰ってくるというか、楽しくない。ぶっちゃけ楽しくないんですね、見ててつらくて。私はあんまりそういのが好きじゃないんですけど。

ふざけてると単に教養がない人とされて。まぁ教養がないんですけど、だからこの人は芸術家じゃないみたいな言い方をされたりとかして。

あとフェミニズムとかフェミニストによく例えられるんですが、実際リアルフェミニストの一部の人たちにはすごい嫌われてるし「エセフェミ」とか言われて。フェミニストって名乗ったこと1度もないのに、フェミニスト名乗るなって言われて。

一方で児童ポルノ規制に反対とかしてる人たちには「フェミが」って叩かれて、どっちからも叩かれるみたいな。わたしは表現規制に反対しているのに。

柴田:一部のフェミニストたちに、なし子さんの作品が嫌われた理由っていうのは、やっぱり「悲しみや怒りがない」とか。

ジュディ・シカゴがやってるっていう、自分たちが築いてきたフェミニズムアートの歴史だったりフェミニズムの歴史が、もう歴史化されていると自分たちは思っているんだけれども。だから「なし子さんの作品は(私たちの思うフェミニズムアートとは)全然違う」という主張。

なので自分たちが作ってきたと思い込んでいる歴史を大切にするあまり、現在の日本の状況に対する視野が狭窄になっているんではないかなと思いますね。

ろくでなし子:あとはフェミニズムを学校の一般教養、最低限学ぶ課程にして来なかったっていうのもすごく残念だなというか。

北野武のTVタックルで、フェミニストの田嶋陽子先生が、ガミガミ女みたいなイメージをすごくテレビが作ってしまって。

「フェミニスト=怖くていつも怒ってて男の敵」みたいな、そこでイメージが固まってしまって。時代はバブルだったんで「そんなのいらないじゃん」っていう、同じ女性からもバカにされるというか、余計なことしやがってみたいになっちゃってすごく残念なんだけど。

私がまんこのアートをしてから、最初は田嶋陽子先生みたいなイメージしかなかったんですけど、ちゃんと調べてみたらフェミニストって言ってることは「性別に関係なく男女平等ですよ」。フェミニンって言葉が「女性」ってだけで。それが最近はLGBT。

柴田:クイア・スタディーズとか。

ろくでなし子:同性愛者とかそういうのも対等ですよって言ってるから「女性」って名前が良くないんじゃないのかなと思って。

柴田:私も『サイボーグ・フェミニズム』『クイア・スタディーズ』をベースに制作活動をしてるんですけれども、やっぱり日本にある知名度的に「フェミニズム」っていう言葉が圧倒的に多くて、フェミニズムを説明しない限りクイアやサイボーグフェミニズムみたいなものを説明できないっていうジレンマがすごくあったり。

あと……なし子さんがさっき言ってた田嶋陽子の話ですよね。

ろくでなし子:ガミガミ女のイメージがついてしまった。

教養のない人にも届いていなければ意味がない

柴田:今の美大って女子美術大学以外はジェンダーアートとかに関して全然、授業ってほとんどないんですよ。要は日本美術史、世界美術史の中にクイアアート、ジェンダーアートというのが組み込まれていない。強制的に習う領域にないので、もともと興味が持ちづらくされている。

ろくでなし子:興味が持ちづらいで思い出したんですけど、やっぱりジェンダーとかフェミニズムを習うのは高学歴の女性じゃないですか。なので一般に届いてなくて、私も実際フェミニストの人たちに田嶋陽子先生のような印象を持ってた。この(制作活動を)やる前は。

でも、あるフェミニストの方に「なし子さんのやってることなんて70年代にとっくにやってるわよ」って言われて「そうなんだ、確かにどっかで見たな。美術館の図録とかで見たな」って思いつつも、でもアカデミックな人たちの中でしか認識されてないものだったら、届いてないんだったら意味ないって思ったんですね。

一般の女性、それこそ教養のない人にすら届いてなければダメなんじゃないのって思って。自分はその頃少しネットで認知されるようになってきたんで、むしろあなたたちがやってることよりも私のほうが届いてるんじゃないのかなって、ちょっと思ったんですよね。

柴田:本当にその通りだと思うんですけれど、ひとつだけ補足させてもらうとまず東京芸術大学自体が最初は男子校として生まれた。女子美術大学って「何、女子美術大学って?」って最初思う方いるかもしれないですけれど、それは東京芸術大学に女子が入れなかったから、女子のための美術大学として女子美術大学が出来たっていう歴史があるんで。

まずそこの不平等さの問題と、あとは初期は東京芸術大学にも女性の教授は実は半々でいたんですよ。だけれども代が変わるときにほとんど男性の教授になってしまった。

それは現在のフェミニズムの難しさと同じ問題がありまして、要はその教授会、1人教授が退任して新しい教授を入れるときって全員に信任を得なければいけないじゃないですか? 例えばフェミニストの教授がフェミニズムをやっている後継者を大学に入れたいと思っても、残りの教授のメンバーが嫌だって言えば入れられませんよね。

上野千鶴子さんなんかは自分が東大の教授になるときに、自分の経歴からフェミニズムを消して入られた。フェミニズムの功績があると嫌われてしまうので、フェミニズムを伝える戦略として。だからフェミニズムを伝えるためにフェミニズムの実績を消すっていう。

ろくでなし子:なんだか変な話ですけど、でも、そうか……。

女性センターは女性を守るべき

柴田:そういう継承の難しさっていうのがすごくあったり。あとは先日、私もTwitterで怒ってしまって申し訳ないなと思ってたんですけれども、なし子さん、ウィメンズプラザに断られてしまったじゃないですか? 

私はろくでなし子さんみたいな、女性の性だとか男女格差について意見を(出して)活動している中で2度も逮捕・拘留され起訴までされてしまった方を、女性センターは保護するべきだと絶対に思います。

ろくでなし子:私もそう思ったんですけどね。

柴田:だけれども女性センター、ウィメンズプラザっていうのは、東京都の都知事、石原慎太郎の十数年間でものすごく予算が削られてしまったり、要は資料を買うお金すらなくなるような状況にあって。

もう潰されそうになって細々と存続してきた組織でもあったので、なし子さんの問題を扱いたくても……ホットトピックじゃないですか、今。

TwitterもGoogleも急上昇とか、ホットトピックに飛びつけるほど防御力もなければ胆力もない。ひとつ考えなければいけないのは絶対にウィメンズプラザや女性センターは女性を守るべきです。だって女性を守るために作られた組織ですからね。

だけれども「女性センターが女性を守れなくなるような構造にしてしまった誰かがいるかもしれない」っていうことを考えるのが。ちょっと私もTwitterのときにはそこまで思考が及ばなくって。

ろくでなし子:さすがですね。すごいな、単に怒りしかなかった。「今度こっちかー」とか思ったんですけど(笑)。

やっぱり逮捕された人を出したくないっていうのだったらまだわかるんですけど、その言い訳としてDV被害を受けた人が、ろくでなし子さんを出すことによって傷つくんじゃないかっていう言い方はひどいなと思って。

それを本当に撤回してほしいんですけど、そういう背景があるんだったら……。

柴田:だから女性が内ゲバして、自分の手を汚さずに楽しめる人たちがいることを、多分忘れちゃいけなかったなと私も反省しています。

ろくでなし子:確かにその通りで。例えば、何でかなまら祭りはOKで、ろくでなし子はダメなんだみたいなのもすごく言われるんですけど、そういうことばっかり言ってると今度かなまら祭りが規制されちゃうんで、だから言い方に気を付けないと大変だと思うんですけど。

共倒れになったら表現の自由じゃなくなってしまうので。

私はよくTwitterのバカな人たちに、表現規制に反対だったら表現規制をしてる人たちを叩かないのかみたいなことを言われるんですけど、そういう自分と反対意見の人を叩いたり批判することが私の選択だとは全然思ってないし、私は今裁判が始まって「自分の作品がわいせつかどうか」のみで戦いたいと思ってるので。

クレームにメディアが怯えるのはすごくダサい

柴田:そうですね。あとはろくでなし子さんみたいな、表現が規制されてしまうことの恐れっていうのを私はすごく感じていて。

ひとつには、表現者がどんどん自主規制しなきゃいけなくなる可能性がありますよね。「パンツはグレーなのか」とか、自分から表現の欲望を抑えて抑え込んでいくという状況が、まず表現にとってものすごくマイナスだと思いますし。

あともうひとつには「ひとつのことが規制されてしまったら、次に何が規制されるかわからない」っていうそういう恐ろしさがあって、今はわいせつとして、なし子さんの女性器をモチーフにした作品が起訴されてしまったっていうことがあるけれど、次に規制されるのは例えばひまわりの絵を描いたらいけないとか。

ろくでなし子:まんこに似てるから?

柴田:いや、ゴッホの話をしたの(笑)。でも本当に、何を規制されるかわからないっていうのに、私はまんこを作品のモチーフにしてないから関係ないじゃなくって、やっぱり「何が規制されるかわからない」っていう(不安がある)。

ろくでなし子:そうなんですよね。私の作品は笑っちゃうようなものばっかりで、陳腐なのは確かにその通りなんですけど、だから擁護しなくていいとかじゃなくて「こんなことで逮捕されてしまうことがとても怖い」ということを言って行かなきゃならないんじゃないのかなと思うんですよね。

あとメディア、昨日私の記者会見の報道をしていただいたところも意外とあって逆にびっくりしたんですけれども、いつも会見のときはまんこちゃんのソフビを置いているんですが、ここにぼかしが入ってたんですよ。

(会場笑)

これ、アウト?

(会場笑)

人の性欲をみだりに欲情させたりするものだとはとても考えられないんですけれども。おそらくこれを映したことによって苦情が入ったりすることを避けたいから、あらかじめぼかしを入れてるんだと思うんですけども。

そうやって苦情、クレームにメディアが怯えてるのってすごくダサいというか。言論をやってる人たちならば、それは責任を持って「こういう理由だからこう放送しました」って言えばいいのに、それで逃げちゃうのってすごく残念だなと思いますね。

柴田:まさに自主規制ですよね。要はメディアみたいな個人よりも大きな力を持っているところが規制すると、個人はさらに苦しくなりますからね。

ろくでなし子:そうなんですよね。だから週刊誌とかも、必要以上にバカじゃないのって思うくらい、伏字にしたりぼかしを入れたりとかして来るんですけどね。