ろくでなし子氏の作品の良さは「バカバカしさ」

ろくでなし子氏(以下、ろくでなし子):まんばんは~(笑)。今日はマンポジウムにお越しいただきありがとうございます。

(会場拍手)

柴田英里氏(以下、柴田):柴田英里と申します。はじめまして、よろしくお願いします。

(会場拍手)

柴田:早速なんですけれども、なし子さんの作品についての感想を少し話させていただいてもいいですか?

ろくでなし子:どうぞ。

柴田:私は、なし子さんの作品を見た第一印象は「すっごいバカバカしいな」と思いまして。「バカバカしい」っていうのは完全に褒め言葉で。それは「まんこ」っていうものを、いままで日本ではものすごく神秘的か猥褻か……。

要は「母」か「エロ」か、聖母マリアかマグダラのマリアかみたいな。そういうのがすごく古くからあるので「女性を二分化する」っていうことから、バカバカしさによってそれを脱却してしまっている。

コロコロコミック的な「ギャハハハハ」って笑う世界ですよね。そういう表現をされているので、すごくおもしろいなと思ったんです。

だけれども、一方でフェミニストだったり美術史家が「まんこアートはジュディ・シカゴ(シカゴ出身のアーティスト)がやってるじゃないか。ろくでなし子とジュディ・シカゴは何が違うんだ?」「そういった観点で70年代にやったことを、またやったって意味がない」と言われることもあると思うんですよ。

だけれども、私はなし子さんの作品とジュディ・シカゴの作品の決定的な違いはこの「バカバカしさ」にあると思うんですね。もちろん時代が違うっていうのもありますけど、逆に言うと、まんこってペシミズムや女性が受けてきた痛みだとか怒りが一番表面化することが多くて。

それは1950年代までは女性に参政権がなかったり、もっと昔だと財産を継承する権利がなかったり。国によってはもっと抑圧されてきた歴史の中で、痛みに触れなければどうしようもなかったって面がある。

だけれども、日本では実際問題今でも男女格差だったり、入社する段階で男女が均等じゃない実情はあるにしても、バブルの時代にすごく儲かってしまったから、それ以前のウーマンリブが「女性の権利を獲得するぞ!」って言わなくても当たり前の女性として生きていてもお金がもらえたり。

「アッシー・メッシー・ミツグ君」みたいな女性にお金を使うって文化が男性の美徳とされてしまったので、女性差別みたいなものがすごく見えづらくなってしまった。

ろくでなし子:アッシー・メッシー・ミツグ君っていうのは……あっ、まだ途中ですか?

柴田:いえいえ、大丈夫ですよ。

ろくでなし子:私が大学生になるくらいまではまだ生存してて「これからおいしい思いができるぞ!」って思ってたら急に消えていって。まったくなくなってしまいましたね(笑)。

真綿で締めつけられているような現在の日本

柴田:今の若い世代とかバブル以降の世代は学校教育でも男女平等を教えられていますし、(女性が)実際に四大に普通に進学したりとかで、女性であるから選挙権がないとか財産が相続できないとか、そういうことがなかった。

なので、やっぱり60年代70年代の女性たちとの感覚とは違うし、突き詰めれば差別されているけれども、表面上は女性として生きやすいみたいな感覚になっている。

それは痛みと言うことはできるんだけれども、痛みにしてもたぶん種類が違って、石を投げられる痛みと真綿で締めつけられ圧迫される痛みってやっぱり違うので。

そういう真綿で締めつけられるような現在の日本、2000年代のバックラッシュみたいな状況の中でのバカバカしさというのは、すごく重要だったと思います。

ろくでなし子:ありがとうございます。1番感想を言ってもらって嬉しい言葉が「クソ笑った」とか「バカバカしい」で、それを狙ってやってるので。

前からそうなんですけど、本気で怒る人とかがもっとおもしろがればいいのになって思うんですけど。世の中結構、生きづらいっていうか息苦しいと感じますね。

柴田:まさに本気で怒る人「まんこで遊ぶなんてけしからん」みたいな意見。なし子さんの作品は「猥褻ではない」って主張ですし、実際私は作品を見て「バカだな~」と思っても「エロい」とは全然思わないんですね。

確かに、性器を使って猥褻な行為をする方もいますけれど、性器を使って猥褻な行いをしない人もいますし、猥褻なことをする身体の器官って性器だけではないですよね。

ろくでなし子:そうですよね。

柴田:全身性感帯みたいになることもあれば、人間以外に欲望する人だっているじゃないですか。

ろくでなし子:ハイヒールとかそういうのですよね。

柴田:そう(笑)。ヤン・シュヴァンクマイエルっていうチェコのクレイアニメーションの大御所がいるんですけど、彼の作品で「悦楽共犯者」というのがすごく好きで。

要はアブノーマルな人たちのいろんな事象を映していくんですけど、 それは指サックに超興奮する人だとか、鳥の羽に超興奮する人たちが、自分で自分が性的にエクスタシーを得る作品を作っていくんだけども、はたから見たらエロくもないしバカバカしいだけっていう。

ろくでなし子:でも、本人は……。

柴田:本人は「ああ~!」みたいな。

ろくでなし子:へえ~! おもしろいですね。

「芸術家は清貧であるべき」という声が強い

柴田:おもしろい。やっぱり「猥褻か猥褻でないか」って、そんなに簡単に決められないと思うんですね。人によりけりですし。なので「私の体をバカバカしいと思われたくない」「女性器をバカバカしくされたくない」っていう意見もあるかと思うんですけども……。

ろくでなし子:それを聞いてびっくりしたんですよね。プライド高い人がいるんだなと思って(笑)。

柴田:(笑)。それはお互い様の権利で、自分の身体をバカバカしくする権利もあれば自分の身体を崇拝する権利もあるので、どっちも同じだと思うんですよ。ただ「私の体は神聖だからバカバカしくしてるやつなんていなくなれ」「逮捕されたっていいじゃないか」とか、そういうのは絶対にあってはならないと思うんですよ。

要は、自分と違う意見のやつは殺されてもいいとか罰されても当然みたいに思ってしまうことが、ファシズムみたいなものの始まりかなと思うので。だからなし子さんみたいな自由な表現というのは、どんどんやってほしいなと思ってます。

ろくでなし子:ありがとうございます。漫画にも描いてるんですけど、目的もなくやっていたら、気づいたら捕まっていたので(笑)。どうしようって感じなんですけど、それはそれでもう「ネタだな」って思って。

柴田:そう「目的がなかった」みたいなことに対して「だからアートじゃない」とか「漫画のネタに詰まったから犯行に及んだ」みたいな……(笑)。

ろくでなし子:それ法廷で言われて。「漫画のネタに窮して……」って。それ悪いことなのかって思ったんですけど。普通、漫画家っていうのは常にネタに窮しているので、そんなこと言ったらみんな大変ですよね。

柴田:逆に、表現者で自分の表現行為に疑問だったり、葛藤なく作り続けられる人っていないと思うんですよ。そっちのほうがやばいと思いますし。コピー機じゃないんだから。

ろくでなし子:そうなんですよね。私がなんで芸術家じゃないかっていうのを、どっかのネットニュースで「なぜなら、それでお金を得ていないから」って警察が言った的な感じで書いてあったんですけど、そんなこと言ったらゴッホとかは全然お金を得ないで死んじゃったし(笑)。芸術家って言えないのみたいな感じで。

ゴッホは資産家の息子だった

柴田:本当にそこはすごく変な矛盾で。特に日本で「芸術家は清貧であるべきだ。清く貧しくあるべきだ」って意見もあったり、漫画家みたいに原稿料をもらってる時点で「自分の魂を売っている」みたいな。「商業と芸術は違う」みたいに。

ろくでなし子:じゃあ食べていけないっていう(笑)。

柴田:でもそれって、すごく悪いエリーティズムだと思っていて。貴族がパトロンにいた時代に生きていた芸術家とは違いますし、実際その時代のほうが芸術家は権力を持ってるんですよ。王様のお抱えになって、ある程度勤続したら「あ、じゃあ○○市の市長ね」みたいに市長になったり、天下り先があったり。

ろくでなし子:そうなんだ。

柴田:なので「芸術家は清く貧しくあるべきだ」っていうのは、食えない作家たちの妬みみたいなものも強かった。

ろくでなし子:食えてないんですけどね、実際。

柴田:(笑)。

ろくでなし子:「まんこで金稼ぎやがって」みたいなことを言う人もネットでいるんですけど、稼いでないし。むしろお金ほしいんですけど(笑)。

柴田:アーティストが「お金をほしい」って言ってはいけないみたいな、美術界でそういった……。

ろくでなし子:霞を食って生きていかないといけないんですかね? 困っちゃいますね。

柴田:それか、資産とかがないと無理ですよね。

ろくでなし子:だったら、金持ちの息子とか娘じゃないとできないわけですよね。そんな不公平な話はないし。

柴田:実際、ゴッホは資産家の息子だったから。

ろくでなし子:えっ、そうなんですか!?

柴田:そうなんですよ。だから、なんで絵が売れてなくても描き続けられたかっていうと、親のお金。

ろくでなし子:本当、送ってほしい……(笑)。

日本の美術は歴史化されていない

柴田:で、アメリカのジェフ・クーンズ(アメリカの美術家。バルーンなどを用いた作品が特徴的)とかがすごく嫌われているのは「お金のことを言うアーティスト」だから。

ろくでなし子:え、海外でもそんな発想なの?

柴田:海外でもやっぱりそういうのはあると思います。

ろくでなし子:村上隆さんが嫌われないのは?

柴田:村上隆さん、嫌われてるじゃないですか!(笑) 日本では嫌われてますよ。というのは、村上さんの作品は「日本の美術がどれだけ歴史化されていないか」ということを世界に向けて表現しているから。

日本でなぜ村上さんの個展があまり開催されないかというと、評論家も村上隆の作品を論じた時点で、日本美術の敗北を語らなければいけない。

ろくでなし子:(感嘆する)はあ~。

柴田:そういう構造があるから……だって自分が美術評論家だったら「日本の美術は終わってます」とか言えないじゃないですか。「歴史化されてないです」とか。

ろくでなし子:でも、評論家だったらそこは公平に言うべきなのに変な話ですね。

柴田:いやいや(笑)。だって、それこそ弁護団の話ですよ。ろくでなし弁護団ってできないじゃないですか。「ろくでなし弁護事務所」って承認されないじゃないですか。

女の子は「しずかちゃん」か「ジャイ子」のどちらか

ろくでなし子:でもそこは認めて「いま日本人の村上隆というアーティストがいる」っていうのもよくないのかな。

柴田:それは元々の日本の美術の歴史っていうのが、明治時代に西洋美術が入ってくるんですけれども、そのときに白樺派が翻訳したんです。それがすごく白樺派的な、要は「おぼっちゃん」で「ホモソーシャル」で「友情」ですよ。武者小路実篤の。そういった感覚がすごく強かった。

で、美術を定義するときに私は普段現代美術でも彫刻を中心にやっているんですけれども「AとBとCを満たしていたらこれは彫刻である」っていう定義のつけ方ではなくて、それ以前から日本にあった文化、仏像だとか人形だとか置物だとかそういったものとは別で、それよりも素晴らしい。

要は、他に日本で伝統的にあった文化を収斂化(しゅうれんか)して、それよりも上だという差別の仕方で芸術というのが成り立ったという経緯があるんですね。

ろくでなし子:うんうん。

柴田:それは高村光太郎とか(その父の)高村光雲はもともと仏師で、光太郎も彫刻家なんですけれども、親父に対するインタビューで親父ディスをめちゃめちゃしていたり。

「親父の作品は彫刻じゃねえ、あれは置物だ」みたいな。そういう歴史がずっと続いていて、日本の中で日本の美術だったり明治以降の美術を「島国独自のもの」として(差別していた)。

最近ようやく歴史化されつつあるんですけど、歴史化されてこなかったというところから、そういうことがあるんじゃないかと思います。

ろくでなし子:あと、やっぱり「芸術だから許されるのか」みたいな言い方をされて困るんですけど、そう言ってる人たちの芸術というのは、美術館とかに飾ってあって「○○賞」とかもらって「ありがたく拝みながら観るもの」みたいな。

芸術とはそういう感じという発想だから、そういう人たちにとって私のやってることはその「お芸術」には入らないんだなと思うんですけど。「芸術とはなんだろう」というそのものを考えることも、そこで思考停止してるんだなと思うんですよね。

柴田:それは予備校教育とかもすごく関係があって。要は、なし子さんの表現を「これは芸術じゃないから俺らは知らない」みたいなそういった観点で(評価する)。美大の入試のデッサンと実技以外のことは、もう芸術ではないというような。

芸術の本質って、新たな創造だとか、世の中に意見を提示すること。なし子さんの作品って意見の提示がすごくあると思うんですよ。コロコロコミック的なおもしろさだけではなくって。

それは別の言い方をすると、いまの私たちの2000年以降のバックラッシュがすごく強い世界で、女性に対する性規範がコロコロコミックのような、要は「男子の少年漫画みたいな規律で動いているんじゃないの?」みたいな。それをなし子さんの漫画では、逆説的に突きつけるような。

ろくでなし子:なるほどね。

柴田:要は「しずかちゃん」みたいなね(笑)。女の子で許されるのは、お風呂をのぞかせてくれる(子)。ジャイ子みたいなのも必ずいて、そのどっちかなんですよね、女の子は。