「町」にこだわる理由

──それで、00年発売の『Ⅶ』になると、プラットフォームがプレイステーションになってプロジェクトが大規模化して、95年発売だった『Ⅵ』からのリリース期間もかつてないほどに空きましたよね。この当時も、ご自身でかなり細かいところまで作られていたんでしょうか?

堀井 いやもう『Ⅶ』になると、とても一人では書けなくなってました。『Ⅶ』では仲間会話システムで主人公の仲間たちも喋らせることにしたのですが、シナリオも倍以上に増えてしまって、シナリオのアシスタントに任せて書いてもらった箇所も少なくありません。とにかく『Ⅶ』以降は、CD-ROMになって容量が増えたのはいいけど、いったい何をすればいいんだろうと、ほんとに悩みましたね。で、『Ⅵ』では二つの大陸を行き来しましたが、今度はマップの断片を探し出して、新しく行ける場所そのものを集めていくという仕組みにしたんです。

──ただ、先程の話にもありましたが、『ドラクエ』のストーリーって、主人公たちの物語というよりは、町の人たち全部の物語みたいなところがありますよね。『水戸黄門』みたいに諸国を漫遊して、毎回そこで困ってる人たちの悩みに寄り添って解決して回るという性格が、いちばん先鋭的に現れていたのが『Ⅶ』だったと思います。いわば断片化された「小さな物語」の集積体としての構造が、システムとして明示されてる、みたいな感じでしたから。

堀井:だから、行く先々の町で通り一遍のしょうもないことを言われて、「やっぱりゲームだね」とか思われないように、こだわってるんですよ。町ごとに個性や生々しさがあって、「うわ、ここはこんな町なんだ」ってなってくれないと、そこに行った気がしないじゃないですか。ただ、そのせいで『Ⅶ』はとにかくテキスト量の多い、異様に長いゲームになってしまった。今思えば、いろいろ気になるところの多い作品でしたね。

──そのあたりの長大さは、プレイステーション2の『Ⅷ』になると逆にコンパクトになりましたね。シナリオもシンプルでしたし。

堀井:『Ⅷ』では、制作会社のレベルファイブと出会ったことが大きいです。彼らがオール3Dのフィールドになったプロトタイプを作ってきたんですよ。で、僕としてはもう、「これだけでいいんじゃないの?」と思ったわけです。この3D世界を歩き回って、空と大地の広さを体感するだけで、じゅうぶん楽しいよ、と。

シナリオからコミュニケーションへと進化した『Ⅸ』

──で、その時々の主流ハードの表現力の進歩に合わせて大規模化してきた『ドラクエ』史の中で、『Ⅸ』のイノベーションってものすごく大きかったと思うんですよ。プラットフォームが携帯ゲーム機のニンテンドーDSに移って、初めて視聴覚演出的にはスペックダウンというか、ダウンサイジングが起こったわけじゃないですか。そして通信機能によって、まったく新しい体験性が生まれました。

堀井:そう、やっぱり「DSの通信機能を使って『ドラクエ』を作ったら面白いんじゃない?」というのが最初にありました。ネットワークゲームってすごく敷居が高い印象があるけど、DSなら誰でも繋がれる。で、DSで出すなら、『ドラゴンクエスト モンスターズ』シリーズみたいな外伝にするか、本編にするかでだいぶ悩んだんですよ。でもやっぱり外伝だと、それなりのインパクトで終わっちゃうでしょ。本編だからこそ、みんながプレイして大勢が繋がれるようになるから、意味があると思ったんですよ。

──そのとおりですね。DSのハード機能に加えて、『ドラクエ』という国民的ブランドがプラットフォームとして働いたからこそ、「すれちがい通信」がここまで社会現象になったわけで。こうした盛り上がり方は、事前にはどこまで想定されていましたか?

堀井:すれちがい通信で交換できる「宝の地図」では、地図を制覇した人の名前が付くようにしたんで、レベル95のゾーマを倒した奴とかが有名になっていくんじゃないかという予想はあったんですけど、メタルキングばっかり出てくる「まさゆきの地図」だったのは予想外でした(笑)。でもまあ、「まさゆきの地図」が欲しくて、みんながDSを持って町へ出かけるみたいな、バーチャルがリアルを侵食する現象が起きたらいいなということは、最初から考えていました。だからシナリオはシンプルにして早めにエンディングを終わらせて、その後に長く遊べるようにしたんです。あとマルチプレイがあるから、シナリオをプレイし終わった人でも始めたばかりの人と繋がれて、リードしてあげられるじゃないですか。親子で教えてあげるとか、彼女を守っていくとか、そういうことがしたかった。

──つまり、『Ⅳ』~『Ⅷ』くらいまでのシナリオやシステムで引っぱっていく時代が終わって、ユーザー同士のコミュニケーションの時代にゲームの主流が移行したわけですね。それってある意味では「シナリオライター敗北の時代」でもあると思うんですが、いかがでしょうか?

堀井:ああ、僕は自分がシナリオライターだとは思ってないです。物語ももちろん作っていきますが、どちらかと言えばエンターテイナーかな(笑)。楽しんでもらえればなんぼっていうスタイルなんで、そこに人と人とのシナリオができてくれれば面白いと思うんですよね。『ドラクエ』がここまでウケてきた理由は、みんながそれぞれに自分がやってきた思い出を持ってくれてるからだと思うんですよ。ゲームって最初から、それを与えるための素材だったり、コミュニケーションツールだったとも言えるでしょう。

──そういう意味では、『Ⅸ』って『ドラクエ』の原点みたいなものに、かつてなく回帰できた印象があります。『Ⅳ』以降のシナリオ主導型のタイトルにも、当然『ドラクエ』的な味わいがあってよかったんだけれど、『Ⅰ』~『Ⅲ』の頃の「自分の物語」感があったかな、って。

堀井:だから『Ⅸ』を楽しんでくれた人たちは、何年か経ってから「俺は秋葉原行ってさあ」とか「まさゆきの地図、見つからなかったよね」とか、自分自身の思い出を語ってくれると思うんですよ。ゲームを持ち歩けることが、こんなに楽しいことだったのかと、つくづく思いましたね。

日本ゲームの進化が向かう先

──『Ⅸ』のように、日本で成功するネットワークゲームの特徴って、見知った友達同士の間とか、電車で居合わせた人同士のすれちがいとか、コミュニケーションの規模と濃度が、ごく狭くて浅い範囲に限られていることにあると思うんですよね。たとえばこれが『ウルティマ・オンライン』のようなMMO-RPGだと、見知らぬ他者とのチャットみたいな感じで、より広く濃密なコミュニケーションが行われているわけですが、日本ではウケない。こうした日本的なコミュニケーション環境に、『ドラクエ』が非常に密着していることついてはどう思われますか? また、逆に海外展開をする場合は、どうすればいいだろう、とか。

堀井:海外については、言葉の障壁がまず厚いと思うんですよね。で、『ドラクエ』の場合、独自の文法があるじゃないですか。日本語特有の表現で、ちょっとした言葉を言うだけで、人間の性別や性格や年齢まで出せるんですよね。ボクはそういう文章を書いてきたんですけど、それを英語にした時点で、もう一切削げちゃうわけですよね。それから、人口密度の問題があるから、アメリカではすれちがえないし。

ただ、DSの手軽さと、『ポケモン』が流行った市場があるわけだから、何か突破口はありそうですよね。なんとなくモニタリングした感じでは、アバターみたいな着せ替えとかが面白がってもらえるのかな、と。まあ、これは出してみないとわからないですけどね。むしろ向こうの人はすれちがいができないゆえに、「どっか行ってすれちがうんだ!」みたいに燃えてくれるかもしれないし(笑)。

──最近はTwitterが出てきたり、iPhoneやiPadのような新しい情報環境が出てきてるじゃないですか。そういうコミュニケーションツールに関しては、どういうふうに感じられていらっしゃいますか?

堀井:ボクね、Twitterやfacebookは新しいMMO-RPGなんじゃないかと思うんですよ。自分のプロフィールを装備して、ネットの世界に冒険に出ていって、知らない有名人をフォローして声をかけてリアクションがもらえたら嬉しい、みたいな。たとえば、浜崎あゆみが孫正義にいきなり「CM出してよ」って言ったら、孫さんが「いいよ」と答えたという話があったよね。そういう何が起こるかわからない楽しさって、すごくゲームっぽいと思うんですよ。むしろ日本でMMOをやるんだったら、Twitterみたいに軽い人間関係で制約することが、「もうちょっとやれば面白いのに」みたいなところにプレイヤーを駆り立てるファクターにもなるんじゃないかと思います。一人だけど、まわりに人がいるみたいな。 (インタビュー 2010年 夏)

※インタビューの全文は『PLANETS vol.7 Repackage』をご覧ください!