秋里 へー。ZOZO TOWNの前沢さんとかもバンドをずっとやっていて、趣味が仕事になったとか。赤川さんも音楽をずっとされてたんですよね。なんかあるんですかね、音楽とベンチャー業界で成功していく共通点とか楽しみとか。

佐藤 でもしていることは、今の会社の経営をもう15年近くしてますけども、逆にいうと、所謂一般の会社員の働き方って、2年間しかしてないんですよね。で、その15年くらいしてますけど、その事業しようって決めた瞬間から、バンドをしている感覚と全く変わらなくて。

コンセプト決めて、曲を作って、それがわりと良い感じで演奏できるメンバーを集めてきて、スタジオこもって、アレンジして、人前で演奏して、拍手されたりブーイング受けたり、これって全く仕事と一緒で、事業作る行為とかそれによって世の中に影響与えていく行為って、概念として全く一緒なんです。だから今でも、仕事をしてる感覚というか、日々、スタジオ入ってるとか、日々ライブしてるとか、日々作曲してるという時間と、全く変わらないんですよ。

秋里 赤川さん、どうですか。

赤川 何かしら自分がクリエイティブなものを作って、それを発信して、フィードバックが返ってきて、というサイクルはほんと仕事と一緒だなって思うのと、やっぱり自分が良い物を作った瞬間の、「俺、すげえいい曲作っちゃった」みたいな感覚とか、すごいいいライブやってる時の、すごく気持ちいい感覚と、新しいサービスローンチして、みるみる人が入ってくれる時の興奮とかって、僕の中ではすごく近しいものがあって、単純に楽しいんですよね。そのリンクの延長線で、僕も仕事ってのを考えてるかな、と思ってます

秋里 だからやっぱ楽しいって思えることが仕事になるってのは、皆さんにとってもかなり重要なステップだし、それが見つかるのが結構大変、たまたま見つかった方がここいらっしゃいますけど、そんな簡単に見つからないので、ハングリーに探求し続けるということだと思うんですけど。

佐藤 あとはね、楽しむ力だと思うんですけどね。

秋里 あーどんなことでもね。

佐藤 結局、今、赤川さんおっしゃったような、気持ちよくなる瞬間って、ごく稀で、むしろ99%、辛いことかしんどいことしか、ほぼないんですね。

赤川 そうそうそれも一緒なんですよ。

佐藤 で、1%、すごい気持ちいい瞬間があって、その快感が忘れられず、また99%辛いことを頑張る、というのが、あの仕事でも全く一緒で。なんかね、その過程においては、その99%の部分をいかに楽しめるかという、その、1%の快感を得るために99%辛いことを楽しむというか、この行為をどうしたら楽しめるだろうか、という、楽しむ力みたいな、つまんないことを楽しむ力みたいなのがあったほうが、その99%がしっかりと、実行できるというか。

秋里 そういう時、工夫されてることってありますか。結構、会社経営って皆さんが見られてルーチンというか、日々の業務って地味なことも多いし、資金繰りみたいなすごい大変なことも多いし。華々しくかっこ良く商談ばっかり、とか交渉ばっかりじゃないと思うんですよね。そこを楽しむのって、ある種、マインドセットもありますし、なんか工夫とか、そういうのってあります?

佐藤 ひとつはやっぱり使命感ですかね。その先に何を成し遂げたいから、これをしてるんだ、という目的がしっかりセットされていること。なんで俺これやってるんだっけ、て、やっぱ大変なこと、辛いことに時間を割いてると、目の前の辛いことだけを捉えて、それが目的化する、その行為とか手段が、目的化してしまって、なんでやってるんだっけ、みたいなループに陥って。

これは僕もあるし、誰でもあると思うんですけど、その時に目的とか使命感の強さというか、そこをいかにクリアに自分で信じこんでるか、ま、志ってことだと思うんですけど、その志を思い出して、いや、ここでしょ、と。ここ目指してるんだから、そのためにはこの行為は必要だろ、必要なことだったらやろう、というふうに自分を駆り立てて、徹底してやり切る、原動力にしていく、みたいなところですね。

秋里 なるほど。

赤川 僕も使命感もあれですけどもう一個納得感ですね。自分がこれをやってるということに納得しないでやってると、やっぱりどっかで辛い。今これをやってることは何かに繋がるんだとか、何かを成し遂げるためにやってるんだというのを納得してると頑張れるんですよね。

なので、会社の中で仕事をしてて、もちろん意見が合わないケースとかってあるんですけど、そういう時に、とりあえずやりますじゃなくて、やっぱ納得しないところはとことん納得するまでやり合う、と。ちゃんと自分の中でこれが絶対正しいと思ってそれを1個1個やってく、というプロセスでやってくと、結構しんどいことは確かに多いんですけど、やらされてる感はないんで、乗りきれるってのはすごくありますね。

秋里 なるほど。だんだん私のキャリア相談みたいになってきて、一番勉強になってんじゃないかって感じなんですけど(笑)。ちょっと五十嵐さんと小野さんにも振って行きたいと思うんですけど、五十嵐さんのほうから。同じく20代何したっけなってさっきおっしゃってたんですが。

大学に300日泊まりこんで、ネット漬けの日々

五十嵐 僕、今39歳で、来年40になるんで、20代というともう20年前くらいなんでちょっと思い出補正入っちゃわないか心配なんですけど(笑)。20代について話す前に、10代のところ、大学入った時が、僕の原体験にかなり関係してるんで、そっからお話させてもらいます。

僕18歳の時に大学入りまして、慶應義塾大学の総合政策学部、湘南藤沢キャンパスってとこで、赤川さんとちょうど同じキャンパス出身ですね。最初はですね、総合政策学部という学部なので、政治とか経営とか経済とか、あるいは法律とか総合的に学んで、将来国連とかで働きたいな、という気持ちをもって、実は大学に行ったんですけど。大学に入って一週間くらいたった時に、必修の授業で情報処理というコースがありまして。

そこのコースを受けるために、今でいうインターネットに繋がっている、UNIXのワークステーションという専用機があるんですけども、その専用のコンピュータに自分のIDとパスワードを登録して、はじめて、ネットの世界に繋がるという体験をしたときに、あまりに衝撃を受けてしまいまして。

国連に入るとか、政治とか経済とか経営をバランスよく勉強するというビジョンを全く忘れてしまってですね。その瞬間から、自分はネットワークとコンピュータサイエンス、これだけをやってくんだ、というふうに、入って1週間で趣旨替えをしてしまいました。なのでまだ履修登録とか考えるとこなんですけども、卒業の単位に関係ない、他学部の矢上キャンパスでやってる理工学部の授業だとか、あとは環境情報学部という、もうちょっと情報処理とかに関係する学問が多いところの他学部の授業ばっかりとってしまって。

卒業の単位に必要な法律とか経済とかいう一般教養の科目はCが取れればいいと、単位がとれればとりあえずいいので、楽勝と言われる科目だけを取ってですね、ほとんど、特別教室というコンピュータが沢山並んでるところの、部屋が空いてる時間を転々としながらコンピュータに向かう、という時間を過ごしました。

湘南藤沢キャンパスというキャンパスは不思議なキャンパスで、大学に泊まれるんですよね。泊まる設備はないです。ただ24時間大学に、「残留」というんですけど、残留することが出来て、夜10時になると警備員が回ってきて、「残留届書いてくださいー」って言われて名前と学籍番号書くと、大学に居続けていいですよ、という制度がありました。

これはあの、皆さん、今普通にPCとか持ってるでしょうし、インターネットも普通に繋がってると思うんですけど、1992年の当時って、家に常時接続環境ないですし、パソコンも家庭にあるほうが珍しい、そんな時代なので、貧乏学生の僕にコンピュータないですよね。なので、何をやったかというと、大学に居続けるのが一番経済合理性が高い、ということで、年365日の300日くらい大学に泊まってましたね。

で、大学の主みたいになって、警備員のおじさんもまたおまえかみたいな感じで、とりあえず早く書け、みたいな感じで残留届書くみたいな。まぁそんな感じで体育館でシャワーを浴び、学食でメシを食い、研究室に住み込んで、教授に頼んで研究費で簡易ベッドを買ってもらうとかですね。まぁ今やってることとあんまり変わんないんですけども、そういう生活をしてましたね。

秋里 それは何をやってたんですか?

五十嵐 コンピュータサイエンスといってもまだ一般教養しかやってないので、それこそエディターの使い方とか、コマンドの打ち方とか、そういうことから勉強する状態なんですよね。なので、何も分かってないんですけど、とにかくコンピュータ触ってて、知らないコマンドがあったら、例えば「A」って打ってコマンド補完すると、Aから始まるコマンド一覧がバーっと出てきて、知らないコマンドがあるとそれ実行してみるとか、マニュアル読んでみるとか、そういうことやって、知らないことがない状態にするまでは毎日が宝探しみたいな。楽しくて楽しくてしょうがなくて。ずーっとコンピュータの前に向かってましたね。

秋里 完全に子供がおもちゃ与えられた状態ですね。

五十嵐 なので単位とかとれるわけがなくて。ひどいという。

秋里 そのへんは京大生も得意ですよね。単位とれないとかね。

五十嵐 多分、このへんの人、単位とるのが得意じゃない人が多かったんじゃないかと思うんですけど(笑)。まぁそういう感じでずーっとコンピュータに向かってまして、ずーっとそれをやり続けようというふうに思ってました。

ただですね、皆さんも大学生なんでわかると思うんですけど、図書館とか特別教室にあるコンピュータって使える時間限られてるじゃないですか。授業で使う時間とかありますし、ずーっと同じ席に居続けるってことができない、転々としないといけないんで、めんどくさい、と。あと、この端末はいい性能だけど、あの端末はよくないとか色々あるんですよ。

なのでやっぱ自分専用の端末じゃないと一般ユーザ権限でしか入れないんで、弄り倒せないんですよね。極端な話、壊すこともできないし、壊すような激しいオペレーションしたくても権限がないんで壊しようがない。箱庭の上で遊んでるだけだってことに気づきまして。

やっぱ自分専用に何やっても好き勝手にしていいコンピュータが欲しいということで、当時、コンピュータさわりはじめで何も知らなかったんですけど、どうやらコンピュータコンサルタントという学生のボランティア団体があるらしいと。そこは学生のコンピュータトラブルのトラブルシュートとかを手伝ってくれるボランティア団体なんですけど、そこに入ってボランティアをやると、研究室が与えられて、常時使えるワークステーションを1人1台アサインしてくれるという噂を、同級生の「モリズミくん」という友達に教えてもらってですね、ここしかないだろう、と思って。

なんもコンピュータコンサルティングできないんですけど、コンコンってノックして、「僕もボランティアやらしてください」と。コンサルできないんですけど、そこに入って行きまして。コンピュータのすごい凄腕の先輩たちに囲まれて、何も知らない僕が入っていって、とりあえず席とアサインされて、雑用とかを一生懸命、そのかわり頑張ると。

で、先輩のやってることを後ろからまさしく盗む、盗み見をして、色々覚えていって、そのうち自分の端末がアサインされて、好き勝手にやって自分でインストールして構成してみろとか言われるんですけど、当時本とかないですし、ネットもWEBとかない時代なんで、Googleとかに聞くとか不可能なんですよね。そういう状態でまさしくトライ&エラーして、何台も壊して先輩に怒られながら、自分のスキルを磨いていく、ということをやってたのが大学時代の話で。長いですねすいません。

秋里 とりあえず破壊してたと。

五十嵐 そうですね破壊してた。破壊してた学生時代で、向こう見ずだったと。

秋里 で、家には帰らない(笑)。

五十嵐 家には帰らない。帰る意味なかったんで。そういうことをやってたらですね、話が脱線するんですけど。大学3年くらいの時にWEBが出てきて。これはもう世の中変わるな、と。今までのWEBがない時代のネットでもだいぶエキサイティングだったんですけど。モザイクというブラウザが出てきた時にですね、ほんと世界が変わるんじゃないかと思って、興奮をして、これをやるしかないと思って。

たいした腕がまだないですから、WEBサーバの構築とか先輩がやってるのを見て後ろで見て真似て、先輩にやってもらってとかして、世界中に大して発信する情報もないんですけど、とりあえずサイトを作って、スタンフォードと相互リンクしてもらったりとかして、勝手にテンションあがってるみたいな、そんなことをやってた。おもちゃ箱で遊んでる学生だったんですけど、当時、話脱線するんですけど、彼女が出来まして……。

秋里 おめでとうございますー。

五十嵐 ありがとうございます(笑)。あの、SFCって田舎なんですよね。田舎なんで都内から通う学生ってすごく少なくて、湘南台って駅の周りにみんな下宿をしてるんですよね。そうすると何が生まれるかというと、同棲するカップルがすごい多いんですよ。

秋里 なるほど。

五十嵐 当然僕も大学に300日くらい泊まってて寝床ないんで、研究室以外。たまにはやっぱまともな住環境で暮らしてみたいし、お年ごろなんで、彼女と一緒にいたいじゃないですか。で、いたくなると同棲するというのが当たり前の結論だったんです。当時SFCの中では。多分赤川さん分かると思うんですけど。

赤川 わかります。

秋里 そうなんですね(笑)。

五十嵐 そういう田舎なんで、ほんとに身内でつるむ以外やること何もないんです。ほんとエンターテイメントないんで。そうなった結果、大学のワークステーションと、常時接続環境を取り上げられちゃうわけですよね。でも彼女とも一緒にいたいわけなんですよ。

とにかく彼女と一緒にいる時間も長くして、ネットにも繋がってて、自分の好きにできる端末環境を家に揃える方法はないかということを考えた時に、色々悩みながらずーっと過ごしてたんですけど。ある時ネットニュースという電子掲示板みたいなサイトにですね、神奈川県藤沢市にプロバイダー事業を立ち上げるというおじさんの書き込みがあって。

モニターユーザー募集って書いてあったんで、それのモニターになったら、タダでネットに常時接続できるかもしれないと思って、応募して、そのおじさんとネット上でやりとりをして、お茶を飲みに行ったんですけど、その時に色々話を聞いてると、システム管理をできる人間が足りないと、そういう話をしていて。

たいして当時何も知らなかったんですけど、「僕やります」みたいな「僕全然できます」みたいな、吹いたんですけど、できますってことを言って、プロバイダーの管理者ですね、OCNさんとかIIJさんとかやってるのと同じプロバイダーのちっちゃい版のシステム管理者をボランティアでやるので、そのかわり、超古いのでいいので僕の家にワークステーションと、あとアナログでいいので専用線を下さい、と。当時学生で自宅に専用線接続とサンマイクロシステムズのワークステーションを持ってる人ってほぼいなかったと思うんですけど。

秋里 ま、今もいないでしょうね。

五十嵐 それが手に入るってことで嬉々として働き始めまして。それでボランティアで働いて常時接続環境と、彼女と同棲できるという今でいうリア充的な生活と。

秋里 そうですね。端末の中に彼女を作るって言わないかドキドキしてたんですけど、良かったですね。リア充で。

五十嵐 そうですね。そっちに行きかけたこともあったんですけど(笑)、なんとかとどまってですね、ずっと端末に向かってられる状況を作ったと。とにかく端末に向かってる時間が長いのが僕にとっての一番の幸せだったので、それを作れたことがすごくハッピーでした。

そういう仕事をしてるとだんだんといろんなチャンス、仕事ですね、いろんなチャンスが舞い込んできて、これは起業というか事業化したほうがいいんじゃないのか、ということで、半アルバイト、半個人事業、名刺持ってるフリーターですって、昔は言ってたんですけども。

名刺を一応作りまして、色んなところに仕事をいただきに行くようになって、ちょうどインターネット、WEBが盛り上がってきたタイミングだったので、各企業さんがコーポレートサイト作ったりとかするようになった時に、当時結構有名なWEB制作会社さんと一緒に仕事するご縁ができて、気づいてみたら、その会社さんの仕事を通じて日経さんの「www.nikkei.co.jp」とかあるじゃないですか。ああいうサイトのシステム管理者がなぜか僕、というですね、やりようによっては日経のサイト全停止させることも、日経の記事を全書き換えすることも可能な状態になって、これはテンションあがるな、と。やんないんですけど(笑)。

秋里 レベル上がりすぎです。やんないでくださいね。

五十嵐 なんで学生がこんなことさせてもらえるの、ほんとすごい時代だなって。

秋里 はい、すごいですね。

3日で数百万円稼いでいた

五十嵐 ほんと繰り返しますけど当時の僕腕は全くなくて。全部ちょっと出来ます、やらせて下さいって手をあげてですね、ちょっとできなそうなことだけど、最悪先輩に頭下げて教えてもらえれれば、なんとかなるかな、みたいなところに、絶えずチャレンジをしていって、そういうエキサイティングな仕事やらせて頂いてました。

そのうちにどんどんインターネット産業の規模が爆発的に増えていって、すごく儲かるようになって来た、という状況を迎えるんですね。すごく儲かるようになるとどうなるかというと、皆さんと同じ学生なんですけど、二泊三日とかで大阪に出張でGW中とかに行ってですね、一個プロバイダー立ち上げて帰ってくるだけで、うん百万円とかもらえるという仕事を請け負えるようになっちゃったんですよ。

で、似たような仕事が沢山、雨後の筍のようにインターネットサービスプロバイダーができた時代だったんで、同じようなSIをやって、全国回るだけで、どんどんお金を貰えるみたいな感じになってしまって、どういうことがおこるかというと、まぁ人間壊れますよね(笑)。当たり前なんですけど。ろくでもないお金の使い方とかですね、何にも残ってないんですけども。

秋里 おいくつくらいの時ですか?

五十嵐 それが21とか22とかだったかな。3年生、4年生くらいの時ですね。

秋里 で、もうろくでなしですか。

五十嵐 ろくでなしですよね。

秋里 早いですね。

五十嵐 学生にはいらないだろうというオシャレな服を買いにいきたくなっちゃったりとか、とにかくお金を手に入れたダメ人間がまず最初にやりそうなこと全部やったと思っていただけると。

秋里 彼女はどうなったんですか?

五十嵐 まだ一応同棲してました。なんですけど、やることが派手になったり、彼女にプレゼントしてあげたくなったり。見栄はりたい年頃じゃないですか。自分に自信がないので、どんどん見栄をはってしまって、個人事業やったんですけど、ほんとに実力がなくてもそういうふうに儲かってしまうという危険な時代でもあったと思ってまして。その危険な時代の申し子が僕、だったと思うんですね。その結果、何やったかというと、まず就職活動する気がなくなってしまいまして、就職活動というのでみんながリクルートスーツ着てるのとかまったくスルー。

秋里 お隣の方と同じですね。

五十嵐 同じですね。ちょっと安心したんです、さっきの話聞いて。あ、ここにもいらっしゃったと。で、まったく就職活動もしないで、とりあえずでも不安だから大学院は行っとこうみたいな感じで、これも実力がなくて成績ボロボロなわけです。なぜならさっき言ったように一般教養とかCとかばっかりなんで、大学院普通だったら行けないんですけど、もう教授に拝み倒してですね「なんとか先生のお力で僕を」ということで困ったら誰かに頼る、みたいな。もちろん一生懸命勉強もしたんですけども。

でもあと計算科学のことだけは人よりもほんと100倍、1000倍勉強してきたと思ってたんで、そこだけは認められるんですけど、綺麗な成績表ってあるじゃないですか。アベレージの成績水準が高いというんじゃなくて、低いとことすごいいいところが濃淡はっきりみたいな感じで、それはなんか慶應の先生が優しくフォローしてくれて、院に行きましたと。

で、院に行くことで、就職活動しないってことはなんとか免罪符を手に入れるんですけども、院に行ったらですね、これまた仕事のほうが面白くなってしまいまして、研究しないんですよね。修士論文とか書かなくてもいいかな、みたいな感じになってしまって。

秋里 書いて下さい(笑)。

五十嵐 いや書きました。最終的には書くんですけど、まぁのんびりしてるんで。書かずに、ずーっと過ごして、仕事ばっかりやっていて。やっぱりそれも昔ほどではないけど就職するより実入りがいいわけですね。仕事の。そうすると院を出て、親はそれこそ大企業といわれるとこに行ってくれるのかなと期待したと思うんですけども、就職する気がやっぱり芽生えなくて。

院せっかく出ても、今度はじゃあ研究員という形で残ろうということで、研究員の身分を手に入れながらフリーの仕事を続けてたんですね。それをやってずーっとSIの仕事をやっていて、似たような仕事繰り返すだけで極端な話でいうと儲かるという状況になると、学習しなくなってくるんですよね。だんだん人間って劣化していって。お金が回ってしまうんで。

で、本質的に成長しない3年間くらいを過ごして、はたとしたときに、同期と会った時にすごい成長してるやつとかがいっぱいいて。各業界で活躍してるやつがいっぱいいると。それを同窓会で見た時に、先行してたはずの僕がはるかに置いて行かれてるってことに気づきまして。

これは1人でやってけるタイプの人間じゃ自分はないんだな、ということ悟って、前職のベンチャーに入り、そこでちゃんと鍛えられればよかったんですけど、そのベンチャーも僕の実力はなかったんですけど、創業者のアイディアが秀逸すぎて、やたらと評価されてしまって、金回りがやたらいいベンチャーになっちゃったんですよ。まぁまぐれあたりだと思うんですけどね、所謂。

で、まぐれあたりのところに運良く行ってしまった僕は、自分磨きをしなくても、またなんとかなっちゃうという、すごく運に恵まれてしまって、このままで行くとほんとにやばいんじゃないかと思って、一生懸命またプログラミングをいちからやり直したりとかして、エンジニアとしての腕を磨いたんです。

その会社は最終的にはソニーさんに売却されて、ある意味ハッピーなイグジットしたと思うんですけども、その後、今度30になる時は、ちゃんとした大人になろうということと、まぐれあたりの成功とか、時代の上りエスカレーターに乗っかってくだけで成長できるような体験じゃなくて、自分で駆け上がって行く体験をしたいということで、ケイ・ラボラトリーという、今KLabって言うんですけども、という会社に入ったのが30の時。なので20代はいい加減な人、衝動的な行動しかしなかったというくらいです。すいません長くなっちゃって。

秋里 いえいえ。衝撃的な20代というのはこういうものですね。ちょっとキョトーンとしてますけどね(笑)。

五十嵐 すいません、あんま参考にならないかもしれない。