経営者として走り出せたのは、公認会計士のおかげだった

柳井正氏:こんにちは、柳井でございます。(司会が柳井氏の紹介時、1942年生まれだと述べたことに対して)先ほど司会の方が、私のことをより年寄りにしていましたが(笑)。本当は1949年生まれです。大して違いはないです。

(会場笑)

今日はみなさまに、私のつたない話をお聞かせしたいなと思っております。まず最初に、本日は公認会計士制度70周年の記念すべき日にお招きいただき、またこういった講演の場をいただきまして、関根会長様、および関係者のみなさまには、お祝いとお礼を申し上げたいと思います。

公認会計士の存在ですが、企業や投資家、そして社会全体にとって、非常に重要であると思います。

今世界は、猛烈な勢いでボーダレス化が進み、国境・業界・業態・産業・社会・個人・枠組みが全部取り払われて、それを超えて、企業経営そのものが、根底から変わりつつあるんじゃないかなとも思います。

そのような時代にあって、公認会計士が果たすべき役割は、従来にも増して大きくなっているんじゃないか。そう私は考えます。あとでお話ししようと思っているんですけど、私が経営者としてスタートしたときに、公認会計士の方々のお力がなくては、うまくいかなかったんではないかなと思います。

40年の経営者人生で感じた5つのこと

本日は経営者としての経験を踏まえ、激変する時代における新たな、あるいは本来あるべき公認会計士の役割について、公認会計士のみなさまへの大きな期待とお願いについてお話しいたします。どうかお付き合いしていただきたいと思います。

(スライドを指して)ここに書いてある「公認会計士と私」「『経営』とは何か」「公認会計士と経営」「グローバル化する世界、そして日本」「会計士が世界を変える」。

私の40年以上の経営者人生の中で感じた、ここに書いてある5つのことについてお話ししたいと思います。

まず初めに、公認会計士と私の想いについてお話ししたいと思います。これまで数十年間、いろんな面で多大な協力をいただいたことに関して、会社を成長させていただいたことに関して、感謝を申し上げたいと思います。

予定納税という理不尽な仕組み

まず、私が経営者として駆け出しの頃の話です。1971年に早稲田大学を出まして、当時はジャスコ、現在のイオンに入社しました。結局9ヶ月で会社をやめまして、ふるさとに帰って、父の家業を継ぎました。

山口県宇部市の商店街で、紳士服を売る商売を始めました。ユニクロの創業は、それから12年後の1984年。当初は商品を問屋さんとかメーカーさんから仕入れて売っておりました。

どうしても品質に満足できずに、自分たちで本格的に生産協議に入りました。中国を中心に商品を作り始めました。商売が徐々に拡大して、数年後の80年代の終わり頃には売上高が数十億円に。店も30店舗ぐらいになり、社員は100名を超えました。

しかし、資金繰りは少しも楽にならなかった。それどころか、成長すればするほど苦しくなる。その頃、全国ではカジュアルウェアのチェーン店の成長期で、この期を逃すとチャンスを逸する。

少しでも早くチェーン展開をしないと生き残れない。そういった状況でした。ところが、出店のスピードを上げると、売上も仕入れも増えて、設備投資や運転資金が急増します。

手形で代金を支払って、当面の資金は確保できるんですが、新店の設備投資は全部消えてしまいます。さらに問題があったのが、日本の税制。大まかに言うと、当時利益の6割ぐらいが税金でした。

仮に2年連続で10億円の利益が出たとします。6億円が法人税、事業税、地方税となり、その上、納税額の半分の3億円が予定納税です。まだ儲けてもいないんです。なのに、予定納税しないといけない。不思議な制度ですよね、これ。

6億円の税金に予定納税の3億円で、合計9億円ですよね。10億円儲けても、1億円しか儲からない。本当に理不尽だと思いました。

「熱闘『株式公開』」で運命の出会いを果たす

利益が出てるのにお金がない。不思議ですよ、これ。日本の税制は、急成長する会社を考慮していない。担保がないと、銀行はお金を貸してくれない。もう担保いっぱいに借りてたんで、残った道は株式公開しかない。

資金調達は株式公開でする以外にはなかった、というのが現状でした。そうやって上場しよう。それも、できたら最短で上場しようということで、そのために本格的に経営の勉強もしないといけないと。

本もたくさん読みました。その中の1冊が「熱闘『株式公開』―いまだから店頭登録入門」。ネットじゃないですよ。熱闘ね。熱闘甲子園の熱闘です。

(会場笑)

よくこんな名前つけたなという感じはしましたが(笑)。本日こうやって講演することも、たぶん樫谷先生のご縁だと思いますし、安本先生ともご縁が続いておりまして、今は社外監査役をお願いしております。

「熱闘『株式公開』―いまだから店頭登録入門」ですが、もうたぶん絶版になっているんじゃないか。もう売ってないとは思うんですが、あったらぜひ買ってください。

(会場笑)

この本は読む人の立場になって考えられておりまして、株式公開のイロハが本当にわかりやすく書いてありました。当時の株式公開の本は、専門用語がたくさんあって、我々みたいな普通の人間には何が書いてあるのかさっぱりわからない。ただ、この本はそういった自分にとっても本当にわかりやすく書かれていました。

さらに会計の実用書としてだけではなくて、会計士が企業の深くまで入り込んで、実業を通じて経営変革するということについて、すばらしく書かれておりました。

株式公開できる実力を持つこと、それが本質

たぶんこの本を読んで電話してくれということだと思ったんですが、裏表紙に電話番号が書いてあったんですよね。すぐに電話して、90年の9月に安本先生がユニクロの本社へ来てくださいました。

初めての印象ですが、先生がいらっしゃるのにこう言うのは大変失礼だと思うんですけれども、ひ弱そうな先生だな、大丈夫かなと(思いました)。

先生は先生のほうで、こんな一本調子でこの会社大丈夫かなと思われたそうです。そんな出会いがありまして、ここに書いてあることを当時教えてもらいました。

株式公開がすべてではなく、公開できる実力を持った会社にすること、社会に認められる会社になること。これが経営の本質です。そうでないと、これからの社会では生き残れませんよと。

もう1つ、社長がいなくてもある程度会社の経営が回っている会社、つまり組織で動ける会社にしないといけませんよという、この2つのことを教えてもらいまして、ボヤッとそう思っていたんですけど、再認識させられました。こういったことが私の経営者としての出発点だったのではないかなと思います。

その次に、上場に向けて、まず会社としての体制を整える改革を始めました。会社全体で必要な業務を洗い出して、機能を整備し、社員の役割、目標を明確にし、組織図を書きました。さらにユニクロのそれまでの成功要因を分析して、さらなる成長のために必要なことを検討し、目標を設定しました。

標準店1店舗当たりの売場面積や売場の在庫の規模、人員体制、設備投資額、標準損益、それに基づいて年間の出費や販売、仕入、資金繰り、教育、採用、マーケティング、マーチャンダイジングなど、とにかくあらゆることをゼロから洗い出しました。

決算書は経営者の成績表です。それを自前でつくらなければいけないと。毎月月末に締めて、即座につくり、翌月の対策を打つ。この流れが大事です。この言葉のおかげか、それ以来ずっと、すべての社員にそれを要求しています。

理念がない会社は、精神がない人間と同じ

ファーストリテイリングの経営理念もこの時につくりました。古今東西の成功した企業や経営者の秘訣や言葉を、本を読んで勉強しました。

そして、ユニクロにもっとも必要なことは何かを深く考え、自らの言葉で17カ条の経営理念を書いて、その後内容を追加して、現在は23カ条になっております。

当時、多くの人から3つとか5つぐらいにすべきだ、23カ条はあまりにも多すぎると言われました。しかしながら、これは絶対に必要な理念で、1つでも欠けたらだめだと私は申し上げました。

他の会社の理念がいくつだろうと関係ない。

というのは、理念というのは国でいったら憲法みたいなものだと考えております。それがはっきりしない会社は、私はこういうふうに申し上げているんですけれども、理念がない会社は精神がない人間と一緒だと考えております。こうやって会社の基本的な骨格や体制、精神をつくってまいりますと。

非常識に見えるような高い目標を掲げる

私の経営者としての第一歩は、まさに公認会計士のみなさんと深い関わりがありました。これからは、「経営」とは何かということについて少しお話ししたいと思います。

経営者とは、一言でいえば「成果を上げる人」。成果とは「社会に約束したこと」。経営者が顧客、株式市場、従業員、そして社会全体に対してこうします、これをやりますと宣言して実行して実現する。

そこに徹底的にこだわって、なんとしてでもやり遂げる。約束したことを成果として実現して初めて、顧客、株式市場、従業員、社会から信頼され、会社が存続できます。

その次に、企業の人の、もっとも重要なことは「目標を高く持つ」ということ。これがもっとも重要だと思います。それも非常識と思えるほどの高い目標を掲げること。

ちょっとがんばれば到達できる目標では意味がありません。高い目標とはいえないと思います。非常識なくらいの目標は、既存のやり方の延長線上では絶対にいきません。

そして、それが実行できる方法を考えて、実行していくこと、それは、イコールあらゆることを変革せざるを得なくなるということです。それを実現していくのが経営者の役割だと思います。

ファーストリテイリングは、売上高80億円ぐらいの頃に、将来は米国のGAPを超えて、世界一のアパレルの製造小売業になるという目標を掲げてまいりました。

本気でそういった実現を目指してやってきたから、数々のイノベーションを起こしたんじゃないかなと考えております。

今日の成功があるのはステートメントのおかげ

「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」というステートメント。これはすごくいいと私自身が思っています。すばらしいですよ、これは。本人がそう言うんですから。

(会場笑)

これが本当の自画自賛と言います(笑)。僕はこのステートメントのおかげで、これを実践してきたから、本日の姿があるんじゃないかと思います。その具体例をお話しします。

まず、フリース。東京の原宿で店舗をオープンするときに、それまで高額で、登山家などの一部の人のための服だったフリースを、誰もが手に取りやすい値段の1,290円で、通常時は1,900円だったと思いますが、これで販売していました。爆発的にヒットしました。そのとき、フリース素材を東レさんにお願いしました。

その後、世界最高水準の技術力を持つ東レさんとの戦略的なパートナーシップでヒートテックを開発し、過去の冬のインナーの概念を変えました。これに続くものが、今のシーズンのもの。暑いですよね、今日は。37度とか38度あります。そんなときは、ぜひエアリズムをお買い上げください。それが、ヒートテックの次に続くものです。

カジュアルウェアチェーンの常識を覆して、都心に大型店の出店をし始めました。(スライドを指して)これはたぶん銀座店だと思います。ヨーロッパ・アメリカ・中国・東南アジアなどの海外への展開。我々は、世界一のブランドになりたいと考えております。世界一のブランドになるためには、こうした挑戦は欠かせないものです。

その次(のスライド)をお願いします。ファーストリテイリングですが、2017年8月期の売上収益は1兆8,619億円、営業利益は1,764億円。過去最高の業績でありました。中でも海外ユニクロの営業利益は、前期比ほぼ倍増の731億円となりました。

今期ですが、2018年8月期の業績予想では、売上収益は2兆1,100億円、前期比13.3パーセント増。営業利益は2,250億円で、前期比27.5パーセント増。海外ユニクロの売上収益は、初めて国内ユニクロの売上を超える予定です。……あ、まだ超えてません。たぶん超えると思います。

(会場笑)

営業利益も、ほとんど国内と同水準になります。2001年にロンドンに1号店を出して、17年でここまで来ました。ユニクロは現在、ニューヨークやパリ・ロンドン・上海・シンガポールなど、世界の主要都市の中心的な繁華街に旗艦店や大型店を出店し、どのエリアでもお客さまの高い支持を得ております。

ユニクロは世界中で2,000店舗以上、ファーストリテイリンググループはたぶん3〜400、500店舗はあるんじゃないかと思います。中でも中国大陸・香港・台湾を含むグレーターチャイナ、あるいは東南アジア。ここで、とくに強力なブランドポジションを確立しております。

この秋には、スウェーデン・オランダに引き続きデンマーク・イタリア・ベトナム・インドなどにも出店しようと考えておりまして、グローバルブランドとしての存在をより強固にしていきたいと考えております。

世界中の企業に等しくチャンスは与えられている

ここまでの話を聞くと、なんかすごく順調に成長したんじゃないかと思われるかもしれないんですけど、順調どころじゃないんですよ、これは。悪戦苦闘の毎日です。失敗の連続です。

ロンドンでは、当初21店舗増やしたんですが、16店舗を一気に閉めて5店舗にして、今は12店舗です。中国でも2002年に上海に出店して、積極的に店舗数を拡大して、こちらも赤字続き。北京の中心街のショッピングモールに鳴り物入りでオープンした2店舗もまったく売れず、半年で閉めました。

2005年、香港の大型店の成功をきっかけに、ようやく立て直しの手応えをつかみ、その後一つひとつの店舗を地道に出店をし続けました。現在は、中国全土で684店舗まで増やすことができました。将来的には、中国で3,000店舗ぐらいはいけるんじゃないかと思ってますし、また、全世界では2万店舗ぐらいはいけるんじゃないかと考えてます。

今ですが、その次(のスライド)をお願いします。日本は1億2,000万人しかいません。中国は、都市部の中間層だけで数億人と言われています。アジア・太平洋の人口は世界の半分。しかも、とくに東南アジア・インドでは、経済が飛躍的な成長期を迎えております。

アジア・太平洋では将来、人口40億人の半分、20億人が中産階級になるんじゃないかと思います。とてつもなく大きなビジネスチャンスです。ここにチャレンジしないという手はない。山口県の宇部市という地方の炭鉱町の小さな商店街で商売してきた我々にも、こういうことができました。

我々にもできて、なんで他の企業でできないんでしょうか。山口県宇部市の小さな商店街、人口は17万人です。ファッション関係の要素はまったくないです。そこでもできた。

僕は世界中の、あるいは日本中の企業に、そういうチャンスが等しく与えられていると思います。なんでかと言ったら、我々は高い目標をずっと持ち続けておりました。継続的に努力しました。失敗しても失敗しても、果敢に挑戦し続けました。これが、何より重要なことなんじゃないかと思います。