会社の話ではなく、自分の話を語れる「幸せ」

森川亮氏(以下、森川):でも、さっきの前田さんの、そうじゃない部分が広くなったのは、むしろ空気を読む世界がどんどん広がってるから、逆に行ってるのかもしれないですね。SNSが出て、もう空気を読まざるをえない社会になってるからこそ、空気を読まない人に感動するみたいな。遠山さん、そのあたりはどうですか?

為末大氏(以下、為末):もうちょっといいですか? ちょこっとだけ。

森川:あ、もうちょっと。すみません。

為末『個人の時代』という本があってですね。これは、実は1800年ぐらいまでは「個人」という概念はあんまりなかったんじゃないかという本なんですよ。肖像画とかで、衣装は正確に描かれるんだけど、本人の顔があんまり正確じゃないみたいなことを書いている本なんですよ。個人と名前が一致し始めたのはその時代ぐらいからなんだという本なんですけど。

でも、その時代にあるような儀式とかって、けっこう……なんていうんですかね。インドネシアのケチャってあるじゃないですか。自分がなにかと一体になって陶酔していって、我を忘れてる状態の感動みたいなのがある気がしていて。スポーツにおいての感動は、そういう我を忘れるというか、自分になりきるというより、もうなんか自分が……。

森川:超越するというかですね。

為末:そんな感じの。すいません、なんか僕の……。

森川:遠山さん、どうですか? そのあたりちょっと。

遠山正道氏(以下、遠山):さっきのシーツの話を聞いてて、ふと思い出したことなんですけど。何年か前に、うちの優秀社員の(褒賞)旅行で、イギリスに行ってね。知り合いのイギリス人のご両親の古い家に招かれて、料理をご馳走になったんですよ。

そしたら、もう80歳ぐらいのお母さんが自分の話をして。ひとしきり話したあとに、「次はあなたの話を聞かせておくれ」って言われたんです。私は私で、いろいろやっていて話すこともあるから話す。次にお父さんが、もうリタイヤした人なんだけど、自分のボランティアの話をする。なんかね、ひとしきりみんなが泣いたんですよ。

それでね、なにを感じたかというと、「あなたの話を聞かせておくれ」と言われて、そのときにスッと答えられるというのが、「あ、なんか幸せってこういうことを言うのかな」みたいな気がしたんですよ。

森川:深いですね。

遠山:ぜんぜん立派な話じゃなくていいというか。むしろ立派じゃなくて、自分が本当にそのときに思っていることをスッと言えることというのかな。その個人にもつながってくるのかもしれないけれども、会社の話とかじゃなくて、自分の話がスッと言える状況。

森川:名刺の世界じゃない世界ですね。

遠山:そうだね。そうすると幸せを感じて。その幸せに包まれたときに、感動みたいなものが生まれる体験はしましたね。

危うさや余白があるほうが集団がまとまりやすい

森川:なるほどね。お2人さん、どうですか? そのあたりは。

福武英明氏(以下、福武):僕は最近、感情が欠落していて、あんまり泣いたりとかできなくなっちゃったんですけど。ただ、さっき話を聞いてて、余白を作るリーダーシップとかいろいろあったと思うんです。

遠山さんの話にあったように、僕らも芸術祭を一緒にやることがあるんですけど。要は、ビジネスだけで会社のなかでやるのは、みんなの思いは共通してるので、けっこう簡単で。芸術祭って、地元の人とか自治体とか、訳わからないこと言い出す人がいっぱいいるんですよ。

森川:一応ちょっと流れますからね。バランスよく。

福武:そういう思いもあるんですけど、そのときにどうやるかというと、やっぱりさっきの余白の部分じゃないですけど。今だからそういうやり方というよりも、あんまり変わってないのかなと思って。

僕らはよく、赤ちゃんプレーって言うんですけど、要は赤ちゃんってけっこう手間がかかるじゃないですか。手間がかかるがゆえに、やっぱり危なっかしいので、みんなが手を差し伸べて、その周りに人が集まるみたいな。

そういうふうに、我々が主導権を握ってやるよというんじゃなく、ちょっとわけがわからなくて危なっかしい素振りを見せると、やっぱりだんだん(人が集まって)来るので。

「来た来た、ほいほい」みたいな感じで、わーっと集めて1個のプロジェクトをやるというのがあって。そういう意味では、意図的に危なっかしい部分や余白を残してまとめるやり方はよくやったりしますね。

森川:なんかね、ちょうどその小豆島の話を聞いたときに、地元のおじさんとかを巻き込んで、最初は地元のおじさんが「なんだ」って言ってるんだけど。翌年にはベレー帽をかぶっててアート語ってたり。そういうのがけっこういいって話を聞きましたけど、やっぱり社会においてそういうことって大事なんですか。認められるとか。

福武:たぶん、直島とか小豆島の例でいくと、今までその人たちがなかなか主人公にならなかったところを、あえて彼らが主役なんですよ、と表舞台に出す。

例えばアート作品を作るときも、あえてアーティストと一緒に地元の住民を混ぜ込んで作らせるんですね。そうするとなにが起こるかというと、アーティストは作ったあとに帰っちゃうんですけど、その作品を地元の人が説明するので、もう勝ち誇った感じじゃないですか。そういうふうによくやったっていうか。

森川:「俺も作った一員だよ」的な感じですよね。

福武:そうそう。こっちとしてもボランティアで説明してくれるので、ありがたいなと思って(笑)。

森川:まぁまぁ。一石三鳥ぐらいの感じの。

福武:そうですね。

聴衆の立場から脱却することで感動がうまれる

森川:どうですか?

遠山:私も越後妻有(の大地の芸術祭)で、スマイルズが作品を出した時に、ボランティアで来てくれたある人が、東京からベンツに乗ってきたんですよ。

森川:アーティストが?

遠山:いや、ボランティアが。

森川:ボランティアがベンツで? すごいっすね。

遠山:「なにしに来たの?」って言ったら、「いや、もちろん手伝いに来たんだ」と。「どうして?」って言ったら、「いや、作品を作る側に回れると、あとで作品を見るのがぜんぜん見方が変わる」と。要するに川のこっち側にいるという。「他の作品もそういう目線で見られるようになるんだ」って言ってましたね。

為末:たぶん、補足すると、お2人がやられているアートって、けっこう巨大なものを作ったりするので。藁をたくさん持ってこなきゃいけないとか削ったりとか、そういう作品があるんです。だから、けっこうみんなが集まって、ボランティアがやらないとできない作品が多くて。

前田裕二氏(以下、前田):めっちゃいいですね。

為末:ある意味、作者になれるみたいな感じなんですよ。

森川:ライブパフォーマンスとかも、それに近いですよね。

前田:そうですよね。まさに、今の話を総合すると、やっぱり人を感動させようと思ったときに、どういう状態にすればいいのかというと、聴衆を(聴衆の立場から)脱却させることなんだなと思ってて。

SHOWROOMってやってるんですけど。よくWebサービスを作ると、UXジャーニーを作るじゃないですか。

森川:プロセス的な。

前田:ユーザーがアプリをダウンロードした後に、ここに行って、ここに行って、って。最終的にここに来てほしいよねっていう(ゴールが)あるんですけど、僕らは、そのUXジャーニーの終着地点が、視聴者から演者になることなんですよ。

誰でも演者になれるという意味では、視聴者から演者への転換がすごいポイントで。だいたいSHOWROOMのコアユーザーって、そのあと演者になるんですよね。

娘を応援するお母さんがアイドル化する

前田:例えばですけど。SHOWROOMってオーディエンスが可視化されていて、あるアイドルの部屋を見ていると、最前列のほうに、けっこう家族がいたりするんですね。お母さんとかが視聴者としてがんばって応援してるんですけど、その気持ちが抑えられなくなって、もうなんかお母さんの部屋ができるんですよ。

森川:お母さんも演者になっちゃうんですか?(笑)。

前田:お母さんが演者になるんです。

森川:すごいですね、それは。演者の演者みたいな。

前田:「娘はこんな気持ちでアイドルやってるんですよ」みたいな。そしたらお母さんが人気になって、お母さんのほうが(娘)よりファンが増えるみたいな。

森川:え、それライバルになっちゃうんですか?

前田:ライバルになるという。

森川:すごいですね。激しいですね。

前田:お母さんのほうが、売上が大きいみたいなケースもあって。

なんかやっぱりそうなんですよね。みんながどんどん濃い視聴者に、そのエンターテイメントにどんどんエンゲージメントしていくと、もういても立ってもいられなくなって、自分が運営側に回っちゃうということ。アートでもそうだし、いろんなところで起きるんだなと思って、興味深くうかがっていました。

森川:ああ、そうですよね。遠山さんがやってる店舗も、そういうことってあるんですか? スープが好きな人が「私もやってみたい」とか。

遠山:う~ん、なんだろう? 演者側に回る……「どうぞ好きなだけ注いでくれ」とか。そういうのまだないですねぇ(笑)。

森川:(笑)。でも社員の方でね、なんか、新宿のトイレでしたっけ? あのバー。

遠山:「トイレット」。うちの社員が新しいことやるというのは、どんどんやってますし。

聴衆が参加しやすいコンテンツのほうが拡散する

遠山:私は昔、音楽を聞いていて、やっぱり自分を重ね合わせたいじゃないですか。映画でもロッキーとかね。そういうふうに音楽を聞いてた時に、バンドって 5人ぐらいいるから、音が混じっちゃって重ね合わせにくくて。1人でできる演奏があったら、1人で何種類かの音を出したりとかね。そうするとぴったり自分が重なるから、1人バンドみたいなのがあると重ね合わせやすくていいな、って昔思ってたことを思い出しました。

前田:なるほど。でも確かに。そうか、1人バンドか……。

森川:前田さん、うまく受け止めて。

前田:いやいや、音楽でも本当にそうで。さっきの聴衆からの脱却が起きやすいコンテンツのほうがバイラルしやすいというか、拡散しやすいとは思うんですよね。例えば『恋するフォーチュンクッキー』。あれが流行ったのは、完全にあれ真似……。

森川:確かに。やりやすいからって。

前田:そうです。『逃げ恥』でもそうですけど。

森川:カラオケで歌いやすい曲は流行る、っていいますもんね。

前田:そうです、そうです。演者になりやすい曲が流行る。ちょうど、DJダイノジさんのライブがめちゃめちゃ盛り上がるのも、ダイノジさんが意図的にステージに踊り下手な人を上げるんですね。「あんな人でもいいんだ。あんな踊りでいいんだ」となると、観客が急に踊り出すと。

ゴールデンボンバーの鬼龍院さんも、もう「絶対弾くな」と。「弾きたいよ、翔君」と。「いや、弾くな、ギターは」って言って。

森川:(笑)。なるほどね。深い。

前田:「ギターをうまく弾いて、その技巧を見せてもダメなんだ」と。

森川:離れちゃうんですね。逆に。

前田:離れちゃう。だから、なんでゴールデンボンバーにライバルが出てこないかというと、弾かないで人気になることに心が耐えられる人がいないんですって。

森川:なるほど。ギリギリのところを攻めてるという。かっこいいですね。

前田:そう。だから人気になってくるんですけど、これは自分たちの音楽性とかじゃなくて、みんな芸人として好きなだけじゃんということに耐えられなくなって、ライバルがみんなドロップアウトしていくけど、あそこまでなっても弾かないことがすごく大事で。

森川:なるほど、それちょっとビジネスでも応用したいですね。

前田:確かに。

森川:儲かるか儲からないかギリギリのところみたいな。

前田:確かに。そこのせめぎ合いで耐えるという。