ある赤ん坊の遺伝子に大きな発見
マイケル・アランダ氏:約1万1,500年前、現在の中央アラスカの人々は2体の赤ん坊を埋葬しました。1人は生後6週間に満たず、もう1人は妊娠後期の死産でした。2013年に考古学者が発見するまで、赤ん坊の遺骨はそこに埋まっていました。
そして最近になって、ある研究者のグループが赤ん坊のそのうち1人のゲノムを分析し、発表しました。そのゲノムにたくさんの遺伝子コードが記されていたのです。
実際、この赤ん坊のDNAは、種としての人類の歴史について多くのことを教えてくれるものとなりました。人類がアメリカ大陸にどのようにやってきたか、その後どうなったかを教えてくれます。我々が知りうる限りでは、もっとも直接的な証拠といえます。
人類がどのようにアメリカ大陸にやってきたのか。何年にも渡り、研究者たちはさまざまな理論を述べてきました。最近になって、世間が同意する結果が少なくともいくつか出てきました。約1万4,000年以上前、人類はシベリアとアラスカの間にあるベーリング陸橋を渡ったとされています。
そして、北米と南米へと広がり、現在のようにアメリカの先住民族は北側と南側、それぞれのグループに分かれました。
この移住に関しては解決されていない疑問がたくさんあります。例えば、その移住が一体いつあったのか。なぜ古代のアメリカ先住民とインディアンのゲノムは大きく異なるのか。
「USR1」という遺伝子コード
そこで最近発表された赤ん坊の話に戻りましょう。研究者たちは生後6週間の赤ん坊から「USR1」として知られる、ゲノム分析をするのに充分な量のDNAを取り出すことに成功しました。彼らはUSR1のゲノムを配列し、古代から現代に渡る2,500人以上のゲノムと比較しました。
すると、予想に反してUSR1は北と南、それぞれのアメリカ先住民との相関が見られませんでした。彼らに共通の先祖がいたことは明らかですが、このチームの発表によると、この赤ん坊の遺伝子コードはまったく異なりました。
「古代ベージンリア」という、まったく新しい3つ目の血統であるという結論にいたったのです。この発見により、3万年ほど前にベーリング陸橋付近から最初の人々がやってきたという説を支持することができます。
その後、氷河時代がピークを迎え、氷床や氷河がベーリング海峡にいる人々の遠征を阻みました。こうして何千年にもわたり、世界から疎外された状況に置かれたのです。
そして、ベーリンジア人固有のモデルができあがったのです。そのモデルによると、気温が一時的に上がると、そこにいた人たちは動けるようになったので、アメリカ大陸の北や南へと広がっていったのです。
もし最初のアメリカ先住民がしばらくの間、ベーリング海峡から動けない状況なら、自分たちの間で繁殖して、DNAの新たな変異が起こり、インディアンとは異なる変化が生じたと言えます。先住民のゲノムに大きな多様性を見出すとしたら、古代ベーリンジアの血統がそれを証明してくれます。
古代ベーリンジアは独立したグループだった
また、この発見は2015年に研究者が発見したものとも合致します。それは細胞のミトコンドリア内にいる、分離した小さな遺伝子のコードで、細胞核とは異なるものでした。