まどマギ脚本チームのメソッド

山田玲司氏(以下、山田):(『魔法少女まどか☆マギカ』脚本の)虚淵玄チームが守ってきたメソッドっていうのは、何かを壊しているなっていうのがあって。その話をちょっとしようかなと思ってますけど。それを頭から難しくやるのもなんなので、ストーリーを追っかけていきますね。

第10話ですけど「え?」っていう話で、第1話に戻ってますね。(暁美)ほむらさんが転校してくるシーンから始まるんだけど、なぜか三つ編みのメガネっ娘。俺たちが知っているほむらじゃない。そこでもう鷲掴みですよね。そこで、「そういえばこの人ループしてんだ」って思い出すと。ほむらっていうのはそういう魔法を使っていたんだって。

それで戻ってきているのがわかりやすくなっていて。そこで「保健室一緒に行こう」って。何か知らないけど転校生は必ず保健室に行くのね。

「私が連れて行ってあげる」「学校案内してあげる」なんて言って、最初の友達ってパターンなんだけど、ちゃんとほむらさんは、心臓病で退院したばっかりで、保健室にいなければいけない。うまく走れない。これでよくわかるんだよ。

時間を操れる、走れない。だからパパッていなくなって。高速道路のくだりで歩いてくるときにゆっくり、移動する時はめっちゃ早いっていうのもわかって、「なるほどそれで心臓なんだ」っていうのが、わかってくるみたいな。

暁美ほむらとはどんなキャラか

山田:お客さんは、今までの流れを知っているから衝撃なんだけれど、ここでいくつか、みんな大好きほむらさんとは、どんなキャラクターかを言います。

これは面白いことにメガネ女子キャラの応用編です。メガネ女子キャラというのは、最初にメガネかけて現れて、外すと案外かわいい。この人は、最初からメガネをかけていない状態で、昔メガネをかけていた時は弱かった。

外したら可愛くなるんじゃなくて強くなる。ここは、メガネっ娘メソッドを応用編でやっています。だからこういうことについて、詳しい人が仕掛けているのがわかる。

あと、時空を超えた戦士だということがわかります。時空を超えた戦士だから、1人だけ時間軸が違う。古くは『サイボーグ009』の加速装置。加速装置をやっているんだね。知ってる? サイボーグ009の加速装置。

久世孝臣氏(以下、久世):アニメは見ていました。

山田:あれ奥歯で時間を止めるの。

久世:カチッカチッって。

山田:そうそう。あれのバリエーションになるよね。この人がその技を習得するまでの歴史が語られるんだけど、それがまた面白い。アメリカ映画で『恋はデジャ・ブ』があるんですけど、知っています?

これが毎日同じ日が続くっていうところから抜けられなくなって、楽しいことも起こるんだけど、次の日になると全員が忘れてしまう。怖いでしょう。

だんだんだんだん距離を詰めてようやく好きな人と結ばれたんだけど、朝になると「はじめまして」になっちゃう。絶望して自殺しようとするんだけど、死ねない。朝起きたらまた起きている。死ぬことすらできない。『恋はデジャ・ブ』っていう名作映画があるんだけど、ぜひ見てもらいたい。

あの映画で語られているのは、人と同じ時間帯を生きていないというのはどれだけ孤独かっていう話。ほむらさんイコール、孤独とセット。ほむらさんが使う魔法はイコール孤独の魔法なのね。心臓病っていうのが後でわかる。

無限ループが意味するもの

山田:あと面白いのが、無限ループです、この人がやっていることは。何度も何度も同じことを繰り返している。これはだからハルヒがやっていたやつですね。

「明日も同じような毎日が続けばいいのにな」っていう思いからと、「明日も同じなんだ」っていう絶望と両方の気持ちを抱えていた00年代。そして肝心なことを解決しないまま先送りにしていた00年代に対する答えとして、ほむらさんはやっています。けっこう深いことを知っているという仕掛けなんです。そして問題は罪悪感。罪悪感については後にしようかなと思います。

そして(鹿目)まどかと初めて会うと。俺たちはまどかとほむらはとっくの昔に会っているんだけどさかのぼっている。ほむら以外の人間がほむらを知らないという状態で、内気なほむらさんは「変な名前じゃない私?」って言うんだよね。

そこでまどかが「私、名前負けしていないかな」って。「全然そんなことない、かっこいいよ。かっこよくなっちゃえばいいんだよ」って言う。これがほんとに後で効いてくる。

ほんとにかっこよくなっちゃう。俺たちはずっと長いこと見て、かっこよくなったほむらを見ているから、この約束を守ったんだ。交わした約束忘れない。はいお願いします、井上陽水さん。

乙君:(歌いながら)こうして〜。

久世:誰やねん!

乙君:鈴木雅之が一番合うんですって。

山田:やる?

乙君:やらないやらない。そんなことに時間割いたら怒られちゃう。

(一同笑)

「劇団イヌカレー」の演出の妙

山田:メガネっ子といえば劣等感の塊みたいな。体育の時間で「ダメねー」みたいなこと言われたりして。自分のことを否定しながら、下を向いて歩いているんだけど。これがまた橋の上ですよ。とにかく橋が大好き。

まどかマギカといえば境界線。境界線となる橋、下を向いている。そうすると普通の石畳。これがチェッカーに変わっていくという。お約束きました。だんだん慣れてくる。「まどマギ演出きた!」みたいな。チェッカーですか、異界ですか? それで異界の境界のサインが始まって、そこから異界に行くと。

「このままだと死んだほうがいい」って言うと、そのチェッカーがピカソの『ゲルニカ』になりますね。たぶん、最後の「劇団イヌカレー」さんからのサービスですね。1番非常にわかりやすいヤツがつきましたね。誰でもわかるやつ。その結果がピカソのゲルニカになって、スペインの内乱の時に、「戦争って悲惨なことは私は許さん」と言って。

なぜかパリで書いていたピカソっていう。なので出てくるのが凱旋門でしたね。わかる人だけわかってくれたらいいですよっていうサービスが入ってきますね。

乙君:わかる人だ!

山田:俺のため! 違うよ、みんなそう思っていたよ。

それでまた最初のバトルになると。すると今までと逆の立場になる。今度は助けてくれるのがほむらさんを助けてくれるのが、まどかとマミがやってきて、それで「散々戦ってますから、私」みたいな感じになって、「お前そんなだったの?」みたいな。初めてまどかが戦っているのを見るシーン。

久世:あのシーンが今までのまどかに慣れていたから、めっちゃ嫌いで。「秘密ばれちゃったね」って言って、「クラスのみんなには内緒だよ」って言うじゃないですか。それがむかつくんです。お前先週まで内気やったやんけ。どうなっとんねん。

乙君氏 :「調子のんな」って思ってしまったって。

山田:パラレルワールドですからね。そういうこともあります。死んだはずのマミさんの部屋でまたケーキ食べてます。

久世:またケーキ食べてますね。めっちゃケーキ食べますね。

乙君:三角形のガラステーブルの。

「さよなら、ほむらちゃん。私いくね」

山田:「ワルビルギスの夜が来るまでに、一人前になってもらわないとね」なんてことを言ってますね。そしたら一気にカットがチェンジして、もう戦ってるの、ワルプルギスと。そして巨大な歯車が回っていて、「あはは」。

そしてもう(巴)マミさんは死んじゃっている。まどかは立ち上がろうとして、ほむらはどうするかというと、魔法少女になっていないという。

この状態が今のリアルタイムで行われていたまどかと同じ立場になっていて、全部が全部違うという。今回のまどかと同じ状態になって逆になっている。そして最初ちゃんと「逃げようよ」と言っているんだよね。

だけど「ごめんね、さよなら、ほむらちゃん。私いくね」。その時にまた一発目、死にいくまどかが最期にほむらに言うのは、「私あなたと友達になれてうれしかった」。決定的な決めゼリフ。これがなんといってもすごいのが、誰も友達がいない時に、1人だけ友達になってくれた人のことを忘れないよね。しみちゃんも浪人時代、誰も友達なかったもんね。

しみちゃん氏(以下、しみちゃん):(口に指を当てる仕草)それ。

久世:みんなには内緒だよ。

(一同笑)

久世:それ使えるな。やろな。

山田:誰にでもそういうさ、誰も友達がいない時に、声かけてくれる人がいないときの絶望みたいな。それは当人にとっては地獄だよね。周りから見たら軽いコミュ障みたいな要領の悪いヤツみたいに言われるけど、そこで本当に友達になってくれた人っていうことに対する気持ちみたいなものが、この作品の核になっている。

中心のエネルギーになっているんだよね。一切の性愛を省いていて、ちょっとだけ(美樹)さやかが出てくるんだけど、それもものすごくプラトニックで見つめるだけ。どんだけピュアなんだっていう。

ほむらの魂の救済をする一言が「あなたと友達になれてよかった」っていうね。だからこそこの物語にみんな乗っかっちゃうという。それでおっかないよね、3.11があった後に、半分水につかって廃墟で死ぬまどかを映すわけなので。どう考えたって、半年前にできているんで、この映像。何なんだろうなっていうくらい。瓦礫の山で。みんながいろんなことを考えることになっちゃったんだなって。

その時に、半分水につかって死んでいくまどかに向かって、「私なんかを助けるよりもあなたに生きて欲しかった」っていう話をするわけなんですけれども。このほむらさんが抱えている、「自分に価値がない」と思っていて、自分より頑張っている人たちの方が生きる資格があるんじゃないかっていう感性って、今の多くの日本人はものすごく持っているはず。

少女たちの悲しみを浄化する雨が降る

山田:それくらい俺たちは対価をもらうに値しない民族なんじゃないかっていうくらい腑抜けになっている。むしろ第三世界とかいって、インドの子どもとかが貧しくてもがんばっているのを見ると俺なんかが生きているよりも、お前が生きている方がいいじゃないかことを感じるんだけど。

ゆとり世代はピュアだから、傷つきやすくて感性があるから、それがけっこう重なる部分があると思うんだよね。だから日本人の若者が抱える。おっさんたちはデリカシーがないから「いやそんなこと! 食うていかなあかんやろう」みたいな。

久世:関西人、馬鹿にするなよ(笑)。

山田:ごめんごめん。乙君のなかの関西人出てきちゃって。というのがあるじゃん。こういう人たちが意識高い系とか馬鹿にするんだけど、意識高い系は、目に見えない弱者や、苦しんでいる人たちに対する気持ちがあるわけなんだ。だから会えない人の為にも行動すると。「それはさぁ、お前の親が稼いでる金でやってんだろう、甘ったれんじゃないよ」みたいな分担があるわけだよね。

ほむらさんの罪悪感というテーマは、そこを拾っているのがすごくあるなと思う。あと、その後繰り返し出てくるメタファーとしての雨ですね。これは冒頭からそうなんだけど、少女たちの悲しみと浄化ですね。

まどかが死んでしまって落ち込んでいるほむらさんに対して、例のキュゥべえさんがやってきて「君の祈りは? なんてね」。その時に決心をして、「鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私ではなく、彼女を守る私になりたい」って言って、手が祈りの手になっていくという。

「目を開ける」ことが後々のカギとなる

山田:時間が巻き戻って、目が開く。目が開くっていうのは何回もあるよね。『バニラスカイ』って映画知っている? 『オープン・ユア・アイズ』っていうスペインの映画のリメイク。トムクルーズが出てるんだけど、けっこう似ていて、何度も何度も目を開けるとまだ生きていたっていうやつで。

目を開けるっていうのが、後になって効いてきます。ほむらさんが魔法少女になった後に、手にソウルジェムがあるんだよね。ここからたどたどしい修行の日々がすげー可愛くって。ずっとメガネっ娘で使えないみたいな感じが、時を止めて戦うっていうくだりがあって。

それで孤独とセットになるっていうのがあるんだけど。そこから、ほむらさんの家が出てきますね。それでY字路がバーンと出てきてようやくわかる。Y字路が出てくると、異界の入り口だって言ってたじゃん。

だから、ほむらさんのおうちっていうのは異界なのね。だから普通の人たちが暮らしている時間軸じゃないところにほむらさんが住むところがあるからあんなことになっている。

そこで飾られている絵は過去のパラレルワールド。昔、戦ってきた歴史があって。という構造が一気に謎が解けていくという流れがあって。

久世:俺一個も解いてなかった。すーって流れていった今のところ。