ネットで叩かれる側に理がある場合…

別所哲也氏(以下、別所):あらゆる議論が封殺されない社会をどう作るか。できるだけ、文句を言われない社会にみんなが忖度するというのもおかしなことなんですけど、山本さん、なにかご意見を。

山本一郎氏(以下、山本):どっちかというと私も楽しく叩かせていただく側にいるケースもあれば、叩かれる側にも回る。ある意味、そういうことがある前提で言論せざるをえないのが今の環境であるならば、私はどうしても「それを受け入れよう」という側になります。

そこは江川さんとお考えが違う部分があるんですけど、ただ、「なぜ叩くんだっけ?」「なぜ叩かれてるんだっけ?」っていう時に、叩かれてる側に理があった時に守りにいけないことがけっこうありまして。

例えば今回の五輪エンブレム事件っていうのもそうでしたけども、その時にデザイナーの方がえらい叩かれましたけど。「あれってあんまり問題にならないよね」っていう時に、フォローしにいくとですね、「あれは電通の手先だ」とかですね、いろいろなことを言われるわけですよ。

でも、自分の見た経験や知識からすると、佐野(研二郎)さんっていうデザイナーの方がやってることはさほど間違っていない時に、声を上げられない問題がやっぱりあるんですよね。その時は黙らざるをえない。

黙った後で、「いや、実はあれはね」っていうことを、どっかでそろっと言い始めて、彼が叩かれ終わった後で、名誉を回復できるような道筋をつくってあげるしか方法がない、みたいな。そうなってくると、Webとメディアの関係は、どうしても緊張関係になるので。

それこそ東京新聞や朝日新聞などがネトウヨから叩かれ、逆に読売新聞や産経新聞などが、左側の方から「非常に望ましくないことをしてるんじゃないか」みたいな話を、批判をいただくのは、もうちょっと粒度を高くするような促し方があると、もうちょっと健全な批判のし合いになるんじゃないかな、っていうのを思うところはあります。

映像の発信において息苦しさを感じるか

別所:はい。中村さんは、映像という部分を含めて、息苦しさを感じたりするところってありますか? 逆にネットだからより過激、そういったことが動いてるようにも思うんですけどね。

中村真夕氏(以下、中村):今、江川さんと山本さんがおっしゃってたみたいに、すごくネット社会が社会の息苦しさの噴火口というか。みなさん、表向きには温和にしてて、ネットになると違うキャラクターに豹変して、すごくいろんな人を攻撃したりとか、ネットいじめっていうか、そういうかたちにちょっと、大人の間でも見えちゃったりするところはあって。

そういう意味で、今たまたまやってる題材、右翼の方なんだけど、左翼やオウムの方とも仲いい不思議な方で始めました。彼がおもしろいなと思ったのは、「いろんな価値観、いろんな意見を持った人の意見を聞きに行こうよ」「お互い話し合おうよ」と言う人なんですね。それがすごくおもしろいなと思って。

私はこの方を取り上げることによって、この社会の閉塞感というか、「文句を言われるんじゃないか」「ネットで叩かれるんじゃないか」とか、自分の意見が言いづらい状況の中で、なにかできるんじゃないかと思ってちょっと取り上げてる部分はあります。

だから、書き手というか、発信者としては、やっぱり叩かれる覚悟(が必要です)。私も自分が絶対叩かれるんだろうなって思いながらも、でも、それに屈してはいけないっていうか、それに屈してしまうと、大手メディアの当り障りのない(笑)、忖度された発信になってしまうので。

そういう意味では、「Yahoo!ニュース 個人」みたいなツールを通して、言いたいことをちゃんと言える社会をつくる。って言ったらちょっと大きく聞こえちゃいますけど、なんか自主規制して、みんな当り障りのないことばっかり言って、裏でネットでみんなで叩き合うみたいな、ちょっと閉塞感を感じます。

変えたいなんて言うのもあれなんですけど、なんかのきっかけ、変える糸口にしたい、と。

別所:あー、異論・反論が自由に闊達にできるというのは当然、自分の意見が言える環境であるためにも、相手の意見が言える場所を確保することでもあるかもしれません。

価値観の問題は落としどころがない

山本:批判の後で落としどころがないって、あんまり見てもしょうがないじゃないですか。だから、批判された後、「じゃあ、どうしたらいいんだ?」っていうところまで、議論を深められない人は舞台に上がらないようにする、反応しないようにする以外に、ちょっと方法はないんじゃないかっていうのは、強く思っています。

先ほど死生観の話されてたじゃないですか。あれは落としどころがないですよね。価値観の問題であって。

福田芽森氏(以下、福田):そうです。なので、答えを定めたいわけではなくて、話し合いたい、語り合いたいっていうだけなので。

山本:そこの着地点があって、「だったら家族の間で重要な話題を話をしておこうね」っていう結論が出て、初めて意味があることなので。

福田:そうです、そうです。

山本:なんで言わなかったのか、あいつは意気地なしだとか、そういう話じゃなくて、行動を促すために議論をしましょうと働きかけられるようなWeb文化になって、それを促すようなメディアがちゃんと出てくると、けっこう解決するんじゃないか、みたいなところは思ったりするんですけどね。

医療に関しては正解が1つではない

別所:あえて福田さんに聞きたいんですけど、福田さんの扱ってる課題の解決というか正解というのは、コントラバーシャルだったり、あえて言葉を選ばずに「コノヤロー」「そんな意見に従うか」ということになりにくい議論ですか?

福田:そうですね。医療に関して言うと、正解が1つではないことがすごくたくさんあるので。その点では、議論があって当然という文化はあると思います。ある人が意見を言った時に、その人が誰のために何をどうしたくてその結論を出したかの道筋のほうが大事なのかなと思うので。

医療に限らず、あらゆる分野で、なにか情報がパッて出た時に、「その発信のもと、根本、根源は何なんだろう?」って考えると、いいディスカッションにもなると思います。もっと深みのあるディスカッションになること自体はすごくいいことですよね。ですので、(議論が)ふくらんでいくのかなと思います。

山本:よりよくするために話し合うっていうところまで、うまく持っていける仕組みがあるといいなって。きれいごとを言うなら、批判しっぱなしというのは、たぶんWebの一番プリミティブなっていうか、人間の根源的な部分もあるかもしれないんですけど。「よりよくするために何ができるんだっけ?」っていう議論をしていきませんかって、なんか呼びかける方法があるといいなと思うんですけど。

別所:そうですね。

課題解決に向かうための提言を

別所:そういった意味で、岡田さん。僕ら映画の世界でも、ベターライフとアナザーライフを提供するのが、私たちのエンターテイナーとして、あるいはアーティストとしての表現でもあると教えられたことがあるんですけど。

どんだけ暴いた事実、事件があったとしても、そこからどうよりよくなりたいかをどう提示できるかは、大事かもしれませんね?

岡田聡氏(以下、岡田):とても大事だと思います。やっぱり課題発見を競い合う時代から、課題解決に向かうための提言だったり、情報の共有だったりが、今後すごく求められてくるだろうなと思いますし。

インターネットのよさって、誰でも情報の受発信ができるところだと思うんですけど、その中で表現の表出があると思うんですね。表現は多くの人にやっぱり見ていただきたい。表出っていうものはどうしても出てくる。こういうのがSNSを中心にあるかもしれない。

だけど、1つの企業とか1つのメディアで解決できることでもないですし、インターネットと既存のメディアっていう分け方でも、適切じゃないと思ってますんで。

こういう問題に関して、実は他のメディアの人たちが語り合う場があんまりないのかもしれないな、という課題意識はあります。今、こういう時代だから、どこが競合だとか、どこが敵だとかじゃなくて、車座になって今後の世界を話してみたいな、というのはありますね。ヤフーから率先して、そういう動きをしてみたいというのはあります。

別所:はい。大変短い時間でしたけど、写真、映像、そしてテキストと、これからのいろんな発信が課題解決になる手法がどうあるべきなのかを、みなさんにお話をうかがいました。みなさんのヒントになること、気づきになることが、少しでもあったらいいなと思います。

改めましてみなさんに拍手をお願いいたします。ありがとうございました。

(会場拍手)