『99%の人がしていない たった1%のメンタルのコツ』の著者が登壇

千葉正幸氏(以下、千葉):みなさん、今日は足元の悪い中、お越しいただきましてありがとうございます。私、『99%の人がしていない たった1%のメンタルのコツ』の編集を担当しました、千葉と申します。よろしくお願いします。お二方のご紹介を、簡単に私からさせていただきたいと思います。

99%の人がしていないたった1%のメンタルのコツ

まず向かって左側、河野英太郎さんです。河野さんは、日本アイ・ビー・エム株式会社にお勤めでいらして、最近ご自身の会社、株式会社Eight Arrowsもおつくりになられています。もともと東京大学で水泳部の主将、キャプテンをされていて、その後、MBAを取られたり、大手広告会社、外資系コンサルティングファームなどを経験された後、アイ・ビー・エムでお勤めされています。

弊社からは『99%の人がしていない たった 1%の仕事のコツ』、同じく『99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツ』というベストセラーを刊行しまして、これがそのシリーズの第3弾というかたちで出させていただいています。よろしくお願いします。

河野英太郎氏(以下、河野):よろしくお願いします。

(会場拍手)

千葉:続きまして、そのお隣の田中ウルヴェ京さんです。田中さんは88年のソウルオリンピックのシンクロで銅メダルを取られたのが、一番印象に残られている方も多いのではないかと思います。

その後、シンクロから引退された後に、コーチをされたり留学をされたりする中で、スポーツ心理学を勉強されまして、現在はメンタルトレーニングの研修、企業コンサルティングを主に行って、働く人のメンタルマネジメントの向上に貢献していらっしゃいます。よろしくお願いします。

田中ウルヴェ京氏(以下、田中):よろしくお願いします。

(会場拍手)

河野氏と田中氏が知り合ったきっかけ

千葉:まず、なぜ今回、共著というかたちでこの本を書くことになったのかというところから、お話をうかがえればと思います。じゃあ、河野さんからお願いします。

河野:みなさん、河野でございます。お足元の悪い中、お集まりいただきましてありがとうございます。今、千葉さんからいただいたお題というか、ご質問なんですけれども、そもそもなんで京さんと僕が知り合いなのか、というところからお話させていただきたいと思います。

千葉:そうですね、お二人の接点から。

河野:もとより僕は、もちろんずっと水泳をやっていて、岐阜県の田舎でやっていたんですけれども。88年だと僕は中学3年生だったんですけれども、本にも書いたんですけど、88年のオリンピックって本当は名古屋でやるはずだったんですよね。ご存知の方も多いと思いますけど、名古屋で決定だという話が出てて、だけどなぜかソウル、政治的なあれかわからないですけど、ソウルになっちゃいました。

(会場笑)

中部の人間からすると、本当は名古屋でやるべきオリンピックをソウルでやっているという感覚があったんです。その時のオリンピックで印象に残ってるのはいくつかあるんですけど、やっぱり水泳やっていた以上は当然、鈴木大地長官、55秒05というゴールドメダルと、あとは……シンクロって何年から採用されたんですかね?

田中:84年なんですよ。

河野:あ、ロスオリンピック。

田中:はい。(ロスオリンピック)から正式種目でした。

河野:新しい競技という位置づけで、やっぱり当時の僕からすると、体操とか新体操に近い、フィギュアスケートに近いような競技として印象に残っていて、「あ、こういう人がいるんだな」と一方的に知ってました。

田中:気をつけないと、生まれてないという人もいるよ、ここ。

(会場笑)

88年ね。

河野:88年は昭和63年ですね。一方的に知ってて、外国の方と結婚されたというのもたまに出てるので知っていた中で。実は東急線の不動前に、アクアマリン品川スイムスクールというのがあって、そこに僕は子どもを入れて、大人としても1コースだけ空けてもらって泳いでいたんです。

そこで京さんも同じような感じでお子さんを入れてらして、同じコースで泳いでいました。そこで、僕は知ってる人があそこにいる、という感じで、知り合いになったというのがもともとのきっかけです。

アスリートとビジネスパーソンのメンタルの違い

河野:1冊目の『仕事のコツ』を出した時も実は関与していただきまして、当時もアイ・ビー・エムにいたんですけど。本を出したいと思う動機はあったんですけど、本を出すためには中身がなきゃいけなくて、さらに中身があっても、今度、出版社にネットワークがなきゃダメで。

中身はそれなりにつくってたんですけど、やっぱり次のステップとしての、一般のサラリーマンが出版社にネットワークを持つというのは非常に難しくてですね、基本的には門前払いですよね。

千葉:まあ……。

(会場笑)

必ずしもそうとも限らないんですけど(笑)、そういうこともあります。

河野:そこにたどり着くネタを探している中で、1回こう、泳いでる仲間たちと飲んだことがあって、その時に話の流れでアピールして。もともとネタはもう印刷できるぐらいの分量を持ってたんで、「読んでください」っていったら「いいね」ってディスカヴァーに紹介いただくという、そういう背景があったのがもともとのご縁なんですね。

それで、「僕は自分のキャリアをかけて、日本のホワイトカラーの生産性を上げたいと思ってます」と。最初は仕事・現場が動けば組織も社会も変わると思ったので、『仕事のコツ』というのを書きました。

今度はですね、現場がいくら動いても、やっぱりリーダーなんだなというところが実感としてもあって。読者の方の声を聞いたら「いくらこのやり方やっても、上が認めてくれないと絶対できません」とかいうこともあったので、「なるほどね」と。それで『リーダーのコツ』を書きました。

それで、いわゆる現場のスキルがあって、すごく能力が高くても、自分の周りを見てても思うんですけど、結局心が折れてしまう人が多いというのが現実としてあって。すごい能力が高くても、いろんな意味で心が折れてしまう。誘惑に負けたり、挫折してしまったり。

そういう時にいろいろと考えることがある中で、本の冒頭にも書いてあるんですけど、アスリートのメンタルに注目したんですね。

本の冒頭に書いたエピソードとしては、2020年の今度のオリンピックの前の、リオと同じタイミングのオリンピックにも東京って立候補してますよね。それで、負けましたよね。4都市のうちの3位になっちゃったんですけど、負けたってことがわかった時に、招致委員会のメンバーだった人に聞いたんですけど、やっぱり招致委員会の人たちはガクッてなるわけですね。

その時に、やっぱりしばらくガクッとなって、顔を上げ始めた人の連続写真があるらしいんですけど、まずアスリート出身の招致委員会の人たちからバーッと顔を上げたと。ほんで、いわゆる官僚系とか事務方系はしばらくうなだれたまま。

そこはやっぱりアスリートとビジネスパーソンの違いなのかなと思って。アスリートのメンタルって絶対有効だなというのはもともと仮説としてあったんで、そういう話を持っていたところ、今回のお話を企画にする機会があったと。

長く話してしまいましたけど、そんな流れが、僕からの視点ではありますね。

田中:よかった、河野さん、元気だった。

河野:(笑)。

田中:病み上がりだったんだよね?

河野:そうそう。菊池病というですね、めずらしい……。

田中:メンタル弱いわけじゃないんだよね?

河野:そうです。リンパ節がボーンと腫れる病気にかかって、2週間ほど休んでたんですね。僕の中の整理としては、メンタルが強くなって、肉体が傷んで、こうなってしまったという。

田中:いい訳。

(会場笑)

河野:この後でお話させていただきたいと思います。

第一印象は「何なんだこの人は」

田中:でもね、河野さんの、馴れ初めというのかな? 違うか(笑)。

河野:馴れ初めね、2人の。

田中:おっしゃってたでしょ。すごくいい感じに言ってくださいましたけど、私にとってはもう忘れられない初日。河野さんが、親レーンというのがあって、親だけは1レーンだけもらってて、そこを親は、何人ぐらいかな? 8人、10人、そんなもんで、グルグル回るんですけど。

だいたい自分は速いはずじゃないですか。親レーンだったら一番トップで、第一泳者として泳ぐべきなんですけど、なんかその日は急に、わけのわからない男がいるわけですよ。

(会場笑)

それでえらそうに第一泳者に入り出して泳ぐもんで、「ちょっと私のこと知らないんじゃないか」と思って。

(会場笑)

これは第二泳者として、ちょいちょい足を、「あ、ごめんなさい。触っちゃって」みたいにやりながら、すごいがんばろうと思ったのに、東大水泳部なんて知らなかったから、すっごい速いんですよ。これ、全敗というか惨敗というか。それで「何なんだこの人は」というのがね、馴れ初め。

(会場笑)

千葉:もう京さんの縄張りというか、プールのレーンのところに入り込んできた。

田中:そうですよ。

千葉:それが第一印象。

田中:はい。それ以来、裸の付き合いですよね。ずっとそこで話してね、いろいろ。2009年とか。

河野:(200)9年ぐらいですね。

田中:ですよね。

千葉:というわけで、お二人は水泳というか、競泳とシンクロという違いはあれど、プールというのが一番接点というのがあるという話です。

田中:カルキの話出るよね? 本章で。

千葉:はい。読んでいただいた方はわかると思うんですけど、お二人の思い出はカルキ臭が共通点である、という話が。

田中:カルキ臭とメンタルでしたね。

強いメンタルとはなにか?

千葉:はい。じゃあ続きまして京さんにうかがいたいんですけれども、河野さんがそういった考えで1冊目、2冊目。それで、3冊目にメンタルの話を書きたいという時に、京さんに「共著として一緒に書きませんか?」ってお話があったわけですよね。それを聞いて、どういうふうに思いましたか?

田中:はい。いまだに……日本でメンタルというと、どうしてもメンタルヘルス、イコール、「弱い人がストレスをなくすためのメンタルのことですよね」というふうに言われたり。あるいは、メンタルという言葉自体がとても曖昧に語られる。

たとえば、「俺、メンタルだからさ」とか、「部下がメンタルなんで」みたいな、おもしろい使い方をする方々に企業研修を依頼されたりというのが、もう何十年も続いていて。

それでずっと思ってたのは、メンタルって、強いメンタルの人というのがいいのかというと、今度は強いメンタル、「ストレスになんてならないんですよ」、これは強いんでしょうか? と。それは人のことをかまわないとか、ストレスにならないように攻撃的になるとか、これはメンタルが強いんでしょうか、という議論も大事だし。

その意味では、ちゃんと自分の弱点を知り、そして、多様なポジティブ思考というものを自分でつくりあげるというような、自分を引き上げるためのメンタルマネジメントというのは、やっぱり日本の中でしっかりビジネスパーソンの人たちが知る必要がある。

挫折をプラスに変えるなんていう言い方も、科学的根拠にのっとって、なぜそれが、どう、誰に大事なのかというような、プロセスもしっかり伝えられるような本なんていうのは、ずっと自分ではあったんですけど。

自分の中ですごく難しかったのは、いくつか(自分が)本を出してましたけど、自分自身がビジネスパーソンという立場で大きな企業の中にいるという経験がなかったので。

そんな中で河野さんのお話をいろいろうかがううちに、「いや、自分がやれる場所はこれとこれとこれです。自分がないところはこれとこれなので、ぜひご一緒させてください」というようなことでした。