アメリカでは幼稚園をダブる子どももいる

河田豊氏(以下、河田):(インプット重視ではないアメリカの学校教育では)みんな、インプットはどこで担保するのですか?

龍崎翔子氏(以下、龍崎):個人の裁量だと思います。家庭教育ですね。というのは、飛び級があるので。私が小2で入ったときに同じクラスだった子が、半年後には小5になっていました。

河田:えっ。

龍崎:だから、やっぱり勉強が好きな子は自分で家庭学習などで勉強して、どんどんパスして、どんどん飛び級していくような。

河田:そのなかで、言い方は悪いですが、変なことになっちゃうような子は出てこないのですか?

龍崎:実際にありますよ。学習レベルは追いついていても、精神的な発達レベルは追いついていないと思いますから、そのデメリットはけっこうあるのではないかと思ったり。

河田:なるほど。

龍崎:逆におもしろかったのは、幼稚園をダブる子がいました。

河田:幼稚園をダブる?

龍崎:幼稚園をダブる。

河田:なにで判定されるのですか?(笑)。

龍崎:ぜんぜんわかりません。アメリカの小学校は1年生の前のキンダーガーデンが同じ学校内にあるんですね。私がアメリカに行った時は8歳だったのですが、同じクラスに9歳の同級生などもちらほらいて。話を聞くとキンダーガーデンをダブっているというんです。それがどうしてなのか私もよくわかりませんが……(笑)。

三原菜央氏(以下、三原):本当にシビアな。

龍崎:シビアだと思いますね。「まだ発達的に追いついていないから、もう1年やれ」といった感じだと思いますね。

河田:なるほどなるほど。

アメリカの授業は「生徒の好奇心を引き出す」

河田:質問をいただきましたね。「アメリカの先生はなにに力を入れている?」。そのラフさというのは意図的なのですが、その中でも、ここに力を入れていたのではないかと今思うことはありますか?

龍崎:たぶん、あえて飽きないことをしようとしていたのではないかと思うのですね。

河田:飽きないこと?

龍崎:とにかくいかに子どもの集中力や好奇心を引き出しながら授業をしていくかというところにすごく力を入れていたように思います。

三原:正解を教えるような授業ではなく、意見を引き出す授業ですか?

龍崎:そうです、そうです。

三原:ああ、なるほど。

龍崎:ただ、私はアメリカいたのは半年間だけで、しかも英語ができない子の通うESLクラスに半分ぐらい通っていたので普通のクラスがどうだったのかをそんなによく見ているわけでもないのですが。でも、日本と比較したときには、やっぱりいかに子どもの好奇心や注意力を引き出しつつ授業をするかということで工夫をしているなという印象はあります。

河田:ありがとうございます。

概念的な境界線をどうやって超えていくか

河田:質問をいただいたので、もう少し未来の話のようなところにもいきたいと思うのですが。ご自身の経験も踏まえて、あとは今事業としてやられているホテルのコミュニティなどの可能性も踏まえて、これからの学校はこうあればいいと思うことでは、どのようなイメージをされますか?

龍崎:そうですね。1つ思うのは、とくに小学校や中学校で顕著だと思いますが、自分のクラスが自分の世界になっちゃうと思うのですね。自分の生きているコミュニティがそのクラス内だけで完結しちゃうということがすごくもったいないことだと思っていて。いかにそこの境界を取り外していくかということが、今後問われることなのではないかと思います。

私がホテルをやっているのは、もちろんコミュニティ的な側面もあるのですが、一番大きな取り組みとしては「ホテル」という言葉の概念にある境界線をどうやって取り外していくか。だから「ホテルは泊まって寝るところ」という固定概念のボーダーをどうやって拡張していくかということが自分にとっての課題なのです。

それと同様に、小学校はもちろん中学校も、部屋、箱で仕切られているじゃないですか。仕切られた箱のような物理的なものではなくて、概念的な境界線をどうやって超えていくかということが今後すごくおもしろいのではないかと。やっぱり、自分の世界が広がる体験をしてもらうことがいいのかなと思います。

河田:なるほど、なるほど。自分の世界が広がると、なにが起こるのでしょうか?

龍崎:おそらく価値観が……う~ん、変わるという言い方は陳腐なので、どう言えばいいのかな? 価値観は多様であるということに気づくと思うのですよね。

それこそ高校から大学に入るときは、年上の人に敬語を使うかタメ口を使うかで悩むようなタイミングがあるじゃないですか。あれは、「学校」が「教育機関」から「研究機関」に変わる瞬間だと思うのですが。そうしたときにギャップを感じる機会が多かった人ほど、視野が広くなると思うのですよね。

だから、当たり前が当たり前じゃないということに気づくきっかけを増やすためにも、固定的なコミュニティをいかに開けたものにするかという取り組みはかなりおもしろいと思いますね。

河田:ホテルでやられていることは、まさにその実験なのですよね。

龍崎:そうですね。はい。

「ホテル」と「学校」は似ている?

河田:例えばホテルだったら、今やられていることがあると思いますが。学校を開いていくというときに、例えばその教室の中で留まらずに、具体的に誰と触れ合えれば世界が広がると思いますか?

龍崎:今話をしていて、ホテルと学校は似ているなと思いました。ホテルも空間があって、全部部屋が仕切られているのですよ。学校も空間があって、教室が仕切られている。その中にいる人数は違いますが、そこはその世界で完結している傾向があると思うのですね。

ソーシャルホテルでやろうと思っていることは、その小分けされたボックスの中にいる人たちを、興味がある人たちだけでいいので、どこか1ヶ所、別のところに集めて、なにかおもしろいことが起きないか試してみる場所なのですね。

河田:それがラウンジだったりするわけですね。

龍崎:それがラウンジだったりして、コミュニケーションなど、刺激を入れることで活性化しないかなと考えているのですが。学校などでも似たようなことができそうだなという感じはします。

もちろんすでにやっている学校などもけっこうあるとは思いますが、それができていない学校も多いですし、やり方も形骸化しているところがあると思うので、そういうことができたらおもしろいかなと考えています。ソーシャルスクールができればおもしろいかなと。

河田:(寄せられた質問の中に)「龍崎さんに先生をやってほしい」という意見が書いてありますね(笑)。

龍崎:ありがとうございます。こんな拙い話でそのように思ってもらえるなんて。

河田:でも、そうですね。ホテルと学校が似ているという発想はおもしろいですね。

学生時代の経験値が社会で役に立つ

河田:三原さんが改めて龍崎さんに聞いてみたいこと。ありますか?

三原:龍崎さんに聞いてみたいこと……そうですね、龍崎さんはすごく語彙力が高いなと思っているのですが。

河田:そうですね。

三原:私は、学校の先生をやってから社会に出たのですが、そのときコンプレックスになったのは、先ほどの藤原(和博)さんのお話にあった情報編集力です。

どういうことかというと、私自身が受けてきた教育はまさに正解主義的な教育だったので、癖としてどんなときも正解を求めに走るところがあり、学校現場から社会に出ると「三原さんはどう思う?」など答えのないことがすごく問われるのですね。

そのときに自分には圧倒的に自分の意見を持つということ、さらにクリティカルシンキングが欠けているなと気付きました。私自身は、先ほど藤原さんがおっしゃっていたような、コミュニケーションやディベートをするなど、自分をプレゼンする機会がすごく少なかったなと思っています。

そんな自分の経験を踏まえて私が翔子さんに聞きたいのは、私から見ると翔子さんは語彙力も情報編集力もすごく高い人だなと思っているので、コミュニケーションやディベートする機会はアメリカの学校で、半年間の中でいろんな価値観に触れ合う中で生まれてきたものなのか。それとは別に、例えば中高や大学のなにかコミュニティでそうした時間をとっていたのかといったことをすごく聞きたいなと思いました。

龍崎:なぜでしょうかね。1つは、私はあまり学級委員などをやるタイプではありませんでしたが、結果的にクラスをまとめる機会が多いタイプの子だったのです。小学校のとき、私、クラスの子と一緒に「欽ちゃんの全日本仮装大賞」に出ようとしたことがありました。

三原:ああ!

河田:おおっ。

龍崎:それを担任なども巻き込んでやっていたり。中学のときは指揮者や、学級劇の脚本を書いたり、監督をしたりなど。高校でもそうしたことをやっていた、そういうタイプの人なのです。そうやって、いろんな人と話したり、大勢の前で話さなければいけない機会があったので「こういうことを言うと響くな」ということがなんとなく蓄積されてきたりはしていました。

河田:やっぱりある程度は場数を踏んでアウトプットし続けるということですよね。

龍崎:そうですね。はい。

河田:なるほど。でも、先ほどのお話で「小学生は垣根を取り払うのはけっこうやっていると思うけど、中学生はやらないからおもしろそうですね」といったご意見もいただいていますね。なるほど。