中村修二氏が著名になるまで

中村修二氏:私はなぜ有名になったかと言いますとですね、93年に青色発光ダイオードという、または青色LEDといわれるんですけれども、light emitting diode、これを作って有名になったんですよ。昔、赤色発光ダイオードで光るものはあったんです。赤色発光ダイオードでよく光るものは、1960年代くらいに開発された。でも赤色だけじゃ、いろんな色は表現できないわけです。

で、1960年代から世界中の人がね、青色と緑色で光る発光ダイオードを研究しようとしてたんです。(中略)

当時日本はね、"研究博士"だったんです。論文を数件書いたら、ドクターがもらえたんです。だから一番の研究のインセンティブは、論文を5つくらい出すこと。科学論文。それで当時ね、青色発光ダイオードを開発するのにあたって、候補となってた物質が2つあったんです。窒化ガリウムというのとね、セレン化亜鉛っていう2つ。

それで世界中の研究者はね、セレン化亜鉛という材料でやっていた。セレン化亜鉛。世界中のいろんな大手企業、有名大学がもうすごい金を使ってね。で、窒化ガリウムはゼロではないけれども、世界中でほんの10グループ。微々たるものだった。

私はね、どっちを選んでも青色発光ダイオードはできないと思った。しかし論文はね、窒化ガリウムを使った論文はほとんどないから、こっちを選んだら論文5件くらい書ける。それで窒化ガリウムを選んだんですよ。(中略)

それでね、窒化ガリウムで青色発光ダイオードをやることになったんですよ。それでやるときに、「MOCVD」という装置で結晶は成長するんですけどね、最初は2億円くらいで市販の装置を買ったんですよ。これでやったんですけど、全然できない。

数ヶ月くらいやってもやっぱりできないんで、改造することにしたんです。改造するようになったらね、その改造がね、透明石英の溶接とか、鉄板の溶接とか、昔10年間、自分がやってたその経験が生きたんですよ。改造をやり始めたら、改造に自信が出てきた。これは昔10年間ずっとやってたことだから。それで簡単にね、装置の改造ができたんです。

透明石英の溶接っていったら、だいたいみんな外注するんです。外注したら6カ月くらいかかる。でも自分でやったらもう1時間でできるんですよ。そうやって装置の改造を1年間やってね、そしたら「ツーフローMOCVD」って言ってね、非常に世界一の装置ができた。

これでね、窒化ガリウムという結晶を生成したらね、世界一の結晶ができた。それからね、私はその「ツーフローMOCVD」を使って、数ヶ月単位で窒化ガリウムの世界一を連発したんです。これが1990年です。その年から私は論文の世界では有名だったんです、窒化ガリウムで。それはね、「ツーフローMOCVD」を自分で作ったからなんです。(中略)

科学者が金持ちになる社会を

科学者はどんどんどんどん金持ちになるべきなんですよ。そうしたら科学も伸びるし、いろんなドネーション(寄付)を通じて、貧しい人を助けられるんですよ。ですから、「科学者は金持ちになろう!」っていうスローガンに山形大学なんかしてもいいんじゃないですかねえ? それくらいしないとダメですよ、世の中変わらないですよ。

そうして工学部が発展して日本の経済が発展する。もう日本の経済はガタガタですよ? 日本の大企業は全滅に近いですからね皆さん。今の高校生が大学を卒業して就職する時、もう就職先が無いかもしれないですよ?

今それほど大変になってるんですよ。中国、台湾、韓国が全部製造業を取ってっちゃった。昔はね、製造業といえば日本だけだったんですよ。ところが今、中国、台湾、韓国の安い労働者たちが全部取っていった。

彼らは技術も進んでるんです。日本が生き残る術なんてないんですよ。だから日本の企業、もうほとんど全滅に近い。自動車もこれから電気自動車になれば、誰でもできちゃうんですよ。中国のだれでもできてしまう。そうなるとトヨタもホンダも大変なことになるんですよ。

そんな大変なときに、工学部ってますます嫌われてるでしょう? もう日本の将来はアレなんですよ。だからね、今の工学部をもっと若い人に人気のあるようにしないとダメですよ。若い頭脳を全部工学部に集中できるような。

工学部に入って科学者になれば、金持ちになっていい生活ができるよ、と。そういうのを目標に是非、工学部に進んでください。以上で終わります。