どこかで考えていたことが小説に出る

はあちゅう氏(以下、はあちゅう):(『妖精がいた夜』で、交通事故で亡くなった同級生に触れたことについて)普通の人からしたらそんなに深い関係やたくさんの思い出がないのに悲しいなんて、自分のエゴなんじゃないかって思われるかもしれないんですけど。でも、あの人の人生のなにか役に立ちたかったなって気持ちをここでは書いてみました。

「あの時に話していればもっと関係が広がっていたかもしれない」みたいな、自分の後悔をここに書いているんです。私、すべての小説は最初の始まり方と終わりを完璧に決めてから書くわけではなくて、なんとなく「このことを書こうかな」と思って、見切り発車でワードをガタガタと埋めていくんですよ。

書きながら、打ちながら、自分の書きたかったものに気づくという不思議な感覚を味わう。それはビジネス書ではなかったことです。

今までのエッセイや自己啓発本というのは「こう書こう」があって、そこに向かってマラソンしている感覚です。あとは自分の頭の中でしゃべっている人がいて、それを写経している感覚で書けたんです。

小説はなにか知らないけどできていくんですよ。それが小説かどうかというのはよくわからないんです。でも、とにかく書きたいことを書いているという感じで。

この話が出た時に、「私は同じクラスだった子が死んじゃったことを、実はずっとどこかで気にしていたんだな」と思って、それが今回小説というかたちで出たんだなと自分でもすごく不思議に思いました。

だから別に、「常に思っているわけではないけど、どこかで考えていることがこういうふうに小説に出るんだな」と、私も書いてみて初めての発見でした。

場所が変われば「自分」の見え方も変わる

次の『あなたの国のわたし』は、オンラインサロンには「この子ですよ」と言って、モデルになった子のブログを掲載したと思うんですけど。大学時代からの友人の話をここに書きました。

ぜんぜん名前も違うし、設定をちょいちょい変えてはいるんですけど、18歳までイギリスに住んでいた私の友人が日本に来ました。私はぜんぜん気づかなかったんですけど、接しているうちに何回か「あれ? 日本語が不自由なのかな?」と思うことがあったんです。

それであとから「実は私18歳まで日本語を使って生活してこなかった」と聞いて、そうなんだっていう感じで仲良くなっていったんです。

その子とは大学のときの思い出をちょっといろいろ変えながら書きました。イザベラっていう女の子と、あとはマリアちゃんとサキの3人でイギリスのクラブに行くというシーンがあったんですけど、それはまさに私の体験です。

私自身がけっこう、英語は一応、日本人学校に行っていたとはいえ、帰国子女で得意だったのですごく積極的にしゃべったり、意思疎通したりできたんですけど。

でも、文化の部分でわからないことが不思議とたくさんありました。映画を観に行ってみんなが笑っているところでわからなくて、「今のどういう意味だったの?」と聞いたら、もともとそういう英語で、みんなが知っているような童謡をもじっているんだとか。そういうことを教わったり。

あとは、「スパイス・ガールズやブリトニー・スピアーズの曲を聴くよ」みたいなことを言ったら、「それはイギリスではお子様の音楽よ」みたいなことを言われてすごくショックを受けたり。そういうものを書きました。

これ、書いてみて気付いたことで、ちょっとした後付けなんですけど。自分がインターネットで経験してきた生き辛さみたいなものが、この本の中に入っているかなと思います。

私、インターネットのことをどこかで書きたいなと思っていたんです。小説を書こうとなったときに、やっぱり「18歳からずっとブログを書いてたはあちゅうが、ネットのことを書きました」はすごく打ち出しやすいものであるし、自分の中でも書けるんじゃないかとどこかで思っていたところがあるんですけど。

でも、いざ議題設定されずに「書いていいよ」と言われたときに、インターネットの話がうまく思い浮かばなくて。でも、ここの『通りすがりのあなた』の中の『あなたの国のわたし』で書いてみて思ったのは、同じ自分っていうのは、他の国に行ったり、環境が変わったりするとぜんぜん見え方が変わるんです。

すごく強そうに見えていた人が、一歩自分のコミュニティから出るとすごく弱くなってしまったり、同じ態度なのに周りの人の空気によってぜんぜん違うように捉えられたり。そういうことをインターネットでずっと感じていました。例えば、私が飲み会などで友達に言ったら盛り上がるようなことが、インターネットでは炎上するなとか。

そういう自分というものを別の場所に置いたときに、「ぜんぜん違うあなたになっていますよね」がこの作品の裏テーマです。なので、そんなことを思い返しながら、また読み返していただけるとすごくうれしいです。

名前をつけられない人間関係を作品に入れた

次の『六本木のネバーランド』は慶応の女の子2人の話なんですけど、これも実際の私の経験がちょっとだけ生きています。

私にはまさにこの子みたいに、六本木でお部屋を貸してくれた人がいたんです。その人がまさに、森さんと同じ投資銀行に入って、どこか出張に行くから「その間、部屋を借りてていいよ」という、そんな体験があったんです。

実際はぜんぜん、心も折れずにちゃんと仕事して帰ってきたんですけど。でも、ここで滞在していた時に、いつかこの部屋を舞台にした小説を書いてみたいと大学の時に思っていたんです。それが実現して、すごく今、不思議な感覚です。未来と過去が繋がった感じがします。

次の『友達なんかじゃない』に関しては、これは高校生の時の私の話です。これももちろん小説だから、いろいろ設定を変えたところはあるんですけど、すごく自分の日記が役に立って書けました。

これはけっこう、後の方に書いた作品なんですけど「なにを書きますか」という話を編集者さんとしていて、せっかく1冊の本にまとめるのであれば短編をいろいろ載せるにしても、全部バラバラのいろんな話よりはちょっと一貫したテーマがあるようなかたちで。海外や旅など、曖昧な人間関係、名前の付けられない人間関係をすべての作品に入れようという話になったんです。

私の人生の中でそういう経験が他にもなかったかなと考えたときに、「そういえばパナマに行ったな」と思ってこの話ができました。

パナマに行ったとは言え、それは17歳くらいのことなのでぜんぜん覚えていないんですよ。おもしろいことがあったけど、「あれ誰だっけ、なにがあったっけ」みたいな感じでぜんぜん思い出せなかったんです。でも、その時の私の日記がめちゃくちゃ役に立ちました。

私、当時はずっとこの本にあったように、スペイン語の授業がわからないから日記を書いていたんです。その中に滞在していたときの感情がめちゃくちゃ生々しく書いてあって、この中に出てくるご飯のことも、すべて忘れていたのを日記のおかげで思い出せました。

やっぱりメモとか、そういう自分の今を残しておくものは必要だなって、改めて思いました。

自分のデータを持っている人は強い

私、12月に新しい手帳(『自分への取材手帳』)を出版するんです。

出版と言っていいのかわからないですけど、そういう企画で自分の小さい記録をつけていくログ用の手帳を出版するんですけど、それが未来のために今の自分を残しておこうっていうのがテーマなんです。

やっぱり手帳は、どうしても未来のことを書いていくイメージがあるんですけど。実は、手帳で一番大事なのは振り返りじゃないかなと思っているんです。

私、手帳はデジタルとアナログの両方を使っているんです。デジタルの手帳はもう決まったこと、To Doとかを書いているんです。でも紙の手帳はデジタルと違ってすごく読み返したりするんです。

だから、そういう振り返り用の手帳を1冊持つことで、自分の人生にデータを貯めていきませんかっていうコンセプトで手帳を作りました。自分のデータを持っている人はやっぱり強くて、話もおもしろい。

自分のことをよく知っている人は自分がどうやったら幸せになるかっていうこともわかっているし、これまでどういう軌跡を歩んできて、どう成長してきているかってことがわかっているので、滅多なことでは折れないんです。

なので、自分のデータを忘れないうちに書きましょう。そして、残していきましょう。という手帳を出すんですが、この作品を書いたタイミングでやっぱり自分の手帳っていうものがなかったら、この作品ができていなかったなと改めて感じたので。この小説が次に私がやることの活動に橋を架けてくれたな、みたいな気持ちがします。

小説を書いただけで終わりというよりは、書いたときにインスピレーションを受けて、「自分の人生のここが役に立った」「こういうことをもっとしたいんだな」と、すごく気づけた感じだし、なにか小説を書くこと自体がデトックスになったなみたいな感じがしています。

最も書き直した最後の物語

6作品目『サンディエゴの38度線』に関しては、これもさっき『世界が終わる前に』の方でも出てきた子のモデルになった男の子との同棲生活。サンディエゴでやっていたんですけど、その時の話を書きました。これもやっぱり、「あのことを書こう」と思ってから、過去のブログをすごく見返して、そこで見つけたエピソードを書いています。

新聞の記者さんに、ここでキッチンが巨大な泡に覆われるという事件が起こるんですけど。そこの描写を褒めていただいて、それは私の実際の体験なので。

やっぱり体験があることは生々しく書けるんだなと思いました。これはすごく最後が好きって言ってくれる人が多いんですけど、サンディエゴにいた時に空を見ることが多かったので、そういう自分の中での経験がこういう終わりになったのかなとか思いました。

最後の『世界一周鬼ごっこ』は、最後の最後に書いた作品です。これはもう旅とか曖昧な人間関係と、あとなにがあったかなと思った時に、私のしてきたことで「そういえば世界一周があったな」と思って、世界一周を小説にしてみました。

これに関しては、前にバックパッカーだったという取材に来た記者さんが「情報ノートのこととか書いてますよね」と言ってくれたんですけど、まさに自分の経験がこういうふうにリサイクルできて本当によかったですね。

経験をリサイクルするのは私の人生のテーマなので、すごいそれができた感じが嬉しかったです。

でも、書くときには「こういうこともあるんですよ」「こういう人がいましたよ」をすごく書きたくなってしまって。けっこう、ウンチクを入れ気味になっちゃって、そこを編集者さんと相談してかなりバサっとカットしました。

たぶん、これが一番直したんじゃないかなと思います。最後の最後で、これが一番あったことをそのまま書きましたみたいに最初なっちゃって。小説のかたちにするためにどうしたらいいかなっていうことをいろいろ考えながら、本を繋いでいくみたいなことを、実際に世界一周のときにもやっていたんですけど、そういうものを登場させてみたりしました。

「本を立体的に届けたい」

そんな感じで7作品ができました。もし、たぶんみなさんサロンの方は読んでくださっていると思うので、今のエピソードを聞いてまた読み返してくれたらうれしいなと思います。こういう書いた時の裏話みたいのを、どんどん公開していきたいなと思ってオンラインサロンを作ったんですけど。

オンラインサロンや小説のPRについてちょこっとだけお話すると、オンラインサロンを作った経緯は、いろいろなところで言っているとおり、書籍は発売日以降からしか宣伝できないっていうのがすごくもどかしかったんですね。

今までにも何冊も本を手がけていて、この本なんて発売するまで1年かかっているわけなんです。でも、たぶんみなさんが店頭で見れるのはほんの数日、数週間だと思うんです。

売れないと判断されたら、すぐにこの本は書店から撤去されてもう出版社に戻ってきちゃうので、なんとかして前々から宣伝したいなという気持ちでオンラインサロンを立ち上げました。

そして発売日だけではなくて、数ヶ月前からオンラインサロンを立ち上げました。「こういうこと発信しています」と、いろいろ自分でニュースを作ることができるので、とにかく自分の力でニュースを発信しなくちゃいけないなと思いました。

やっていることは、作者がどういうことを考えて、どういう気持ちで届けているかをみなさんに伝えたいなと思いながら日々投稿していました。

やっぱりいろいろ苦労はあるんですけど、そういうことをなにもなかったみたいに売っている作者さんが多いんです。それもすごくかっこいいんですけど、でも泥臭い作業の部分も、見せたら共感してもらえたり、もっと作品を好きになってもらえたりしていいかなと思って、いろいろ試してみたわけなんです。

こういうふうに「本を立体的に届けることを私は今後もやりたいんだな」というのを、今回のオンラインサロンをやってみてすごく思いました。

本ももちろん売りたいし、これはこれで感想を持ってほしいというのはあるんです。でも、例えば映画が広まっていく過程は、それについての感想をみんなでしゃべったりしたときに、見てみようかなと思ったりするんです。

そういうのがやっぱり本にはないので、このサロンの中でも、いろんな感想を言っている人たちが繋がればいいんじゃないかなと思いながら、1カ所に読者を集めてみる試みをやってみました。

だから、もしかしたらもう今ってオンラインサロンは、プルーフ(校正刷り)も上げ終わって、サロンとしての機能は更新に関しては終わってもないというところなので、今後は読者のためのサロンとかにしてもいいのかなと思うんですよね。

みんな買った人が、買ったということの証明を送ったら、「じゃあここで入ってもらって、議論してもらう」とか、そういうふうに。せっかくこの場所を作ったので、もっともっと広めていけないかなみたいなことも考えています。

どうするのがいいのかというのは、なかなか正解がないんですけどどうしましょうね。なんかみなさんもアイデアがあったら、ぜひお願いします。