改めて幸せとはなにか?

辻信一 氏(以下、辻):例えばどんな家庭にも、どんな近所にも、どんな地域にも、どんな国にも文化はあって、そこにずっと伝えられてきた価値観をもって、そしてなにか生きがいを感じたり喜びを感じたりする。『しあわせの経済』って言っているけど、なにが幸せか?

山崎亮氏(以下、山崎):難しい。

:どうせみんな死ぬけど、なんで生きなきゃいけないの? みたいな。

山崎:(笑)。

:文化ってある意味そういう部分です。だから僕らは基本的に文化の中に生まれてくることしかできなかったはずなのに、今、改めて「人間にとって幸せってなんだっけ?」とか、そんなことをみんなで問い直さなければいけない。それってある意味、すごく面倒くさいけど、でもすごく楽しくて、これまたクリエイティブ。

環境破壊ってそうですよね。生態系がここまで壊されて、ちょっと先のことを考えると、僕なんか環境運動家ですから絶望です。でも、ある意味ではこんな問いは今までの世界ではなかった。その意味では、僕らはすごいことをしようとしている。それをみんなで考えられたらけっこうワクワクするじゃない。

山崎:たしかにそうですね。僕なんか辻さんの本を読ませていただいて、そうとう影響を受けている。なんて言うか、小辻みたいになっているんです。僕はちっちゃな辻さんになって地域に出て行っている。

(会場笑)

山崎:小辻。小辻になってstudio-Lのスタッフはみんな小辻になって、地域に出て行って、地域の人たちを集めて、今みたいな表情で、「面倒くさいことだけど、考えてみたらすっげー面白いことになりませんか?」と言ってワークショップをやっている気がするんです。

いくつかワークショップの中でみなさんにお示しする図がいろいろあるんですけど、そのうちの1つに、「豊かさとは何か?」という話、これは1970年くらいからNHKや本でいろいろあって、暉峻淑子(てるおかいつこ)さんが89年に『豊かさとは何か』という本を書いた。僕は高校生でしたけど、衝撃的で、こういうことを考えている人がいるんだと。

豊かさとは何か (岩波新書)

普通に親がサラリーマンで「大企業に入りなさい」と言われるし「ちゃんとお金儲けて、人様の世話にならないように生きていきなさい」と育てられていた人が、人様の世話になるとか、世話をする価値がわかってきたり、金ばかり儲けていても真の豊かさには近づかないんだという話を聞いた時に、僕は第1の波は暉峻淑子さんにあったんです。第2の波で辻さんで、それをさらに……。

:ダグラス・ラミスも読んでいますよね?

山崎:すごくいいですよね。そう考えていた時に『豊かさとは何か』が、それだけでは伝わらなくなってきたと思ったんです。真の豊かさと言っても、結局のところ「まあ我々も豊かになったものだ」と人々がつぶやくのに、やっぱり便利になった、高い建物が建ったで豊かさと言っちゃう。なので、豊かさという言葉の意味を変えることはもう無理だと思った。

そのあとの陣営が幸福論、『まちの幸福論』という本を僕が書きましたけど、ブータンの話もそうです。一人ひとりにとっての幸福を考えましょうと。その中に経済的豊かさや、もっと違う豊かさが、いろいろ入っているでしょうという話をしてきた。

まちの幸福論 コミュニティデザインから考える

それを一通り学ばせてもらって、地域に出て地域の人たちと話して、「幸福の話をするよりも、もう少し手前になにかないかな?っ」て思ったときに「楽しさとは何か?」を1回考えたほうがいいんじゃないか、そういうワークショップをよくやるようになったんです。

楽しさの自給率を高める

山崎:モノを手に入れるとか、金を使って人に楽しませてもらうことではないだろうと。だから「楽しさの自給力」を高めようよと。自分で楽しさをクスクス笑いながら生みだすような、自給力を手に入れたら、自分の人生は常に楽しくできる。

つまんなくなってきたら新しい楽しみを自分で作ればいい。「お金を払って誰かに楽しませてもらうんじゃない楽しさを、どうやってこの地域に生み出していきますか?」という問いをたてることが多くなってきたんです。

結果、狙っているのは、地域の「楽しさ自給率」を高めたいと思っているんです。食料自給率も、エネルギー自給率も高めたほうがいいですけど、コーヒーショップの関係者がいたらすいませんね。

(会場笑)

山崎:コーヒーショップのことばっかり言って、コーヒーショップじゃなくてもいいですよ。だけど、「コーヒーショップがないと、うちのまちは楽しくない」と言っていると、別にそれは悪くないですけど、お金を払って誰かに楽しませてもらい、払ったお金はいったいどこに流れていくのかを考えた時に、そうじゃない楽しさを生みだせる人が地域にたくさん増える。

楽しさの自給率を高めたいです。地域の楽しさの自給率を高めたい。だから「自分たちで作る楽しさって、いったい何なんだろう?」っていうのは、結局まち作りにつながるといいと思ったんです。

だから、まち作り、地域作りの活動をやっていることが、本人一人ひとりにとって、いろんな視点から「これ、楽しいからやってんねん」となってくれたらいいなぁと思って、この4軸をよく出すんです。

上のほういくと受動です。受け身ですから消費の楽しさ。個人のほうに寄っていくと、パチンコ・テレビ・買い物をやっているのも楽しいかもしれない。

右側にいって集団で楽しむ消費、居酒屋に行く、カラオケ、ボウリングに行くのも楽しさの一部ですが、一方で能動的に自分で楽しさを生みだそうって思ったとき。個人でやるんだったら趣味の活動をやっててもいいし、読書で学んで知的好奇心と言っていても悪くない。

僕らが今やりたいと思っているのは、地域に集団で能動的に楽しさを生みだしちゃうことです。すると友達ができ、知識や情報を得て、技術を得て、自分の役割ができたり、人に感謝され、仲間ができたり、健康になっていったりとかが最近言われますが、ここって結局のところ楽しさの賞味期限が割と長い。

消費のほうはやっぱり短くなっていないと消費構造にならない。さっきの資本主義的で言うと、「昨日、居酒屋に行って飲みに行って楽しかってん、だから今日も飲みにいくべ」みたいな話になるわけです。本当に昨日楽しかったんなら、その楽しさの余韻で1年くらい飲みに行かなくてもいいのかもしれないけど、また行きたくなる。

「パチンコ行って昨日勝ってん。だから今日もパチンコ行くねん」となる。この賞味期限が短い刺激を与えていくものじゃないと、お金をどんどん払ってくれないから、基本的に上のほうの楽しさは、賞味期限が短くあってもらわねば困る楽しさだと思うんです。

下のほうは、自分たちで試行錯誤して楽しんでいるわけですから、なんかうまくいかないとこともあるし、成功したら「ヤッター」とも言える。これは賞味期限がけっこう長い部類だと思います。あとそれを1人でやるかみんなでやるかというと、やっぱりみんなでやったほうが楽しさは倍増すると思うんです。

おいしいものを食べて1人で「うまっ」ってつぶやいているのも悪くないですけどね。でも「おいしいよね」って言って「おいしいおいしい」って跳ね返ってきたそのリフレクションで、おいしさをさらに感じることになるんです。だから今、1人で飲んでいるんだけど、跳ね返りが欲しいという人がFacebookでつぶやくんでしょうね。

リア充自慢みたいにして、「おいしそうなフルーツのカクテル飲んでまーす」で「いいね!」がたくさんつくと、なんかおいしい気がしてくるわけです。なんかそうじゃない楽しさの増幅の仕方や、おいしさの増幅の仕方も身近にあって、それこそ地域で作りだせるような楽しさがあると思います。

そんなことを話し合っている間に我々の幸せって何なんだろう?と、いきなり幸せから語るのが難しいなと思う。(だから)よく、楽しいって思うことを自給していく延長に、「これでいいよね」って言えるような地域を作っていきたいと思っています。

勝ち負けを超えた世界

:今、お話しうかがっていてね、ゴリラのことを思い出してたんですよ。

山崎:今の話からゴリラを思い出されましたか。

(会場笑)

:ちょっとその話をしてもいいですか?

山崎:もちろんです。聞きたい。

:僕すごく尊敬している人、山極寿一という。

山崎:びっくりした! 尊敬しているゴリラがいるのかと思った。

(会場笑)

:山極寿一は京大の総長をやっている人。なにが偉いかって、あんなにずーっとゴリラといっしょに過ごしているうちに、姿形がゴリラみたいになってきている。

山崎:(笑)。

:あれがやっぱり本物の学者。

山崎:本物ですね。

:彼の研究によると、ゴリラのどこがおもしろいか、ずっと一緒にいたらしいんですよ。ずっと観察していたら、他の猿と明らかに違う点があるんです。それを彼は「勝ち負け」。ゴリラには勝ち負けという概念がないと。

山崎:そうなんですか?

:例えば日本猿みたいな猿の場合は、年がら年中どっちが勝ったどっちが負けたと上下関係を示し続けるわけです。ヒエラルキーの感覚がすごく強い。

山崎:猿山のボスとかね。

:そうそう。だからすごく強いやつは威張っているんです。弱いやつはいつもペコペコしている。それでどうやってみなさん自分が強いということを示す?  誰かに対してなんとなく胸張ったり。

山崎:足くんだり偉そうな。

:偉そうな態度ってあるじゃない? それに対して自分のほうが弱いっていうことを示す態度もある。ペコペコする。

山崎:頭を下げる。

:ペコペコするのはだんだんクビが短くなって、要するに小っちゃくなっている。だから威張るとだんだん大きくなっていって、弱いことを認めるとだんだん小っちゃくなる。あとサル学にグリメイスがある。ここで本当はやってみたらいいんだけど、恥ずかしいだろうからうちに帰ったらやってみてください。

上の歯茎を出す。思い切り出して、そのままニタァって笑う。そしてクビを縮めてちょっと斜め上を見る。

(会場笑)

:これがグリメイスです。これを猿たちはいつもやっている。

山崎:それが強いほう?

:弱いほう。

山崎:すんませんみたいな?

:そう。でもゴリラには、グリメイスもないし、自分のほうが弱いとか、負けたとかそういう表現が1つもない。ということは、勝ち負けの概念がない。

これが他の猿からゴリラへの進化の重要なポイントなんじゃないかという研究。じゃあ人間はどうなんだ?と。そうなると人間は猿的なのを持っている。

山崎:ありますよね。

ゴリラから学ぶこと

:ただ、人間の社会の中には勝ち負けが通用しない、つまりそういう概念を超えた領域があるんです。それが家族。だから、ある意味ゴリラと人間は一緒。ある種の家族を作ったわけです。

山崎:なるほど。

:そうでしょ? だってお父さんが子どもをやっつけて「ざまあみろ」って……まあ、たまにはいるけどね。

山崎:(笑)。

:でもほとんどいないでしょ。それから、いつもいつもペコペコしてご機嫌をうかがっている子どもなんて。

山崎:いないなあ。

:まあ、たまにはいるけど。

山崎:(笑)。

:でも、そういうのがたまにいること自体がかなり異常ですよね。

山崎:家族にそれが出てきちゃうのはね。

:昔は近所だってそうだったんです。同じコミュニティの昔の伝統的な文化をみたら、だいたい村で数百人とかその程度。みんな顔も知っている。特に狩猟採集民族の多くは、上下関係をほとんど作らない。

山崎:そうなんですね。

サル化する社会

:狩猟しているときだけのリーダーはいるし、尊敬もされるけど、うちに帰ってきたら、ただのダメな親父。全体としては非常に平等な社会だったと思う。そういう平等的な一面を人間は持っているけど、一方ですごく猿的でヒエラルキー的な一面を持っている。非常に複雑な進化を遂げていると思うんです。

僕がすごく大事だと思うのは、ゴリラ以降で大事になったのは、分配なんです。分かち合う。それがゴリラでしっかりして、そして人間にとっても重要な要素になる。

もう1つが遊び。ゴリラも人間も遊びが上手です。例えば大きいゴリラと小さい子どものゴリラがじゃれあったりして遊ぶ。人間も大人と子どもが遊ぶ。だけど、間違って殺しちゃったなんてことはない。……たまにはあるけど。

山崎:(笑)。

:ほとんどない。だから人間はすごいわけです。

山崎:確かにそうだ。

:子どもと大人が喧嘩ごっこをしていても、けっこうエキサイティングになれるんです。強いほうも弱いほうも、わりと楽しい。単に弱いふりをしているんじゃない。だって、ただ弱いふりを明らかにしていたら子どもだっておもしろくないでしょ。

山崎:わかります。

:だからその点、遊びという行為は非常に複雑なんです。そういうことができるようになるのが人間への進化において重要だった。遊びだとか、分かち合いだとか、そして上下関係のない領域を作るとか、とても人間的で、それがコミュニティということだったんじゃないかと。

山崎:そのとおりですね。我々が人為的に作ろうとしているワークショップの場はけっこうこの3要素を作ろうとしています。平等、対等、話ができるというアイスブレイクやチームビルディングをやっている。分かち合うとか分配することと、遊びの要素を入れている。

できているかどうかは別にして、今お話を聞いていて、それをまさにやろうとしている。ぜんぜん意識していなかったですが、そういう気がしました。

:そして、コミュニティって同時に経済の単位です。

山崎:そうですね。

:ところが、現在の主流な経済学は完全にそれを無視して、すべて競争原理でしょ。そして勝ち負けなんです。

山崎:全然逆ですね。

:そして地域で行われてきた営みは、ほとんど価値がないと。もう田舎は早く非効率だから、さっさとたたんで、大都会に高層ビルを建てる。そこにみんな収容されればいいだろうみたいな。それで大企業が生まれて、ゆりかごから墓場まで、全部面倒みてあげますと。

そんな思考に僕たちはいつの間にか、はまってきているんじゃない? そして経済学の名の下にそれが「効率的」だとしゃべっているわけです。でも、それって、そもそも人間とは何かというところから、すごく遠いところに実は来ちゃっているんじゃないのかな。

山崎:ゴリラ的英知がどんどんなくなっていて、猿に近づいていってる。

:そうそう。山極さんは「サル化する人間社会」と言っています。