Googleマップで見る真上からの1F

冨永氏(以下、冨永):現場はどうなってるのというのを、写真で。今、いくつかのルートで計画、視察することができます。実は、私も2度ほど現場視察をさせていただきました。

順番に1号機のほうから。これは実際……これは文明の利器、Googleマップが非常に便利でして。これがちょうど真上から見たところですね。

これが今、歌にも出てきましたルート6。

竜田一人氏(以下、竜田):ルート6ですね。

冨永:これね。で、途中で右に曲がる感じでね。

竜田:右に曲がれば……中央台の交差点が出てきますね。

冨永:はい。

竜田:こっち側(北の道を指し)かな? こっち(南の道を指し)か。こう通って、こう行くんです。今、このへん(第一原発の少し前)に警察があって。

冨永:各県警から順番に、輪番でチェックされる。だから、強硬突破は絶対できない。

竜田:その前に、警備会社の人が警備してる。そこに今、私の知り合いが……(笑)。

冨永:(笑)。ちょうど真上から見てるところですね。今、この入退館の管理はここで行ってる。竜田さんがいらしたころは、どこら辺でやっていたんですか?

竜田:入退域管理棟はここじゃないですか? 入退域管理棟がここにあって、大型休憩所があって。

冨永:あっ、ここだ。失礼しました。

竜田:(スライドを指して)ここで着がえて、ここを通って、原子炉建屋がこちらのほうにあるんですけども。

冨永:はい。

竜田:現場への出撃拠点となってるところが、ここ免震重要棟ですね。本格的な装備にこっちで着替えて、またぐるっと回って、こっち側のほう行ったりしてるっていうのが。

冨永:この中で、実際、現場をご覧になったことある方っていらっしゃいますか。

(会場挙手)

あっ、けっこういらっしゃいますね。やっぱり視察ツアーで行かれたんですか。

竜田:働いていたっていう人は?

(会場挙手)

冨永:おー、なるほど。ご存じない方に簡単に説明しますと、その正門の入ったところから、第2炉(原子炉)まで、実はかなり高低差がありまして。標高35メートルぐらいあります。原子炉が建っているところがちょうど10メートルで、25メートル坂を下って原子力建屋のほうに行く、となってます。

5メートルの高低差で運命がわかれた

冨永:この高低差っていうのが、実はミソなんですね。というのは、さっき5号機と6号機は津波をかぶらなかったっていう話があったと思うんですけど、5メートルだけ標高が高いんですよね。

だから、その5メートルの差で津波をかぶらなくて済みましたよっていう場所です。こういう高低差があります。もともとは植物がたくさんあって、きれいな敷地だったんですけど。

竜田:そうですね。「野鳥の森」と呼ばれていた敷地です。

冨永:ですね。すべてフェージングといって、モルタルで土をかぶせて、地表から放射能が上がってこないように防ぐと。あと、地下水もそうですね。

竜田:雨水が地下にしみ込まないような方法ですね。

冨永:という、こんな全体の敷地があります。では、それぞれ1号機から4号機まで見ていこうかな。

これが今言った、標高35メートルの高い丘から下を見おろしてるところです。奥に見えてるのが1号機。これが大熊通りですか。

竜田:ここが大熊通りですね。

冨永:いわゆるメインストリートのところですね。ここからぐるっと太平洋に向かって、坂をおりていく。

竜田:これが今、ちょっと姿が違うんですけども、これは原子炉建屋のカバーがかかっていたころの1号機ですね。

(写真が切り替わり)こちらが現在ですね。

冨永:はい。

竜田:今カバーを外すと、こんな感じで、上の鉄骨がむき出しになって。今、これを撤去しようという工事が進んでます。

冨永:これが、丘の上から見た2号機。ちょっと遠くから見てる。

竜田:これはさっき、まだカバーがあったころの1号機ですね。こっち側(写真の右側)が2号機。

冨永:その右側が2号機。

竜田:2号機は外観的にはなんの損傷もなかった。当時のペイントがそのまま見られます。

「明日に架ける想い」が込められた取り出し用カバー

冨永:こんな感じでね。で、3号機。

竜田:これは違います。

冨永:違いますね、すみません(笑)。間違えました。これですか。

竜田:この、これは作業構台っていうんですけども、これに囲まれてるのが3号機です。こっち側が35メートルのほうで、この坂を下っていくと、3号機の横に出る感じです。

冨永:プロジェクターだとちょっと見づらいんですけど、外壁に緑色の塗料がこう、ばーって(塗ってある)。

竜田:緑になってるのは、これは飛散防止剤っていうやつで、ここについた放射性物質がまた舞わないように、スプレーみたいに吹きつけた。

冨永:で、4号機。これは大分大きく変化してます。

竜田:これが4号機なんですけども、もともとあった4号機のかたちではなくて、このへんにちょっと……見えないかな。これは燃料を取り出すためのカバーですね。

冨永:幸いにして、地震のときにこれは稼働してなかった。実は下から見上げると、こういうふうに、逆のL字型の……。

竜田:これも燃料取り出し用のカバーですね。ここに、ちょっとだけ青いのが見えてる、これが4号機の原子炉建屋の本体です。この上に燃料プールが。

ここにあった使用済み燃料を取り出すために、クレーンを設置して、持ち上げて取り出してたんです。そのためのカバー設備ですね。これを2012年ぐらいまでずっと作っていて。これは実は、この4号機に負荷をかけないように、これだけで自立してるんです。ここには一切触れてないです。

冨永:こっちには一切、もとの4号機の建物や荷重がかかってない。

竜田:なので、土台もすごいしっかりつくって、このL字型を支えるようにっていう。(カバーを製作した)竹中工務店さん、すごい技術ですよね。日本の土木技術のすごいところをこれで見せろっていうことで、私はけっこう感動しました。

原子炉格納容器内の様子

冨永:今、このプロジェクターの写真だと大きさがいまいちわかんないですけど、かなりでかいです。うわっと見上げるくらいですね。

竜田:そうですね。

冨永:はい。これが今、1号機から4号機。若干写真が去年のだったりするので、もうちょっと現場は進んでると思います。

竜田:そうですね。

冨永:ちなみにご参考までに、実は今年、第二原発のほうにも視察に行かせていただきました。もちろん第二原発の事故は原子炉の中では起きてませんので、見学をさせていただくことができます。

ちなみに、これがちょうど原子炉格納の外側の様子です。そこの中、びっくりするかな? 奥にいるのが私です。

竜田:あっ!(笑)

冨永:(笑)。で、穴がありまして、入ることができます。これが原子炉格納容器の真下。この1個1個飛び出して、ぶら下がってるのが燃料棒だそうです。床がグレージングといって、金属状の格子の床になってます。

恐らく、今第一原発のそれぞれの原子炉の中に、デブリと呼ばれる溶けた燃料がいっぱいあるんじゃないかなと。造りがほぼ同じなので、第二原発を見ると、「あっ、恐らく現地ってこうなってるんだろうな」ってことが容易に想像できる。ロボットを通しているんじゃないかなあという、小さい穴があって。

こんなに小さな穴で格闘してるのは大変なことだなあっていうのを、現地に行くと見ることができます。(スライドが切り替わり)あ、これまだだ。すみません。ネタバレしてしまいました。

(会場笑)

「お疲れさまです」と返ってくる現場

そうだ、すみません。名乗らなかったですね。私、毎日メディアカフェの事務局で冨永と申します。よろしくお願いいたします。

実は私、毎日新聞の人間でもなんでもなくて。毎日新聞というのは、毎日新聞社とイーソリューションという会社、私はプレシーズという会社で、企画とかデザインをやってる会社なんですけども。

こういうメディアカフェとか、Webサイトとかを、私たちはつくっています。いつの間にか、なんかの進行までやらされる。こうやって前でしゃべるようになってしまった、ただの出しゃばりですけども。

なにが言いたいかというと、要は東電さんのほうが視察を非常に広く受け入れてくださった。ただ、誰もがっていうわけじゃなくて、ちゃんと身分を明かして「埼玉県に住んでるサラリーマンの冨永ですが、(中を)見たいです」っていうのをやって、許可をいただいて中を見させていただく。

私が非常に感心したのは、視察に行って、そういう状態で働かれてシフトで上がられる方と、入退館の施設のところですれ違うんですけど。見学しにきてる私たちに、働いてくださってる方々が「お疲れさまです」って、すごく元気よく。あれは感動しますよね。

竜田:でしょう。

冨永:いや、疲れてるのはあなたでしょうというところなんですけど、見学してきた我々に対して、「お疲れさまです」って。ついつい「ご安全に」って返しちゃう。

竜田:そう言っていただければ、みなさんうれしい。みんな気のいい、工事現場のおじさんなので。

冨永:はい。

竜田:でも、「視察の人とかには挨拶しましょう」みたいなことは、言われてるのかもしれませんけど(笑)。でも、気持ちいいですよね。

冨永:非常に統制のとれてる現場なんだろうなというのは、想像がつきました。

竜田:中にはお疲れの人もいますからね(笑)。あの、1個だけ。さっき、これを燃料棒って言いましたけど、燃料棒っていうのは……。

冨永:あっ、これは制御棒?

竜田:制御棒の下のいろんな計測器とか、そういうものが。

冨永:失礼しました。でも、第二原発でこういうふうに見れるっていうことは、すごく貴重な体験だったなと思います。