「仲代達矢についていく」豪華な共演者たち

司会者:そのキャストにちょっと触れましょう。

黒木華さんをはじめ、阿部寛さん、原田美枝子さん。小林薫さんという超豪華キャストです。これはみなさん、「仲代達矢さんと仕事がしたい!」ということだと思うのですが。

仲代達矢氏(以下、仲代):いやね。阿部寛さん。あの人はそう若くはありませんが、日本で一番のイケメンだと思いますよ。いや、本当に日本人離れしているし、芝居したら、芸がうまいんですよね。こんなことを申しますと阿部さんに失礼ですが、イケメンだけじゃなく、強烈な演技者。役者なのだと思いました。

そうしたら阿部さんにですね、「私、もう少しやる元気が出てきました。84歳でこれだけセリフを言うのだから」と。こんなことを言っちゃいけないのかもしれませんが、「51歳でも60歳でも70歳でも、やる元気が出てきました」と仰っていただいて。「あ、そう思ってくださったのだな」「よかったな」と思ったのですが。

司会者:みんな「ついていく」という気持ちなのだと思います。ほかにも、原田美枝子さんとは『乱』でご一緒されていて、このパンフレットでも“仲代達矢映画この1本”というのでみなさんが作品を選ばれています。

その中で、原田さんはやはり『乱』を選ばれているのですね。原田さんもやはり、黒澤明監督に鍛えられた女優さんだと感じているのですが、それはよろしいですか?

仲代:原田美枝子さんはですね、私は『乱』という黒澤先生の映画で共演させていただきました。あの強烈な演技は……。あとから聞いた話ですが、黒澤さんが1ヶ月かけて特訓をしたのだそうです。それで、私は『乱』に主役で出ておりますが、いや、かなわないなと思いました。

ただ、とにかくすごくイジメるのですよね。こないだアメリカで賞をいただいた『果し合い』という時代劇でも、すごくイジメるのですね。今度もお父さんを1人だけイジメるでしょう? だから初めてロケ地で会った時に「あなたまたイジメるの?」と……。でも、本当に素晴らしい女優さんですよね。

共演者たちに感じた「鮮度」

それと、さっき黒木(華)さんのお話が出ましたが、私はもう60年間も役者をやっていて、一番欲しいのは新鮮さです。引き出しはいっぱいありますが、昔からのものでは本当は使い物にならない。やっぱり新鮮さがないといけない。

私は日本で一番小さい私塾「無名塾」というのをやっているのですが、彼らを見ていると新鮮ですよね。素人だって、始めはそうですが、その鮮度が欲しいのです。

今度の映画で共演者に一番感じたのは、その鮮度ですね。

司会者:なるほど。

仲代:我々が一番欲しいのは鮮度だと。そうした意味では、勉強になりました。

司会者:まだまだ鮮度のある引き出しを出していただければ。

その黒澤監督の娘さんである(黒澤)和子さんが今回、衣装を担当されています。パジャマとコートを用意されたのは、和子さんですか?

仲代:そうですね。長いコートでした。ちょっと洒落てるじゃない。しかし出来上がった作品を見たら、あぁ、なるほど。兆吉さんに似合った衣装だなと思いました。老人ホームからの束縛を逃れて、自由を求めて、認知症でありながら自由に徘徊する主人公。

司会者:そうですね。

仲代:それに似合った衣装でしたね。

司会者:さすがですね。

演劇人は“長回し”が苦にならない

司会:それで今回、先ほどから名前が出ている小林政広監督のワンシーンの長回しの演出がすごく特徴的です。引きの絵があり、長回しがあり。

そこの中で、この本にも仲代さんは「長回しが嫌いではない」「演技者の側からいうとカットを割られる方が逆に辛いのだ」と書いてあるのですが、それはそれでいいのですか?

仲代:先ほどセリフ覚えが悪いと言いましたが、ちゃんと準備期間さえいただいて、全部頭の中に叩き込めば、長回しは苦になりません。もともと私は演劇人で、昔、俳優座というところに27年間いて映像と芝居を二股かけてやってきました。だから、セリフさえ覚えられればいいのです。

例えば映画の場合は、こっちでワンカット。はい、カット。今度はこっちでカット。といったようにワンシーンが短い方がちょっとやりにくいのですよ。気持ちのつながりがね、分断されるようで。

だからまぁ、小林政広監督の映画では、前作の『日本の悲劇』で、みなさんご存知だと思いますが、フィルムはだいたい長回しで10分〜15分なのですよ。それが最近のデジタルだと、1時間でも回ってくれます。

『日本の悲劇』の時も、後ろにカメラがあって、なん十分もワンカットで回してくれました。だから、基本的に言うと、セリフさえ覚えてれば、長回しの方がいいですね。

初日にラストシーンを撮ることもある映画ならではの難しさ

司会者:例えば映画の演技と、舞台での演技そのものはやはり違うのですか? それとも違わないのですか?

仲代:そうですね。私は20代で演劇を始めまして、映画も出てやってきましたが、その頃しょっちゅうそれを聞かれました。映画演技と演劇演技とどう違うのだということを。

司会者:高峰秀子さんにはそれは違うと言われたそうですね。

仲代:だいたいね、演劇俳優は映画俳優をバカにしているのだと高峰さんがおっしゃたことがあるのですが。「バカにしていませんよ!」というのは、映画は書くものが短かいから。

我々演劇では、2時間あるものの主役をやりますと、2時間喋りっぱなしということがあるわけですよ。それだから、そうおっしゃるのだと思いましたが。

しかしね、映画の役者は時によっては初日にラストシーンから撮るのです。だから、それをずーっと分析しておかなければいけない難しさがあります。

それから、山田五十鈴大先生は、私が一度お相手役をさせていただいた時に「仲代さん。相手のセリフを覚えなさい」と。まず相手のセリフを覚えて、それから自分のセリフを覚えるのだとおっしゃいました。そういった大事なことを未だに、年寄りの頭ですが実行しております。

佇まいだけで役を演じていた小林薫

司会者:ありがとうございます。

今回の映画は、すごく私の好きなタイプなのですね。なぜかと言いますと今回、桑畑さんの人生をしっかりと描いている一方で、それぞれの登場人物のバックグラウンドもちゃんとあります。

映画が終わった後、その登場人物たちの次の運命、および人生はどうなるのだろうと想像させるのが、私の好きなタイプの映画なのですが、まさにそうなっていて。例えばラストシーンの向こう側、原田さんと小林(薫)さんによるあの2人が、その先どうなっていくのかということがすごく興味深いですよね。

仲代 :小林薫さんにね、セリフは少ないのですが、最後の大事な時にポツンと言うセリフがあるのですよ。「うらやましいなぁ」と小林監督に言ったのですけど、見事にそれを演じて、セリフ覚えの苦労もなしで。

(会場笑)

このね、幕を閉めるような。

司会者:ただ、立って佇まいが役を演じている中で素晴らしかったですねぇ。

仲代 :あの一言で、これからどうなるのだろうと思わせる。

司会者:本当にそうですね。

往年の名作映画へのオマージュ

司会者:もう1つなのですが、最後に兆吉さんが若かった頃に夢を抱くきっかけとなった1本の映画を語るところにすごく感動したのですよ。それも、実は仲代さんが自伝の中でいろんな映画に感銘を受けてきたからであり、そのタイトルが出てきていない映画なのですね。

それが脚本に書かれていたということは、小林さん側の思いで1本の映画を取り上げたということでいいのですね?

仲代:そうですね。

司会者:はい。ここで、少しバラしますと、1940年代のアメリカ映画なのですが、とある主人公が、人生に絶望する映画です。それを天使が助ける。はい、ここでわかる人いますか? 

よくあるじゃないですか。このタイトルを言ってしまって、このトリビアをバラすなよという。ですから今回のその映画のタイトルはバラされてはいません。ぜひ、それを紐解いてください。それが一発でわかったら、おそらく映画検定2級は受かります。それくらい、いい映画を今回取り上げていて、そこに私はすごく感銘を受けました。

それも脚本通りということでいいということですよね?

仲代:そうですね。

外国映画が最初の先生だった

司会者:でも仲代さんは、その映画とは違う映画を見て「あぁ、この映画のようになりたい」「この映画のような役者になりたい」といった作品があったわけですよね。

仲代:はい。ありました。戦後ですね。終戦の時に私は中学1年生でして、それから敗戦を迎えてから、今までずっと禁止されていた外国映画を観たのです。

まず、ジョン・ウェインさんの『駅馬車』などに興奮しましたね。もう、3食を1食にしてまで映画を観たのです。年間300本も見ました。それをわりと自慢げに言ったら、亡くなった武内亨さんに「俺は310何本見た」と言われまして、私は負けたのです。

いやぁ、今まで本当に役者をやってきた中での先生は、いわゆるアメリカ映画、もちろん日本映画、それからヨーロッパ映画ですねぇ。ジャン・ギャバンとか。私が3年間通った俳優座養成所という俳優学校時代に一番好きだったのは、マーロン・ブランドさんですね。マーロン・ブランドさんの中で1本なにを選ぶかと言えば『波止場』です。これが大好きでしてね。

その頃、僕は俳優4期生で、同期生には亡くなった宇津井健などいろいろいるのですが、みんなマーロン・ブランド。歩き方も、目つきまでも、日本語じゃない外国語なのに“マーロン・ブランド語”で喋るのですね。私はずいぶんそれの助けを被っています。だから、いかに観ることが大事かということですね。アメリカ映画、ヨーロッパ映画が私の役者としての一番最初の先生です。

司会者:アクターズスタジオ対俳優座。養成所の闘いでございますね。

仲代:無名塾というものを作るのですが、アクターズスタジオというのをその後訪ねまして。その頃の校長はリー・ストラスバーグという俳優さんでした。

「私のところでも俳優を育てているのです」と言ったら「どのくらい(生徒を)とってるの?」と聞かれて、とてもそのアクターズスタジオとは格が違って「5人くらいとってます。5人から1人でもプロになれるといいのですが」と言ったら、「それは贅沢というものだ。やっぱりね、素晴らしいプロの役者は、何十万人に一人しか出ないんだ」と言われて、半分がっかりしたという思い出があります。 

司会者:素晴らしいエピソードですねぇ。ありがとうございます。

ビジュアルに執拗なこだわりを見せた黒澤明監督

司会者:それではちょっとここで『海辺のリア』を離れまして、せっかく仲代さんをお招きしているのですから、映画を作る中で共に情熱を傾けた監督たちとのお話をさせていただければと思います。

まずは、黒澤明先生です。今日、お聞きしたいのは、あえて時代劇ではありません。この間、NHKのBSで思わず見てしまった『天国と地獄』。本当に戸倉警部が最高にかっこよかったのです。

それまで『用心棒』『椿三十郎』と時代劇が続いてきたのに現代劇ということで、悪役から正義の側に回る。侍から、スーツ姿に変わる。実際そういった違う演技や芝居の要求やアドバイスはあったのでしょうか?

仲代:いろんなところに書きましたが、一番初めは『七人の侍』という映画で、1日中歩かされてNGの繰り返しで終わったりました。「もうしょうがない! 俳優座は歩き方を教えてないのか?」と言われました。時代劇は初めてでしたからね。

それでまず最初に叩かれて、その後『用心棒』で三船(敏郎)さんとの共演で斬られて、次に『椿三十郎』で室戸半兵衛というのが、これも最後、血をブワァーッと流す役なのですが。

その後『天国と地獄』という現代劇でした。その時に黒澤先生が仰ったことは、「あのねぇ仲代くん。ヘンリー・フォンダでやってくれない?」ときたわけですね。私はヘンリー・フォンダが大好きでね、いやぁ、あんな感じでね。

いわゆる『天国と地獄』では、ご存知だと思いますが、狂言回し的な役ですね。刑事、警部の役。ヘンリー・フォンダでやってくれということは、今までは『用心棒』や『椿三十郎』にしてもアクが強い役です。それをスッキリとやってくれという意味かなと思ったのです。

それから、メーキャップテストというものがありまして。黒澤さんは一人の役者に対してメーキャップテストを1週間もやります。

『乱』という映画でも強烈にやるのですが、『天国と地獄』の時は「君ねぇ、額が狭くてどうしようもない」と。当時の私は額が狭かったんですねぇ。「ちょっとね、ヘンリー・フォンダにしちゃ額が狭いなぁ」と毎日、剃られるのですよ。

司会者:時代劇じゃなくても。

仲代:黒澤先生がそのように仰って、それでずっと撮影したのですが、毎日メーキャップ室に入るとスタッフの人がカミソリでここを剃るのですね。そこがやはり、黒澤さんはもともと絵描き志望なので、かたちから入る。まずこの役者が出てきたら、どういう役かというのを、見た目でまず、お客さんに知らしめようとするのですね。

司会者:その姿で、権藤邸の中での10分間の長回しをやられたってことですよね。

仲代:新聞記者の方が使っているように、いわゆる経過報告をするのですが、それはやっぱり10分間撮りました。

約4台のカメラがきたけれど、新聞記者の役の三井弘次さんが後ろに黙って座っていらっしゃっていたり、志村喬さんであり、藤田進さんがいたり。その時に10分間の長ゼリフを言うのは「いやぁー困ったな」と思いましたが、なんだか神様が助けてくれたのか、ワンカットOKでした。

(会場拍手)