ローランド・マーティン氏の破天荒なスピーチ

ローランド・マーティン氏(以下、マーティン):みなさん、調子はいかがですか?

(会場歓声)

マーティン:たったそれだけ? 

(会場歓声)

マーティン:本当にそれだけ? じゃあ、もう一度聞いてみましょう。みなさん、調子はいかがですか?

(会場歓声)

マーティン:そう、そうです。良くなりましたね。この場でみなさんにお会いできて、本当に、本当にうれしいです。この日を待ち望んでいました。

大学のキャンパスに行くとなると、たいてい卒業スピーチの話をします。そして、それがどれだけ真面目な状況であるのかということと人々が話すことを私は理解できませんでした。まるでお葬式かなにかのように話すのです。

私はそのようにはできないし、そのように(スピーチを)進めるつもりはありません。

ですから私はここにバンドが来て、一緒に盛り上がれたらと思います。実際、グランブリング(州立大学)で話をしたときにはそのようにしました。その他の来賓演説者たちは、ついてこれなくて怒っていました。

しかし私たちは何か別のことをするつもりはありません。壇上の兄弟のみなさん。今晩はまず、はっきりさせておいておきたいです。私は、卒業ソングの良さを認めるために歴史的黒人大学に来たのです。

(会場歓声)

マーティン:ですから、私はここで何かをすることを実際に許可されています。ここですべての規則を破ります。

彼らは私がここで、ツィートをしたり潜望鏡でのぞき見できないといいましたが、みなさんも見てのとおり、私はそうしました。

(マーティン氏が壇上の机にSNS上で実況できるよう、カメラを設置)

マーティン:こうして私は、スピーチをFacebook上でライブ放送します。

さて、この卒業クラスのなかで、誰が歌をちゃんと歌うことができますか?

(会場の反応に対して)違う違う、違います。では、はっきり言いましょう。私には150万人のフォロワーがいます。もし普通の人が歌ったら、(SNS上で)その人のことを悪く言ってしまうでしょう。

さて、だれが本当に上手に歌うことができるでしょうか。みなさんが誰かを指名してください。そこの立ち上がった人! 立ち上がった人がちゃんと歌うことができます。

兄弟、あなたがここに来なさい。そこの兄弟、ジョン・モリス。君でしょう? ジョン、こちらに来なさい。

(会場拍手)

マーティン:話したとおりでしょう。私は規則を破ると。私は、ちょっと普通とは違うことをするとみなさん認めています。さあ、ジョン! 調子はどうですか?

ジョン・モリス氏(以下、ジョン):いいですよ。

マーティン:ジョン。私はとっても黒人的な歌が必要です。教会でも、なんでもそれを感じさせるもの。そういうものを歌いますか? 

ジョン:はい。

マーティン:まるでイエス・キリストがあのドアを通ってやってくるかのような、感激するものを。

ジョン:どんな感じで?

マーティン:それは気にしません。あなた次第です。あなたには時間が3分あります。

ジョン:3分ですね。

マーティン:さあ、はじめて! カモン!

(ジョン・モリス氏が歌う)

(会場拍手)

マーティン:大変結構でした。

名門大学を卒業したからといって優れているわけではない

マーティン:やっと話せますね! では、やらなければならないことをやりましょう。話し始める前にしておかなければいけないことが1つ残っているんです。幸運なことに、私は自分のテレビ番組を持っています。つまり、私の好きにできる番組を持っているということですけどね。自分に権限があるテレビ番組です。

そんなわけですから、大統領はちょっとお呼びではないですね。私たちは2016年のバージニア州立大学生です。今見てるのはTV ONEのローランド・マーティンの「News One Now」です。月曜に地上波に乗りますよ!

(会場拍手)

マーティン:ちょっと音を拾うのでちょっと後ろを向いて。3つ数えますよ。1、2、3、数えて!

(会場、「1、2、3」と数える)

マーティン:OK、ちょっと物足りないな。もう1回! 1、2、3!

(会場、再び「1、2、3」と数える)

マーティン:そうそう、その調子。期待通りの反応をしてくれたおかげで時間が無駄にならなくて済みました。

TV ONEで黒いことをすると黒色人種であることを詫びなければなりませんからね。

(会場拍手)

マーティン:ここにこうして立てるのは大きな喜びです。一人ひとりしっかり見てますよ。何について話すつもりか聞いてくる人がいたのですが、「それはなかなか良い質問ですね」と私は答えました。「私はスピーチを書いていませんからね」と。彼らはいくつかの提案をしてくれたのですが、結局のところ、提案通りの話はしません。

ここに来るまでの間、車の中で何を話そうかと考えました。同じスピーチは繰り返したくないし、まあ、スピーチを書いたりもしていませんし、じっくりと考えていたのです。そしたら、2つの単語が頭に浮かんだのです。「game time(ゲーム・タイム)」です。スピーチの主題を決めることはいつだって気が遠くなる思いです。話しっぱなしで済むというわけではないですからね。

何について話していましたっけ? 「ゲーム・タイム」ですね。黒人に自分が話したことを覚えておいてほしいのなら、話したところに印をしておいてくれないとね。そうしてもらったら話したことも忘れないのですが。

私は人が名門大学の卒業というものについて話そうとする時にはいつだって耳を塞いでしまいます。「どこどこ大学を卒業したのは名誉なことなので胸を張って声を大にして言える」なんてことばかり言っているのですから。

名門大学を卒業した人はそれだけで優れているというわけではないでしょう。卒業してからの功績によるのですから。名門大学を卒業したからと言って、誰もがそれを讃えられるわけではないのです。全員が名誉ある卒業生になれるわけではないのと同じです。

ともあれ、私はかなり良い線をいっていましたが。仕事をするためにきちんと書類も出していましたからね。私が卒業した97年には誰も卒業証書の提示を求めなかったし、成績も見せませんでした。嘘をついたってわかりませんでしたから。

私たちは名門大学の卒業についてあれこれ言いますが テキサスA&M大学の歴史上もっとも素晴らしいジャーナリズム学科の卒業生は、私はすごくいいと思うのですが、カントリー歌手でした。その人に出会った時、私は彼に彼がどれほど私の大学生活に刺激を与えてくれたのかを語ったのです。彼は「それは素晴らしいね」と言いました。私は「あなたの歌のおかげじゃないんだ、ジャーナリズム学科を大学史上優秀な成績で卒業することがカントリー歌手になることとは結びつかないからだ」「ジャーナリズムの世界に入るのが当然なのだから」と言いました。「冷たいこと言うなよ」と彼は言いました。「自分に正直なだけだ」と。

なかには、名門大学卒業生らしくすることを望む人もいるでしょう。しかし、私はその考えには反対です。名門大学卒業生らしくする、ということは大学が望むかたちの人生を歩むということなのですから。さあ、今がゲーム・タイムです。お膳立ては整っています。

高みを目指す人は試合時と同じやり方で練習をする

スポーツをたしなむ人に聞いてみて下さい。高校で、中学で、小学校で、余暇で、全てのゲームにおいて、準備がその後のゲームを左右し、決定します。準備運動をしなければ、ケガをします。ルールブックを読まないとゲーム中にっちもさっちもいかなくなります。もしもの時の対応に備えておかなければゲーム中にまいってしまいます。同じ所ばかり走っているだけの練習では試合中体が持ちません。

ジェリー・ライスが素晴らしいのはそこです。ジェリー・ライスは試合中とまったく同じ状態での練習をするのです。試合中と同じぐらいの素早さで走り込むのです。どんな練習をしたかによって大きな試合での振る舞いが変わってくるからだ、と。

『ア・フュー・グッドメン』を観たことのある人はどれくらいいますか。ジャック・ニコルソンやトム・クルーズが出ていた。「真実はねじ曲げられない」というセリフが出てくる場面を覚えていますか。ハリウッドは真実そのものを撮っているわけではありませんよね。ハリウッド映画の撮影では、出演者がみな一緒に撮影に臨むわけではありません。トム・クルーズが話して、ジャック・ニコルソンが話して、別々のカメラでその様子が映し出されます。

私もいくつかの映画に出たことはあるのですが、毎日どうすればいいのか、と言っていた覚えがあります。2匹の犬を同時に引き連れているような状況に私が対処できるかと考えたら、ちょっとどうかと思いますね。私は3台のカメラの前で小一時間好きにさせてくれる生放送が好きなのです。

しかし、DVDに書かれてある解説によると、監督はこう言っています。通常、トム・クルーズのセリフだけを撮る時には、スタッフか誰かにジャック・ニコルソンのセリフを読んでもらって撮るという方法を使うのですが、ジャック・ニコルソンは彼の撮影ではないときでも、自分で自分のセリフ読みをするのだとか。カメラが回っていないところでも、撮影時と同じ力を出して、です。トム・クルーズに実際に自分と話している感じを掴んでもらうために、です。

より高みを目指す人はこういうことをするのです。試合時と同じやり方で練習をするのです。

今日、この日、あなたたちは卒業の日を迎えました。手にした単位と共にこのキャンパスから社会へと去る時を迎えたのです。世の中へ一歩踏み出すということがどんなことなのかは知っているでしょう。そして、あなたが今までやってきたことが、明日一歩を踏み出す時の真価となるのです。あなたがこの先仕事で頭角を表すか、今日箱を抱えてこの場を去るか、の真価です。

あなたの今の決断で、お母さん、お父さんが引退できるかどうかが決まるのです。笑っている人もいるようですが、私はふざけているわけではありませんよ。

私は14歳の頃にジャーナリストになることにしました。高校で報道の道を選んだのです。それから34年間、自分がしたいことは変わってはいません。私自身に関して言えば、いつでも最善を尽くすことに全力を傾けているのです。誰かとどうこうするのではなく。神が与えてくれる力を手にして最大限に活用し、天国へ行った際にこう言いたいのです。神が与えたもう力のすべてを出し切りました、と。

(会場拍手)

マーティン:高校や大学の時、私の父は「どうして夜の8時や9時に学校に迎えに来なきゃいけないんだ?」という感じでした。イベントを開催していて、私が担当しているプログラムがあるから、と言ったのですが、振り回されていましたね。何のためにスクールバスがあるんだ、と。スクールバスは3時に迎えに来るけど、遅くまでかかるんだと私は言ったものです。大学でも同じでした。父は理解しようとしてくれました。現在、お父さんはダラスの私の家に家賃は私持ちで住んでいます。

(会場拍手)

父と母は私の家にいて、母のために私が買った車に乗っています。結婚50周年をお祝いで、来年の6月には私持ちでパーティーを開きます。あの時に送り迎えをしてくれたからこそ、今になって私が支払った車に乗ることができるのです。

人生の大勝負に出るのなら、損得勘定はしないことです。今の決定が、後の揺るぎない結果となるのですから。

あなたの大学卒業時の決定は、後のあなたの子ども、そのまた子どもの人生にも影響を与えます。私たちは人生になにか問題が起きると、それを単に自分だけの問題にしがちです。しかし、そうではないのです。人生にどんな変化球があなたに投げられているかその時は知る由がないのですから。

私たちは、iPhoneやサムソンのGalaxy-7の恩恵を受けるために費やされた過程をいちいち意識しません。後にその恩恵を受けるのみです。物事は突然変わります。物事が突然今までとはまったく違った状況に陥った時、あなたはスポーツの試合の時のように逆境に立ち向かわなければいけません。試合を制する方法を何か考えるでしょう。しかし、その方法が通用しなかった時にどうするかが未来を決定付けるのです。