自分はすべてやり尽くした

記者2:日本テレビのスズキと申します。現役生活本当にお疲れさまでした。

浅田真央氏(以下、浅田):ありがとうございます。

記者2:どうですか? 先ほどちょっと喉を潤していましたけれども。

浅田:すごいもう……熱気もけっこうすごいですし、たくさん喋るので喉が乾いちゃいました。

記者2:よければどうぞ、一口。

浅田:今、はい。飲みました。

記者2:アスリートならば誰もが迎える引退という日なんですけれども、どうでしょう。自分が思い描いていた、イメージしていたかたちと、実際にこの日を迎えられていかがでしょうか?

浅田:本当に、発表するまで、あまりこう自分の中ですごい実感というのはなかったんですけど、またこうして改めてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ「ああ、引退するんだなあ」という気持ちは湧いてきますね。

記者2:気持ち的には寂しいのか、少しホッとしているのか。あるいは清々しいのか。いかがでしょう?

浅田:本当に晴れやかな気持ちです。

記者2:これからスケート靴をあまり履かない生活、リンクから離れた少し暖かい生活が待っていますけれども、そのあたりはいかがでしょうか?

浅田:そうですね、私は1月から3月までは……、あ、今4月(笑)。1月から4月までは、スケート靴を持たず、滑らずにずっといました。でも7月にショーがあるので、もう滑り始めます。

記者2:最後に1つだけ。今清々しいという気持ちがありましたけれども、なにか1つ現役生活でやり残したこと、なにか悔やむことというのはありますでしょうか?

浅田:うーん……。決断をするにあたって、本当にたくさん悩みました。でもそういった「やり残したことはなんだろう?」って思うことがなかったので、それだけ本当に、自分はすべてやり尽くしたんじゃないかなっていうふうに思います。

記者2:ありがとうござました。

浅田:ありがとうございました。

たくさんの方に応援してもらえて、本当に幸せ

記者3:テレビ朝日のオガワと申します。本当にお疲れさまでした、そしてありがとうございましたとまずはお伝えしたいです。

浅田:ありがとうございます。

記者3:今日は白いブラウスに白いジャケットというお召しものですけれども、その真っ白のお洋服に込められた思いというのはあるんですか?

浅田:はい。黒のスーツか白。どちらにしようかいろいろ悩んだんですけれど、でも自分の気持ちとしては本当に晴れやかな気持ちなので、この服を今着ています。

記者3:すごく清々しい思いというのが伝わってくるようでもありますけれども、これまでの真央さんの競技人生の中で、何度も出てきた言葉というのが「ノーミス」だったと思うのですが、そこまで完璧、パーフェクトということにこだわり続けたのはどういう思いがあるんでしょうか?

浅田:やっぱり失敗はしたくないですし、これだけ試合に向けて、練習してきているからこそ、誰もがミスしたくないと思うと思うんですけど、自分はそんなに試合に強いタイプではなかったので、あえて自分で言っていたんじゃないかなと思っています。

記者3:それからもう1つ。真央さんと言えばトリプルアクセルだと思うんですが、このトリプルアクセルというのは、真央さんにとってどんなものでしたか?

浅田:はい。えー……。私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが飛びたいと思って、ずっとその夢を追ってやってきたので、本当に飛べた時はすごく嬉しかったですし、自分の強さでもあったと思うんですけれど、その反面やっぱり悩まされることも多かったです。

記者3:もう1つだけ。真央さんは5歳の時にスケートをはじめられましたけれども、今、もしタイムスリップをして5歳の時の自分に会うことができたら、どんな言葉をかけますか?

浅田:うーん、難しいなあ……。そうですね、「がんばって」って。

記者3:「がんばって」と。それはどういう思いを込めて?

浅田:やっぱり私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援してもらえて、本当に幸せだなと思いました。なので、大変なこともあったんですけど、自分に対してエールを多分おくると思います。

世界の子供たちへのアドバイス

記者4:朝日新聞のゴトウです。どうもお疲れさまです。以前浅田選手が、子供さんたちと接している様子がすごく印象に残っているんですけど、浅田選手の経験から、世界の子供たちになにかアドバイスというか、声をかけられることがあるとしたら、どんなことでしょうか?

浅田:私は小さいころから本当にスケートが大好きで、ただただスケートが大好きでやってきました。なので、今から始める子だったり、今がんばっている子には、「スケートを大好きな気持ちを忘れないでね」って言いたいかなって思います。

記者4:(聞き取り不明)

浅田:私は本当に子供が大好きなので、以前にもスケート教室はやっていたんですけど、また機会があればぜひやりたいなと思っています。

記者4:ありがとうございました。

記者5:NHK『ニュース7』のタカイと申します。浅田さん、お疲れさまでした。浅田さんにうかがいたいのは、やはりトリプルアクセルのお話なんですけど、先ほど自分の強さでもあり、悩まされる存在でもあったということなんですけど、あえてトリプルアクセルに声をかけられるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

浅田:難しい(笑)。……トリプルアクセルに声をかけるんですよね?(笑)。

記者5:そういう存在だとして、「もう困っちゃったよ」という感じなのか「ありがとう」という感じなのか、どういう感じでしょう?

浅田:うーん、「なんでもっと簡単に飛ばせてくれないの?」っていう感じです(笑)。

(会場笑)

記者5:もう1つ。先ほど「よくここまで続けてこられた」とご自身に声をかけたいというお話がありましたが、続けてこられた支えとなったものはなんだったのでしょうか?

浅田:1つはやっぱり自分の目標ですね。それだけではないですけど、たくさんの方に支えられて、たくさんの方の応援があったからだと思っています。

記者5:1つは応援。ほかにはありますか?

浅田:今思いつくのは、そんな感じですね。

記者5:ありがとうございます。

最終的に決めたのは自分自身

記者6:共同通信のヨシダと申します。引退の決断まで時間がかかったかと思うんですけど、今年の世界選手権で五輪の枠が3から2になることが決まりましたけど、それをどう受け止めてらっしゃったかというのと、それが引退の決断に影響したのかどうかをおうかがいできますでしょうか?

浅田:私はさっき自分で言っていた、「平昌オリンピックに出る目標をやめてしまう自分が許せるのかな? 許せないのかな?」って思いながらずっと過ごしてきて、最終的に最後話し合いして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなくて、自分自身が最後決めることですし。そんな感じで決めました。

2枠になってしまったことに関しては、残念なことではあると思うんですけど、やはりその2枠をたくさんの選手の子たちが争うわけなので、本当にハイレベルな試合になるんじゃないかなと思っています。

記者6:もう1点だけよろしいですか? 2月に決断して4月に発表になったというのは、その2ヶ月くらいはどういう流れ、どういう思いがあったのでしょうか?

浅田:いろいろと自分の気持ちの準備もあり、今日にいたりました。

記者7:TBSのウナイと申します。本当にたくさんの感動をありがとうございました。

浅田:ありがとうございます。

記者7:あの、引退を決意する前に「本当に、目標を掲げたのにここでやめていいのかな」と悩んでいたとおっしゃっていましたけれども。この、全日本選手権が終わってからの3ヶ月間、いったいどなたが決断を後押ししてくれたのか、心を軽くしてくれたのか。教えてください。

浅田:家族だったりお友達だったり、そういった方に相談はしました。本当にみなさんそれぞれいろんなアドバイスはくれたんですけれども、最終的に決めたのは自分自身なので。その中でも旅行へ行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行ったりして。その中でも考えながらずっと日々を過ごしてきて決断をしました。

記者7:最終的にはご自身の中で決断ができたということなんですね。

浅田:はい。

記者7:21年間という非常に長い競技人生、本当に続けていくこと自体が大変だったと思うんですけれども。なにか、どなたかにかけられた一番印象に残っている言葉だったり、ご自身が一番大切にしている言葉、なにかありましたら教えてください。

浅田:そうですね。でも本当にこの決断をしてからは、本当にたくさんの方が温かいメッセージを送ってくださったので。私自身、本当に晴れやかな気持ちで今、この場にいます。なので、やっぱり感謝という気持ちはこれからも忘れずに進んでいきたいなというふうに思っています。

記者7:ありがとうございます。

伝説のソチ五輪を振り返る

記者8:日経新聞のハラですけれども、浅田選手が試合に出始めた21世紀の初めのころ……というと変ですけれども(笑)。今こんなに多くの人がきて、ショーも行われて、たくさんの人がフィギュアという競技に興味を持つようになってきたと思うんですけれども。こうやって日本でフィギュアがブームになって、世界としても強い国になったり、浅田さんとしても自分はどういうふうに貢献と言うか、力になったのかなと思うのかということ。

あと、自分が越えてきたことが、これからも日本のスケート界が続くために、どういうふうにしていきたいと思っているのかを教えてください。

浅田:はい。私が小さい頃というのは、伊藤みどり選手をはじめ、本当にトップの素晴らしいスケーターの方々がいました。私はそのスケーターの方々を見て「私もこうなりたい」と思って、ずっとそれを目指してやってきました。そしてジュニアだったりシニアに上がってからは、本当にスケーターそれぞれが強くて、魅力のある選手が集まっていて。それぞれがいい刺激をし合いながら、切磋琢磨してがんばってきました。

そしてそれを応援してくださるメディアの方やファンの方がいてくださったから、フィギュアスケートもたくさん注目されるスポーツになったんじゃないかなと思っています。なので、これからのスケーターの子たちには、みんなでそれぞれ高め合って、刺激をし合いながら、がんばっていってほしいなというふうに思っています。

記者9:ニコニコ動画のナガオと申します。お疲れさまでした、そしてどうもありがとうございました。

浅田:ありがとうございます。

記者9:これまでたくさんの山があったとおっしゃいました。あの伝説のソチ大会についておうかがいしたいんですけれども。ショートプログラムの20数時間の間に、どのようなきっかけで立ち直って、あの世界中が感動したフリーの演技につなげることができたのか。各種報道はあるんですけれども、立ち直ることができたきっかけについて、改めてお聞かせください。

浅田:はい。ショートが終わってからは本当に「ああ、日本に帰れない」と思って、辛い思いもしたんですけれども。そのフリー当日の朝もまだ気持ちは切り替わっていなくて、「ああ、このままで大丈夫なのかな」というかたちで、公式練習を終えました。でも試合が近づくにつれて、メイクをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間に、すごく会場で。「ああ、これはもうやるしかないな」という思いが出てきて。ようやくそのときにですね、「やるしかない」って思いました。

記者9:競技が終わった瞬間はどうでしたか? 満面の笑みだったんですけれども。

浅田:最後のポーズは上を向いていたんですけれども「ああ、終わった」って思いましたね。それと同時にやっぱり「よかった」という思いはすごくこみ上げてきて、ちょっと涙してしまったんですけれども。バンクーバーのときも悔し涙を流していたので、泣いてちゃダメだなと思ってがんばって笑顔にしました(笑)。