辛いと思ったことはありません

記者1:それでは、現役生活を振り返っていただきます。初めてスケート靴を履いた日のことを覚えていますか?

浅田真央氏(以下、浅田真央):私は……5歳だったので覚えてないんですけど、ヘルメットをかぶって、スキーウェアを着て、肘当て・膝当てをしていたのは写真に残っているので、覚えています。

記者1:どうですか? それから20数年間。スケートをやってきて一番楽しかったことはどういうことでしたか?

浅田:やっぱり小さいときに、フィギュアスケートはいくつも技があると思うんですけど、その技ができるようになったときは本当に楽しい気持ちで、「次は2回転飛びたい」「次は3回転飛びたい」という思いがすごく楽しかったです。

記者1:逆にプレッシャーを背負って辛かったこともあると思いますけど、辛かった部分は今どう受け止めていますか?

浅田:辛かったことはそんなになくて、やっぱりこの道を選んできたのも自分ですし、自分がやりたいと思って望んでやってきた道なので、辛いと思ったことはありません。

記者1:2回のオリンピックを振り返っていただきます。まずはバンクーバーオリンピックでは銀メダルを手にしました。バンクーバーの思い出を今振り返っていかがですか?

浅田:バンクーバーは19歳だったんですけど、10代ですごく若くて、本当に気が強くて、本当にその強い気持ちだけで乗り越えてきたなという感じがします。

記者1:そして4年後のソチオリンピックではすばらしいフリーで国民に感動を与えてくれました。ソチオリンピックを振り返って、今どんな思いでいらっしゃいますか?

浅田:ソチオリンピックは、やはりショートが残念な結果だったので、気持ち的には本当にすごく辛い試合ではあったんですけど、フリーで最高の演技で終えることができて、あの気持ちの状態から、バンクーバーからソチの4年間の思いをすべてその4分間に注ぎ込めたと思っています。

記者1:2度のオリンピック経験というのは、浅田さんにとってどんな経験になりましたか?

浅田:私の今後の人生においてもすごくいい経験だったり、いい思い出だったのかなと思います。

記者1:そして3回の世界選手権の優勝。これは日本人最多です。印象に残っていることはなにかありますか?

浅田:世界選手権で2回金メダルを獲ったあとは、すべてオリンピックのあとの世界選手権だったので、オリンピックの悔しさを世界選手権で晴らせた大会だったと思うんですけど、最後の世界選手権が気持ちの中では最後だと思って臨んだ試合だったので、今までのスケート人生をすべてプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権が一番思い入れが強い試合でした。

最も印象に残っている演技はソチのフリー

記者1:現役生活でもっとも印象に残っている演技、いま1つ選べと言われたらどれになりますか?

浅田:難しいですね、1つというのは。やっぱりソチのフリーかなと思います。

記者1:やっぱりあの時間に込めた思いは大きかったですか?

浅田:そうですね。気持ちがいままでの試合以上に落ち込んでたり、つらかったりした部分もあったんですけど、それでもあれだけの挽回の演技ができたこと、それにそれがオリンピックであったことが一番よかったかなと思いますけど

記者1:長く指導を受けた2人のコーチついておうかがしたいと思います。まずは山田コーチについて、長くご指導されたかと思いますけど、どんな思いがありますか?

浅田:はい。満知子先生(注:山田満知子氏)は、小さい頃に指導を受けてたんですけど、スケートの楽しさであったり、挑戦することの楽しさについて教えてもらいました。その一方でスケートだけではなく、いろいろなことを教えてくれた先生です。

記者1:そして佐藤コーチ、佐藤コーチへの思いはいかがでしょうか?

浅田:はい。佐藤コーチは大人になってから指導を受けたんですけど、自分の意志も強いので、先生といろいろ話す機会も多かったんですけど、それを静かに、見守っていてくれてた先生でした。

記者1:特に休養が終わってからの2シーズン目から、佐藤コーチとのやりとりもいろいろあったと思います。振り返ってみて、この2年間の意味、復帰してからの2年間の意味というのは、ご自身でどう捉えていますか?

浅田:ソチオリンピックのシーズンで、世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、いまも自分が「まだできていたんではないか」と思っていたと思います。でも、自分が望んで復帰をして、チャレンジして残した結果なので、ほんとにいまは、自分でもう一度チャレンジすることができてよかったなと思っています。

記者1:それでは今後のことについてうかがいます。まずは今後、浅田さんがどんな仕事をしていくのか注目されると思いますが、浅田さんの中でどんなプランがありますか?

浅田:まず本当に、すぐ夏にあるのがザ・アイスのアイスショーなので、そこでまた選手生活を終えて、はじめて滑るので、いい演技を目指してがんばりたいなと思います。

フィギュアスケートは人生

記者1:フィギュアスケートにどういうかたちで携わっていくんだろうと、我々は考えるんですけれども。そのあたりはいかがですか?

浅田:やはり私、5歳からスケートを始めて。今までスケートにお世話になりました。なので、これからどんなかたちであってもフィギュアスケートに恩返しができるような活動はしていきたいなというふうには思っています。

記者1:具体的なプランはこれからという感じですかね?

浅田:そうですね、はい。

記者1:そして、日本フィギュア界についてうかがいます。浅田さんに憧れてフィギュアスケートを始めた人たちがどんどん出てきています。そういった人たちに向けて、今後のエールをお願いします。

浅田:はい。えっと、そうですね。引退された本当に大先輩の方々をはじめ、私も引退をすることになったんですけれども。今まで本当にスケート界を引っ張ってこれたかなというふうに思っています。これから本当に……。今若い選手が本当にどんどん出てきていますので。若い選手が若いパワーでフィギュアスケート界を引っ張っていってほしいなというふうに思います。

記者1:浅田真央さんにとってフィギュアスケート、改めて今振り返ってみてどんな存在ですか?

浅田:存在……。どんな存在ですかね。難しいですけど(笑)。一言で言うとやはり人生かなというふうに思います。

記者1:今、引退を発表されて、自分を褒めてあげられる部分、褒めたい部分というのはどういうところですか?

浅田:私けっこう、飽きてしまうことが多いんですけれども。でも、すごくハマってしまったら、すごくそれにハマってしまうんですけれども。すぐに飽きちゃう性格で。でもこのスケートは5歳から26歳まで続けてこれたので、「長い間、すごいね続けてこれたね」って言いたいです。

記者1:そういった意味では、どういったスケート人生でしたかね。今までを振り返ってみて。

浅田:やはり私のすべてがスケート中心の生活だったので、本当に私の人生です。

記者1:ファンのみなさんもずっと浅田選手を支えてきたと思います。浅田さんとともに歩んできたファンのみなさんにもなにか一言お願いします。

浅田:本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださって。本当に長い間、良い時も悪い時も諦めずに応援してくれていたので、私もすごくそれが励みになりましたし、それがすごくパワーになりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

記者1:ありがとうございました。代表者質問は以上です。