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“コミュ力至上主義”に異議あり! 優れたリーダーが皆「内向的」な理由が明らかに

“コミュ力至上主義”に異議あり! 優れたリーダーが皆「内向的」な理由が明らかに

とかく外交的な人が評価されがちな現代社会。しかしそのような流れになったのは、たかだかこの100年余りのことでした。「無理して社交的な人を演じていた」と語る弁護士で作家のスーザン・ケイン氏が、「内向的な人が持つチカラ」を紹介し、再評価を促しました。(TED2012より)

スピーカー
弁護士 作家 Susan Cain(スーザン・ケイン) 氏
参照動画
内向的な人が秘めている力

キャンプでの読書は許されない

スーザン・ケイン氏 9歳の時に初めてサマーキャンプに参加しました。私の母が、キャンプ用のバッグにたくさんの本を詰めてくれた事を覚えています。私にとって、本を持っていくことはとても理に適っていました。私の家族がグループで集まった時にすることと言えば、皆で読書をすることだったからです。 皆さんは、「それはとても非社交的だ」と思うかもしれませんが、私たち家族にとって、皆で読書をすることこそが、親しい人と交流する術だったのです。皆がそこにいる事を感じながらも、自分の世界に入って、本の中でそれぞれが本の世界を楽しむ醍醐味がある。そんな私だったので、キャンプに出掛けるということは、皆で集まってこのように読書をしながら楽しむ、しかもいつもと違う環境で、数段楽しいイベントになるものだと思っていました。 出発前は、「女の子10人くらいで集まって、みんなで居心地のいい森のキャビンの中で、パジャマ姿で読書をするんだわ」と想像していました。 (会場笑) キャンプというのは、皆で大パーティ、大はしゃぎすることだったんですね。もちろんアルコールの類は一切抜きでしたが。キャンプ初日、カウンセラーが私たちを集めて、これから毎日「キャンプ・グループ精神」を盛り上げるために、キャンプ中、毎日行うことになる掛け声があると言いました。 こんな感じです。「R-O-W-D-I-E、これが暴れん坊(Rowdy)のスペルよ! Rowdie, roudie、さぁみんなで騒ごうよ!」。私には、なぜ暴れて騒ぐことを強制されるのか理由が見つからない上に、なぜ暴れん坊(Rowdy)をRowdieとわざと間違えて綴らなくてはならないのか理解不能でした。 (会場笑) でも私は頑張りました。皆と同じように声を上げました。そうしながらも、静かに本を読める時間を待ち望んでいました。やっと初めてバッグから本を取り出すことが出来た時に、一番イケてる女の子が近寄ってきて、「あなたってなんでそんなに静かなの?」と言いました。もちろん「静か」と「暴れん坊」は対極ですよね。 そして読書をしようと試みた次の機会には心配そうな表情をしたカウンセラーがやってきて、キャンプは皆の外向性、チームワークを育てることが目的であるとお説教されました。私は本をバッグの奥底にしまいこんでから、そのバッグをベッドの下に押し込みました。 そして夏のキャンプ中、一度も読書をしませんでした。せっかく本を持ってきたのに、と罪悪感がありました。本が私を必要としている気がして、そして私に見捨てられたと、本から責められているような感じがしました。それでも私はキャンプ中、本を読むことを諦めました。夏のキャンプ後に家族の元に戻るまで、一度も読書をすることはありませんでした。

内向的な人々は、それだけで十分に素晴らしい

今回は私のサマー・キャンプでのエピソードを紹介しましたが、他にも似たような話が50くらいあります。静かで内向的であるのは、好ましくないとされます。世の中は「もっと外向的になりなさいよ」というメッセージで溢れている。それは違う、内向的な人々は、そのままで十分に素晴らしい、といつも思っていました。 しかし、とても長い間、私は「内向的でもいいじゃないか」と信じる気持ちを否定し続け、ウォールストリートで弁護士になりました。本当は作家になりたかったのに。 ある意味、私が弁護士になったのは「私だって大胆になれる、人を言い負かすことができる、自信満々に威勢よくいられるのだ」と自分自身に証明するためでした。そして、本当は親しい友人とレストランで美味しい食事と会話を楽しみたいところを、混み合ったバーに顔を出して社交的に振る舞っていました。 私はそのように、自分の信念や自分自身を否定するような行動を条件反射で取っていた。しかも、意図的にではないものの、気づかぬうちに自分自身を否定していたのです。 多くの内向的な人が、このような状況に陥っています。そしてこれはとてももったいないことです。内向的な人々自身のためにならない、というだけではなく、内向的な人と、働く人々やコミュニティにとっても損なのです。 「何を偉そうなことを言っているんだ」と皆さんから思われることを承知で言いますが、この世界全体にとっても損なことなのです。クリエイティビティやリーダーシップにおいては、内向的な人々が、彼らが得意とすることができる環境づくりが必要です。 全人口の3分の1から半分が内向的な人です。3分の1から半分の人達ですよ。つまり、皆さんの周りの2人か3人に1人が内向的な人なのです。もし皆さんが外交的な人であっても、内向的な人のことは関係ないと思わないでください。皆さんの同僚、配偶者、子供、もしくは今会場で皆さんの隣に座っている方の話をしているのです。彼らは皆、内向性に対する社会的偏見と内向的であることの現実に直面しています。

「シャイ」と「内向的」は別物

私たちは幼い頃から、知らず知らずの間に「外交的でなければならない、内向的なのは良くない」という考えを植え付けられています。内向的な性格への偏見を解くには、まず内向的な人とはどんな人なのかを正しく理解する必要があります。 シャイと内向性は別物です。シャイとは、人からあれこれと言われる事への恐れです。内向性を考えるとき、社会的なものを含めて外からの刺激にどう反応するかがポイントとなります。つまり、外向的な人は多くの刺激を求めます。反面、内向的な人は静かで落ち着いた環境にいて初めて活気づき、自分らしくいられるのです。もちろん絶対にこうである、皆がそうであるとは限りませんが、外向的と内向的は、多くの場合このような特徴的違いがあります。 ポイントは、私たちが自分の能力を最大限に生かすためには、私たちが最も生産的に反応する刺激と、環境が必要不可欠であるということです。しかし、ここで内向性への社会的な偏見が邪魔をします。重要な位置を占める組織、例えば学校、そして職場のシステムは、人は外向的であること、またはあるべきであるということを前提につくられており、外向性を満たすような刺激のみを与えようとします。 更に、すべてのクリエイティビティと生産性は集団生活によってのみ誕生する、というおかしな偏見が浸透しているように思います。私はこれを「新・グループ思考」と呼んでいます。 例えば、最近の学校での授業風景を思い浮かべてみてください。私が学校に通っていたとき、机は列にならんでいました。皆個人で、机に座って勉強していました。しかし、最近の一般的なクラスでの授業は、4人~7人からなるグループで机をくっつけて、お互いの顔が見えるように輪になって座ります。そして生徒はグループで活動し、グループ皆で一緒に学びます。 算数や作文等、本来であれば自分の力で考えて自分の力でやり遂げるべきものまでが、グループ一丸となって課題に取り掛かる、というシステムになっているのです。 そのようなシステムにおいて、1人で作業することを好む生徒は、多くの場合にはみ出し者として、悪い場合には問題児として見なされます。更に、大多数の教師は外向的な生徒を内向的な生徒よりも評価するのです。内向的な生徒のほうが良い成績を取り、より多くの知識があるにも関わらずです。私も内向的ですが、これは私のことではなく研究の結果ですよ。 (会場笑) 職場環境についても同じことが言えます。最近では多くのオフィスに仕切りや壁がありません。オフィスはとてもオープンですが、常に周囲の物音が聞こえる、常に周囲から見られている、そんな状態です。 リーダー決定の際、内向的な人はリーダーシップが取れないと見なされ、リーダー候補から除外されます。内向的な人はとても注意深く、慎重で、大きく危険なリスクを取ろうとしない―、これは最近の状況を考えれば望ましい姿勢ではないでしょうか?―にも関わらずです。 ウォートン・スクールのアダム・グラントが、興味深い研究結果を残しています。内向的なリーダーは、外向的なリーダーよりも物事に良い結果をもたらすのです。これは彼らが積極的な人々を上手くマネージして、彼らに自分達の思うようにアイディアを出させるからです。これが外向的なリーダーであると、自分の考えが一番だと信じ、人のアイディア・意見を聞かずに独りよがりになり、新しいアイディアが他のメンバーから出てこないからです。 歴史上の偉人・リーダーにも内向的な人がいます。例えば、エレノア・ルーズベルト、ローザ・パークス、ガンジー等、彼らは皆、彼ら自身を物静か、穏やか、そしてシャイであると認識していました。彼らは目立ちたくないと思いながらも、リーダーとしてスポットライトを浴びました。 人々は感じるのです。このようなリーダー達は単に目立ちたい、権力が欲しいと願っているわけではないことを。彼らが真の指導者であることを。彼らは成すべきこと、正しいことをするために、結果として人々の注目を浴びたのだということを。

目立つこと、口が達者なことと能力は関係ない

SC1 ここで皆さんに言っておく必要があることがあります。ここまで内向的な人々を支持するようなお話をしてきましたが、私は外向的な人々が大好きです。親友の何人かは外向的ですし、愛する夫も外向的です。もちろん、どんな人にも外向的な面と内向的な面があります。外向的・内面的というコンセプトをセオリーにした、あの心理学者カール・ユングでさえ、完全なる外向的な人間、内向的な人間は存在しないと言っています。 ユングは、もしもそんな人々が存在するのであれば、彼らは精神科病棟に入院しているだろうとも言っています。ある人々は外向と内向のちょうど真ん中の資質を持ち、彼らは両向型の人々と呼ばれます。完璧なバランスで外向性と内向性を備え持った人々が、世界で一番生きやすいように思うこともあります。しかし、私たちの多くは外向性か内向性、どちらかに自分を分類するのではないでしょうか。 つまり私が言いたいのは、バランスが必要だということです。ダーウィンは断固としてディナー・パーティーに参加することを拒否し、森の中をひとりで歩いていました。セオドア・スースは―またの名をドクター・スースで良く知られている彼です―、カリフォルニア州のラホヤの、彼の自宅の裏にある仕事場に一人でこもり、素晴らしい作品を生み出しました。 実はドクター・スースは、彼の絵本を読んでいる子供達に実際に会うことを恐れていました。彼もまた内向的でおとなしい性格だったので、子供達の「ドクター・スースとは、絵本にでてくる陽気なサンタ・クロースのような人であるはずだ」という期待を裏切るのではないか、という恐れがあったのです。 スティーブ・ウォズニアックは、当時勤めていたヒューレット・パッカードの彼のデスクに座って、たったひとりで、最初のアップルコンピュータを組み立てました。彼はこう言っています。「もし子供時代に、私が外向的で、外で他の子供達と遊ぶような子供であったら、今の成功はなかっただろう」と。 この話のポイントはもちろん、「私たちは皆ひとりで仕事をするべきだ、協力し合うのはムダだ」ということではありません。内向的なスティーブ・ウォズニアックがスティーブ・ジョブズと協力し合い、アップル・コンピュータを形にしていったことは有名です。 ポイントは、私たちの中には、ひとりになることが空気を吸うように必要な人もいる、ということです。加えて、これは全く新しい思想ではないということ。はるか昔から、孤独のもつ超越的な力については語り継がれてきました。それが奇妙なことに、近年になって忘れ去られようとしている。 世界の主要な宗教について考えてみてください。モーゼ、キリスト、仏陀、ムハンマド。彼らは皆たったひとりで大自然の中へ旅に出て、そこで神の顕現や啓示を得て、そしてそれを皆のもとに持ち帰りましたね。ひとりさすらうことなしに啓示を受けることはありません。 近年の心理学の研究でわかっていることついても納得です。どんな集団においても、その中にいる人々は必ず互いに影響を与え合い、意見が似通ってくる。私たちがよく言う「ビビッときた」「一目で気に入った」という人に対する第一印象・直感も、実は気が付かないうちに周囲から影響されて、そう思うに過ぎないのです。 更に、人は集団になると目立つ人・カリスマ的な人の意見に従うことはよく知られた事実です。口が達者で目立つことと、素晴らしいアイディアを持っていること、この二つの間には何の関係性もないのにも関わらずです。話が上手なことと、その人のクリエイティビティは関係ないんですよ……。 (会場笑) つまり、口が上手い人・目立つ人をリーダーとしてまつり上げる場合、もしかしたらそのリーダーは、とても優れたアイディアの持ち主かもしれない。一方ではまったく役に立たないのかもしれない。こんな一か八かの賭けに出たいですか? よくマネージされた環境の中で、まず皆がそれぞれ自分一人でアイディアを出してみて、その後にチームでミーティング、それぞれのアイディアを持ち寄る、このほうが効率が良いのではないでしょうか。 ※続きはこちら!
「ひとりでいること」のなにが悪い? ”内向的な人”のチカラを活かすための、3つの提言

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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“コミュ力至上主義”に異議あり! 優れたリーダーが皆「内向的」な理由が明らかに

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