“言葉”にまつわるアート

カリン・ユエン氏:こんにちは、みなさん。いつもと少し違うことをしようと思い、1つの題に共通する5人のアーティストの発想やテーマ、実践をシェアできるような動画を毎週制作してみたく思います。今週のテーマは「言葉」です。

トレーシー・エミン(Tracey Emin)から始めましょう。彼女はイギリスのアーティストであり、ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)と呼ばれる世代の1人です。

1995年に≪わたしが今まで一緒に寝たすべての人1963~1995年(Everyone I Have Ever Slept With 1963-1995)≫という作品を発表しました。これは青いテントで、彼女が実際に一緒に寝た人の名前が中に縫い取られています。この中には性的なパートナーや、子供の時に一緒に過ごした家族である兄弟などもが含まれています。

テントの中の床には、「いつも私自身も一緒だったことは忘れない」というテキストが書かれています。

作品タイトルが、誤解を招くものであったのにも関わらず、また性別にかかわる多くの議論がなされましたが、作品それ自体は、親密さについて表現されたものです。

2004年ロンドン東部のMomart(美術作品の保管、設営、輸送を請け負うイギリスの民間会社)の倉庫でおきた火災でこのテントは焼失してしまいました。それ以来エミンは再制作しようとはしませんでした。

バーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)は、作品がすぐに認識できるような、アメリカのコンセプチュアルアーティストです。

多くの作品は、白黒の写真に重ねられた特徴的な赤い区画に、署名やキャプションが太いフォントで記されます。フォントで、彼女はたいてい「私」「あなた」「あなたの」「私たちの」といった代名詞を用いた語句を用い、文化構造や権力のアイデンティティー、性別などの文脈を調整しています。

彼女の作品は広く知られていますが、もし聞いたことがないなら、OBEYポスターやSupremeのロゴのシェパード・フェアリーのことを思い出してください。クルーガーは、作品が受け手であるみなさんの注目をいかに引きつけるかということで、このようなストリートアーティストたちにも大きな影響を与えました。

意味の探求や疑問の提示

メル・ボックナー(Mel Bochner)はアメリカのコンセプチュアルアーティストであり、同義語をキャンバスに描くことで、個々の言葉の意味を探求しています。これらの色彩豊かな大画面の絵画は、自動生成されたようにも見え、スラングやののしりも含まれていて、ユーモアもあります。

意図的に手書きで描かれた絵画は、ランダムに絵の具を垂らされています。しばしば、絵の具は背景に溶け込むように描かれていて、近寄って見るように促されます。

ロン・テラダ(Ron Terada)は、サイン標識を用いて制作する、カナダを拠点とするアーティストです。看板、ポスター、パンフレット、展覧会サウンドトラックなどによって、ロンは常に文化的な制度表明のあり方に疑問を呈します。

≪フレッド・アステア(Fred Astaire)≫(1995年)のように、彼の作品は、おなじみの物語を反映させるために、過去の歴史的な像や大衆文化の見せかけをとることもあります。

彼の作品は、とても自己言及的でもあり、日系カナダ人としての自らのアイデンティティーを汲み上げ、同一化しながら、自分自身の存在価値を問うています。

最後にお話しする1人は、ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)です。彼女はアメリカ人のコンセプチュアルアーティストであり、バーバラ・クルーガーと同時代人です。クルーガーと比較して、屋外の看板広告や、建築物一部への投影、ネオンサインを用いた、大規模なパブリック展示を手掛けました。

彼女の最初のパブリックな作品≪ツーリズム(Turisms)≫(1977~79年)は、匿名の広告ビラであり、白い紙に黒いイタリックの活字で印刷したものです。それを、マンハッタンのあちこちのフェンスや建物に貼りました。後に彼女はこれらの言葉をTシャツやポスター、ステッカーに印刷し、公共のベンチに刻みました。

1997年からは、建物に光を投射するプロジェクションを中心に活動をするようになりますが、長い間テキストは彼女自身の手によるものでした。1993年からはテキストは他の人によって書かれたものを使用しています。

よく知られた著者の文学上の一節、あるいは機密解除されたアメリカ軍の対イラク戦争の記録など、異なる文脈を引用し、人権や暴力や性差、フェミニズム、戦争と権力、そして死などに言及しています。彼女は、注意深く選んだ場所にこれらの言葉を投影するのです。