70年代の流行を振り返る

山本一太氏(以下、山本):(石破氏と)同世代だから同じ経験をしてるんですけど。浅間山荘事件、ブルース・リーも流行ったんですけど。ブルース・リーは、そのころまだ鳥取ですか?

石破茂氏(以下、石破):1973年、昭和48年、もう東京来てましたね。

山本:流行ったんですよ、ブルース・リー。今日はできないですけど、私ブルース・リーの真似が得意で毎日やってたんです。

石破:立派なもんです。私は女性アイドル以外あまり興味がなかったので。

山本:わかりました。そろそろその女性アイドルが登場するわけなんですけど。もっとも印象に残ってる70年代、出来事ってなんでしょうか? ベルばら、砂の器とかね、エマニュエル夫人とか。

石破:毎日がお祭りみたいだったからね。

山本:長嶋が引退したのも、高校時代でしたけど。泣きました、テレビを見て。

石破:うーん、世の中いろんな人がいるもんです(笑)。なんだろうな。やっぱりね、浅間山荘事件はすごかったですね。これはすごかった。

山本:生中継されてましたね。

石破:生中継でね。今でも佐々淳行さんはあのころのこと随分書いていて。警察ってなにをやるんだろうという本質論ですけどね。浅間山荘事件は一番印象にありますね。テレビずっと見てましたもん。

山本:なるほど。70年代はあれかな。札幌オリンピック。

石破:あったあった。今、札幌行ってなにがショックって、若い人が、あの「虹と雪のバラード」が歌えない。札幌の人ですよ。「虹と雪のバラード」ってトワ・エ・モワの歌。いい歌でしたよね。

山本:すばらしい歌でした。

石破:すばらしかったよね。トワ・エ・モワの最高傑作だと私は思うけど、あれを歌えない人がいるのは、こないだ札幌に行ってえらいショックでしたね。

山本:歌い出し覚えてますか?

石破:(歌)「虹の地平を歩み出て~」。

山本・石破:(歌)「影たちが近づく手をとりあって~」。次は、「町ができる美しい町が~あれは夢~力~それとも恋~僕ら~」

もう止めましょう。ということですね、やっぱり同世代だと。あれは朝早く起きて毎回見て。

石破:見ました。

妖精みたいなジャネット・リン

山本:見ました。笠谷の70メートル級を日の丸飛行隊があったりとか。

石破:「飛んだ! 決まった!」とかね。

山本:あれ覚えていますか。NHKのアナウンサーね。

石破:見た見た。ジャネット・リンがめちゃかわいくてね。

山本:すみません、知らないと思うわ、みんな。ごめんなさい。アメリカのフィギュアスケートの選手で、妖精みたいなジャネット・リン。

石破:どうしてるんですかね、今。

山本:もういくつぐらいですかね。あの時18歳。

石破:我々より上だったから。

山本:もうおばあさんですよね。ジャネット・リン規定に弱くって、いつもあれですよね。規定ですごく遅れて、尻もちついてもフリーで最高得点を上げたって覚えてます。

石破:覚えてます、覚えてます。あの時優勝したの誰か知ってる?

山本:カナダの選手。

石破:違う。ソ連。

山本:ソ連だっけ。カナダ2番だったのかな。ソ連の選手でしたか。そうですか。ジャネット・リンあったな。

70年代の曲で言うと、石破さんと歌いに行く時によく歌っている小柳ルミ子の『わたしの城下町』っていう名曲があったんですけど、それはできるかな? これいけますか? 格子戸。

(ピアノが流れる)

石破:いけますよ。「格子戸を潜り抜け~見上げる夕焼けの空に~」という歌ですね。

山本:そうです。やっぱり、「誰が歌うのか子守歌」、これは初めて聞いた。もう1つ、実は、石破さんと1年に3回歌いに行って、2時間以上ずっと2人で歌うんですけども、その時に必ず石破さんが歌う歌があるんですよね。風も70年代ですか。

石破:風は70年代から80年代にかけてですよね。

山本:この『ほおづえをつく女』っていうのをいつも歌うか、誰かに歌わせますよね。

石破:これは俺が歌ってもだめで、人が歌うのを聞くのが好きなのですよ。

山本:必ず歌わせますよね、これを。どこがいいのですかね。

石破:あの歌詞じゃないですか。

山本:(スタッフに向かって)これできる? これちょっといいじゃない。

(ピアノが流れる)

「振り向きもせずに~男は去って~」。もう1回、せっかくだから、これ必ず歌わせるから。

山本・石破:「振り向きもせずに男は去った~女は半年泣き続けた~」。

山本:もうちょっといきましょう、あんまりいい歌なので。

山本・石破:「薄暗い部屋で~ほおづえをついたまま~幸せな日々を~思い出していた~」。

山本:以上で、という感じでですね、『ほおづえをつく女』もあったんですけども、この70年代石破さんから見たらどんな時代だったでしょうか?

1979年のオイルショックの影響

石破:70年代ですか。

山本:はい。70年に戻してもらえますか。70年代の出来事。

石破:70年代、まだ高度経済成長の時代でしたので、昭和47年、1972年に佐藤内閣、7年以上続いた佐藤内閣が終わって田中角栄内閣が登場するんですよ。私高校1年でしたけどね、「わー日本変わるな」ってワクワクしたのはよーく覚えてますね。

田中角栄内閣登場、昭和47年です。その金脈問題とかなんとかで退陣して昭和50年代に入って、ロッキード事件で田中さんが逮捕されて、みたいなね。私はあの時に日本って大きな変わり目だったような気がしますね。だから、高度経済成長の最後の輝いていた時代だったと思いますね。

山本:79年にはオイルショックも。

石破:あったあった。

山本:起こるんですよね、これ同じ世代だったからテレビの深夜放送がなくなったんですよね。

石破:なくなった。

山本:「11PM」とか隠れて見てた番組とか全部なくなったんですよね。

石破:なくなったし。

山本:すいません、おじさんの会話で知らないでしょ、みなさん「11PM」。

石破:ネオンサインが消えたしね。それから新聞がすごく薄くなりましたよね。それと山本さんなら、わかると思うけどレコードが薄くなった。

山本:薄くなった。

石破:それで針がバンバン飛んだ、そんな時代でした。だから、「オイルショックってこんなことなんだ」と。今、原油の問題もいろいろある。今安いですけどね。

原油が一気に何倍にもなって本当に深夜番組がなくなった、ネオンサインは消えた、レコードの針はぶっとんだ、スーパーに行ってトイレットペーパーみんなで買い占めた、みたいな。だから、それだけその世界の事象に日本が左右されやすい時代ではあったんでしょう。

山本:今、おっしゃった通り、私も初めて国際政治が庶民の生活っていうか我々にかかってくるんだっていうことを知ったという意味ですごい衝撃的で。

東の方で起こっているようなこの石油の価格とかそんなことがなんでこの市民生活に影響あるんだろうと思った意味でいうと私もこれが一番印象に残ってるんですね。

石破:あと、その頃ニクソンショックってのがあって円が360円じゃなくなった。

山本:ありましたね。

石破:「これってどういうことなんだ」っていうのがよく理解できなかったですね。ニクソンショックというのは、結構よく覚えています。