微生物学の基礎を作ったパスツール

マイケル・アランダ氏:誰かを救った経験はありますか?

道路に飛び出す子供を間一髪引き戻したり、川で溺れた友人を助けたり、デリで隣に座った人が喉を詰まらせた時にハイムリッヒ法(喉に詰まった異物を取り除く応急措置)で助けたり……。

長い歴史の中ではほんの一握りの科学オタクな人たちですが、私利私欲ではなく科学の発展のために尽力し、数億いや、数十億もの命を救った人がいます。

救われた人の中にはきっとあなたも含まれていますよ。

もちろん今回紹介する人たちだけではありません。これまでに誰かの命を救った人や、世界を変えた科学者は数多くいますが、今回は3人だけ取り上げてみましょう。

その前に覚えておきたい点は、科学というものが協力と積み重ねでできている、ということです。チームで研究を行い、それまでに発見された研究をもとに発展させていきます。科学者はスタンドプレーを行いません。

しかし今日紹介する人たちは、細菌の存在を証明し、医師に手洗いの必要性を訴え、ワクチンを開発するという、シンプルでありながら革新的な方法を発見する点で先陣を切った人たちです。

最初に紹介するのはルイ・パスツールです。

スーパーで売られている牛乳でその名前を見た人も多いでしょう(英語で低温殺菌のことをパスチャライゼーションという)。彼は細菌のはたらきを発見し、微生物学の基礎を作りました。

1822年にフランス郊外で生まれたパスツールは、子供の頃科学より芸術に興味がありました。科学と物理の世界へ本格的に踏み出す前に博士号を取得しています。

彼は、科学的な理論を実際の産業に活かしたがり、ワインの製造法を改良して最初の実績を残しました。フランス人らしいですね。

当然のことながらアルコールははるか昔から作られていたわけですが、パスツールはアルコールで起きる発酵の仕組みを解き明かしたのです。酵母をはじめとした生きた微生物の働きによって、糖がアルコールへと変換されていることを示しました。

今では当たり前に知られていますが、当時の人は細菌についてもあまりよくわかっていませんでした。今でいうところの細菌学のような学問もあるにはあり、病気の原因や食べ物が腐るのは微生物のせいだろうと考える人もなかにはいました。

しかし当時、科学の世界で多勢を占めていた考えは、自然発生説でした。これは、生物は空気中の物質からでき上がり、腐敗した有機物から生まれてくる、という考え方です。

笑い話のようですが、ネズミは腐った干し草から生まれ、ウジは腐った肉から生まれるといったことが、長い間本気で信じられていたのです。

こうした例が間違っていると証明された後でさえ、特定の状況下では自然発生は起こっていると考えられていました。しかしパスツールは違いました。

18世紀にイタリアの生理学者ラザロ・スパランツァーニたちが行った研究を、パスツールは最も価値のある実験の集大成とさせました。白鳥の首の形をしたフラスコを滅菌し、その中に沸騰したスープを入れて細菌などが侵入できないようにしたのです。

この装置は、空気は通しますが、細菌は曲がった首の部分を登れずせき止められるようになっています。

そのまま放置しましたが、何も起こりませんでした。スープは腐らなかったことから、細菌が何もない空気中から発生するわけではないとわかったのです。

しかしフラスコを傾けて、フィルターの役割を果たしている首の部分にスープを触れさせました。すると外気からそこに取り込まれていた細菌が侵入し、スープはあっという間に腐ったのです。

この単純な実験から、生命が無から発生することはなく、空気中に細菌がいることがわかったのです。彼は細菌学という分野を確立したのです。

彼の細菌についての新たな発見は、ワインや牛乳を腐らせない分野でした。1862年、ワインを沸騰しない温度で温めることで、細菌を死滅させて腐らないようにする技術を発明しました。

今では低温殺菌と呼ばれるこの技術は、牛乳だけでなく数多くの食品に使われて、日持ちさせたり風味を損なわない点で役立っています。パスツールがこうした発見をしたのは40代なかばでしたが、体はあまりよくなかったようです。脳卒中を抱えて、晩年には部分的に麻痺していました。

それでも彼は研究を続け、家禽コレラのワクチンを開発する最初の研究所を設立します。彼はやがて炭疽菌や狂犬病といった別の病気に対するワクチンも開発したのです。

パスツールが生まれた1ヶ月後に亡くなったイギリスの医師エドワード・ジェンナーは、1790年すでに天然痘のワクチンを開発していました。

しかしパスツールが細菌学を確立するまで、ワクチンや細菌がどういったはたらきをしているかはわかっていませんでした。ワクチン接種にはれっきとした科学的な理由があるのです。

数多くの病気が空気中の細菌を通して伝染する、という事実を世界中に広めた功績はあまりにも偉大です。

ぜひ今度ワインを飲む時はパスツールに乾杯してくださいね。

手術の進歩に寄与したリスター

さて、パスツールは次に紹介する救世主にも多大な影響を与えました。手術に際しての手順を根本から変えたと僕は思っているその人は、手を洗うことを徹底させたイギリスの外科医です。

ジョゼフ・リスターは、1827年イギリスのエセックスの、裕福なキリスト教一家に生まれました。

アマチュアの科学者であった父は、空いた時間を使って顕微鏡のレンズを設計するほどでした。

リスターは若い頃から科学に興味があり、大学時代には外科医として働くことと、一般的な外科知識を研究して発展させたいと思うようになります。実際、それらは当時社会がもっとも必要としていたことでした。

ちょっと想像してみてください。あなたは1800年当時のヨーロッパに住んでいます。はしごから落ちて足を怪我したあなたは、友人の車で病院へ連れてこられます。

医師は手術が必要だと言いますが、その時代麻酔はまだありません。外科医は汚い手で歩きまわり、手術器具は滅菌されておらず、医師のエプロンは血がついたままです。

なんとか痛みに耐えて目を覚ますと、術後の感染症から助かる見込みが50%だから頑張って、と言われます。これが当時の一般的な病院だったのです。

1850年、博士号を取ったリスターはこんな世界に足を踏み入れました。あまりにも恐ろしい外科医たちの現場ですが、これはパスツールが細菌学を構築する前の話です。

当時は、傷口も自然発生的に悪化するので、どうすることもできないと考えられていました。

しかしリスターは傷口の感染を防ぐ方法はないのか、と考えます。彼は骨折を見て、骨が皮膚から飛び出していない単純な骨折は、折れた骨が傷口を作って空気に触れるような場合より回復が早いことに気づきました。このことから、傷口の感染は当人の体からわき起こるものではなく、外部の影響で起こると考え、手術前に手や服を洗うようにしたのです。

時を同じくしてグラスゴー大学で教授に就任したリスターは、パスツールが書いた細菌学についての革新的な論文を読みます。そこから多くの示唆を受けたリスターは、外から侵入する細菌によって傷口が感染するなら、滅菌することで防げるだろうと考えます。

パスツールはワインや牛乳を加熱することで腐敗を止めていましたが、同じことを生身の人間に行うわけにはいきません。化学消毒の道を探す必要がありました。

彼はコールタールから抽出されるフェノールを用いることにし、まずは糸を滅菌させました。1865年にはフェノールを希釈し、自分の手、手術器具、傷口、包帯を滅菌させていき、さらには空気中にスプレーさえしました。

何年にも渡って実証データを積み上げ、リスターは自身の消毒技術によって術後の患者の死亡数が激減したことを論文で公開します。

しかし新しい発見が認められるには時間がかかるもので、手間と費用がかかりすぎると言う医師や、きっちり消毒していなかったために効果が見られないケースがありました。なかには細菌の存在を認めない医師さえもいたのです。

画期的な消毒方法が目を見張る結果を出してから10年後の1880年、ようやく広く受け入れられるようになりました。リスターは一生を通して、手術方法の進歩に寄与し続けました。動物の腸から作られた糸を滅菌して縫合に使用することで、糸が吸収されて傷口から抜糸する必要をなくしたことはその一例です。

ビクトリア女王の専属外科医にも就任し、準男爵の称号など多くの栄誉を受けました。

中でも一番の栄誉は……「リステリン」という自分の名前を使ったマウスウォッシュが発売されたことですかね(笑)。

パスツールとリスターは、過去150年の間に数え切れない命を救ったツートップでしょう。2人の存在があったからこそ生まれたもう一人の救世主は、ワクチン接種によって予防医療を世界中に広めた人です。ワクチンは子供のころあなたも受けたかもしれませんね。

たくさんワクチンを生み出したハイルマン

モーリス・ハイルマンは1919年モンタナ州の農家で8人兄弟の末っ子として生まれましたが、そのスタートは厳しいものでした。

彼が生まれると同時に、双子の姉と母が亡くなり、おじの農場でニワトリの面倒を見ながらチャールズ・ダーウィンの本を読んで育ちます。ハイルマンはやがて研究者の道を志すようになりました。

20代半ば頃ハイルマンは彼にとって最初のワクチンを、海外に送られた兵士を脳炎から守るために開発しました。

ワクチンが作用する仕組みは以前にもお話したのでかいつまんで説明すると、実際に病気にならない程度のワクチンを取り入れることで、免疫機構を刺激して抗体を作ります。

免疫機構に覚えさせることで、空港や食堂といった場所で同じ病原菌が侵入しても免疫機構は「こいつは見たことあるぞ……」と言って抗体を次々に作り出して病原菌と戦うわけです。

通常ワクチンを作り出すには、感染した細胞を培養したりニワトリの卵を使ったりして、まずウイルスや細菌を大量に作らなければいけません。

十分な量が用意できれば、培養した病原体を弱めてワクチンに混ぜます。

当たり前ですが、実際に病気になってはいけないので、抗体ができるギリギリの量を投与したいと思います。ハイルマンはその方法を開発する点で多大な貢献をしたのです。

ハイルマンはインフルエンザウイルスを研究している過程で、人々がウイルスの小さな変化には対応しながら、ワクチンを摂取すること無く抗体を獲得していることを知ります。

しかしウイルスは時折、突然変異を起こします。その結果抵抗力のない人へと一気に感染し、世界規模のパンデミックが起こる危険性が高まるのです。

実際1957年、香港でインフルエンザが深刻な伝染を見せた際は、それまでに見られなかった症状が広まっていました。

ハイルマンたちがそのインフルエンザウイルスのサンプルを手にした時には、必要な抗体を持っていない人のほとんどが感染していたのです。最悪の状態を予想したハイルマンは大急ぎでワクチンの製造に取り掛かります。

その後2年ほど経つとこのアジアインフルエンザの死者数は全世界で200万人に達しました。しかしハイルマンが流行を予見して作った緊急ワクチンがなければ、死者はもっと多かったことでしょう。

同じ時期にハイルマンは製薬会社であるメルクに入社し、子供によく見られる病気のワクチン開発に注力します。例えば、アメリカの医学者ジョン・エンダースは麻疹ワクチンを開発しますが、実際に使用するには副作用が強すぎました。

そこでハイルマンは毒性を弱めたウイルスを孵化鶏卵に注入する手法を用い、副作用の少ないワクチンを開発しました。このワクチンだけで、毎年百万人もの命が助かっているのです。

後にハイルマンは、おたふく風邪の娘の喉から綿棒で採取したウイルスを分離させ、おたふく風邪のワクチンも開発し、同じ手法は麻疹ワクチンにも応用されていきます。

さらには「ドイツ麻疹」とも言われる風疹、おたふく風邪、麻疹の3つに対応したMMRワクチンを開発します。あなたもきっと幼いころに接種したと思いますよ。

ハイルマンたちはさらに、A型、B型肝炎、水疱瘡、髄膜炎、肺炎といった数多くの病気のワクチンを開発していきます。また、子供にも成人にも上気道感染症を引き起こす、「アデノウイルス」などの新型ウイルスを分離する手法にも多大な貢献をしました。

リスターやパスツールと同じくハイルマンの研究も、他の研究者に大きな影響を与え、医学界の大きな進歩に寄与しつつ、たくさんの命を救ってきたのです。