天皇陛下お誕生日に際し

記者:今年は五輪・パラリンピックが開催され、天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災、熊本地震の被災地などを訪問される一方、三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり、8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。

天皇陛下:今年1年を振り返ると、まず挙げられるのが、1月末、国交正常化60周年にあたり、皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け、また訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。

私が昭和天皇の名代として初めてフィリピンを訪問してから、54年近くの歳月が経っていました。この前回の訪問の折には、まだ対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが、空港に到着した私どもを、タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが、懐かしく思い出されました。

今回の滞在中に、近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち、また、やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して、日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら、この54年の間に、両国関係が大きく進展してきたことを、うれしく感じました。

両国の今日の友好関係は、先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人、日本人の犠牲の上に、長い年月を経て築かれてきました。このたびの訪問において、こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね、冥福を祈る機会を得たことは、ありがたいことでした。また、戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも、私どもにとり非常に感慨深いことでした。今後とも両国の友好関係がさらに深まることを祈っています。

東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には、福島県、宮城県の被災地、そして9月には岩手県の被災地を訪問し、復興へ向けた努力の歩みとともに、いまだ困難な状況が残されている実情を見ました。

その中で岩手県大槌町では、19年前に滞在した宿に泊まりましたが、当時、はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が、地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り、自然の力の大きさ、怖さをしみじみと思いました。

この5年間、みなが協力して復興の努力を積み重ね、多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に、今なお多くの人が困難をしのんでおり、この人々が、1日も早く日常を取り戻せるよう、国民みなが寄り添い、協力していくことが必要と感じます。

4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で、多くの被害が出ましたが、16日未明に本震が発生し、さらに大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き、人々の不安はいかばかりであったかと思います。5月に現地を訪れましたが、被害の大きさに胸を痛めるとともに、みなが協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に、心を打たれました。

今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い、その中で高齢者グループホームの人たちを含め、多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

このような災害にあたり、近年、個人やさまざまな団体と共に、各地の県や市町村などの自治体が、被災地への支援の手を差し伸べ、さらにそれを契機として、全国でさまざまな地域間の交流が行われるようになってきていることを、うれしく思っています。

8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先のあり方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け、各々の立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています。

8月から9月にかけて、リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり、毎朝テレビで、日本人選手の活躍する姿が見られたことは、楽しいことでした。オリンピックと同様に、パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり、その翌年に、昭和天皇の名代として、皇后と共にタイを訪問し、国王王妃両陛下に温かく迎えていただき、チェンマイなど、タイの地方にもご案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことをはじめ、親しく交流を重ねてきた日々のことが、懐かしく思い出されます。

10月下旬には、三笠宮崇仁親王が薨去になりました。今年の一般参賀の時には、手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり、そのお話を伺えたことは意義深いことでした。

11月中旬には、私的旅行として長野県阿智村に行き、満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では、旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き、満蒙開拓に携わった人々の、厳しい経験への理解を深めることができました。

また、その際訪れた飯田市では、昭和22年の大火で、市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興にあたり、延焼を防ぐよう区画整理をし、広い防火帯道路を造り、その道路には復興のシンボルとして、当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に、災害復興を機に、前よりさらに良いものを作るという、近年で言う「ビルド・バック・ベター」がすでに実行されていたことを知りました。

12月には、長年にわたるオートファジーの研究で、大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで、忙しい1週間を過ごされた博士が、今は十分な休養をとられ、再び自らが望まれているような、静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

年の瀬が近づき、この1年を振り返るとともに、来年が人々にとって良い年となるよう願っています。