超高齢化社会を「共に生きる」ヒント

青野慶久氏(以下、青野):最後に、もうお一方、ゲストをお招きしたいと思います。

今日は「共に生きる」というテーマで進めてまいりました。私たちは生きております。そして、死に向かって生きていきます。

私も生まれてから両親と共に生き、地域の人たちと共に生き、そして会社に入れば同僚や先輩と一緒に生き、家族を持てば家族と共に生き、そして死に向かって生きます。

今、日本は超高齢化社会と言われています。これから私たちは高齢者の方々と共に生きなければならない。そして私たち自身も高齢者になったときに次の世代の人たち、若い人たちと共に生きていかなければならない。そのヒントを頂きたいと思います。

最後にご紹介いたしますのは、医療法人ゆうの森の理事長を務めておられます永井康徳先生です。永井先生は在宅医療という新しいモデルをどんどん進めておられまして、そして、地方、僻地での医療などにもお詳しい方であります。

それでは、大きな拍手でお迎えください。永井先生、よろしくお願いします。どうぞ、おかけくださいませ。

親の最期を目前に、家族が望むこと

永井先生は今までたくさんの人を在宅医療で看取られてきたかと思います。実は私も愛媛県出身で、両親が今、愛媛の実家にいます。年齢的にも70歳半ばに入ってきて、本当にどうしようかな、と。私は東京で働かないといけないし、両親に「東京に来い」と言うわけにもいかないし。

なにかこういう家族も増えてるんじゃないかと思うんですけれど、こういうところで問題って起きていませんでしょうか?

永井康徳氏(以下、永井):たくさんありますよね(笑)。

青野:怖いですね(笑)。  

永井:都会で働かれていて、田舎でご両親が生活されている。ご両親のどちらかが亡くなられていて、単独でというケースも多いと思います。

施設に入られている方もたくさんおられると思いますけれど、例えば2つ例を出してみたいと思うんです。

1つ目は有料老人ホームに入っていて、息子さんが都会におられる。最期にやはりご飯が食べられなくなってきて、「どうします? 胃ろうという胃に穴を開けて注入するような方法とか、点滴をする方法もあれば、自然に看る方法もありますよ」という話もするんですけれど。

選択肢を提示すると、「胃ろう栄養をしてください」と言われます。「食べられないのに、ほったらかしにはできません」「1分、1秒でも長く生きてほしいです」と言われるので、僕もいろんな話をしながら「お気持ちはよくわかります」と。

「少しでも長く生きてほしい」というご家族の気持ちはよくわかるんですけど、胃ろうして最期は吸引もしないといけない。本人の意思があまりはっきりしてなくて。

「最期までそういう医療をして亡くなることをご本人が望んでいるでしょうか? ご本人の思いにはせて考えてみたらどうですか?」というお話すると、「いや、私は父の考えもよく知っていて最期はしてほしくないと思ってます。でも、私は生きてほしいんです」って言われるんですね。

青野:ああ。なんでしょう。共に生きてる感じはしないですね。

もし自分だったらどうしてほしいか

永井:施設の方に、「息子さんは、どれぐらいの頻度で来られているんですか?」と聞くと、「大体半年に1回ぐらい来られます」と言われるんですね。忙しくてなかなか来られないわけです。生きてほしいという息子としての気持ちとご本人の思い。どうバランスを取るのかって問題ですね。

青野:これを私たちはどうすればいいんでしょうね。どうすれば共に生きられるんでしょうか?

永井:まずは、本人の気持ちに立って考えるということですね。まず、ご本人がなにを望んでいるんだろう。その人がどのように生きてきて、これからどういうふうに最期を迎えることを望んでいるのか、そこに思いをはせて考えてく。

そしてお父さんではなくて、自分も同じ立場なんだと。僕たちもいつも思うんですけど、医療者として向き合うなかで患者さんと同じ立場、自分も患者になる、自分も高齢者になる。そういう立場で、もし自分だったらどうしてほしいか。

お父さんの気持ちになって、今しゃべれたらどういうふうに言うだろう。自分も同じ立場になって、自分だったらどうだろう。そこをよく考えることが大事だと思うんですね。

青野:それを聞きますと、なにかすごく自分ごとに思えてきましたね。私だとどうかな。確かに胃ろうとかはちょっとやめてほしいかもしれませんね。

永井:そういう胃ろうを、本人はわからない。胃ろうして元気に生きられる人もいるんです。それは方法として悪い方法ではまったくないんですけれど。

多くの講演会などで、自分がもうしゃべれなくなって、例えば、認知症ではっきり意思が伝えられない状態になって「胃ろうを望みますか?」と聞くと、ほとんどの人が「自分は望まない」って答えるんです。

青野:なるほど。望まないんですね。

永井:でも、「じゃあ、ご家族はどうですか?」と言われると、家族になったら「うーん」と考えるんですね。

青野:自分の気持ちと、(家族に対する)自分の思いは、矛盾してくるわけですね。

永井:そうなんですね。自分の命ならともかく、家族の命になると、他人の命はまったく違うんですよね。

だから多くの人が、少しでも長生きしてほしいという気持ちからそういう選択を取ることも多いんですけど、やはり本人の体ですから。ご本人が本当の意味でなにを望んでいるのかを考えていくことが大事だと思うんですよね。

一緒に寄り添っていく医療の必要性

青野:なるほど。でも、例えば、自分の両親と死ぬ瞬間について話すというのはなかなか勇気のいるところですね(笑)。「お前、殺したいと思ってるのか!」とかって怒られても困るし。どうでしょう、親とこういう会話をするのって難しい気がするんですけど。

永井:そうですね。でも、できればしゃべれなくなったときにどう考えてるんだろうって考えるよりは、元気なうちに「どんな最期を迎えたいのか」と聞いて、本人の気持ちを確認しておくほうが本当はすごく安心なんですね。元気なうちから考えておくことが大事だと思います。

doingの医療とbeingの医療というものがありますけれど、これまでの日本の医療はdoing、施す医療だったんですね。医療者が患者の病気を見つけて治すための施す医療だったんですけど。

今は、先ほど社長も言われたように高齢、超高齢社会になって、多死社会という団塊の世代の人が多く亡くなっていく社会になって、いくら治そうとしても治せなくて病気や老化で亡くなっていく。

そういう社会になってきたときに、治せなくても共にあって、一緒にいて寄り添っていく医療、この変革が必要になってきてるんですね。

これはもうすでに厚生労働省も「治す医療から支える医療へ」という変革を日本の医療ははからないといけない、と。もちろん治すことは大切なことなんですけど、治せなくてもちゃんと共にあり、寄り添っていく医療が大事になっていくと言われています。

そこで大事なのが、最後まで治し続けるんじゃなくて、いつか必ず亡くなるんだ。いつか必ず亡くなるときに、「治る。いつまでも死なない」と思っているのと、「いつか亡くなる」と思っているのではずいぶん世界が変わってきます。

僕は好きなんですけれど、スティーブ・ジョブズが膵臓がんにかかって亡くなるときに、「毎日が最後の日だと思って生きなさい」と。毎日が最後の日だと思っていくと、まったく世界が変わって見えるようになってくるんですね。

だから患者さんにも、元気な人から言います。「いつか亡くなるんですよ」と。それまでどうよりよく、より自分らしく生きることができるか。「そのために適切なケアを受けられる在宅医療というのがあるんですよ」って話をします。

青野:いいですね、doingからbeing。共にある。共に最後まで自分らしく生きられる。とても幸福感のあるいい社会だなと思います。 ぜひ引き続き永井さんの信じる在宅医療の道、トップランナーとして走り続けていただくことを期待しております。

永井:はい。

青野:今日はお越しいただきまして、どうもありがとうございました。大きな拍手でお送りください。永井先生、ありがとうございました。

永井:ありがとうございました。

みなさん、互いに尊重し合えますか?

青野:いやあ、いろいろ思いますね。「共に生きる」というテーマで今日はお話しをしてきましたけれど、「共にある」という言葉がありました。

自分と他人は違うんだ。自分の命と他人の命は違うんだ。自分の命のかたちを他人に押し付ける。他人の命のかたちを自分に押し付けるのではなくて、共にある、違うままある。そんなメッセージを頂いた思いがいたします。

それでは、最後に少しまとめたいと思います。これから社会は多様性の方向に向かっていきます。多様性が高まるなかでみなさん、互いに尊重し合えますでしょうか? 男性は女性のことを、女性は男性のことを、そして遠くに住む両親のことを尊重できますでしょうか?

そして自分と違う人がいるということも、私たちは認識しないといけません。シングルマザーで非正規で働いておられる方がたくさんいらっしゃいます。その人たちのことを想像できますか?

システムがよく理解できなくて悩んでいる現場の方がいらっしゃいます。役員の方もいらっしゃいます。そういう人のことを想像できますか?

そして自分と価値観が合わない人もたくさんいらっしゃいます。「ワークライフバランス重視したい 」と若者が言っていると、「なに言ってるんだ、お前は!」と。そうではなくて、その若者の気持ちに寄り添えますか?

マイノリティの方もたくさんいらっしゃいます。障害者の方もいらっしゃいます。男性女性だけではなくて、LGBTなど新しい性の方もほかの性の方もたくさんいらっしゃいます。そういったマイノリティの方のことを尊重できますか? そういった職場を創れますか?

この私たちの住む地球は生物が進化することで生物の多様性を生み、そしてその生物たちが共に暮らしています。人間界もそろそろ進化が必要ではないでしょうか。ぜひ多様性を受け入れ、一人ひとりの個性が輝くように共に生きられる社会を一緒に創っていきましょう。

私の基調講演はこちらで終わりとさせていただきます。引き続き、Cybozu Daysをお楽しみください。ご清聴、誠にありがとうございました。