ミス・ユニバースの司会での失敗

スティーブ・ハーベイ氏:また私の経験をお話ししましょう。昨年の12月21日、私はミス・ユニバースの司会をしました。

(会場笑)

なにがおかしいんですか?

(会場笑)

あの時はおかしくもありませんでしたよ。みなさんは笑っていましたが(注:優勝者を間違えて発表し、世界中でニュースになった)。

知っていますか? 失敗した瞬間、私になにが起こったかわかりますか? テレビ史上最大の失敗が起こったのです。私の祈りの1つがなんだか知っていますか?

私は毎朝、感謝の祈りを捧げます。私は1日を始める前に89個のリストを読みます。それを読まずには寝られません。それは私のiPhoneのノートに入っています。感謝の祈りです。なぜなら、成功するための原則の1つは、感謝をすればするほど、神は感謝するべきものをさらに与えてくださる、というものだからです。

私はたった4、5個の聖句しか知りません。1つはもう言ってしまいましたから、あと3つあります。でもそれらはいい聖句ですよ。そのおかげで私はここにいるのです。

そこで感謝の話ですが、あなたが神に感謝すると、神は感謝できることをさらに与えてくださいます。私は朝起きると、リストにあることについて神に感謝します。私は感謝の祈りのなかで、いくつかのお願いもします。

私のリクエストの1つは、海外でもビジネスをしていますから、「海外で私を有名にし、評価を上げてほしい」ということです。実際、神様は祈りにこたえてくれましたが、私はその方法をありがたいとは思いませんでした。

(会場笑)

私は神様のやり方に関しては注意を払っていなかったのです。

(会場笑)

私は空を仰いで「ああ神よ」と言いました。なぜなら私が祈りをした翌日、私の名前がグーグルで48時間の間に20億回も検索されたというのです。私の名前が64ヵ国の新聞のニュースの一面に載りました。神は私を国際的に評価されるようにしてくれました。

(会場拍手)

しかしそれは逆境の瞬間で生じたのです。神のやり方はこういうものなのです。だからあなた方は私が今日ここに来てよかったと思うでしょう。

大失態の裏側にあった真実

私は自分を恥ずかしく思いました。脅迫状まで届き、セキュリティを置かなくてはならなくなりました。私の妻がそれをよく知っていますよ。彼女も今日ここにきて、そこに座っています。愛してるよ。彼女は私にずっとついてきてくれるのです。

私は毎日あそこにいる彼女について感謝をしています。神が私にほかになにをしてくれなかったとしても、あそこにいるあの彼女を与えてくれましたからね。

(会場拍手)

あの時はまさに逆境でした。私の家にはあれ以来セキュリティがいます。ガードマンがうちに来ていて、ゲートの後ろにガードマンがいるのです。

うちには深刻な脅迫状が届きました。コロンビアからです(注:優勝者の発表で本当は2位のコロンビアの名を挙げたため)。コロンビアはとても怒ってしまいました。あそこにはドラッグディーラーもいますからね。彼らが怒ったらとくに気を付けなければいけませんよ。遊びやだましでごまかすことなどできませんからね。

(会場笑)

私のところに脅迫状が来て、とてもひどいことをたくさん言われました。テレビでは自分が友達だと思っていた人が私の悪口を言っていました。あの1週間はひどく辱めを受け、苦しみました。すべての新聞やモーニングショーが私にインタビューをしたがりました。受けませんでしたが。

あの時、私の人生には逆境が生じました。人々はそれを笑い、家族は苦しみました。しかし私がみなさんに言いたいのは、そのすべての逆境の裏で、2つのことが生じたのです。「教訓」と「祝福」です。教訓とは、あのようなことは二度と起きないということです。

(会場笑)

あのテレプロンプターに出ることと、カードに書いてあることとが合っていなくてはなりません。それから耳についてるイヤフォンもそうです。モニターに書いてあることも、イヤフォンから聞こえてきたことも、スタッフが呼んだ次の名前も、テレプロンプターにも「ミス・コロンビア」とあったのです。

それで私は言いました。「ミス・コロンビア!」。それはすばらしい瞬間で、私は裏手に下がりました。2分くらい過ぎても、誰もなにも言いませんでした。そしてそれが間違いであったことに彼らは気が付きました。そして、訂正しなければということになりました。

スタッフはイヤフォンを通して「朝のニュースで訂正すればいい」と言いました。そこで、私が自分で出て行ったのです。私が決めて出ていきました。私が舞台に出ていく間、イヤフォンからスタッフが「どこに行くつもりだ、なにをするんだ!」と言っていました。訂正しなければならないと言いましたよね。だから私は戻っていって、すべての集中砲火を自分で浴びました。

逆境のなかには「教訓」と「祝福」がある

彼らは3日かけたリハーサルの手順をすべて変えたり、ちぐはぐなことをしていたのです。それでも私が批判の集中攻撃を受けました。なぜなら、私の日曜学校の先生だった母、炭鉱員の父が私のなかで生きているからです。

「正しいことをしなさい。男らしく潔く」。

(会場拍手)

そうです、それが私にとっての「教訓」でした。

では「祝福」はなんだったのでしょうか。

神がされることは本当に予期できないのです。数週間後、ミス・コロンビアが私のトークショーに出てくれて、彼女のおかげで、私の4年間続いているトークショーのなかで最高の評価が出ました。

(会場拍手)

それが祝福の1つです。もう1つの祝福は、Tモバイルが電話をくれて、スーパーボウルのコマーシャルをやらないか、何百ドルもの額を払うと言ってくれたのです。彼らが大金を払ってくれたので、また来年もミス・ユニバースで間違った名前を呼ぼうかと思ったくらいです。

(会場笑)

神様がなにを与えてくれるのかは待たなければなりません。私は妻に言いました。「私はいつもスーパーボウルのコマーシャルをやりたいと言っていたけど、神様はそれさえも私に与えてくださったんだ」。神は私の国際的評価を上げてくださったので、私たちは現在12ヵ国に別荘を持っています。その別荘は無料で、1ヵ月間、私と家族が泊まっても無料なのです。

神がなにを与えてくれるのか、あなたも逆境を乗り越えなくてはならないのです。もし逆境があなたをおそったなら、「教訓」と「祝福」があるということを忘れないでください。

信仰は物事を可能にするが、楽にはしない

3番目に私が伝えたいことは、「楽をするために神頼みをするのをやめよ」というものです。なぜなら神はそのような願いには答えてはくれないからです。

みなさんは教会に行き、たくさんの聖句を暗記するかもしれませんが、実際それを生活に当てはめる人はいません。神もイエスもあなたの生活を楽になどしてはくれません。

「おお主よ、私はこんな経験はしたくはありません」とあなたは言うかもしれませんが、お気の毒様。「主は私の不安をすべて除き去ってくださる」そうだといいですね。「主よ、もう疲れました、やりたくありません。主よ」そんなあなたはいったいなにをしているのですか。神にそんなことを願うのはやめなさい。信仰を持ちなさい。

聞いてください。信仰は物事を簡単にしてくれるのではありません。信仰は物事を可能にしてくれるのです。あなたは信仰を持たなければならないのです。あなたが卒業して、なにかを成し遂げようとするとき、「信仰」を持たなければならないのです。

あなたは卒業資格を手にします。これは本当にたいそうなことです。しかし、卒業証書はただの壁飾りにもなりうるのです。出て行ってなにかをやらなければなりません。人生に信仰を持たなければならないのです。「主イエスよ、私の人生が楽になりますように」なんて祈って、楽になるわけがないのです。

あなたの人生では、愛する人も亡くなるでしょう。自分の就きたい仕事に就けないこともあるでしょう。会社にいるある日、1枚の紙切れを渡されて、明日からもう来なくていいと言われることだってあるかもしれません。会社が移転することになって、自分には金銭的ゆとりがないがために一緒に移転できないということもあるかもしれません。そんな風に悲しんでいるときに車がなくなるかもしれません。盗む人がいますからね。

(会場笑)

または、ある日突然自分の家が火事になるかもしれません。「主よ、主よ」と言ったとしても、家は炎に包まれたままです。なにを神に頼んでいるのですか。炎を家から取り除くことですか? 家はすでに燃えているのですよ!

(会場笑)

「イエスよ、車を取り戻してください」なんて祈っても、彼は車を戻したりはしませんよ! 信仰は人生を楽にしてくれるわけではないのです。

しかし、信仰は物事を可能にしてくれます。私はトレッドミルのバイクで4時間自転車をこぎました。そうやって毎日4時間を1ヵ月間繰り返して寄付金を募る活動をしたのです。

ある人がこう言いました。「あなたはもう59歳ですよ。自分のラジオ番組をやりながら、59歳なのにトレッドミルに毎日4時間乗るなんて、どうやってやるつもりですか?」。私は「正直、わかりません」と答えました。その人は言いました。「そんなのは不可能に違いない。今まで続けて4時間もやったことがあるんですか」。私は答えました。「ありません」。

すると彼は「どうするつもりですか」と聞きました。私はこう答えました。「信仰を働かせます」「どういうことですか。無理ではないですか?」。難しいのはわかっていました。信仰は物事を楽にしてくれるわけではないからです。しかし、可能にしてくれるのです。

私がどうしたと思いますか? 100万ドルを目標にしました。毎日、1日も欠かすことなくトレッドミルに4時間乗るのを1ヵ月間続けました。トイレ休憩以外は休むこともしませんでした。

神はまた恩寵を与えてくださいました。本当に神はあふれんばかりに恩寵を与えてくださったのです。100万ドルに届くのが目標でしたが、どれだけ集まったと思いますか? 180万ドルです。

(会場拍手)

それが私の言う恩寵です。神はあなたが感謝すればより多くのものを与えてくださるのです。信仰を持ってください。

想像は来たるべき未来のプレビューである

最後に私が言いたいことがあります。それが終わったらみなさんには早く証書を受け取っていただきたいのです。あなたの偉大さはあなたの想像のなかにあるのです。

これは難しい話題です。最後の話になりますが、私に同調できない人もいるでしょう。私の後に話すのは誰でしょう。ヘッドライナーの次に話をするのは大変なのですよ。

この話も聞いてください。あなたの偉大さはあなたの想像のなかにあるのです。卒業資格を手にして、その想像を忘れることのないようにしてください。今、私はあなたに教えて差し上げましょう。

もし私が今まで話したことを聞いてなかったとしても、ここだけは注意して聞いてください。これはここにいるみなさんすべてに向けての話です。私の母の教会にはある聖句が書いてありました。それをみんなで読みました。いつもその聖句を読むたびに、教会はクレイジーになりました。

その聖句は信仰に関するものでした。こういうものです。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである」。

そうですね、みなさんご存知ですよね。母の教会では、この聖句が読まれるたびに、みなが立ち上がって拍手をしました。私も一緒になってそうしました。しかし正直に言いますと、その意味を理解してはいませんでした。

(会場笑)

キング・ジェームズ版はとくにわかりにくいのです。私の聖書には4種類の翻訳が載せられていましたが、キング・ジェームズ版は本当に理解しにくく、ギブアップでした。私は高校は卒業しましたけど、それでもわかりませんでしたよ。

私はその聖句の意味を理解してはいませんでしたが、ある時ある本を読んでいて、アルバート・アインシュタインの言葉が載っていました。彼はその聖句を、普通の英語、私のような人でも理解できる訳にしてくれていたのです。アルバート・アインシュタインがなんて言っていたと思いますか?

彼はこう言いました。「想像はすべてである。それは来たるべき未来のプレビューである」。これでわかりますよね。

この言葉の本当の意味がわかりますか? これは私にとってはニュースでした。つまり、「あなたが想像することはなんでもリアルである」ということなのです。

(会場拍手)

リアルなだけではありません。それは神があなただけに、来るべき未来を見せてくれているのです。

(会場拍手)

興奮しますよね! 私はそれを聞いて泣きそうになりました。私がその言葉を聞く必要がどれだけあったと思いますか? あなたは自分の想像はそれほど重要ではないと思っていたかもしれません。ただのランダムな思い付きであると思っていたかもしれません。

しかし、このことに気が付いたことはありませんか? 不可能な考えを考えるのは不可能だということです。それは不可能なのです。あなたはそんなに幼いわけではありません。

あなた自身のすべては、それを想像し、信じたからこそ存在している

ではそのような想像はどのようにあなたの頭のなかに入り込んだのでしょうか。教えて差し上げましょう。神です。神が入れてくれたのです。想像をあなたの頭の中に入れることによって、来るべき事柄のプレビューを見せてくれているのです。これまであなたが想像してきたことは、神様があなたの目的を見せてくれていたのです。

しかし問題は、あなたがその想像を、間違った人たちに話してきたということです。そうでしょう。もしあなたが自分の大きな夢を相殺したいなら、閉鎖的な人に伝えればいいのです。そういう人はいつもあなたが夢をかなえようとするたびに、それをぶち壊してきたのではないでしょうか。

私がこんなことを言うとは思ってもいなかったでしょう。ですからちゃんと聞いてください。人にいちいちすべてを伝えるのをやめなさい。あなたたちはすぐ人に言いたがりますよね。友達とか、俗にいう、「愛する人たち」に。そしてあなたはそういう人たちが自分を大切に思ってくれていると信じているのです。

あなた方のなかにはとてもすばらしい人生の取引が生じる人がいるかもしれません。神があなたに見せてくれている、ビジネス、移動、機会、さらなる教育、さらなるトレーニング、それらはあなたの世界を変えるかもしれません。

このなかにそのようなきっかけを持つ人がどれだけいるでしょうか。そしてそれを無駄にしてきた人がどれだけいたと思いますか。俗にいう、友人や愛する人たちがその夢を打ち砕くのです。そしてあなたは、彼らはあなたを愛しているから、あなたは彼らが自分の一番を考えてくれてそうしているのだと思うのです。そしてあなたは彼らを信じたのです。

それは大きな間違いです。もし神がそのような想像を彼らの頭に入れようとしたのであれば、そうされたでしょうが、その想像をあなたの頭のなかに入れたのです。どうかこの卒業資格によって想像力を失うことのないようにしてください。

あなたの偉大さはあなたの想像のなかにあるのです。それがどのように作用するかを教えて差し上げましょう。今日あなたが得ているすべては、あなた自身のすべては、あなたが想像し、信じたがゆえに存在しているのです。

あなたは大学の卒業資格を手にしました。なぜならあなたがそれを想像したからです。そしてそれを信じたから、今日卒業証書を手にするのです。意味がわかりましたか?

(会場拍手)

簡単な例で考えましょう。今日のあなたの髪型はどうでしょうか? 気に入っていますか? みなさんの髪型はそれぞれです。自分に似合うと想像した髪型を、今日してきたのではないでしょうか。それを信じて、その髪型にしてきたのです。

服装はどうでしょう。あなたの着る服は元はお店のハンガーにかかっていて、それを自分が着たらどうなるかを想像し、自分に似合うはずだと信じて、それを買ったのではないでしょうか?

あなたの乗っている車はどうでしょうか。誰も強制的にあなたに今の車を買わせたのではないでしょう。世の中にはいろんな車があります。自分がその車に乗っているところを想像してその車を買ったのではないでしょうか? もしロールスロイスを想像すれば、神はそれを与えてくれたのかもしれませんが、あなたは今プリウスに乗りたいと思ったので、今プリウスに乗っているわけです。

(会場笑)

私は祈りの産物であり、「恩寵」「同情」「許し」の産物です。私の母はいつも私のために祈ってくれました。それゆえに私はここにいるのです。私はその産物なのです。

小さい頃の想像が今の人生を作った

それともう1つ言わせてください。私はまた、「想像力」の産物でもあります。私の人生のいくつかは自分の想像してきたものでした。私が10歳の時、1968年、11歳だったかな? 夏休みが終わったばかりの頃です。先生が教室に入ってきてこう言いました。「みなさん、この紙に名前と、大きくなったらなにになりたいかを書いてください」。そこで私はその紙切れにこう書きました。「テレビに出たい」。

みなさんはご存じないかもしれませんが、私は小さいとき、重度のどもり癖がありました。私は家の外では話ができませんでした。何年もひどいどもり癖があったのです。よく笑われました。ご存じないと思いますが、私は退学処分を受けているのです。今だから言えることです。

ご存じないと思いますが、私は全財産を2回も失っています。二度もすべてを無くして、1からやり直しになったのです。二度の結婚生活を経て、ここにいる妻に巡り合うことができました。私はみなさんに自分のことをお話ししているだけですが、実は私はホームレスだったこともあります。車内に3年間も住んでいたのです。茂みの陰やガソリンスタンドで体を洗いました。このスティーブ・ハーベイが、ですよ!

(会場拍手)

あの時私が紙切れに書いたのはテレビに出たいということでしたが、どうなるか当初は知りませんでした。みんなが紙切れに記入すると、先生は生徒みんなを教室のなかに立たせ、みんなの名前と夢を読み上げました。

先生は私のを最後に読み上げました。先生は私に前に来るように言いました。そして私はその時覚悟を決めました。私は6年間学校に通っていて、なんの賞をもらったこともなかったのです。そして勇んで前に出ていきました。

私の考えは大間違いでした。先生は私に金星を与えるために前に呼んだのではありませんでした。彼女は私を馬鹿にするために前に呼んだのです。辱めるために呼んだのです。

始めに彼女は私が重度のどもり癖を持っているといることを知っていました。なぜ私が話せないことを知っていて前に呼んだのでしょうか。彼女は私にこう言いました。

「なぜこんなことを書いたのですか? 学校にいてテレビに出たいとはどういうことですか? 近所にテレビに出たことがある人がいますか? 家族のなかで誰かテレビに出た人がいますか? そこに立っている自分を見なさい。話すこともできなくて。あなたみたいな人を、誰がテレビに出すでしょうか」。

だから私は毎年クリスマスに彼女にフラットスクリーンのテレビを送り付けてやっているんですよ。

(会場歓声)

カーネル・サンダースは60代で成功した

私は彼女に、ウェストヴァージニアの、小さな田舎の少年がどうなったか、退学処分になった私を見せてやりたいのです。自慢するわけではなく、彼女に、神がなにをしてくれたのかを見てほしいのです。彼女が言ったようなすべてのことをもってしても、こうなったのです。

あなたは私の想像力を持っているわけではないので、なにを言う権利もありません。その当時は、今このようになるとは知りませんでした。想像はすべてです。想像力は未来にやってくることの予告編なのです。

その想像力のくだりはあの聖句の後半のことです。いいえ、「信仰は望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである」。あなたの想像力は見えないということの証拠です。あなたの想像力はあなた以外の誰にも見えないのですから。

ここにいる人のなかで、私のこの話を聞くには歳を取りすぎていると思っている人たちがいるかもしれません。私のベストな模範は「ケンタッキー・フライド・チキン」です。

気に留められたことがないかもしれませんが、あのバケツに描かれているあの人、あの人は老人ですよね。30歳とかではありません。カーネルはずっとみんなに、自分が世界で一番おいしいチキンを作ると言っていましたが、誰もそれを信じませんでした。

彼が60代になるまで、誰も彼にフランチャイズを与えることもしませんでした。しかし「ケンタッキー・フライド・チキン」は今や、世界で一番多くチキンを売り上げているのです。

ですから、もしここに座って自分は歳をとりすぎていると思っているならば、私なら歳を取って死ぬならお金を稼いで死にたいですよ!

これで最後になります。「想像」はすべてです。それは未来に起こることの予告編です。お尋ねしますが、あなたが映画を見に行くとき、ポップコーンを買って席に着きますよね。映画本編が始める前になにが上映されますか? 予告編ですよね? 近日上映予定の予告編ですよね。予告編が上映されたのに放映されない映画があるでしょうか?

あなたがその映画を見に行っても行かなくても、映画は上映されるのです。あなたがその予告編が好きでも嫌いでも、その映画は上映されるのです。しかもその映画は大きな売り上げを上げるかもしれませんし、あなたがその俳優が嫌いでも、その俳優がオスカーを受賞することもあるのです。

ですから次回、あなたの天の父が、予告編を見せてくれる時には、本編を見に行ってください! あなたはきっとその映画を気に入るでしょう。今日はお招きいただきましてありがとうございました。