モダンアートはコンテンポラリーアートではない

カリン・ユエン氏:CookiepoetさんのTumblerの投稿にこんな質問がありました。「コンテンポラリーアートを、もっと辿っていったり理解したいので、見たり学んだりできる、リソースや場所、リンクなどを知っているでしょうか」というものです。いただいている質問には、いつも私はブログの投稿でお返事していますが、この話題の理解を広げてみるために動画を作ってみました。

動画は2つの部分に分けました。最初のパート1では、コンテンポラリーアートとはなにか、どこが学ぶのに難しいのか説明を試みたものです。そして後半のパート2では、私のお気に入りのWebサイトや本などのリソースをご紹介し、コンテンポラリーアートに接しやすくなるようにしたいと思います。

コンテンポラリーアートという用語は、基本的には、私たちが生きている間になされたアートというように聞こえます。しかしながら、この定義は拡大し続けていて、おそらく20年前よりもそれを定めるのが難しくなっています。よって、いつ正確にコンテンポラリーが始まるのか、ピンポイントで知るのは非常に難しいのです。

例えば、モダニズムはAからBの間である、という人がいるかもしれません。実際にはAからBという明確な切れ目があるわけではありません。多くの人々が、1つのものが終わったらその次のものが来るという例をかんがみて提案するところでは、最初にポストモダンという言葉を知ることが必要になるでしょう。これは、モダンアートの終焉とともに始まります。

しばしば、モダンアートはコンテンポラリーアートであると解釈されていますが、この2つはまったく異なる時代、異なる期間を指しているので、混同しない方がいいです。これは、また別の動画で説明しましょう。

コンテンポラリーアートを理解するには?

コンテンポラリーアートは1972年から今日までと考えられています。どうしてこのような区切りにしたのかというと、コンテンポラリーアートは、常に変化し続けていて、非常に追いかけるのが難しいのです。人々の嗜好も意見もいつも変化しています。

しばしば、アートはポスト・ムーブメントの時代であるといわれていて、これは、アーティストは、今までの先達がやっていたような、様式的に特徴づけられるグループ分けから、まったく自由であることを意味しています。

個人が独立した活動をしていても、まったく孤立したものと解釈されることはありません。彼らはある種のリサーチや、対話、そしてコラボレーションのもとに動いていて、これは、キュレーターや批評家、アカデミック研究者、コレクターやディーラー、そしてもちろん仲間のアーティストで形成されるネットワークの一部になっています。

結果として、そのネットワークの一部でなければ、内容を理解する、あるいは掌握するのが難しいのです。たとえば、もし、これが内輪のジョークであったとしたら、元々の文脈を知らないと、どうしてそれがおかしいのかわからないでしょう。

もちろん、アートとジョークを比較するつもりはありません。しかし、しばしば、ある特定の作品や、背後にある物語を知らなければ、作品の内容にアクセスするのは難しくなります。

ブライアン・アシュビー(Brian Ashbee)は「Art Bollocks」と題した記事で以下のように書いています。

「ポストモダンの作品、とりわけアプロプリエーションと呼ばれる引用が特徴的な作品に、アクセス可能にするためには、理論的な言説を持続的に維持するネットワークが必要だ。問題なのは、誰が、理論的な言説を提供するのかということだ。キュレーターが提供するのか、批評家なのか、あるいはアーティストなのか」。

私は、アートを理解するためには、美術史家や専門家にならなければいけないという印象をみなさんに与えたくない、とそのように思っています。しかしながら、ある種類の知識を持つことで、見る人にとって、より密接に関わることのできるものになると思います。

次の動画では、私が自分自身でコンテンポラリーアートの勉強を続けていくために、個人的に用いているWebサイトや本などのリソースをご紹介しましょう。みなさんがこの動画に興味を持ち、役に立つと思っていただければいいと思います。ご視聴ありがとうございました。美術の世界に関わっていない人たちにとって、どうしてコンテンポラリーアートが少々難しいと感じられるのかということをお話しました。