産業革命などを契機に生まれた“モダニズム”

カリン・ユエン氏:こんな質問が寄せられました。

「モダニズムとアンチモダニズム、ポストモダニズム、現代アートの違いはなにか?」

モダニズムは、だいたい1860年代から1970年代までに作られた芸術品のことを言います。古いものを投げ捨てて、新しいものを取り入れたことがその特徴です。

ほかにも、新しい見方や、芸術はどう機能するかについての新しい考えなど、いろんな実験がありました。

歴史的には、製造や交通機関、技術などの分野で急速な変化が起こった産業革命に結びつけられますね。そういった変化が西部ヨーロッパや北アメリカの社会的、経済的、文化的状況に影響したのです。

人々は都市空間に移動しました。旅行したり、新しい世界観や新しい考えを手に入れたりしながらね。写真という発明も絵画にアイデンティティークライシスをもたらしました。

景色を完ぺきに再現するこの新しい技術ができてしまったなかで、絵画にできて写真にできないことはいったいなんでしょう?

裕福なパトロンのための過剰に装飾された神話的、宗教的景色はもうい必要なくなってしまったのです。モダンアートは、直接アーティストたちが接した人々、場所、そして考えに関するものでした。

ジークムント・フロイトが1889年に『夢判断』を出版したことで、アーティストは主観的運動を描写する手段として、夢や象徴的意味、象徴的表現形式に興味を持つようになっていきました。

ピカソがキュビスムを捨てた“アンチモダニズム”の時代

アンチモダニズム、あるいはカウンターモダニズムは、第一次世界大戦の後にヨーロッパ中に広がったたくさんの似たような運動の総称です。

「慣例に戻ろう」という意味の「Le Rappel a L'ordre」という集合名がついていたように、それは極端な前衛芸術を拒絶して、代わりに伝統芸術から学ぼうというものでした。

とくに“未来派”に焦点が当てられました。彼らは、暴力や権力機構を崇めるほど技術を礼賛し、歴史や伝統に逆らって過去の文化を非難した反伝統主義者たちのグループでした。でも、未来派の芸術家の弟子たちが内側から崩れたときに途切れてしまったのです。

とくに、セベリーニやカッラがジョルジョ・デ・キリコの弟子になって、ピカソやブラックはキュビスムを捨てたんです。

ピカソは、ラファエロやアングルの作品を思い出させるような新古典主義的な方法で作品を作りました。

この風潮は、ドランやメッツァンジェ、新即物主義やノヴェチェントイタリアーノ運動のアーティストといった、1920年代に活躍していたたくさんのアーティストの間で顕著でした。

高級芸術と大衆芸術の境界がなくなってくる“ポストモダン”

ポストモダンアートは、1960年代頃の芸術運動の中心にあったものですが、時期を正確に示すのは難しいですね。

アートとされるものの概念を、マルチメディアや展示、概念芸術、映像芸術なんかにも広げたの。ブリコラージュやコラージュ、単純化、焼き直し、パフォーマンスアートなどが現れてきます。

高級芸術と大衆芸術または大衆文化との境界がぼやけてきます。即時性やモダンアートでは見られない現在の感覚があります。

おそらく、アンディー・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインなんかのポップアートを見てみるのがわかりやすいでしょう。

さて、この動画のいちばん難しいパート、「現代アートとはなにか」を定義する部分が来ました。

モダニズムはいつ終わった?

現代アートは、基本的にはモダニズム以降のものですが、そうすると「じゃあモダニズムはいつ終わったの?」という問題が生まれますよね。

現代アートを私たちが生きている間に作られたアートとして定義する人もいますが、でも“生きている間”は人によるので、あんまり使えないですよね。それから、現代アートはポストモダニズムがその傘下に入る大きな枠だと主張する人もいます。

「現代アート」という言葉が最初に使われたのは、1910年にロンドンのコンテンポラリーアート協会のロジャー・フライの批評にまで遡ります。モダンアートは歴史的な芸術運動になってしまったから、もはや「モダン(現代の)」はその時代のアートを意味しなくなってしまって、彼らは今現在に作られたアートについて話すための新しい言葉が必要になったんです。

明確な移行はなかったのですが、多くの組織が実際にその区別がごっちゃになるのを避けるために「モダンアート」と「現代アート」という言い方をしていました。

最後に。みんなが同意する考えなんていうものはなくて、人々はつねに考えを提案して洗練していくものです。そのうちにあなたがなにか新しい考えを学んだと思えるといいのですが。

質問者に改めて感謝したいと思います。観てくれてどうもありがとう、またね!