物質・実質・人・機械の4象限に展開する体験

尾原和啓氏(以下、尾原):結局、今後のテクノロジーの進化が、今は音楽を聞くというのがこの4象限(物質・実質・人・機械)で起こっていたことが、バーチャルリアリティみたいなことが起こると、旅行もこの4象限になっちゃうかもしれないし。

場合によっては、「地方の名産品を食べる」という行為自体も、今は人で物質的でしかなかったものが、機械で実質的なものになりうるかもしれないという。あらゆるエンターテインメントが左上から右上、ないしは全部に展開するかもしれないという話だよね。

落合陽一氏(以下、落合):そうそう。今までのプラットフォーム企業は、人にとって決定的だった場所を押さえにいってたんだけど。この4象限でエンターテインメント、例えばご飯とか、音楽とかがはられると、本当にニッチがいっぱいできるんですよ。

尾原:そうだね。

落合:その証拠に、今カセットテープの需要がめっちゃ伸びてるらしいんですけど。音楽カセットなんてふだん使わないじゃないですか。

だけど、物質的に音楽を聞きたい人が増えていて。レコードとかカセットをやってる人もいれば、全部Appleのクラウドから落としてくるようなものでいいと思っている人もいるわけです。音楽はここ数年実質的なものだったからね。

なんでこういう象限が広がるかというと、この物質と実質、人と機械に対する好みって、おそらく人によってぜんぜん違うスキームによって誕生していて。それをどうカテゴライズして1個1個ニッチを埋めていくかというのが次の課題です。

そういうのは俺が突飛に言い出したアイデアかというと、意外とそうでもなく、例えばアンソニー・ダンがいます。イギリスのRCA(英国国立芸術大学)の先生なんですけど。この人は「じゃあ、未来にフィクションを何個か作って、そういう仮説を立てて未来のことを考えていこう」というような考え方をしてる人なんですけど。

そうすると、一番重要なのは、仮説が落としうるマッピングをいろんな人が作っていくことで、うちの研究室はさっきのスキームをベースにして研究してるんですけど。そういう領域を工学的に探求していくというのが、すごく重要なことになっていく。今まではニッチを攻めてるわけじゃなくて、みんなで同じパイを攻めてたから……。

尾原:どうしても過当競争になっちゃって。

落合:全員同じことしてればよかったんだけど、領域を工学的にデータサイエンスから探求していって、どのニッチがあるかというのを、各ECごとにやっていかないといけないし、各メーカーごとにやっていかないといけない、というような状況に落ちてきて。

でもこれは、たぶんツールで提供されるから、すごく簡単にはできるんだけど、ただそこをみんなで意識していかなきゃいけないよねという。

「初音ミク」誕生に見る音楽産業の変化

尾原:そうだよね。例えば音楽産業を考えたときに、今までは人の物質しかなかったから、結局芸能人という一部のものが資産で、そこを奪い合うゲームをやってたけど。

「初音ミク」という機械による実質的なものが発生したことによって、歌い手とかボーカロイドを作れる人が資産に変わるから。そこの奪い合いのゲームに変わったから、今2個(機械×実質)が強いみたいな話だよね。

落合:そういうことを考えて、例えば戦略をとるときにどういうこと考えるかといったら、だいたいストーリーを1個作るんですよ。5年後とか10年後どうなるかというストーリーを1個作って。

例えば、あらゆる写真や動画の解像度が上がって、バーチャルリアリティで体験するのも実体験と変わらなくなって、写真の証拠能力も変化すると。「人間の持ってるイメージと物質の区別はつくのか?」みたいな未来に仮になったとしよう。

そういうような世界はきっとバーチャル・リアリティの文脈のなかでやがてくるんだけど、そのときに人はなにに価値を持つのかということを考える。そういうものが本当に所有したいものなんじゃないか。

尾原:はいはい。そうですね。

落合:例えば人間が所有したいものって、腕時計だったり、指輪だったり、もしくは家具だったりとかあるんだけど。そういうものは、物質の解像度がものすごく高いからそこに勝てない。

ただ、実質的なバーチャルリアリティで済むようなものは、表面がなにでできてていいし、みんなVRゴーグルをつけてるかもしれないから、解像度はそんなに関係ない世界になる。

ただ、金を払ってでも欲しいものは、デジタル技術がなかに組み込まれているけど、物質的に、例えば木目だったり、川だったりみたいな、解像度を上げていく方向になるだろうという予測が立って。つまり、すべてのものがVRになる未来ということは、アナログであって、それを所有したい……。

尾原:「所有することに欲望を感じる、物質であり機械であるというものはなにか?」を追求すること。

落合:というようなリサーチは重要です。

ユーザーがモノに愛着をもつ仕組み

尾原:でもそうすると、サービスサイエンスって学問あるじゃない? そのなかでモーメント・オブ・トゥルースというのがすごく大事だと言われていて。

これなにかというと、ものを体験したときの最初の15秒で人はそこに愛着を感じるかどうかなんですよ。これの一番わかりやすいのがZippoのライター。

あれって、カチッて開くときの、密閉感から開くところの空気が入っていく感じだったりとか、重みの変化とか、ものすごい五感を刺激する構造を作ってるんですよね。そういう感覚を複数使って、しかもそれぞれの解像度が高いものに愛着が起こるという話だよね。

落合:そうなんですよね。ガラスとデジタルデータって解像度がものすごい低いので。それがアナログの手触りになってるとよい。

ただ、全部アナログの手触りにしてしまうと、デジタルデバイドな装置になっちゃうから、じゃあ、アナログをどう残しながらデバイス表示をするのかというところが、ひとつのせめぎ合いになったり。

尾原:逆にアナログのものをデジタルによって、どうチェリッシュを倍加させるかみたいなことを研究するってことだよね。

落合:そうですね。

尾原:おもしれぇ。

落合:なんでそんなことをやってるかというと、我々は今までずっと絵画の時代に生きてたわけです。18世紀とか。要は写真を撮りたかったから人を連れて来て……。

尾原:肖像画でこうやって書きますと。1ヶ月立っててくださいと。

落合:そう。1ヶ月は立たないけど(笑)、でも本当に1週間ぐらいかかったりするわけですよね。

そういうクラフトマンシップによってものができていて。それが産業革命以降、人と機械という対照概念が生まれて、機械が労働するのを人が見守るように。

尾原:そうだよね。だから、今まで1点ものだけだったものを機械が大量生産してくれるようになりましたと。

落合:それでデザインとマスコンテンツ、つまりコンテンツ消費をしながら、そのものによって、一人ひとりが「幸せに生きるってなんだろう?」というのをつくってるんだと思います。

でも今、我々はもっと別なところに行こうとしていて。さっき言った実質と物質の間、人と機械の間ってものすごくメッシュになっていて、1個1個のニッチは個別のテクノロジーを突っ込んでいかないといけなくて。

その個別のテクノロジーをどうやって実現するのかというと、実際に個人別にものをつくってもコストが上がらなくなってきた。例えば3Dプリンタで作ってもいいし、中国のシンセンに発注してもいいんだけど。

そういう小ロットのテクノロジー生産、もしくは人によるデータサイエンスによる可視化、物質化みたいなものが、すべてのメッシュに含まれるようになってきて。

尾原:簡単できるようになった。

落合:それはデザインという言葉からテクノロジーに1段上がってくると思うんですよね。

マス商品から個別体験、コミュニケーションへの移行

尾原:そうだよね。今までは結局、ある程度マス商品なんだけれども個別性が高い、マス商品なんだけど受け取った人にとっては作品と思ってしまう、これを追求したのがデザインであり。たぶんこれを世界で最大価値にしたのがAppleで、だからマス商品なのに時価総額最高。

という話が、テクノロジーの進化で一人ひとりがもう1回、1点ものが作れる時代になったから、「じゃあそのテクノロジーってなんだろう?」ってところを突き詰めていかなきゃいけない。

落合:そうですね。だってAppleって、マス勝利をしたあとは、すごく個別な製品を作っていて……。ジョブズが生きてたらありえないような。iPad Proも2ラインあって。

iPad自体もminiとAirがあって。MacbookもMacbook Proと普通のMacbookとMacbook Air。あとデスクトップも2つあってみたいな、最大のラインナップになってる。しかもApple Watchのバンドは何種類とあるし、サーフェイスもぜんぜん違う。

それをよしとしてきたのは、要はデザインというマスの段階が終わったから、じゃあ個人別とかコミュニケーション商品のほうにどうやって移行していくかという。

尾原:舵を切らざるをえなくなった。

落合:そう、舵を切って試行錯誤してるわけですよ。それは極めておもしろいことで。それって個人のコンテキストが多様化していって、コミュニケーション消費になっていく1つのかたちなんですよね。

たぶん一番具体的でわかりやすい例で言えば、AKB48という全員いるアイドルの区別はつかないけれども。でも、昔は松田聖子とか1人のアイドルのCDを300万枚売る戦略で攻めてたわけだけど、(今は)100人ぐらいのファンをニッチに分けて、それを合わせることで……。

尾原:そうすると1人ぐらいは、その人だけのアイドルが合うでしょうと。

落合:そう。合うものが存在する。

映画産業も、全員にマスコンテンツを提供して、脚本を考えてたわけだけど。例えば今、ハローウィン消費って映画産業の消費と同じぐらいの産業規模があって。

それって、我々は個別の体験により多くのお金を払うことでエンターテインメントにしていくということが普通に発生するようになった。これを一番インターネット企業でうまくやったのはAmazonなんだけど。

尾原:Amazonだね。

落合:ロングテール消費をどうやってインターネット上で展開していくかということを考えていたわけだけど。ここに個別のテクノロジーが入ってくるのが21世紀なんじゃないかなということが言えると思います。

尾原:ちなみにこのへんの話は、このあと原田曜平さんのセッションがあると思うので、そこに行くとすごい深掘れる。

さっき言った4つの象限のなかの、人と物質はどんどん体験の時代に入っていくので、この体験の時代をどのように設計するのかというのが、原田曜平さんの仕事です。僕たちの話は、たぶん右下にしながら、全象限がどうなっていくかということを話す感じだよね。

「21世紀は魔法の世紀」

落合:そうですよね。そのなかで、我々は今、マスメディアの時代から現実の物理空間の時代に戻りつつあって。

例えばAmazon Dash Buttonはメディアかと言われたらメディアなんだけど。でも、マスメディアかって言われたらぜんぜんマスメディアじゃない。

尾原:あれは個別性のあるインプットでしかないからね。

落合:そういう散りばめたメディアによって、マテリアルなのかバーチャルなのかわからない体験をずっとしていくようになるんじゃないか、ということが考えられるわけです。

尾原:さらに言えば、今までは結局、アウトプットがスクリーンに限られていたものが、ありとあらゆるものがスクリーンになりうる。

落合:そういった研究をしてます。たぶん20年ぐらいすると効いてくるんだけど。

そのなかでずっと、「21世紀は魔法の世紀」と言ってるんだけど。なんでかというと、マックス・ウェーバーが昔「魔術から科学へ」と。つまり「科学技術によって世界は脱魔術化した」と言ってて。

昔はなんで火で炙ったら細菌が死ぬのかわからなかったんだけど、パスツールが出てきて、中に細菌がいるのかと。火で炙ってて腐らなくなったのは細菌を殺してたんだというのがわかったんだから。

尾原:昔の人はそれを魔術だと思ってたわけですね。

落合:思ってた。

それを全部科学で置き換えてみたら、科学技術というのは1人の人間が学習するには十分に足らないほどに大きくなってしまって、世界がもう1回再魔術化し出したのが今です。

それがどうなってるかなんてまったくわからないので、一人ひとりにぜんぜん違うコンテクストが必要なんですよ。

理由がわからないから結果が使える世界になっていて。これはすごい、工業社会において虚無感が生じているというのは80年代から指摘されてることで、ここを埋めるのがナラティブだと思うんですね。

尾原:そうですね。この話を聞いて思い出したのが、ハインラインが昔『月は無慈悲な(夜の)女王』という作品を書いていて。

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