大統領候補、ヒラリー・クリントン氏の母校

チママンダ・アディーチェ氏:2015年度卒業生のみなさん、こんにちは。

(会場歓声)

ご卒業おめでとうございます! 素敵な歓迎をありがとう。ボトムリー学長、すばらしいご紹介ありがとうございました。私はウェルズリーの使命、歴史、成功をずっと高く評価してきました。お招きいただき本当にありがとうございます。

この美しい土地の優れた大学を卒業できるなんて、あなた方は途方もなく幸運です。天の神々が正しい行いをすれば、あなた方はすぐに、アメリカ初の女性大統領を生み出した大学の誇らしげな卒業生になるでしょう!

(会場歓声)

ヒラリー頑張って!

(会場笑)

私はここにいることが本当に、本当にうれしいんです。実際、あなたたちの学年の色が黄色だとわかった時、黄色のアイシャドウを塗ろうと決めたぐらい、ここにいられることがうれしいんですよ。

(会場歓声)

でもやっぱり、ウェルズリーのことは崇拝しているけれど、黄色のアイシャドウはちょっとやりすぎかなって思ったの。

(会場笑)

だから代わりに、この黄色の……黄色っぽいかぶりものを掘り出してきたわ。

(会場歓声)

アイシャドウと言えば、私は20代までお化粧にはあんまり興味がありませんでした。ある1人の、声の大きい不愉快な男が理由で化粧をするようになったんです。

(会場笑)

なぜ私は化粧をするようになったか

彼は友人の晩餐会に招かれていた客で、私も同じく招待されていました。私はだいたい23歳ぐらいでしたが、人にはよく12歳に見えると言われていました。晩餐会の話題はイボ族の伝統文化、コラの実を割るのは男性にのみ許されているという慣習についてでした。コラの実というのは、イボ族の世界観において非常に象徴的な要素なのです。

私は、その儀式が性別ではなく功績に基づいていたらいいのにと主張しました。そしたらその男性が私を見て、軽蔑的に言ったんです。「お嬢ちゃん、自分がなにを言ってるかわかってないだろ」ってね。私は彼に、私の主張について異議を唱えてほしかった。でも私が若い女性だというのを見たので、彼にとっては私が言ったことを退けるのは簡単だったんです。

それで、私は老けて見えるようにしようと決心しました。そういうわけで、口紅が役に立つと思ったんですね。あとはアイライナーも。あの男性には大いに感謝しています。それ以来お化粧と、お化粧の持つ一時的な変身のための驚くべき可能性が大好きになったんですから。

(会場笑)

このエピソードは、私がいかに男女不平等を発見したかを説明するために述べたのではありません。強いて言えば、これはただのお化粧に寄せる頌歌ですね。

(会場笑)

大学の卒業というのは、口紅をいくつか買うのにいい機会だって言うためのものです。

(会場笑)

もしお化粧が好きならね。いい色合いの口紅はいつだって、憂鬱な日にあなたを少しだけいい気分にしてくれますから。

(会場歓声)

だから、この話は私が男女不平等に気がついた話ではありません。なぜって、もちろん、そのずっと前からわかっていたんですから。子供の頃からね。

特別扱いが人を盲目にする

世界を観察することによって気がついたんです。私はすでに、世間では男性に施される多くの小さな優遇措置が女性には施されないと知っていました。

私はまた、被害者でいることは美徳ではないということも知っていました。差別されていることで、道徳的に優れた存在になったりすることはないのです。男性が生まれつき劣っていたり、邪悪なのではないということも知っていました。彼らは単に特別扱いされただけなのです。

そして私は、特別扱いは人を盲目にするのだということを知っていました。なぜなら、特権の本質は目隠しすることだからです。

私はこのことを個人的な経験から理解しました。高等教育を受けた家庭で育つという階級の特権から気がついたのです。それは時に私を盲目にさせました。自分とは異なる人たちとの微細な差違について、私は必ずしも敏感ではなかったのです。

そしてあなた方。ウェルズリーの立派な学位を得た今、どのような素性にせよ、あなたは特権を与えられたのです。ウェルズリーの学位、そしてここにいたという経験が特権なのです。

その特権があまり頻繁に目をくらませることがないようにしてください。時には物事をはっきりと見るために、その特権を脇に押しのける必要もあるでしょう。

私の母がよろしくと言っていましたよ。母はウェルズリーの大ファンで、ここに来たがっていました。

母は昨日、スピーチの準備はどんな具合かと聞くために、そして私の足が青ざめて見えないように、今日は足に化粧水をたっぷり使うことを忘れないでと言うために電話をしてきました。

(会場笑)

母のフェミニストとしての選択

母は73歳で、元はナイジェリア大学初の女性教務係です。

(会場歓声)

当時にしてみればそれはとても大変なことでした。母は自分が議長を務めた最初の大学の会議の話をするのが好きです。それは広い会議室で、テーブルの上座には「チェアマン」と書かれた看板がありました。母がそこに座ろうとした時、事務員がやって来てその看板を外そうとしました。

これまでのすべての会議は、当然ですが、男性が議長を務めてきたので、誰かが「チェアマン」を「チェアパーソン」と書かれた新しい看板に取り替えるのを忘れていたのです。事務員は母に謝り、彼女は「チェアマン」ではないため、新しい看板を探すと言いました。

母はその必要はないと言いました。事実、彼女は「自分はチェアマンだ」と言ったのです。彼女は看板をそのまんま残してほしがったのです。会議はまさに始まろうとしていました。彼女は、その日その時間その会議でやることが、「チェアマン」ならやったであろうことと異なっていると誰にも思われたくなかったのです。

私はこの話が好きで、母の猛烈なフェミニストの選択と思われるものに感嘆してきました。以前私はこの話を筋金入りのフェミニストの友人にしました。私は彼女が母にブラボーと言うだろうと予想していました。でも彼女はこの話に心を傷めたのです。

友人は、「なんであなたのお母さんは“チェアマン”と呼ばれたかったのかしら? 自分を認めてもらうために“マン(男性)”という部分が必要だったみたいじゃない」と言いました。ある意味、私は友人の言わんとすることが理解できました。公認フェミニストによる秘密結社が毎年発行する標準入門書があったとしたら……。

(会場笑)

その本には間違いなく、女性は「チェアマン」と呼ばれるべきではないし、呼ばれたくもないと書いてあるでしょう。でもジェンダーの問題は常に、周囲の事情や環境に関係するものなのです。

医学部をやめ、挑戦することに決めた

このエピソードにはある教訓があります。ウェルズリーで母の話をして、母をハッピーにさせること以外にですよ。

(会場笑)

それは、画一化されたイデオロギーは常に自分の人生に適合するわけではないということです。なぜって、人生というのはとっちらかったものなんですから。

ナイジェリアでの子供時代、私はほかの優秀な学生と同様に、医者になることが期待されていました。内心、私が本当にやりたいのは物語を書くことだということを知っていました。でも私はやるべきことをやって医学部に行ったんです。私は自分自身に、医学部を耐えて精神科医になろう、そうすれば患者の話を自分の小説に使えるんだからと言い聞かせました。

(会場笑)

でも医学部に1年行った後、私は逃げたんです。自分がとっても不幸せな医者になるだろうと気がついたし、患者の不慮の死の責任を負いたくなかったんです。

(会場笑)

医学部を退学するのは非常に珍しい決断でした。医学部に入ることがとても難しいナイジェリアではとくにです。後になって人から、そんなことをするなんてとても勇気があると言われました。でもそんな気持はまったくありませんでした。その時私が感じていたのは勇気ではなく、努力することへの欲求です。挑戦したかったんです。

私はそのまま医学部に在籍して、自分に合っていないものを勉強することもできましたが、別のものに挑戦することもできたんです。だから私は挑戦することにしました。アメリカの試験を受けて、医学とは関係ないことを勉強できるアメリカに行くための奨学金を手にしました。

住みたい世界を自分で作る

さて、もしかしたら、この挑戦はうまくいっていなかったかもしれません。アメリカの奨学金を手にすることはできなかったかもしれません。私の作品は成功を収めなかったかもしれません。でも重要なことは、私が努力したということです。

私たちは常に世界を望むような形に曲げることができるわけではありません。でも試みることはできます。協調して、現実的な、真に迫った努力をすることはできます。あなた方は恵まれていますよ。ここでの教育によって、すでに努力するのに必要な多くの道具を与えられているのですから。いつだって、まずは試してください。なにが起こるかわかりませんよ。

あなた方の卒業にあたり、今日の興奮と不安に対処するにあたり、あなた方が住みたいと思うような世界を作る努力をしてほしいと思います。世界を変えることができるような方法で、世界に貢献してください。現実的に、積極的に、実践的に、自分の手を汚すような方法で、徹底的に貢献してください。

ウェルズリーがあなたのために門を開いてくれるでしょう。その門をくぐり、大股で堅実に、自信を持って歩いて行ってください。女性の強さが驚くべきものではなく、ただ普通なものとして描写されるテレビ番組を作ってください。自分の生徒たちに、弱さを女性の特性ではなく、人間の特性として見るように教えてください。男性に、女性を幸せにする方法を教える雑誌の記事を制作させてください。

(会場笑)

女性が男性を幸せにする方法を教える記事はもうあまりに多く書かれていますからね。そして、マスコミの取材では、父親も家庭と仕事の両立について聞かれるようにしてください。この「うしろめたさの育児」の時代、どうかこの罪悪感を父親にも平等に分散させてください。

(会場笑)

父親たちにも母親たちと同じぐらい申し訳なく思わせてください。父親たちにこの罪悪感を分け与えてください。

アメリカ中のどこでも父親が育児休暇を有給で取れるように運動をして、関心を喚起してください。女性がほとんどいない職場では、もっと多くの女性を雇ってください。ただ、あなたが雇う女性は特別に優秀である必要はないということを忘れないでください。雇われる多くの男性と同様に、彼女はまあまあ優秀であればいいのです。

(会場笑)

フェミニズムは包括的な集まりであるべき

最近あるフェミニスト団体が親切にも、とある国の重要な賞に私を推薦してくれました。私はとても喜びました。これまでに何度か賞を受け取る幸運に恵まれてきましたが、賞を貰うことがけっこう好きなんです。

(会場笑)

とくにピカピカのプレゼントと一緒に渡される時はね。

(会場笑)

この賞を得るために、私はあるヨーロッパのフェミニストの女性作家がいかに私にとって重要であったかということを話すことが求められていました。でも実際、私はこのフェミニストの作家の本を最後まで読んだことがなかったのです。私の心には響かなかったんですね。彼女が私の考えになにか主要な影響を与えたと言うことは嘘になります。

本当は、私はフェミニズムについて、影響力の強いフェミニストの文章を読むのではなく、私が育ったンスカ(ナイジェリアの都市)の市場の商人の女性たちを見て学びました。

それでも私は、この女性が私にとってとても大切なのだと口先だけで言い、その賞とピカピカのプレゼントを手に入れることもできました。でもそうしませんでした。

このフェミニストというレッテルをそんなにおおっぴらに掲げることが一体なにを意味するのか、自分自身に問い始めたからです。私の女性解放論のスピーチの抜粋が、あなた方の何人かは知っているであろう、才能溢れるミュージシャンの歌のなかで使われた後に自分に問うたのと同じようにね。

私は「フェミニスト」という言葉が新しい世代に紹介されるのはとてもいいことだと思いました。でもこのことをたくさんの人が、その多くは学者たちでしたが、問題とみなし脅威だとすら感じたことに驚きました。それはまるで、フェミニズムは会員間の難解なしきたりがある、選ばれた人々のための小さなカルトであるべきだとされているようでした。

でもそうあるべきではありません。フェミニズムは包括的な集まりであるべきです。フェミニズムはいろいろなフェミニストたちがいっぱいいる集まりであるべきです。ですから2015年度卒業生のみなさん、外へ出て行って、フェミニズムを大きな、雑然とした包括的な集まりにしてください。

(会場歓声)

3週間前、父が誘拐された

過去3週間は私の人生で最も精神的に困難な時期でした。私の父は83歳で、元統計学教授の、立派で優しく、気取らない、品格に満ち溢れた人です。私は完全にお父さんっ子です。

3週間前、彼はナイジェリアの自宅近くで誘拐されました。そして数日間、私の家族と私は、人生でそれまでに味わったことのないような心の痛みを経験しました。私たちは電話で脅迫者と話をし、父の安全を懇願し、交渉をしましたが、父が生きているかどうか確かではない時もありました。父は私たちが身代金を払った後に解放されました。

父は元気で、まあ体調もよく、いつもどおりの素敵な方法で、熱心に自分は大丈夫だと私たちを安心させようとしています。私は今でもよく眠れていません。夜中に何度も恐怖で目が覚め、なにかほかに悪いことが起こったのではないかと心配しています。

私は今でも父を見ると涙が出てくるのを堪えられません。そして、父は安全だということに深い安堵感と感謝を感じます。それと同時に、父が体と精神にあのような屈辱を受けなくてはいけなかったことに憤怒を感じます。

この経験は私に多くのことを考え直させました。なにが本当に重要で、なにが重要ではないのか。自分がなにに価値を置き、なにに価値を置かないのか。今日卒業するにあたり、あなた方にも少しそのことについて考えてもらいたいと思います。自分にとってなにが本当に大切か考えてみてください。なにを大切にしたいのか考えてください。

私は、あなた方が先輩のことを「姉」、後輩のことを「妹」と呼ぶという、ずいぶん素敵な伝統について読みました。それと、あの、池に投げ込まれるとかいう奇妙なことについても読みましたよ。ちょっと意味がわからなかったんですけど。

(会場歓声)

あれは意味不明だったわ。

(会場笑)

本当の自分ではない一瞬一瞬は無駄になる

でもとにかく、私は今日はぜひ、あなた方の名誉姉妹になりたいと思います。

(会場歓声)

それは、あなた方の姉として少しアドバイスをしたいということです。世界中で女の子たちは、他人に好かれるように育てられます。他人を満足させるために自分を変えるのです。人に気に入られるために自分を曲げないでください。やめてください。

もし曲げられたバージョンのあなたを好きな人がいて、そのバージョンが偽りで、無理をしているものであったら、彼らはその歪められたかたちが好きなのであって、あなたを好きなわけではないのです。世界はものすごく多くの側面を持った多様性のある場所ですから、この世界にはあなたのことを、本当のありのままのあなたのことを好きになる人がいますよ。

私は幸運です。自分の作品が、私が関心を持っていることについて話すための舞台を与えてくれたのですから。

私は多くの人にとってあまり好かれないようなことも言ってきました。特定のことについて話すなと言われたこともありました。例えば、アフリカ大陸における同性愛者の平等の権利についての見解とか、私が心の底から信じている、男性と女性はまったく平等だというようなことです。

私は挑発するために語るのではありません。私が語るのは、私たちがこの世にいられる時間は短く、本当の自分ではない一瞬一瞬が、自分ではないなにかのふりをしている一瞬一瞬が、誰かが言ってほしがっていると推測して、自分が信じていないことを言う一瞬一瞬が、この世での時間を無駄にしていると考えているからです。

気難しいことは言いたくないけれど、どうかこの世界での時間を無駄にしないでくださいね。ただ、1つだけ例外があります。この世の時間を無駄にすることが唯一許されているもの、それはオンラインショッピングです。

(会場笑)

「女性だから」をけっして受け入れない

最後に、母についてもう1つだけ。母と私はジェンダーに関する多くのことで同意を得られません。母はある人が女性であるという単純な理由だけで、特定のことをやるのが当然だと信じています。

例えば、適度に相槌を打ち、絶対に嫌だと思ってもにっこりと笑うこと。例えば、女性ではない人と議論をしている時にはとくに、戦略的に特定の議論で負けを認めること。例えば、結婚をして子供を産むこと。

こういったことをするもっともな理由は理解できます。でも「女性だから」というのはその理由にはなりません。

ですから、2015年度卒業生のみなさん。「だって女性だから」という言葉を、なにかしたり、しなかったりする理由としてけっして受け入れないでください。

(会場拍手)

最後に、世界で一番大切なことについて一言だけ言いたいと思います。愛についてです。

女の子たちはよく、愛を与えるだけのものとして見るように育てられています。女性の愛は与える時にだけ賞賛されます。でも愛するとは、与え、そして受け取ることです。与えながら、そして与えてもらいながら愛してください。与え、与えられるのです。

もしあなたが与えているだけで与えられなかったら、女性がよく沈黙させられている、心のなかの小さな真実の声に気がつくでしょう。その声を黙らせないでください。恐れずに。

卒業おめでとうございます。