マーヤ・ルドルフのジョークに会場大ウケ

マーヤ・ルドルフ氏:こんな聴衆がいるとは思いませんでした、驚きました。

みなさんが泣いたり、笑ったり、興味深く思ったりしてくださったら光栄です。

おやおやおや、ここからはみなさんの美しい顔と……iPhoneが見えますね。

(会場笑)

この機会を与えてくださったこと、支えてくださった方に感謝を申し上げます。

卒業生のみなさんこんにちは。

卒業生の家族のみなさん、お母さん方、お父さん方、兄弟、異母兄弟……。

(会場笑)

姉妹、ルームメイト、(ダブルクォーテーションのジェスチャーをしながら)“ルームメイト”……。

(会場笑)

おじいさんおばあさん、乳母さんも、その友達も、今日起きた人全員に。

(会場笑)

今日こんなみなさんのすてきな日に、ステージを与えてくださったことに感謝します。

このローブの下は完璧に裸です。

(会場笑)

今日まさにみなさんは人生の新たな道を歩みます。わくわくする、挑戦的な旅路です。ここのところではね。

(会場笑)

あなたたちは学位を手にしただけではありません。このアリーナのアルコールレベルが9になったことがわかるでしょう。

(会場笑)

テュレーン大学の卒業生は超豪華?

世界はたくさんの可能性に満ちています。若い時期、もっといえば20代は、とてもいいときです。奨学金の債務を残したまま卒業することを除いては。

大学が私にスピーチを依頼した1月を振り返ってみます。

ホテルに戻って真っ先にしたことは、ほかのスピーカーについてネットで調べることでした。それで疲れて、そのまま昼寝をしました。

(会場笑)

起きて、少し泣いて、ルームサービスを頼んで、また少し泣きました。そしてまた寝ました。スヌーズボタンは4~5回押しましたね。それからもう一度起きて、本当にみんなが私に頼んでいるのだということを知りました。そして私はすべてのアプリをアップデートしました。それは一番重要なことでした。

(会場笑)

Facebook、Twitter、Instagram、Snapchatをチェックしました。私はゲームはしませんからね。

スピーチを書き終えた時、私のテュレーン生としての本心が出たと思いました。私の父リチャードは1968年の卒業生ですが、あそこにいますね。私のいとこのサブリナは、みなさんと一緒に卒業します。サブリナ?

恥ずかしがることはないので、立ってもらえますか。おめでとう。私はとてもあなたたちのことを誇りに思います。

ファミリーネームのことを気の毒に思わないでくださいね。

ベンジャミン・フランクリン、ナポレオン、ジェイ・Z、レブロン・ジェームズ、ルシル・ボール、C3PO、彼らはみなテュレーン大学の卒業生です、私のiPhoneによれば。

(会場笑)

そして彼らはみな、「Magna Carta Holy Grail(ジェイ・Zのアルバム)」を卒業しました。

私はラテン語を話しません。だから私はその意味がわからないのですが、ピッグラテン(英語の言葉遊び)は話せます。

(ピッグラテンを話す)

これは私はピッグラテンを話しますという意味なのですが。

「Yes, and」が自分自身の運命をつくる

私はテュレーン大学の卒業生ではありません。カリフォルニア大学サンタクルーズ校を卒業しました。あら、みなさん知っているのですね、ヒッピーの学校で北カリフォルニアの美しい海岸沿いにあります。

みなさんには緑がありますが、私たちにはバナナの葉があります。私たちにはフットボールチームがありませんでしたが、アルティメットフリスビーチームがありました。

私は足を洗わないことについての専攻でした。

(会場笑)

大学生活のなかで、私は道に迷いました。まさしく、迷いました。サンタクルーズは本当にたどり着けないところにあるのだけれど。私は人生をどう進むべきかわからなくなりました。高校を卒業したときから、進む方向性を見失いました。

父が私に「卒業したあとはどうするんだ?」と尋ねた時、私は「サタデー・ナイト・ライブに出たい」と言いました。私は自分が悲劇のヒロインだと思いたくありませんでした。悲劇のヒロインでも結婚することができるのだけれども。

(会場笑)

私の父はいい教師でした。それを聞いて「いいね。どうやってその夢を叶えていくのか考えなさい。そしてお前はいつになったら足を洗うんだ?」と言いました。彼は現実主義で、長い間私のことをジョークで支えてくれていました。

私は、父が費用を支払ってくれると聞いてもう1つの大学に入りました。そこでアドリブも勉強しました。アドリブの勉強では1つの格言を学びました。それは「Yes, and」です。

それは、YesだけでなくてYesに情報を付け加えています。その情報は他人の言葉を借りる必要はなくて、自分で紡ぎだすことができるのです。

例えばみなさんが教授たちを見かけたとき、「オプラ・ウィンフリーですか?」と尋ねれば「違います」と答えるでしょう。でもこの場合「(オプラのモノマネをしながら)そうです。そして、今日2015年のクラスがこの学校を卒業します!」。

(会場拍手)

自分の21歳のときをやり直せるなら、できる限りビキニの写真をとります。体が最高によかったから。

(会場笑)

子どもを産んだ後に、それは失われました。自分の21歳の時をやり直せるなら、タイムマシーンに乗れたら、あんなにお金を使わないでと言います。

でも、あなたたちに伝えたいのは「Yes, and」と言いなさいということ。Yesといい、自分で自分自身の運命をつくりなさい。古くからの友達とつながり続け、ママにキスをし、明日の夢を諦めないこと。勤勉であれ、怠惰にならないで、できたらiPhoneは投げ捨てて、それからジョークもうまくなるといい。

熱く叫ぶの、「2015年卒は最高だ!」って。

もしよければ、一度みなさん立ち上がってくださいませんか。国家のためにもう少し時間をください。私の番です。

(さまざまなモノマネをしながらアメリカ国家の替え歌をうたう)

2015年卒のみなさん、最高です。ありがとうございました。