埼玉県の3歳女児がやけどによる虐待で死亡

堀潤氏(以下、堀):さぁ、塚越さん。テーマの発表をお願いします。

塚越友子氏(以下、塚越):こちらです。

(テーマ「罰ではなく援助の視点」について)

脊山麻理子氏(以下、脊山):埼玉県狭山市のマンションで顔にやけどを負った3歳の次女が遺体で見つかり、母親らが逮捕された事件で、次女は首にロープのようなものをくくりつけられ拘束されていたことがわかりました。虐待が日常化していた疑いがさらに強まっています。

:どうにかして虐待を予防するところまで持っていきたいんですけどね。僕らもそういう運動を展開しているんですけど。

どのように拘束されていたのか。埼玉県は拘束に使ったとみられるロープのようなものを自宅近くで押収していて、押し入れ内に取り付けられていた金具のようなものとつなぎ、中に閉じ込めていたとみているということです。本当に胸が痛みますね......。

さぁ、塚越さん。

虐待が起こる要因

塚越:被害者の視点に立つと、とてもつらい気持ちになって。被害者の視点から語る人が多いんですけど、今日は加害者の視点から見ていって、虐待をどうやって止めてっていったらいいのかを考えたいと思います。

:一方で親御さんの精神状況とか、もしくは、経済状況なども見ないといけないですよね。

塚越:そうですね。いろいろな要因で虐待というのが起きていて、個人のパーソナリティで起きているわけではないんですね。

事件が起きた子供というのは、お子さんの年齢で言うと、小学校にあがる前までのところですね。この状態で虐待にあって、間違って亡くなってしまいましたということなんですが。

その加害者の親の人生を巻き戻してみると、やはりここから出発するんですよね。ここに巻き戻されます。ここで生まれて、自分自身も虐待なのか、もしくは両親のDVを目撃していたのか、経済的困難なのか、危険度の高い孤立した子育てを受けていたのか。

そうした人生を送りつつ、小学校に入り、勉強についていけないとか、いじめたりいじめられたりとか。家庭内は緊張度が高かったりとか。

中学校になってくると、不登校や引きこもり、非行、性的な問題だったり、自傷や摂食障害、依存症になります。

それを引きずったまま中学校以降、そのままいきつつ、水商売だったり、風俗に従事したり、経済的困難だったり、望まない妊娠や早過ぎる妊娠ということで、今の状態になるわけですよね。

:だから、よく言われる虐待の連鎖の構図ですね。

加害者が抱える負の連鎖

塚越:ここから読み取っていただきたいのは、連鎖というのは何を意味しているかというと、加害者というのは加害者であり被害者であるということなんですよ。

被害者であるために、罪の意識は深まらないですし、罰したところで、さらに被害意識が高まって、なかなか自分の罪を償おうとしないし、変えようとしないという現状があるんですね。

:なかなかこういう状況にいると、いわゆる一般的な社会通念を身につけたりとか、そこに自分の心を共感させるだけの......。育まれないで育っていくという。

だから、いくら「これはダメなんだよ」と言っても、それが何なのかがわからない状況もあると聞きました。

塚越:介入しようと思って、援助に入っていっても、援助や相談をすることを受け取れなかったり、援助を受け取れないということが起きるんですね。

これはどういうことかというと、これだけの問題を抱えていますので、自分でも問題が大き過ぎて、どうしていいかわからないということがあったり、このような状況で育ってくると、相談をしたり、援助を受けたりすることに対して、こんなイメージを持つんですね。

支配される。言われたことは全部やらなきゃいけないんじゃないか。いつも支配される、支配されないという関係性の中で生きてきたので、人間関係というのは全部支配。服従。

:従属関係が......。

塚越:従属関係だという認識を持っていたり。相談しても、そもそもその人に裏切られたり信じられないというような経験もしているし。

恥。自分がきちんとできていないことが明らかになったり、自分の家が恥ずかしい家であるということが明らかになったり。それから、怒られるんじゃないかという不安があったりして相談できないということが起きます。

:確かに、「行政側に、役所の窓口に駆け込んだらいろいろ相談乗ってくれるんですよ」と言っても、実を言うとそこまで行きたくないという方もけっこういる。

やっぱり、「自分の状況を誰かに知られるのも嫌だ、怖い」というのもあると聞きました。

塚越:さらに、解決されないだろうとか、解決できないという思いも持っているんですね。

それはどういうことかというと、今まで相談してきたけれども、自分の問題が大き過ぎて求めているアドバイスがもらえないということで、どうせ解決されないんじゃないか。

日常の不平不満の受け皿が必要

それから、ここが一番の問題とも言えるんですけれども、問題を話してはいけないという思いを抱えている子たちも多いんです。

:どうしてですか。

塚越:こういう子たちというのは、親から散々不平不満を家庭で垂れ流されているんですよ。

:親御さんのストレスを直接受けてきた。

塚越:「あなたなんて生まれてこなければよかった」と包丁を持って追いかけ回されたりとか。「もうお母さんなんてやってられないから出て行くわ」と言われたりとか。「あなたがいるからお父さんと別れられないんだ」とか。「もう言うこと聞かないなら」と言って目の前でリストカットされたりとか。

そういった状態をずっと繰り返し聞いているので、子供にしてみたら「なんとかしてあげなくちゃ、自分がなんとかしてあげればお母さんはどうにかなるだろう」と思って、必死になるんだけれども、一生懸命解決しようとして生きてくるんですが、中学生くらいになると「これはもう解決しきれない」と思って、相談しても解決できないし、相談するとこんな苦しい思いをするから自分は絶対人に相談しないと決めてしまったりするんですよ。

:その状況を改善するには、結論として何をするべきですか。

塚越:結論としては、相談にも良い相談というのがあるので。ポイントは2つです。

「日常的な小さな不平不満」にして言うこと。例えば、「お腹が空いた」とか。「よく眠れないんだ」とか。「家はご飯食べれないんだよね」とか。そんな小さなことで言ってみるとか。

誰に相談するかというと、家族の人ではなくて、外の人に相談する。悪口だと誤解しない人とか、家族の恥を恥だと思わない人とか、「愚痴なんだけど聞いてくれる?」というかたちで言って解決を求めない。とにかく人の援助を受けることに慣れる。自分が抱えている問題を細かくして話してみることに慣れるということから始めていただきたいと思います。

:なるほど。相談ダイヤルの「189」。そういうのもありますから、皆さんぜひ活用してください。

ありがとうございました。