人為的なミスが引き起こした3つの大惨事

マイケル・アランダ氏:我々人間はハリケーン、トルネード、地震といった自然災害の被害にあってきましたが、同時に私達は私達自身の手でも大災害を生み出してきました。人間が生み出した大災害は過去に何十件もありますが、中でも原因が単なる事故ではない、この3つのケースは、知る価値があると思います。

どのケースでも何かひとつ機械が壊れたり人為的ミスが起きたことが原因ではないからです。ある意味どのケースも科学とエンジニアリングが間違った方向に働いてしまったと言えますが、科学が悪いわけではありません。

これら3つのようなケースはいくつもの間違った決断と、人々が事態を正確に理解できない不幸が連続して起きたことが原因であり、もしかすると、データをしっかり検証しさえすれば未然に防ぐことができたかもしれないケースです。

人々の命を奪ったり環境に多大な被害をもたらしたり、またはそのどちらにも当てはまるような大災害の裏にある科学の事情を理解することは、今後我々が同じ間違いをしないようにするために役立つのではないでしょうか。

インドのボパール化学工場事故

まずは多大な被害をもたらした産業災害から見ていきましょう。40トンの有毒ガスがインド中央地域のあるユニオン・カーバイドの殺虫剤工場から放出され近隣の街ボパールを覆ったのは約30年前のことです。1984年12月3日の午前中だけで8000人以上の方が亡くなりました。その多くが工場付近のスラムに住む人々でした。

被害者想定数には様々な説がありますが、この事故で亡くなった方の総数は2万人以上、このガスの被害にあった負傷者数は30万人以上であると言われています。

この事故の犯人はSEVINという名前の殺虫剤を生産するために使われていた有毒ガス、イソシアン酸メチルです。残念ながら、この事故に関して確実に言えるのはこれだけです。最終的に毒ガス放出という事故に繋がった制御不可能な化学反応が起きた原因は何なのか、今日もその原因追及議論は続いています。

インド当局の工業勤務者たちはこの事故は設計ミス、不十分なメンテナンスと安全規定が原因であると主張しています。事故以来ダウ・ケミカルに買収されたユニオン・カーバイドは、「あの事故は雇用者のサボタージュだった」という姿勢を崩していません。

あの日、12月2日の夜に勤務していた雇用者たちはルーチンメンテナンスをしていたところ突然状況が悪化したと主張しています。そのメンテナンスとは、工場の大きなパイプネットワークセクションを水で洗い流すことでしたが、パイプが詰まりだし、水がメインパイプに逆流し始めました。

そして他のセクションでは3つあるイソシアン酸メチルを含むタンクのうちの1つに水が流出し始めたのです。

多くの子供たちがイソシアン酸メチルの被害にあった

問題は、イソシアン酸メチルは非常に揮発性が高く、水に反応すると有毒ガスメチルのみならず多量の熱と炭酸ガスを生み出すことにありました。イソシアン酸メチルは室温では液体ですが、人の体温ほどになると蒸発します。タンクに逆流した水とイソシアン酸メチルが合わさると、非常に危険な発熱反応が始まります。

タンク内の温度が上がれば上がるほどその危険な反応度も高まるのです。ユニオン・カーバイドはこの説に反論し「MICタンクに水が流出するよう、誰かが意図的に仕組んだに違いない」と主張しています。

水がタンクに流出し始めてから4時間後、タンクの中の熱量と圧力は、もはやタンク内に留まり続けることが出来ぬほどとなり、タンクは二酸化炭素、メチオニン、そしてイソシアン酸メチルを流出し始めます。

これに熱が加わることでガスになりました。その日の風向きは工場からボパールの方に向いていました。ガスは空気よりも重いので地上近くに漂います。つまり、特に子供たちが被害にあったということです。

イソシアン酸メチルは目、口、喉といった身体の濡れた場所に最初に害を与えます。被害者は目が見えなくなったり、嘔吐の症状に苦しみ、肺に液体が溜まることによって起こる乾性溺水により、多くの人が死亡しました。

あれから何十年も経った今でもこの災害についての法的議論は続いており、この工場の撤去作業はインド政府が取り組んでいますが、まだ完了していません。

チェルノブイリ事故の原因は

それでは次に歴史上最悪の原発事故についてお話しましょう。ウクライナのチェルノブイリという街のことは皆さん聞いたことがあるのではないでしょうか。この街は1986年4月26日に起きた事故でその名を知られるようになりました。その事故はチェルノブイリ原子力発電所でリアクター4号のテストをしている最中に起こります。

当時ソビエト政府は電気をつくる蒸気機関タービンが、停電が起きた際、どのくらい長く運転を続けるかを知ろうとしていました。例えばアメリカから攻撃を受けたような場合に、です。

電子力発電所では、その温度を低く保つために、水がリアクターの中心へ流れ続ける必要があります。

チェルノブイリの場合、その水を回流させるための電気はリアクターによって発電されるタービンから来ていたのです。どんなテストかと言えば、電力を25パーセントほど低下させた場合、予備蒸気電力が発動するまでポンプを運転し続けるタービンの稼働力を見ようとしていたのです。

しかしこのテストは、あまりうまくいきませんでした。

エンジニアたちは先端がグラファイドのボロン(ホウ素)制御ロッドを中心部に挿入することで電力を低下させました。このロッドは工場の機動力であった核分裂反応における中性子の流れを低下させ、原子炉内で電力を低下させる役割を担っていましたが、エンジニアはこのロッドを少し早く入れてしまったのですね。

数十万人が直接的に放射能の被害にあった

電力供給が1パーセント以下に急低下。冷却装置はほぼ作動しなくなり、原子炉内中核の水は沸点に達してしまいました。さらに悪いことに、エンジニアたちはテストの前に自動停止装置とすべての安全装置を解除していたのです。

これにより原子炉内の蒸気圧は、それぞれが燃料ロッドに被せてあった350キログラムにもなるグラファイトのキャップを押し上げるのに十分なほど急上昇しはじめます。

燃料はどんどん放出されていきますが、中性子を吸収する冷却装置はもうありません。そして原子炉は突然急激な電力上昇に見舞われます。この急激な電力の上昇を収めるため、エンジニアたちは原子炉の残りのすべての制御ロッドを一気に低下させ始めます。

しかしすでに原子炉は非常に不安定な状態になっていました。制御ロッドのグラファイドの先端は核反応を低下させるのではなく、上昇させていたのです。これで、もう後戻りできないところまで行ってしまいました。

すぐにすべての水が蒸気に変わり、蒸気圧が内部に留まることができない点に達し、非常に大きな爆発に繋がりました。爆発が起こると、放射性燃料とその破片が飛び散ります。この時放たれた放射線量は広島原爆の10倍にも及ぶと推定されています。

残念なことに、問題はこれだけではありません。45,000キログラム以上の放射性燃料と70万キログラム以上のグラファイトが爆発に伴い火災を起こし、工場は9日以上燃え続けました。

工場で勤めていた30人以上の人々と消防士が火災と被爆で命を落としました。この数十年間でチェルノブイリの事故により、がん患者となった人々や被爆して亡くなった方の総数を明確にすることはほとんど不可能です。

研究者たちはロシアとウクライナの子供たちの甲状腺がん発症を、チェルノブイリ原発と関連付けています。その他のがんによる死亡者はおよそ数千人から10万人と想定されています。15万人以上の人々が事故後に避難を強いられましたが、それ以来彼らは自分の家に戻ることができていません。

チェルノブイリ周辺の対入り禁止区は2600平方キロメートル。事故から数十年経った今でも放射線量が安全を保障できない地区とされています。

ディープウォーター・ホライズンの原油流出事故

最後に最も最近の人工的災害をご紹介しましょう。2010年の「ディープウォーター・ホライズン」の事故、メキシコ湾原油流出事故は爆発が原因でした。

圧力がかかった天然ガス、原油、水、泥が混ざり合い、それらが海底油田から流出、あっという間に掘削パイプから海へと流出、どんどん広がり火がつきました。その年の4月、試掘調査は予定より6か月の遅れを取っており、このプロジェクトは海底5キロほどを掘ったところで数百万ドルも予算をオーバーしていました。

ドリルパイプが完成すると、エンジニアたちは一時的にホイールを閉じました。その後すぐに石油会社のBPが彼らの用意した設備をそこに持ち込み、原油を採取する予定でした。このプロジェクトの最終ステップは、金属壁をガス圧から守る外部のホイールをセメントで固めることでした。

セメントが流し込まれると、すぐにエンジニアたちは漏れていないかテストしました。これはあの大事故に繋がる第一のポイントであったのかもしれません。

彼らはこのテストの結果を間違って解釈したのでしょう。60バレルの泥が漏れている可能性があるというテスト結果は、無視できない警告であるべきだったのですから。

泥は深海発掘において非常に重要なポイントとなります。なぜなら泥は非常に重く、圧力もありますので、原油が表面に出てこないからです。あの4月20日、その原因は未だ議論の最中にありますが、セメントが固まらなかったのです。

天然ガスが海底表面に向かって吹き出しますが、それを抑える十分な量の泥がそこにはありませんでした。そしてそのガスはディープウォーター・ホライズンの設備まで到達すると大爆発を起こしました。

安全装置は作動せず、「ブローアウト・プレベンター」と呼ばれる、事故があった際にガスの流れを止めるための非常に大きな装置も起動しませんでした。何度やってみてもダメだったのです。この爆発で11人の作業員が命を落としました。

ディープウォーター・ホライズンは爆発から2日後に海へ沈没しました。87日間に渡り原油はメキシコ湾を流れ続け、7月15日にBPが封じ込め作業をするまでにおよそ5万バレルの原油が海へ流れ出たのです。

皆さんの1日を台無しにしてしまうことになり申し訳ないのですが、今ご紹介した出来事から何かを学んでいただければ幸いです。そして人類が、このような間違いを二度と繰り返さないことを願っています。