自分に「一生懸命働いたわね」と言える会社に

司会:よろしくお願いします。登壇者の皆さんに、改めて自己紹介をしていただきたいなと思います。簡単にで良いので、学生時代主にやってたことから、なぜ入社したのかと、今の仕事内容を教えてください。

あとは、皆さんは今の仕事内容はグローバルに関わると思うんですけど、それに従事するきっかけや理由。自分で選んだのかどうか、どういう思考があってそうしたのか、簡単にお伝えいただければと思います。では瀬名波さんからお願いしても良いですか?

瀬名波文野氏(以下、瀬名波):学生時代は、そんなに変わったことはやってません。ひと月半くらいサンディエゴにサーフィン遊学に行ったり、1年くらいオレゴンに留学してビジネスをメジャーで学び、Performing Artsをマイナーで学びました。マイナーでは日本の伝統芸能の狂言を現地の人とやる、みたいなことをやったりとかしてました。

私、そもそも腰掛けOLだったんですよ。大きい声じゃ言えませんが(笑)。そもそもが沖縄出身で、「一生懸命働く」みたいな価値観は私の中にまったくなかったんですね。でも一応親にお金出してもらって大学に行かせてもらってたので、3、4年くらいガリガリ働いて、「もう社会人は一生懸命やりきった!」っていう感じにして、結婚して専業主婦になるみたいなプランを、当初は描いてました。寿退社希望ですと面接でも言っていましたし。人生をなめきっていましたね(笑)。

そのために3、4年くらいで一生懸命働いたわねって思える会社に入ろうっていうことだけ決めて就活をして。リクルートと他の会社と最後迷ったんですけど、最終的な決め手は、白地の大きさでした。

小学校1年とか高校1年とか、何かの1年生のときって、すごく自分が変わる、成長するタイミングじゃないですか。社会人1年生になるにあたって、一番何をやってるのかよくわからなかったのがうちの会社で。もっとも「白い」リクルートに対して、成長の余地が大きいのかなって感じて。まあ要するに、良くわからないまま入社をしました(笑)。

20代で経営企画から海外事業開発を経験

瀬名波:キャリアでいくと、最初入社していきなり、株式会社リクルートの経営企画室配属だったんですね。最初から全然意味がわからなかった。

2年間経企で、新規事業開発とか、「30年後にリクルートは何者になるべきか」みたい議論をやってました。なんですけど、そのまま行くとすごい頭でっかちで、何もわかってないくせに経営を企画できると勘違いした寒い人になりそうで怖くて。「商いの現場に出してください」って当時の上司に直訴して、人材事業の営業現場に異動しました。

そこで4年、超大手クライアントの人事関連のソリューションセールスを担当して。商いの現場のダイナミックさ、おもしろさを体感しながら、顧客と一緒に既存のマーケットそのものに問いを投げかけていくような楽しい仕事を散々させていただいたんですが。あるきっかけで経営者になりたい、どうしても経営者になりたいというのが、湧き上がってきて。

それで手を挙げて、やったこともなかった人材派遣事業の、しかも海外法人に異動して、現地で我々が子会社化した人材派遣の会社の、MA直後の広義のリストラを含めた経営をやりました。

数百億円の売上の事業、250人弱の従業員がいるオペレーションを、最初から最後まで日本人たったひとりで現地に乗り込んで事業の成長を実現していくっていうのをやりまして。この6月末がUK法人の会計年度末だったので、そこまで合計3年度現地法人の経営をやって、この7月に戻ってきました。今はリクルートホールディングスの事業開発室というところの室長です。

リクルートは社内でファンドを持ってるんですけど、そのファンドからマイノリティ投資したシリコンバレーのスタートアップの事業成長を考えて、ゆくゆくはリクルートとして新領域に踏み出すことを目標に、何がその事業の成長のドライバーで、どうやったらグローバルにスケールできるかってことを、投資先のCEOやCOOと一緒に決めて推進していく部隊を、束ねています。

エンジニアとしての強みが活かせて、成長もできる

司会:大丈夫です、ありがとうございます。じゃあ、鈴木さん。

鈴木和幸氏(以下、鈴木):はい、鈴木和幸といいます。学生時代は、僕は皆さんみたいに特に留学とかしてたわけではなくて。それこそ学園祭実行委員会とかやりながら、普通の大学生活を送っていました。

専攻が情報系だったので、技術を勉強しながらWebやエンジニアリングへの興味を培いつつ、大学の3回生くらいから友達とシステムの受託開発をやるようになりました。その中でスタートアップの企業とたくさん関わるようになって、本当に自分たちの事業に対して熱い人たちが多かったので、それで「スタートアップっておもしろいんだな」「自分でも事業やってみたいな」と思って。

そういう中で、まずは自分が成長できるところ、それと自分がエンジニアとしての強みが活かせるところという両方で、リクルートに入るっていう選択をして、入社しました。

これまでの仕事でいくと、まだ僕3年目なんですけど、1、2年目はMedia Technology Lab. (以下MTL)という新規事業の開発組織で、リクルート内でゼロから新しい事業を企画しながら、エンジニアリングもして。自分の手を動かしながら頭も動かすというようなことをしてました。

シリコンバレーでの経験を活かした事業開発

鈴木:プラスして、事業開発とまではいかないんですけど、リクルートが出資した会社に行って、現場でのサポートを行なう。そういうのを2ヶ月サイクルで回すみたいなのをやらせてもらっていて。

その取り組みの中で、海外の会社にも去年の夏に2ヶ月くらい行ってました。そのとき別に、僕は社内でも英語できるとかではなかったんですけど、その会社がたまたま2ヶ月くらいMTLのオフィスを間借りしていて、そこで僕も一緒に土日にハッカソンとかして遊んでたら、「なにか一緒にできたらいいね」という感じになって。それで「せっかくだからシリコンバレーで仕事してきなさい」ということで行かせてもらって、2ヶ月くらい現場で手を動かしながらエンジニアリングをして帰ってきました。

そのときは1人で行ったんですけど、向こうのスタートアップの5〜6人くらいのチームでやらせてもらって、「こいつ1人で海外行かせても大丈夫というか、死なないっぽいぞ」っていう印象ができたようで。今年から事業開発室に異動になって、今は海外の事業と一緒に事業開発をしているというかたちになります。

今年の夏にも1回別の会社で、「シリコンバレーの事業って実際どうやってやってるんだっけ?」というのを勉強しつつ、日本でどう事業展開するのかを考えるために、向こうで2ヶ月くらい生活していました。帰ってきたあとも、エンジニア視点で同じように別の会社の事業開発に携わるというようなことをしています。

プロダクトがわからないやつに起業ができるか

司会:ありがとうございます。じゃあ最後、本田さんお願いします。

本田浩一郎氏(以下、本田):本田と申します。大学には化学系とか生物系で入ったんですけれども、途中で学科を変えまして。理系で試験管を振って研究するのもいいんだけど、もう少し社会の役に立つにはどうすれば良いのか考えたいと思って、工学部の技術経営をやっているところに転科、進学しまして。

それでいろいろ学んでいって、イノベーションの話になると、シリコンバレーが出てくる。シリコンバレーって何なんだと調べたら、GoogleとかFacebookとかが全部あるところだと。それで、おもしろいから見に行こうと、当時できて間もないTwitterでつぶやいたら、その友達の友達が「行きたい」ってつぶやいて。

とりあえずWikiを立ち上げてそこに旅程を作って、スタンフォード大学に会ったこともない20人で現地集合して、そこから行きたいところ自分でアポとって回りましょうみたいなツアーをやって。

そのときにAppleとかサン・マイクロシステムズとかYahoo!とか、そのとき20人とか30人の会社だったTwitterにも行ったんですけど、おもしろすぎて。「事業ってこんなふうに作っていくんだ」というのと同時に、「イノベーションを起こしたいとか口で言ってても、結局全員エンジニアじゃないか。プロダクトがわからないやつに起業ができるか」と感じ取った。

「これはやばい。自分で手を動かせるようにならなきゃいけない」と思って、大学院は同じ大学のコンピューターサイエンスに進学しました。コンピューターサイエンスの中でおもしろい学科があって、新しいものを作ることだけ考えていて良いという研究分野があるんですね。

マウスとかiPhoneとか、今のIoTとか、全部その分野の研究からそのまま製品になってきたというような、その源流みたいな分野があって、そこで新しいものを生み出す研究をしていました。

でも、修士を終えた後に研究をそのまま続けるのか、ビジネスの世界に行くのか迷って。就活のときに、カナダの大学院のPh.Dに行くか、シリコンバレーでインターンシップしてた研究機関に就職するか、エンジニアで入れる日本の会社かリクルートかみたいなところかで迷って、結局ここにしました。

何で国内企業にしたかっていうと、海外に住んでて、特にシリコンバレーとかにいる方はもしかしたら共感するかもしれないんですけど。あっちって日本人が超マイノリティで、寂しいんですよね。

(会場笑)

本田:日本人で集まっていろいろ話はするんだけど、結局「あれ? 日本人ってエンジニアすごい人たくさんいるじゃん」と。エンジニアのレベルは別に日本が低いわけじゃない。

アイデアも、よく見てみると、シリコンバレーから出てくるやつと日本から出てくるやつ、あんまり変わらなくないかと思っていて。じゃあ、日本からもっとおもしろいもの出せてもいいじゃん。せっかく日本人だし、日本に帰っておもしろいもの出したいと思って、それが1番上手そうな会社はリクルートなんじゃないかと思ってリクルートに入った、というのが最初です。

5年で8部署をめまぐるしく異動

本田:元々はエンジニアをやっていたんだけど、ゆくゆくはやっぱり経営の方に行きたい。新しいもの生み出して、自分で事業を回していきたいというのがあったから、いつかは行きたいって言っていたら、2年目にもう行くことになってしまって。

最初の1年間はエンジニアをやって、その後、東南アジアでの新規事業をやるような、部署に行きました。流石にアジアと言っても行ったこともありませんので、ジャカルタに行って飛び込んだりとか、クアラルンプールで人に会ったりとかいろいろやりながら、どうやったら現地で成り立つ事業を作れるかを考えたのが2年目。

そのあとにまた異動になって。国内に戻ってきて、国内の事業のサービスを全部繋ぐような仕事をしていました。リクルートIDとリクルートポイントっていうサービスなんですけど、それが3年目。

4、5年目はグローバルにまた戻ってきて、今度はグローバルのM&Aのチームにいます。人材以外の領域、僕らは販促領域と呼んでいるんですが、その販促領域を担当している部署にいます。

司会:ありがとうございます。

海外の会社にはスペシャリストが多い

司会:皆さんの経歴とか、何で今の仕事をしてるかがわかったと思うので、早速テーマのほうに移っていきたいと思います。

皆さんの質問の中で、海外で何かしらの事業に関わりたいと思っていて、どういうところに気を付けたらいいのかとか、何が違うのかというところが、多かったので、1つ目のテーマは「海外と国内での事業運営の何が根本的に違うのか」を聞きたいなと思います。

今のお仕事で事業にどう関わっているのかは3人それぞれだと思うんですけど、今の仕事から見た海外と国内の違いを教えていただきたいなと思います。じゃあ、本田さん。

本田: キャリアのタイプが違うことが問題になったりしますね。クロスボーダーのM&Aの時になると、既に急成長している会社があってその会社が日本企業の傘下に入るという形になるんですが、そういった場合、そこに日本企業の人間も入るけどもともとの経営陣も残って一緒に頑張っていくというふうになる事が多いです。

そういう立場で、海外の会社を見たときに、気をつけなければならないのは、海外の会社ってスペシャリストがめちゃめちゃ多いんですね。プロダクトのトップはプロダクトだけ。CFOは財務や業績、計画まわりだけ。上に上がっていくにしてもほとんどジョブチェンジがなくて

CEOであっても、ECの会社を3個やって2個は売却して、それでまた同じようなサイトを運営しているCEOです、みたいな感じで、CEOなんだけれども、ずっとECをやってきたスペシャリスト、みたいな場合もあります。

スペシャリストの中で、ジェネラリストができること

本田:それで、例えば、買収して2、3年経ったあとに「僕は次のことをやりたい」と言って人が抜けていったりすることもあります。その時に、例えば、スペシャリストが抜けたあとに隣の人が埋めるということはもちろんできないし、スペシャリストが抜けたから一気にパフォーマンスが落ちるといった話も聞きます。逆に日本人はスペシャリストではないけどいろんな部署を回ったりしていて、いろいろなことを広く知っている場合が多かったりして、カバーできちゃったりする。

買収後に、現地法人に入っていく人も、もともといた会社の人もそうですが、どうやって成長してもらうのか。もちろん、全然興味がない分野について「今までやったことがないけどやってくれ」というのはなかなかやっぱり難しいし、一方で日本では理系じゃなかったのにエンジニアをやってる人とかがいて、その人にエンジニアのめちゃめちゃ深いところまで全部やれっていうのも難しい。

スペシャリスト集団の中にジェネラリストが入ったときに、どうやって役割分担や、人材育成計画を考えていけばいいのか、みたいなところで論点になることは多いですね。

現場の会議と経営陣の会議は視点が違う

司会:ありがとうございます。まず皆さんの意見を聞いて、それから深掘りたいところを深掘らせていただきたいと思います。鈴木さん、どうですか?

鈴木:僕は当時シード期とシリーズCくらいの会社で働かせてもらっていたんですけど、シード期に関しては日本と特に何にも変わらないですね。とにかくエンジニアはものを作る、社長は顧客に声を聞きに行くっていう、それだけのサイクル。

日本でもリーンに顧客開発をするスタートアップが増えてきたと思うので、アメリカと違いがなくなってきたということなのかもしれないですけど。一方、シリーズCくらいになると、皆もうちょっと楽しく仕事してて(笑)、社内にすごく余裕がありました。

従業員は昼休みもそんなに仕事の話はしてなくて、「週末何する?」みたいな会話が多かった。一方で、経営陣は全然違うところを見ているというか、次の戦略をどうしていくかをずっと考えている。

会議の内容も、従業員同士の会議の内容と経営陣の会議の内容って、全然見てる視点が違う。そこはもう、叩き上げで行くっていうよりは、経営は経営のプロフェッショナル、従業員はそれぞれの領域のプロフェッショナルがやってるという印象でした。本田さんと同じですけど、プロはプロ、というのをすごく感じましたね。

痺れるチーミングは海外ならでは

司会:ありがとうございます。瀬名波さんはどうでしょう?

瀬名波:どの事業かによって結構違うなと。例えばプロダクトの良さが極めて顕著で、それが強みになっているモデルの事業と、ある程度誰がやっても変わらないものを、効率を磨きながら経営するモデルの事業とで、全然違う。

それから、シリーズAなのかBなのかCなのかDなのか、すでにスケール済みなのかで全然違うので、一概には言えないんですけど。経営という立場から、日本の企業と海外の企業とでチーミングの何が一番違ったか。

私は、子会社化後に事業を立て直して利益を出していくという、砂を噛む思いのフェーズの経営をやっていたので、その文脈でいうと、まず、ちゃんと成果を出している人を見極めて、パフォームしていない人、もしくは会社の今後の戦略にコントリビュートしない人と思われる人には去っていただくこともある。

これは冷たく聞こえるかもしれないけど、頑張っている人の昇給や昇格を早めることにもつながるし、要は経営資源の再分配のスピードの話なので、極めて大事。なので、すごく良い意味でいくと、経営の自由度が高いんですよね。

ただし、諸刃でもあったりして。海外では、より個々のスキルと成果に寄っていくので、逆に全体を見れる人は少なくなりがち。だからこそ、経営者が、個々のスペシャリストをどういうふうに見立てて、どういうチームで経営していくのかを決めることがすごく大事で。

コミュニケーションも全然違う。皆がその会社を好きで入社して、一緒に学んできて一緒に上がってきてっていう、日本企業にあるようなベースは無いので、帰属意識やロイヤリティをベースに日本では機能してきた、「目標必達! いえーい!!」みたいなコミュニケーションだけでは全く通用しない。我々はどこに向かうのか。そのためには、あなたにはこの領域で、このレベルの甚だしさでコントリビューションを出してほしいっていうふうに、きっちり決め、正しい温度で伝えきる。

まあそんな簡単じゃ無いんですけど(笑)。皆さん想像してほしいんですけど、ここは異国の地、子会社化直後。しかも彼らからするとFarEastの聞いたこともないようわからん会社に買われて、自分よりだいぶ年下の、20代のねえちゃんが来たよと。日本人1人だと。なので、もう「あなた誰なの?」っていう状況から私のDay 1がスタートするわけですね。それを、1年弱で社長になって。個々人に高く期待する、でも全体に関わる意思決定は絶対に譲らない、と言うと。

このチーミングやそれに関わるコミュニケーションは、海外ならでかなって思いました。答えになってるかな?

司会:ありがとうございます。