苦痛をデザインする

森山明宏氏(以下、森山):ここまでが楽しさの話。ここからは苦痛をデザインする話です。「苦痛をデザインするって何?」とお考えの方が多いと思いますが、一般にスマホアプリやWebサービスの場合、苦痛というのは「使いづらさ」のことです。

普通、使いづらさの原因となるものはすべて排除されますし、それがUIデザインの基本です。当然ですよね。

でもゲームは、挑戦する楽しさを演出するために敵キャラや障害物を提供するじゃないですか。冷静に考えると、これは使いづらいということなんですよ。だって、敵がいなければ、障害物がなければ、簡単にゴールにたどり着いてトロフィーをもらえるわけですから。

でも、ゲームにおいては、障害を乗り越えて達成する楽しさを演出するために、こういう広義の苦痛を提供するわけです。これが苦痛のデザインです。なかなか他のジャンルにはない考え方ですよ。

実は現代においては、この苦痛をデザインするという考え方が発展して、「課金させるために苦痛を与える」というテクニックが生まれました。楽しさを演出するために苦痛を与えるんじゃないんですよ。課金させるために与えるんです。

例えば、Google Driveは、タダで15GBの容量をもらえるじゃないですか。私はまだ10GBまでしか使っていませんが、これが14GBぐらいになると、だんだん心配になってくるわけです。15GBを1Bでも超えるとエラーメッセージが出て、「バックアップと同期」が使えなくなりますからね。

残り容量ゼロ間近の人がタダでGoogle Driveを使い続けるためには、いらないファイルを捨てるとか、けっこう面倒な作業をしなければいけないわけです。そう、面倒すなわち苦痛なわけです。ここで、苦痛から逃れるためにどうするかというと、課金しちゃうわけですよ。Googleが意図して苦痛をデザインしたかはわかりません。でも結果としてそうなっています。

ゲームではこのテクニックは多用されています。例えば、また『シノアリス』ですが(スライドを指して)、レアキャラである水着姿のスノウホワイトを手に入れたいわけです。手に入れたいんだけど、手に入らない。これは苦痛なわけです。この「手に入れたいんだけど、手に入らない」という苦痛を解消するには、手に入れるしかないじゃないですか。そのためにどうすればいいかということで、課金という話が出てくるわけです。

あらかじめ苦痛を提供しておいて、お金で解決するというソリューションを提供するということになります。けっこうマッチポンプですよね。「お金で解決できますよ」とそそのかす奴が苦痛を与えている張本人なわけなので、冷静に考えるとひどい話なんです。でも、現在の課金デザインはそういう仕組みになっています。

まず苦痛を与えて、課金すれば苦痛から逃れることができますよと提案する。これが「課金させるための苦痛のデザイン」です。

課金を促すためのデザイン

ゲーム以外はこれをやらないのかなと思っていたら、ゲーム以外にもありました。まさにこの苦痛のデザインをバリバリやっているシステムです。

恋愛マッチングアプリはご存じですか? 男性の会員が女性会員の写真を見て、この子いいなと思ったら「いいね!」をクリックするという流れのアプリです。

相手の女の子も「いいね!」を返してくれれば、それでマッチングが成立したとみなされます。さて、このマッチングアプリ「Pairs」のすばらしいところについてですが、男性が女性会員の写真を見て「いいね!」ボタンをクリックするじゃないですか。そうすると、ここで「課金しませんか?」というメッセージが出てくるわけです。

「たった3ポイントで『いいね!』と一緒にメッセージも送れます!」「マッチング率が214パーセントアップします!」と。すごいですよね。いきなり売り込みに来ているわけです。たった3ポイントと言いますけど、このポイントとは有料アイテムであってけっこう高いわけですからね。

ゲームの場合は課金したくなる、まさにその瞬間とはいつか? 眼の前に水着姿のスノウホワイトが映っている、まさにこの瞬間ですよね。眼の前に水着姿のスノウホワイトが映っているから欲しくなるんですよね。

まさにユーザーが、たとえお金を使ってでもこれがほしい、あるいは課題解決したいと思う、その気持ちがピークに達した瞬間を狙って「課金しませんか?」と持ちかけるわけです。

ピークに達した瞬間を狙うことが重要です。そのためには、ゲーム内におけるカスタマージャーニーを把握することが重要になります。

ゲームにおけるカスタマージャーニー

ゲーム内におけるカスタマージャーニーとは何か?

みなさんがUIデザイナーだったら書いていると思いますけど、画面フロー図や作業フロー図がありますよね? あれにプレイヤーの心理と、プレイヤーの心理を煽るための具体的な施策を一緒に書くことで、ゲーム内のカスタマージャーニーを表現できます。

例えば、ログインするじゃないですか。まずサブゲームをやって資源を稼いでから、メインゲームで遊んで、勝てばまた資源がもらえますよね。その資源でガチャを引いたり、あるいはキャラクターを強化して、またゲームに戻る。

ゲームは繰り返し遊ぶのが基本なので、普通のカスタマージャーニーと違って必ずループするんですが、結局のところ、(スライドを指して)ここにはゲーム内のユーザー行動しか書かれていないわけですから、これはただの画面フロー図、作業フロー図ですよね。ここにプレイヤーの心理をどんどん乗せていくわけです。

実は、サブゲームは楽しくありません。あくまでもメインゲームを遊びたいから、サブゲームはその資金稼ぎですよね。たいてい、ゲームはそのような仕組みです。

メインゲームで勝つとうれしいじゃないですか。ガチャでレアを引けば、またうれしいじゃないですか。レアアイテムのコレクションのためだけにゲームを行う人がいるんですけど、コレクションが充実すると楽しいじゃないですか。キャラクターの強化は直接的には楽しくないんですけど、次は勝てるんじゃないかとか、そういう期待をしますよね。そういったプレイヤーの心理をどんどん画面フロー図に書き込んでいきます。

もちろんそこで終わってはダメで、そのプレイヤー心理を煽るためにどういうデザイン、どういう施策をすればいいのかも考えていくことで、苦痛をデザインできるようになります。

なぜ協力プレイするのか?

例えば(スライドを指して)ログイン。ログイン頻度が少ないプレイヤーって必ずいますよね。これは機械的に測定できます。デジタル行動観察というんですけど、このデジタル行動観察を行うことによってログインの頻度が少ないプレイヤーに重点的にリマインドメッセージを送ることができるわけです。

それからサブゲーム。サブゲームはプレイヤー視点ではメインゲームを遊ぶためのゲーム内資源を稼ぐために仕方なくやる作業なんですが、だいたいの場合、このサブゲームはプレイヤーのリアルな時間を浪費させるよう設計されています。なぜか? プレイヤーの時間は有限だからです。

サブゲームは仕方なくやる作業なんです。そしてゲームをやるための時間は有限なんです。でも、サブゲームでなく楽しいメインゲームの方をいっぱい遊びたいじゃないですか。だから課金するわけですよ。ゲーム運営者は課金プレイヤーを増やすために、わざとサブゲームで時間を浪費させるんです。ひどいですね。

それからコレクション。コレクションするのが楽しいとさきほど言いましたが、じゃあコレクションすると楽しい気持ちを煽るためにはどうすればいいか。これには「他人のコレクションを見せる」というテクニックがあります。

よく「友達プレイ」と呼ばれる機能がありますよね。ソーシャルゲームにおける友達プレイで一緒にバトルしてくれる人達は、実際には友達じゃない。『モンスターハンター』みたいなリアルな友達と一緒にバトルするゲームとはわけが違うんですよ。なんで一度も会ったこともない、知らない人の助けや応援を呼ばなければならないんですか? そうするとゲームが有利にはなるんですけど、意味がわからないですよね? 実際には、友達プレイは他人のコレクションを見せつけ、羨ましがらせるためにあります。

「あっ、この人、レアアイテム持ってるじゃん! あっ、この人も持ってる。この人も持ってる!」。そう、他人のレアアイテムを見ると欲しくなっちゃうんですよ。友達プレイは実はそのためにあるんです。一度も会ったことのない人の協力を得るなんて、本来ありえないことです。にもかかわらず、友達プレイが当たり前化しているのは、実は羨ましがらせるためです。

この図は最初に言ったカスタマージャーニーマップとは少し違うんですけど、みなさんがふだん書いているはずの画面フロー図と作業フロー図に、ユーザーの心理状態をどんどん書いていって、さらにその心理状態を煽るための施策を考えて……もっと言えば、この流れのどのタイミングで課金を促すのがいいかを見つけるわけです。

これが、課金のためのデザインということになります。あらためて考えるとひどいですね。人間のやることとは思えないですね(笑)。

状況をデザインする

ここから本日3つ目の話題、「状況としてのルールをデザインする」という話です。「状況としてのルール」は、ちょっとわかりづらい表現ですね。さっき、カスタマージャーニーマップとは、ユーザーの1日、あるいは1時間、あるいは1週間でもいいですけど、その行動を「状況」「行動」「心理」に分解して整理して書くことだと言いました。

先ほど説明するのを忘れたんですけど、状況は必ず行動を制約します。「こういう状況だから、こういう行動をせざるをえないんだ」となります。

現実においては、状況というのははじめからそこにあるもので、もう手の出しようがないんですけど、ゲームの世界においては違います。ゲームでは状況のところからいきなり設計者が自由にデザインできて、ユーザーを自由にコントロールすることができる。これも普通の製品・サービスではありえない、ゲームならではのデザインです。

状況といっても、あまりにも広すぎる概念なので説明するのが難しいんですけど、典型的な例はこれです。まず『CALL OF DUTY』。これは、第二次世界大戦のゲームです。リアリティを重視したゲームなので、当然、弾に当たったら死にます。かなり緊張感のあるゲームです。

似たようなゲームで『HALO3』というゲームがあるんですが、こっちはSFです。見た目はファーストポイントシューティングゲームでCoDと似ているんですが、『HALO3』にはバリア……正確にいうと「バブルシールド」という超兵器があって、バリアを張っている間は無敵です。無敵ということは、バンバン敵の陣地に突っ込んで撃ちまくれるわけです。バリアで無敵になれる爽快感があります。

この違い、わかりますか? どっちもファーストポイントシューティングという意味では同じゲームで、バリアがあるかないかの違いだけで、こんなに印象が変わっちゃうんですね。これが「状況としてのルールをデザインする」ということです。バリアという超兵器を使うことを許すか許さないか、それだけでゲームの雰囲気が変わってしまうということです。

些細なパラメーターの違いが印象を変える

もうひとつ事例を紹介します。今日はお若い方が多いのでご存じない方もいるかと思いますが、『ときめきメモリアル』というゲームが昔ありました。

ギャルゲーなんですけど、ヒロインの藤崎詩織という女が非常に嫉妬深い子で、主人公を気にもかけないにもかかわらず、主人公がほかの女の子と仲良くするとヤキモチを焼くという非常に困った女でした。いわば「理由なく嫌われる緊張感」がこのゲームにはありました。。

なにしろ藤崎詩織はすごく影響力がある女で、この女に睨まれるとほかの女の子の好感度まで下がっちゃうわけですよ。好感度が最低レベルになると爆弾マークが表示されるので「爆弾を投げてきた!」という言い回しが流行りましたけど。なので、すごい緊張感がありました。詩織に嫌われてはいけないんですよ。怖いですね。

ところが、続編の『ときめきメモリアル2』は打って変わって、ヒロインの陽ノ下光ちゃんは初めから主人公とラブラブです。詩織も光ちゃんもどっちも主人公の幼馴染という設定なんですけど、光ちゃんはもう最初から主人公のことが大好き。

この子も結局、すぐにヤキモチを焼いて「爆弾」を投げてくるんですけど、これは納得できますよね。この子は主人公である僕のことが好きだからヤキモチを焼いたんだと。

『ときめきメモリアル』に理由なく嫌われる緊張感があるとしたら、『ときめきメモリアル2』には、理由なくモテる爽快感がありました。

でも、ゲームのシステム的には、これは「好感度」というパラメータが違うだけなんですよ。藤崎詩織は好感度というパラメータの初期値が低いだけなんです。陽ノ下光ちゃんは、好感度というパラメータが最初から高いだけなんです。それなのに、こんなに雰囲気が変わっちゃうんですよ。

状況をデザインする、ルールをデザインするとはそういうことです。本当に些細なルールの違い、些細なパラメータの違いがゲームの雰囲気に影響を与える。あるいはゲームの展開そのものに影響を与える。ということで、これをデザインするのが状況をデザインするということになります。

でも、こういうゲームのパラメータやゲームの雰囲気は、ほぼ間違いなく監督・ディレクターが担当する事柄です。UI/UXデザイナーとして、あるいはUIデザイナーとしては、やっぱりゲームのUIをデザインするときは、ゲームのUXコンセプト……さっき言った緊張感や爽快感を遵守するかたちでデザインしてください、ということになります。

自分で勝手に判断してはいけないんですよ。ゲームの監督の心の中には、UXコンセプトとして、「これは緊張感が必要なんだ」「爽快感が必要なんだ」というものがあるはずなんです。当然、監督にはそれを明確化する義務があるんですが、各担当デザイナーも、そのコンセプトを遵守してデザインしなければいけません。

状況としてのキャラクターをデザインする

ここからは、状況としてのキャラクターをデザインする、というお話です。もはや何を言っているかわからないですよね。キャラクターをデザインするという話じゃないんですよ。確かにキャラクターはIPビジネス、キャラクタービジネスとしてお金になるから、ちゃんとデザインしないといけないんですが、これから話す内容はそんな話ではありません。

ちょっと前に『GIGAZINE』というWebメディアで、「『命乞いするロボットの電源を切るのは難しい』ことが最新の研究から明らかに」という記事が掲載されました。

記事のタイトルのとおりです。ロボットに命乞いをする演技をさせるわけです。そうすると、テスト協力者として参加した人達は、ロボットがかわいそうだから、このロボットのスイッチを切れないんです。

その「命乞いをする演技」というのもデザインなんです。それによって人間の行動をコントロールできたということです。けっこうすごいことですよね。

「状況としてのキャラクターをデザインする」という話は、まず前提として、「『利用者の周囲にいる人物』もまた『状況』であり、利用者の行動に影響を与え得る」という考え方があります。

ゲームのキャラクターは、この「利用者の周囲にいる人物」になりうるんです。ゲームのキャラクターによってプレイヤーの行動をコントロールできるんです。

具体的に言うと、プレイヤーのゲームキャラクターへの共感を利用して、無意識のうちにプレイヤーに運営側の立場を尊重させる、あるいは、無意識のうちにプレイヤーに運営側に都合のいい価値観を受け入れさせる、といったことができます。

例えば「シンデレラ」という話がありますよね。それから「白雪姫」もそうですが、ヨーロッパのおとぎ話ならなんでもいいんですけど、最後に、お姫様と王子様は幸せに暮らしますよね。あれ、何が幸せなんですか? 

現代的な価値観からすれば、必ずしも結婚が幸せとは限らないはずなのに、なんでああいうおとぎ話は読者が納得してしまうのか? 主人公が幸せだと言ったからですよ。そう、主人公が自分の意思で選んだ結末に読者は納得しちゃうんです。これがキャラクターの持つ力ということになります。

共感をゲーム継続の動機にする

最近ゲームで一番感動した例なんですが、みなさん『NieR:Automata』はやったことがありますか? やっていない方にはネタバレになるので、ごめんなさい。

これは『NieR:Automata』の最終面で、プレイヤーはこの大量の弾幕をすり抜けながら、上から降ってくる敵をどんどん撃ち落とさないといけないわけです。

ありえないですよね。こんなの、やれるわけないですよ。でも、『NieR:Automata』をやった人は、必ずこれにチャレンジするんです。このありえないような大量の弾幕の降るゲームをですよ。それはなぜか?

それは、ここに至るまでのストーリーがあるからです。このシーンは、死んでしまった「2B」達主人公を助けるため、荷物持ちロボット「ポッド042」が決死の覚悟で敵に挑むシーンなんです。2B達もロボットなので、やろうと思えば生き返らせることができるという設定なんですね。

ただの荷物持ちが主人公を助けるために敵に挑むというストーリーが直前まであって、そのあとこの弾幕ゲームに移るから、みんなこの弾幕ゲームにチャレンジするわけです。プレイヤーはもうゲームが楽しいからこのゲームをやるわけじゃないんです。ポッド042に共感したから、ポッド042を応援したいから、このゲームをやるわけです。すごいデザインですよね。ヨコオタロウさんは天才ですよね。

『NieR:Automata』はすごいゲームでしたが、ここまですごいデザインじゃなくても、もっとカジュアルな感じでプレイヤーのゲームキャラクターへの共感を利用した行動コントロールは行われています。

キャラクターを人格として無意識に尊重している

例えば、これは『スーパーマリオ ラン』ですけど、マリオランでは最初にキノピオにお願いされるじゃないですか。「ピーチ姫はクッパにつかまっているはずです!  はやくたすけだしてください」って。お願いされるから助けに行くんですけど、これもカジュアルな感じで共感を利用しています。ピーチ姫よりも目の前にいるこの子がかわいそうだから助けに行くわけですね。

もちろん実際にはキノピオのことを気にもとめずにマリオランをはじめるプレイヤーもいるはずですけど、こういうカジュアルな感じでプレイヤーのゲームキャラへの共感を利用した行動コントロールは行われています。

今度は『崩壊3rd』の例です。人工知能という設定のキャラクター「AIちゃん」が、ゲームのプレイの仕方を説明してくれているんですけど、なぜキャラクターに説明させるかというと、これは操作の説明の読み飛ばしを防ぐためです。

実は、人間は無意識のうちにゲームのキャラクターを1人の人格として尊重しているんですね。先ほど命乞いするロボットのスイッチを切ることができないという話がありましたが、それと同じで「この子が一生懸命説明しているのに、説明を読み飛ばすことは失礼だ」と、人間は無意識のうちに思うんですよ。だから読み飛ばさなくなる。

読み飛ばす人は、読み飛ばしますよ。でも、何人かはこのテクニックに引っかかってちゃんと全部読んでくれます。

不快な事象をキャラクターを用いて和ませる

もうひとつカジュアルなテクニックの事例として、『どうぶつの森 ポケットキャンプ』のプッシュ通知を紹介します。『どうぶつの森 ポケットキャンプ』では、しずえさんのセリフ風のプッシュ通知が送られてきます。「しずえさんが呼んでいるんだったら行かなきゃ、ログインしなきゃ」とプレイヤーに思わせるためにそうしているんですよ。

ここに「プレゼントが届いてますよ」と書いてありますが、実はこれは、ログイン頻度の低い人に届けられるメッセージなんです。要するに、このプッシュ通知の言いたいことは、本当は「お前最近ログインしてないぞ。ログインしろよ」なんです。

それを正直に言うと反感を買うので、しずえさんが呼んでいるというかたちにしているんです。しずえさんが呼んでいるかのようなプッシュ通知を書くことで、プレイヤーのしずえさんへの共感を利用してログインさせる、呼び戻すというテクニックなんです。これもプレイヤーのキャラクターへの共感を応用したテクニックです。

ちなみに、この共感を使ったテクニックというのは、全員が引っかかるわけではありません。引っかからない人は引っかかりません。でも、何万人もプレイヤーがいれば、無視できないけっこうな数の人が引っかかってくれるので、やったほうがいいねということになります。

『艦隊これくしょん』の通信エラー画面は有名ですよね。ブラウザゲームでは通信エラーが発生したら、こうした画面を必ず出します。艦これではこのコミカルな絵が一緒に出てくるんですけど、これも場を和ませるためにあるわけです。通信エラーが出ればプレイヤーは不愉快になるわけですよ。その不愉快さを和らげるにはこういう共感できるキャラクターが必要なんです。共感できるキャラクターが、こういう和むポーズを取っているからこそ不快感が減るんです。これもキャラクターへの共感を応用した例ということになります。

プレイヤーの共感を得るにはどうするか?

なるほどわかった、人間はキャラクターに共感してしまうんだと。その共感を利用して行動をコントロールできるんだと。ここからは「じゃあ、共感を得るには具体的にはどうすればいいですか?」という話です。プレイヤーからの共感をたくさん得られるキャラクターをデザインするにはどうすればいいか、という話ですね。

正直に言って絶対の方法はありません。ですが私のおすすめする方法は3つあります。

「人格があると錯誤させる」「言動を理解の範囲内に抑える」「ナラティブを提供する」。これが私のおすすめです。ナラティブについてはあとで説明します。

まず、「人格があると錯誤させる」。非常に有名なのがソニーの「aibo」です。aiboは動物型ロボットなので人格ではなく「犬格」? と呼ぶべきかもしれませんが、ユーザーがaiboと遊ぼうとするとと反応してくれて、コミュニケーションらしきものがとれるようになっています。実際にはロボットだし、全部プログラムなんだけど、さも生きた犬であるかのように、あるいは人格があるかのように感じるわけです。aiboは、そういうデザインをされたロボットです。

aiboは高度なロボットではありますが本物そっくりではありません。しかし、人間というのは非常に「調子がいい」もので、この程度のことで人格があると錯誤します。

次の写真は、以前少しTwitterで話題になったんですけど、ロボット掃除機のルンバがプッシュ通知で助けを求めてきている様子です。最新型のルンバにはそういう機能があるんですけど、これがかわいいと話題になりました。

通知を読んでみましょうか。昨日は、「るんばはエラーで停止したため、清掃を中止しました」。「るんばは正常に清掃を完了しました」。28分前、「るんばが助けを求めています。るんばは段差を感知して停止しています」。27分前、「るんばは助けを求めています。るんばは段差を感知して停止しています」。23分前、「るんばは助けを求めています。るんばの左車輪にエラーが発生しています」と。

これだけなんですが、これがかわいいとすごく話題になったんですね。なぜかというと、先ほどのaiboは高度なプログラムの結果、まるで犬であるかのように振る舞うんですが、ルンバはすごいことをしなくても、この程度でルンバにもなにか感情あるいは人格があるんじゃないかと思い込むわけです。人間は、けっこうちょろいですね。

こういったささやかなコミュニケーションを繰り返し行うことで、人格があると錯誤させることができるということです。

言動を理解の範囲に抑える

それから2つ目が、「言動を理解の範囲内に抑える」です。「そんなの当たり前じゃん」と思うじゃないですか。ゲームやマンガは、理解の範囲を超えたキャラクターが出てくるので、念のため書きました。実際に、ゲームや漫画では、もう理解の範疇を超えたキャラクターがいるんですよ。

これは日清食品がバーチャルYouTuberの輝夜月とコラボして作ったCMなんですけど、わけがわからないですね。この映像そのものはすごくおもしろいので「輝夜月 UFO」で検索していただきたいんですけど……かなりおもしろい。

おもしろいんだけど、この映像を見て輝夜月に共感できるかというと、まったくできません(笑)。もう理解の範囲を超えているからです。なので、共感を得るという意味では、これは失敗ですよという話です。

ナラティブを提供する

最後、3つ目がナラティブの話です。「ナラティブ」という言葉を一度も聞いたことがないという人はいますか?

(会場挙手)

お一人だけいますね。みなさん、聞いたことはあると思いますが、ナラティブというのは、もともとは「当事者の語る体験談」を意味していました。ゲーム業界においては違う意味で使われていますね。人によって定義が違うんですけど、私は「プレイヤーが自分事として認識できる押し付け感のないストーリー」のことだと説明しています。

例えば、『ときめきメモリアル』は高校3年間をシミュレーションするゲームなんですが、3年間のユーザーの操作によってゲームの結末が大きく変わります。

一応、プログラムが生成したストーリーではあるんだけど、ユーザーの関与があまりにも大きいので、これは「私のストーリーだ」と自分事として認識できる、押し付け感のないストーリーということになります。

ときメモはナラティブのすごく有名な例ですね。

断片的なストーリーはナラティブの提供になる

ナラティブにはもう1つパターンがあります。裏に完成されたストーリーが存在する場合でも、プレイヤーに断片的なストーリーしか明かさないことで、ナラティブの提供になるんです。

一番最初に、断片的なストーリーの提供によるナラティブを実現したのは『ゼビウス』と言われています。すごく大昔、スペースインベーダーにはストーリーはなかったんですけど、この『ゼビウス』には、実は裏に壮大なストーリーがあったんです。でも、説明はしないんです。断片的にこのゲームの背景画像として出てくるだけなんです。

『ゼビウス』を遊んでいる子どもたちは、「あれ、もしかしてなにかストーリーがあるの?」とだんだん気づく仕掛けになっています。本当は、すごく大きいストーリーがあるんです。それを断片的に提示することで、ナラティブとして成立したという例です。

『シノアリス』もゼビウスと同じパターンです。『シノアリス』は基本的にはノベルゲームで、ゲームが進むごとに提示される物語を読んでいくゲームなんですが、この『シノアリス』で提示される物語というのは、『Fate/Grand Order』と違って、むちゃくちゃ断片的なんですね。

『Fate/Grand Order』は完璧な小説として作られていて、ゲームイベントをクリアすれば物語としてもだいたい全体の意味がわかるんです。でも、この『シノアリス』の場合は、すべての話が断片的で、結局どういう話なのかがよくわからないんです。

それは『ゼビウス』と同じで、断片的なストーリーを提供することでナラティブとして成立させるためです。ヨコオタロウさんがナラティブを明確に意図してデザインしたかは別ですよ。そういうふうに解釈できるということです。

「擬人化」とナラティブ

「擬人化」とナラティブの関係についてもお話します。これは『ウマ娘 プリティーダービー』の例です。擬人化は、今でもまだブームですよね。なんで擬人化がブームになったのか、いろいろ説はありますが、私は「擬人化とは、擬人化対象物が人々に与えていたナラティブを元ネタとして利用する作劇手法である」からだと考えています。

つまり、擬人化の対象……軍艦でも戦車でもなんでもいいですけど、それがもともとナラティブを人間に提供していて、そのナラティブがおもしろかったから、それを元ネタにした小説やゲームもおもしろいんだ、というのが私の解釈です。

例えば『ウマ娘』。この子たちは全員、競走馬の生まれ変わりということになっています。競馬ファンは、競走馬がスポーツマンであるとか、競走馬同士がライバル関係にあるとか思っているらしいですが、それは全部人間の勝手な思い込みじゃないですか。馬が本当にそう思っているなんて確証は、まったくないですよね。

そういう競馬ファンの心の中にある競走馬達のストーリーこそがナラティブなわけです。本当はそういうストーリーは存在しない。競馬ファンが心の中でそういうナラティブを作ったんです。『ウマ娘』は、そのナラティブを元ネタとしてストーリーを作っているということになります。

『艦隊これくしょん』も同じです。軍艦にはナラティブがあったんです。戦記物小説や軍事史を読んで、軍艦に対して、さも戦国武将であるかのような印象を持っている人が、実は意外と多かったわけです。そのナラティブを元ネタにしてゲームを作ったから『艦隊これくしょん』は大ヒットしたというのが私の解釈です。

ナラティブが曖昧な概念でうまく説明できず申し訳ないんですけど、要するに、映画みたいな、いかにも完成された、押し付けられたストーリーではダメだということです。それでも共感はできるんですけど、ナラティブを提供したほうが、なお共感されるというお話でした。

ゲーム内カスタマージャーニーマップを意識せよ

今日は、UI/UXデザインの話をして、それからゲームのUI/UXデザインの特異性の話をしました。楽しさ・苦痛・ルール・キャラクターという話ですね。

けっこう広い話をしてしまったのですが、今日、私が1点だけみなさまにお願いしたいことがあります。UIデザイナーの方にお願いしたいんですけど、ゲーム内カスタマージャーニーマップを常に意識してほしいんですよ。

ゲーム内カスタマージャーニーマップというのは、要するに画面フロー図、あるいは作業フロー図に、それをプレイしているプレイヤーの心理を追加して書いたものなんですけど、あれをイメージしてデザインしてほしいです。

言ってしまうと、課金ボタンはどこに置くのが一番効果的かを考えてほしいですし、純粋に1つのゲームの1つのシーケンスの中で、どこに障害物を、どこに敵を入れるのが一番「エモい」のかを考えながらデザインしてほしいというのが、私からのお願いでした。

私の話は以上となります。ご清聴、ありがとうございました。

(会場拍手)

「ゲームでなければできない」は存在するか?

司会者:ありがとうございました。せっかくなので、この場でご質問がある方はいらっしゃいますでしょうか?

質問者1:ゲーミフィケーションなど、Webでもゲームの手法を取り入れたりといったことがあるかと思うんですけれども、ゲームじゃないと、どうしても実現できないことについて、とくにどのあたりがそうだと思っていらっしゃいますか?

森山:今のところ、キャラクターをUIの中心に据えるようなことはWebデザインではできないんですが、似たようなことはやればできるんじゃないかと思っています。

さっき、命乞いをするロボットの話がありましたよね。あれは、いかにもおもちゃっぽいロボットだったじゃないですか。あの程度でも、人間は共感してしまうということは、Webサイトという、いかにも無機的なものに対しても人間は共感しちゃうんじゃないかと思っています。そういうものをデザインできないかなと思っています。でも、今のところはできていないです。

質問者1:そこを突き詰めれば、「ゲームじゃなければできない」というのはとくにないんじゃないかという感じですか?

森山:そうですね。今はできていないだけで、本当はやればできるだろうと思って、ゲームの研究をしています。

質問者1:ありがとうございます。

ナラティブと「フロム脳」

司会者:ありがとうございます。ほかにご質問がある方はいらっしゃいますでしょうか?

質問者2:ナラティブのところなんですけど、プレイヤーに断片な情報を与えるというのは、プレイヤーが妄想できるというか、想像する余地を与えるということですか?

森山:そうです。

質問者2:「フロム脳」という人たちがいますよね。フロム・ソフトウェアのゲームは、すごくストーリーがぼかされていて、プレイヤーが脳内で補完するところがおもしろいというところがあるんですけど、そういうところが、ここをうまく利用しているのかなと思いまして。

森山:そうですね。フロムの作り方と今のゲームの流行りとで違うのは、平たく言うと、同人誌を作りやすいかどうかという話ですよね。キャラクターの関係性について想像の余地が大きいか少ないかによって、作られる同人誌の数が違うわけです。

世界設定や大きな物語の流れについての想像力を刺激するような演出というのは、実は同人誌を作りづらい。やっぱりみんな、キャラクターに注目しちゃうんですよ。キャラクターの関係性に対して想像の余地があると、今の世の中、二次創作がいっぱい作られて、ゲームとしては流行っているように見えるということになります。

もちろんフロムのゲームもナラティブを提供できています。

質問者2:ありがとうございます。

司会者:ありがとうございます。ほかにご質問がある方はいらっしゃいますか? それでは、改めて拍手で締めていければと思います。ありがとうございました。

(会場拍手)