どんな読書も「実体験」には敵わないのか?

苫野一徳:「そう(読書は大切と)は言っても、どんな読書も豊かな経験には敵わないんじゃないの?」と思われる方もいると思うんですよね。「どれだけ本を読んだって、実体験が貧しければぜんぜん意味ないんじゃないの?」って。

それは確かにそうなんですよね。ジョン・デューイという有名な哲学者・教育学者の言葉にも、「1オンスの経験は、1トンの理論にまさる」という言葉があります。

例えば、私たちはどれだけ水泳の理論書を読んだって、泳げるようにはならないんですね。泳げるようになるには、まず水の中に飛び込まなきゃいけないわけです。やはりどれだけ豊かな経験を自分のものにしたかが、人生を豊かにする上では大事なんです。

ところが、だからといって読書を決してバカにしてはいけない。なぜなら、「実は読書だって豊かな経験なんだよ」ということ。これを知っているのと知らないのとでは、大きな違いです。

私たちはどれだけ水泳の本を読んだって泳げるようにならないかもしれないけど、より速く、より美しく泳げるようになりたいと思った時に、水泳の理論書を読むと私たちの経験を大いに拡張してくれますよね。

私たちは世界のすべてを経験することなんてできないんです。世界中どこにでも行けるわけじゃない。そういう時に、自分の経験を拡張するという意味で読書ができるようにならなきゃいけないんですよね。

それから、経験だけに頼っていると、簡単に「一般化のワナ」に陥っちゃいますね。読書をすると、いろんな経験を自分の中に取り入れていくことができますから、もっともっと広くものを考えることができる。

読むべき本と出会うための「投網漁法から一本釣り漁法へ」

ということで、どうやったら私たちは(たどり着きたいところへの行き方がわかる)Googleマップになれるのだろうか。今日は基本だけお話ししたいと思います。私はいつも「投網漁法から一本釣り漁法へ」と言っています。投網は文字通り、自分の興味のある網を投げかけて、その網に引っかかるものを手当たり次第に読みまくることです。

岩波新書とか講談社現代新書とかちくま新書とか、そういった新書レベルで構いません。今の新書はあまり水準の高くないものもあるんですけど、基本的にはその道の専門家が一般の人にわかるように書いた本が新書ですので、すごく便利です。

例えば本屋さんの新書コーナーに行ってバーっと見て、「これ、おもしろそう」と思ったら、手当り次第に買いまくる。あるいは図書館で借りまくる。それを繰り返していくと、そのうちに本が「読んで」と呼びかけてきますから。本当に声が聞こえるんです。あとはそこが光って見えたり。

本当にみんな言うんですよ。たくさん本を読んでいる人はみんな、何を読むべきかは本のほうから教えてくれるって言いますし、そういうことが起こってきます。なので投網漁法をまずやってみる。

いっぱい読んでいくと、だんだんと興味が絞られてくるんですね。「このテーマはおもしろいな」「このテーマについて集中的に読んでみよう」とか、「この著者、この作家がおもしろいから、この人の本を集中的に読んでみよう」とかが起こってくるんです。

思考を広げるための「熟読玩味する経験」

あるテーマについて、例えば20冊ぐらい読めば、ちょっとした専門家になれるわけです。これを繰り返すんですね。「投網漁法から一本釣り漁法へ」と繰り返していくと、知らない間に自分の頭の中に知のネットワークができあがっていって、Googleマップになっていく自分に気付きます。

おそらく2年ぐらいもすれば、本当に世界の見え方が変わるんじゃないかなと思います。ただ、これは闇雲にたくさん本を読みましょうねとか、速読しましょうねという話じゃないです。特に速読はあまりおすすめしないですね。

速読は、どうしてもある程度読み飛ばしちゃうんですね。読み飛ばしちゃうので、ある部分とある部分を推論しながら読むことをやっちゃうんです。そうすると、まるで真逆の推論をしちゃうこともあるし、結局、自分の今までの思考の枠組みの中に本を当てはめていくような読み方を、多かれ少なかれしちゃうんですよ。だから、自分の世界を拡張することができない。

速読は自分の枠の中に本を入れていく読み方なので、やはり自分の思考を広げるためにも熟読玩味するってすごく大事ですね。もちろん速読には手っ取り早く情報を得るための読書という面もあるし、ササッと読めば済むような本もいっぱいあるけれども、やはり熟読玩味する経験はすごく大事だと思います。

「構造」を捉えるために、1冊まるまるレジュメを作る

「レジュメを作る」ということも大事です。抜き書きしたりメモ書きしたりでもいいんですけど、それって結局知識が断片化しちゃうんですよ。断片化しちゃうと、ネットワークの中に入ってくれない。

1冊まるまるレジュメを作ると、ネットワークになるんですね。さっきも言ったように、本は構造を持っているので、その構造が捉えられるようなレジュメを作るんですね。「なるほど、問題はこれか。この問題をこういう方法で解こうとしているのか。そして答えはこれなんだな」という、構造がわかるように1冊まるまるのレジュメを作る。

本の内容ってもちろん忘れるんですよ。忘れるんだけど、本質的な構造をちゃんと捉えておくと、あとでいくらでもリカバーできます。レジュメを作って見返せば、何が書いてあったかもすぐわかりますしね。

どうやってレジュメを作るのかというと、手取り足取り教えると時間がかかるので……この本にいろいろ詳しく書いているので興味ある方はぜひ読んでください。絶対に正しいレジュメの作り方があるわけじゃないので、この本に書いたことを基本に、自分に合ったレジュメの作り方を、ぜひ試していただけたらなと思います。

でも基本に忠実ってやはり大事ですね。「投網漁法から一本釣り漁法へ」をして、必要に応じて1冊まるまるレジュメを作る。これをやるだけでも、ずいぶんと違ってくるんじゃないかなと思いますね。

あと大事なのは、「信念補強型の読書」はせずに、「信念検証型の読書」をするということです。私たちは本を読むにしても、あるいはなにかデータを見るにしても、自分の信念に都合のいいように読むことがよくありますね。

でもそうじゃなくて、やはり意識しなきゃいけない。「本当にそうなのかな? 自分の考えは正しいのかな?」と検証するような意識で本を読むことがすごく大事です。

大事なのは「社会を知り、社会を考え、社会の担い手になる読書」

あと「市民としての読書」に少し触れておきたいと思います。私もわりと好きな人類学者・歴史学者で、エマニュエル・トッドという人がいるんですけど、彼がこの言葉を言っていてなかなかいいなと思ったので、ちょっとご紹介したいなと思います。

市民社会って、さっきも言ったように「自分たちの社会は自分たちで作る」という社会ですよね。ということは、私たち市民が社会のことを考えて、知って、担い手になるという意識が大事なんです。完全に人任せにしちゃいけないんですよね。

全員が全員、立派な市民になれとかいうのも、それはそれでマッチョ過ぎるのであまりどうかなと思うんですけど。でも、「社会を知り、社会を考え、社会の担い手になる読書」もとても大事だなと思っています。

その観点から、もう1回おさらいなんですけど、市民社会の根本は「自由の相互承認」ですね。お互いを対等で「自由」な存在として認め合う。これをルールとした社会です。このルールの根本が「憲法」なんですよね。さっきも言ったように、憲法がすべての人の「自由」を保障します。その上で教育が、もっと現実のものにしていくんですね。

法と教育がものすごく大事な制度なんですけれど、憲法の本質を知っている日本人が、あまりにも少ないということに最近気付いたんですよね。

憲法は「国家が国民に向けて当てたもの」ではない

「憲法は誰から誰に向けて当てられたものでしょう」というこの問いに答えられない、間違える大学生がめちゃくちゃいっぱいいるということに最近気付いたので、最後に少し説明します。知っている人からしたら常識中の常識なんですけど。

「憲法は国家が国民に向けて当てたもの」と思っている人がすごく多い。これは真逆なので、どうか間違えないように。憲法は「国民から国家権力への命令」なんですね。このことを決して忘れないようにしてほしいと思います。

つまり、国民から国家に向けて、「私たちの自由を必ず保障しなさい」と。「自由の相互承認」によって成り立つ社会を営むためには、やはり権力が必要なんですよ。警察が必要だし、裁判所は必要だし、行政はいるし、法律を作る国会がいるんです。そういった、国家を運営する機関が必要ですよね。

でも今までの歴史を見れば、この国家を運営する機関、すなわち権力は必ず腐敗するんです。有名な歴史家のジョン=アクトンの有名な言葉がありますよね。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と。

さっきのブレグマンの本にも書いてありましたが、人は権力を持っちゃうと、今までいい人だったのに勘違いして「俺、すげぇぞ」みたいになって(笑)、人々がバカに思えたり、人々を従わせようと思っちゃう傾向がどんどん出てくるんですって。これはいろんな研究や実験でも明らかになっています。

憲法や社会を、市民である自分たちが常に育てておく必要がある

高級車に乗っている人は、そうじゃない車に乗っている人より、運転が横暴になる傾向があるという研究もあるそうですよ(笑)。もちろん人によるとは思いますけど。まあそれは置いといて、やはり権力というのは、人を変えてしまうほどの恐ろしいものなんです。

だから人類は知恵を磨いたわけですね。どんな知恵かというと、「国家にあらかじめ枷をはめておこう」。なので憲法第99条には、国家権力に対して憲法を当て、国家権力がこの憲法を守らなきゃいけないんだよということが記されているわけです。

最も大事な憲法の条文は、第13条です。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。これは国民が国家権力にそう言っているんです。

「すべての国民を個人として尊重しなさい、これに違反しちゃいけませんよ」と。これを一番大事な条文として、さまざまな自由権や社会権を私たち自らが作り出して、国家権力に保障せよと命じているわけですね。

ということは、私たち一人ひとりが、憲法の精神、あるいは民主主義の精神、あるいは自由の相互承認の精神をちゃんと理解して、私たち自身がこの憲法なり社会なりを、ちゃんと常に育てておかなきゃいけないんですよね。そういう意味で、市民としての読書ってすごく大事で、こういったことを教育で子どもたちに伝えるってすごく大事だなって思います。

勉強するのは「自由」になるため、「読書」は勉強の基本

一応、憲法は国民から国家へ当てたものだと習うんですけど、なぜか多くの日本人が忘れちゃうんですよね。三大義務は覚えているのに。三大義務なんて、憲法の本質からいうと端っこの端っこの端っこですからね。国民の義務規定のある憲法ってそんなに一般的なわけではありません。

あれも、国家から国民への命令ではなくて、私たちの相互の契約みたいなものです。労働も、納税も、教育を受けさせる義務も、国民相互の約束ごとです。

まとめに入りたいと思うんですけれども、「勉強するのは何のため?」。それは「自由」になるため。だから「自由」になるためにこそ勉強しよう。学校はそのための場所にしていく必要がある。

勉強の基本は、やはり読書なんですよね。読書を通して自分や自分たちで学べる、学び合えるようになることが大事。そのために私たちは力強い読書法を身につけたい。だから「投網漁法から一本釣り漁法へ」からやってみよう。こういったことを今日みなさんにお話させていただきました。みなさん、ちょっと長い時間でしたけれども、ありがとうございました。 

未来のきみを変える読書術 ――なぜ本を読むのか? (シリーズ・全集)