「昭和の三種の神器」誕生の背景

山口周氏(以下、山口):どういうことかというと、みなさん社会科で「三種の神器」って習いました?「昭和の三種の神器」とは、冷蔵庫と洗濯機とテレビのことで、みなさんの家にもあると思うんですけれども。

右側のグラフは、どれぐらいの家にものが普及しているかを表しているものです。横軸が時間軸、縦軸は世帯普及率です。昭和30年・1955年から2020年までのグラフですが、例えばおもしろいのは緑色の線の冷蔵庫なんです。1960年は前のオリンピックのちょっと前なんですが、1960年って冷蔵庫って普及率が10パーセントなんですよ。だから、9割の家には冷蔵庫がなかったんです。

前のオリンピックの時って、9割の家に冷蔵庫がなかったんですよ(笑)。「どうやって保存していたんだろう」と思うでしょ?キャンプと同じで、氷を買ってきて冷やしていたんですよ(笑)。氷が溶けたら、また新しい氷を買ってくる。だから昔は氷屋さんがいて、氷を届けてくれたんです。あるいは洗濯機なんかもそうですね。洗濯機のほうが少し普及が早くて、(当時の普及率が)もう4割ぐらい。

これは何を言っているかというと、洗濯機や冷蔵庫やエアコンや湯沸かし器がないって、めちゃくちゃ不便だということなんです。わかりやすく言うと、問題がすごくいっぱいあるんですね。問題というのは、困っているということです。

「困っていることは何かありますか?」と言ったら、みんなある。「洗濯が嫌だ、めんどくせぇ」とか。冬に外へわざわざ行って洗濯するの、もうめちゃくちゃ手がかじかんで辛い。あれをなんとかやめたい。

あるいは2~3日に1回、氷を買ってくるわけです。大変でしょうがないから、電気冷蔵庫にならないかって。暑いし寒い。昔はわざわざお風呂を湯沸かしするのに外へ行って薪をくべて、火を焚いていたわけですよね。

これをつい最近、昭和30年代ぐらいまでみんなやっていたわけですよ。「もうそれ、やらなくていいですよ」「冷蔵庫どうぞ、洗濯機どうぞ、湯沸かし器どうぞ」と、問題を解決していったんです。世の中に問題がたくさんあったので、それをテクノロジーや理屈やサイエンスの力を使って解いてきたんです。

スマートフォンは、たった10年の間に普及した

山口:このグラフを見ておもしろいなと思うのは、あっという間に100パーセントまで普及しちゃうわけですよね。特に昭和30年代〜40年代に作られたものは、たった10年や15年の間でぶわーっと100パーセントまで普及するわけです。こういう話をすると、「いやいや山口さん、それは今でもそうです」と言われます。

ここにグラフがありますが、例えばスマートフォンもやっぱり10年ぐらいの間にばーっと普及して、インターネットも10年ぐらいの間にみんなが使うようになりましたよね。……と言うんですが、値段がぜんぜん違うんですね(笑)。スマートフォンって、せいぜい10万円ぐらいですよね。

当時の冷蔵庫や洗濯機って、今のお金に換算すると自動車と同じぐらいで、300万円とか400万円ぐらいするんですよ。今は10万円のものが、たった10年で普及した。今でもその問題はあって、「普及している」と言う人がいるんですけれども、ぜんぜん金額が違うんですね。

昔は、300万円、400万円するものでも、みんなが欲しがっていたわけです。日本の経済がすごく伸びたのって、この時期なんですよね。困っていることに対して、それを解決してくれる正解のもの(商品・サービス)を作って、それで経済は伸びたんです。だからその時には、正解を出す力や理性の力がものすごく価値を持っていたんですけが、「じゃあ今はどうですか?」という話になります。

「考えないようにできている」人間の脳が招く悲劇

山口:これがなかなか難しいのが、人間の脳みそって一旦「こうだ」と思い込んだら、変えないようにできているんです。そのほうが効率的なので。人間の体の器官の中で一番カロリーを食っちゃうのが脳みそですから、考えないようにできているんです。

生き物で言うと、ホヤって成長過程で脳みそを自分で食べちゃうんです。なぜかと言ったら、脳が一番カロリーを食っちゃうので、生存確率が下がっちゃうから。

だから人間も考えないようにできているんですが、時代が変わると価値が変わるわけです。価値が変わるのに、昔のものに価値があると思ってやっていると、それはもう悲劇が起きますよね。だって、走りこんでいる先に蜃気楼しかないんだから。

ここに挙げているのは、5大「昭和的価値観」(正解・モノ・便利・データ・説得)です。今の世の中ではどんどん価値がなくなっていってるんだけれども、親御さん、場合によってはお子さんも「これに価値がある」と思って、そういう能力を身に付けちゃおうとするんです。だけど実際に世の中ではどんどん価値がなくなっているので、裏切られることになっちゃいます。

だって、「これができるようになったら、必ず価値が出せますよ」と言われて身に付けているのに、価値が出せないんですから。

「正解」の価値がなくなっている時代

山口:1つは正解を出すということです。みなさんも学校で、正解を出す能力が高いことを「偏差値が高い」「あいつは優秀だ」「学校でいい成績を取れ」と言われていると思うんですけれども。今、“正解”ってどんどん価値がなくなっていってるんです。なぜかというと、みんなが正解を出すようになってきているから。

経済学という考え方があります。経済学はみなさんも聞かれたことがあると思うんですけが、一番の大前提になっている学問の基礎になる考え方は、希少性。経済学というのは、世の中の少ないものを考える学問なんです。

「希少なものに価値が生まれる、過剰なものの価値は減る」というのが経済の大原理です。一番わかりやすいところで言うと、日本では水はほとんどタダですよね。どこの公共交通機関へ行っても、水はタダで飲めます。これがアラブの砂漠へ行ったら、大変な貴重品になるわけです。それは希少性なんですよ。ものの価値は、希少性で決まるわけです。

生きていくのに必要なものなんだけれども、アラブの砂漠に行ったら非常に手に入りにくいわけです。日本では非常に豊富に水があるので、基本的にタダになっています。同じようなことを別の領域で考えてみると、例えば今、正解が過剰になっている一方で問題が希少になっているんです。

これは今、非常に難しいことを言っていますよ。問題と言うと「ないほうがいい」と思っていると思うんですが、「問題はないほうがいい」と思っているのに、ずっと解決しようとやってきた結果として、今、問題はすごく少なくなっているんです。

ということは今、「問題を見つけられる人」「問題をつくれる人」はすごく価値があるんですよ。みなさんは学校でそう習っていないと思うので、ものすごく違和感があると思いますけど、実際世の中はそうなんです。今はもう、正解に価値がなくなっちゃっているんですね。

ものがあふれる現代社会に“足りないもの”

山口:もう1つが、ものに価値がなくなっていることです。「ものがあると豊かになる」とみんな思ってやってきているんですが、みなさんの周りにも必ず、洗濯機や冷蔵庫やテレビや携帯電話もあると思います。

これは昭和30年代の人にとっては夢の暮らしだったんですね。昭和30年代の普通の生活をしている人をタイムマシーンに乗せて今の日本に連れてきて、一般的な家庭の生活ぶりを見たら、「日本はユートピアを実現したんですね」と言うと思います。「幸福の国が実現した」と。

当時の人が思い描いていた幸福な暮らしというのは、家電がいっぱいあって、ものが豊かにある暮らし。それで幸福になれると思っていたわけですけれども、じゃあみなさんが当時の日本人から「日本が幸福の国を実現した」と言われたらどう思いますか?

その時々の時代の人が描いている幸福の国のイメージは、実現してみると実はそうじゃないということが、今までずっと起こっているわけですね。ですから今、私たちが考えている「こうなったらきっと幸福になれるはずだ」というのも、おそらくその先に幸福になる国というのはない。

今、これだけものがたくさんある世の中が実現したのに、みんなそう(幸せだと)は思えてない。ある種の働きがいや生きがいとか、子どもを持つことや家族を持つこととか、「自分が今ここにいる」ということそのものの意味は、ものすごく希薄化しているわけですよね。

ですから、ものをつくるより「意味をつくる」ということです。「意味をつくる」って、ものすごく難しいこと言っていますけど、どちらかというと、ものをつくるほうが簡単なんですね。正解が簡単だから、正しさに価値がなくなっている。

ものに価値がなくなっていることは、なんとなくみんな感じていると思うんですが、「じゃあ、なんでものを作ってるの?」という話なんですね(笑)。だから、知行合一というのはすごく難しい。「知」というのは知ること、「行」というのは行うことです。「知っている」ことと「行う」ことを一致させるのは、やっぱりすごく難しくて。

だいたい、知るのは簡単なんですね。難しいのは、一致させること。みんな、知ってはいるけど一緒にはできないわけです