やりたいことが見つからないあなたへの処方箋

佐地良太氏(以下、佐地):みなさん、お忙しい中お集まりいただいてありがとうございます。今ご紹介にあずかりました佐地といいます。今日はすごく楽しみにして来たんですけれども、一つみなさんにちょっとお願いというか。

イベントごとは、みんなで作るようなところがあるかなと思っているので、ぜひ「わかる、わかる」「え、何言ってんだ?」みたいなリアクションをいただけると、僕としてもめちゃくちゃ話しやすいかなと思います。この1点をちょっとお願いしたいなと思います。

今日は「やりたい仕事が見つからないあなたへ」というテーマでお話をさせていただきたいと思います。まず、ちょっと質問なんですけれども、「このテーマに興味があって来たよ」という方、どれくらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

ほとんどですね。実際今、「自分がこれで悩んでます」という方、どれくらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

半分を越えるくらいですね。ちなみにご自身は人事だよという方はいますか?

(会場挙手)

いないですね。人材ビジネスの方は?

(会場挙手)

3分の1くらいですか。ありがとうございます。

ちょっと僕の自己紹介と会社の紹介を。私の人生というか半生が、たぶん今日のお話のケーススタディみたいなところもあるかなと思うので。たぶん3分の1くらいは自分語りみたいになっちゃうんですけど、別にドヤりたい訳ではないので(笑)。そこはご理解いただければと思っています。

今日はこんな感じで、8時20分くらいまでかなと思っていますが、できれば質疑応答もぜひいただきたいなと思います。スムーズにいけば8時20分か30分くらいまでかなと思っています。

「冬は長ズボン」だけど、Tanpan&Co.

改めまして、佐地といいます。Tanpan&Co.というちょっとふざけた会社名で、よくいただく質問として「冬でも半ズボンなんですか?」と聞かれるんですけど、冬はぜんぜん長ズボンです。

(会場笑)

冬には「長ズボンか〜い!」と言っていただけて、夏は本当にこれ(短パン)なんです。法人のアポも基本的にこんな感じで行くので、「本当に短パンなんですね(笑)」と。どちらにしろ「あざ〜す」みたいな感じで(笑)。名刺交換のときにだいたいひと笑いいただけます(笑)。

軽く会社紹介なんですけれども、何をやっている会社で、何のためにある会社なんだっけ?みたいなところでいくと、「人生100年時代を賢く豊かに生きたいよ」という人々のご支援をしている会社です。それをロジックの部分とパッションの部分でご支援をするという、なんかちょっとかっこつけた感じですけれど、ライフエンハンスパートナーと言っています。   アプローチの仕方は、コンサルティングの会社なので、課題の本質を抽象化して具体化し、そこを行ったり来たりして、構造化して目的達成や課題解決に導く「再現性構築カンパニー」です。  

再現性というコア技術を軸に、豊かな人生の構築を目指す

今やっているサービスでいくと、私はもともとリクルートという会社におりまして、転職エージェントとしてのキャリアが長いです。(スライドを指して)一番左側の就職とか転職というところの、エージェントというのがメインサービスになります。ライザップさんみたいなボディメイク系のサービスもつい先日リリースを出しました。あと、今は止めちゃったんですけど、1月にサラダを作ったりもしていました。

もともとリクルートを辞めたあとに外資系の生命保険会社のセールスや不動産とか婚活のコンサルもやっていたんですよ。資産形成とか。その資産形成のところに不動産と保険が入っているんですけれども、不動産と転職と婚活はマッチングビジネスなので、構造が非常に似ていまして。

そういったところで、(スライドを指して)コア技術と書いてあるんですけれど、再現性ですね。一見「なんでそんなにいろいろやっているんですか?」みたいなご質問をよくいただくのですが、僕からすると基本的にはビジネスの構造が同じなので、横展開が容易なのでやっています。

サラダのブランドも手がける?

プラスアルファで人生を豊かにするというところでいくと、仕事だけ解決してもダメだよねというか、やっぱり周辺領域があるなと思っているので、幅広くやっております。

なので、よく「わけのわからない会社だ」と言われます(笑)。けっこうガチンコのサラダを作っていたんですけど、ちょっと大人の事情によってクローズしまして(笑)。

(会場笑)

なので、今はやっていないんですが、「カモンサラダ」というサラダを作ってブランドにしておりました。また、先ほどお伝えしたボディメイク系のサービスとして、「Marmot!」というブランドを6月3日にリリースしております。

「自己紹介が長いよ」という感じなんですけど、すみません。これが今日のテーマの素材になるところなので、ここからさらに、少し私の半生についてもお話しできれぱと思います。

慶応に入学するも、非モテ街道をゆく

出身は名古屋でして、3代目のいわゆるオーナー中小企業の社長の家に次男として生まれました。

これは、あとでお話する「幸せの構造」というところに関係してくるのですが、所謂プチ富裕層って感じで、正直経済的に困ったことはぜんぜんありませんでした。

基本的には、僕の人生はだいたい「モテたい」っていう、不純な動機がほとんどの意思決定を占めていまして(笑)。

大学は慶応義塾大学の経済学部に現役で入ったんですが、そもそも中学受験のときも「ブレザーでモテる」みたいな学校に行ったんですよ。そうしたらブレザーなのにぜんぜんモテないんですよ(笑)。

(会場笑)

「なんだよ、モテねぇじゃねぇか」と思って。じゃあ大学はどこ行くかと思ったときには「慶應ボーイモテるっしょ」みたいな、すごく頭の悪い理由で慶應に行きました(笑)。あとは起業したいなーと思ってので、だいたいビジネス系だと商学部か経済学部かな、という非常に雑な感じでの意思決定だったんですよね。

それで慶應義塾大学の経済学部と商学部だけ受けて、両方に受かって。本当は商学部に行ったほうがビジネス学ぶにはよかったんですけれど、「経済のほうがモテそうだし」みたいな感じで経済に行きました。

これも、まためちゃくちゃ頭の悪い話なんですが、大学1年生ってほとんど同じ大学の友達と過ごすじゃないですか。そうすると女の子も慶應ガールだし、男の子も慶應ボーイなんですよ。3C的に競合優位性がまったく発揮できなくて、結果まったくモテなくて(笑)。

(会場笑)

生きる意味を問い続ける日々

プラスアルファ起業したいと思って経済学部に入ったんですけど、みなさんご存知かもしれませんが、経済学部は響きが経営学部似てるんですが全然ちがくて(笑)。マクロ経済、ミクロ経済、統計とか、ビジネスのビの字も出てこないんです。「ほとんど歴史の授業かよ!」みたいな感じで。

そこで「あれ、俺なんで慶應入ったんだっけ?」「そもそもなんで大学に入ったんだっけ?」「というか、そもそも人間ってなんで生きるんだっけ?」みたいな自問自答、禅問答みたいなモードに入りまして。鋭い方は私のプロフィールをご覧になって「こいつ(大学に)6年行っとるやんけ」ということに気づかれていたかと思います(笑)。

(会場笑)

「このまま3年になっても、やりたいことも無いし、就職活動とかできる気しないなー」と思って、2年生の時にちょっと自主留年してみたんですよね。そしたら3年生になったら今度は普通にダブってしまって(笑)。結果、大学に6年間行って、「人ってなんで生きるんだろう?」みたいなことをずっと自問自答していました。

なので就職活動のときとか、本当に困るんですよ。「学生時代がんばったことは?」「自問自答ばっかりしてたから、とくに何も語ることがない」みたいな(笑)。家に引きこもって自問自答しているか、ゲームをやっているか、バイトに行くか。それしかない感じで、ちょっとゴミみたいな生活をしていました。

うつになり、最終的にたどり着いた“短パン”

やっぱり自問自答して「なんでだっけ?」みたいに深く考えていくと、ちょっと気持ちが落ち込むんですよね。昼夜逆転もしていって、ここでうつになっちゃって。親に名古屋まで連れて帰られて、精神科に行かされて、「薬とか飲みたくねぇよ」みたいな感じで。でもよくわからないけど、地元の友達と遊んでたら徐々に治っていったんですよね。

この経験は、自分としては非常に大きい原体験になっています。「なんで生きるんだっけ?」というところに対して、正直誰も正解はわからないですよね。自分としては、「理由はわかんないけど、生まれちゃったし、死ぬのもムズイな」と。なんだか手首を切る勇気もなくて。

そうなったとき、人生100年時代なのに、毎日「死にたいな」「なんで生きるんだろう?」と下を向いて残り80年を生きるのと、「今日は楽しかったな」「今日も最高だったな」と思って上を向いて生きるのと、どっちがいいかなと思ったんです。自分としては後者の方がいいなと思ったので、「毎日楽しく生きたいな」と。

このときに「毎日楽しく生きる」ということに対して、すごく強く意思決定をしました。「じゃあ自分にとって楽しいとかハッピーってどういう状態なんだろう?」と考えたときに、ここで短パンが出てくるんですよ。夏のクソ暑い日に……今日も暑いじゃないですか。そんな日に、長ズボンをはく大人になりたくなかったんですよね。

(会場笑)

「自分の生き方を選べる人間でありたい」

実家が自営業だったので、父親は(服装が)自由なんです。山下清みたいな格好をしているんですよ。短パン・ランニング・麦わら帽子で草むしりをしているみたいな。平日の昼間からそんな感じで(笑)。

うちに営業に来る証券会社の営業の方は(当時は)時代が時代なので、クールビズもぜんぜんないんです。普通にスーツをビシッと、ワイシャツも当然長袖でネクタイもして、めちゃくちゃ暑そうなんですよ。日傘差すわハンカチで汗ぬぐうわで。「いや、脱げや」と、子ども心にすごく思いました(笑)。

どうやら、父親は社長という生き物だから、生き方というか、洋服一つですけど、その選択肢を持っているんだと。逆に言うと、会社員という生き物は、自分には難しいなと思って。自分としては、自分の生き方を自分で選べるような人間でありたいなと思っていたんです。

もともと起業したいなというふうには思っていましたが、「こういう世界を作りたいから起業したい!」というよりは、次男だったので(親の会社は)兄が継ぐだろうと。だから自分の道は自分で作らないと、みたいな感じで「じゃあ起業しようかな」と思っていました。

それで「やっぱり起業しよう!」って決めたんですよ、短パンをはくために(笑)。でも、短パンをはくために起業するって、目的と手段がごちゃごちゃですよね。でも、この間まで家にひきこもって自問自答しかしてないやつが「じゃあいっちょ起業するか!」と言っても難しいですよね(笑)。

採用担当になって気づいた、「やりたいことがないのは普通のこと」

なので一旦、新卒カードを使おう、まずはどこかで修行しよう、ということで、就活しようと思って。「起業するならどこに修行しに行くのがいいんだ?」みたいな感じで探しました。それで「どうやらリクルートという会社が起業家輩出企業だ」と知って。

そこからリクナビでグループ会社に一括エントリーみたいな感じで説明会に行き、あとはトントントンと進んでリクルートエージェントいう会社に入りました。

もともと営業をやりたくてリクルートに入ったんですけど、なぜか新卒採用担当に配属をされまして。リクルートの新卒採用の仕事って、1年間、毎日ひたすら学生さんと会うんですよ。朝から晩までひたすら会います。たまにランチのダブルヘッダーが起きて、ランチ食べてランチみたいな(笑)。延べですけど、年間2,000人ほどの学生さんと会っていました。

このときに、みなさん口を揃えておっしゃるのが「ぶっちゃけベース、やりたいことがマジでないんです。佐地さん、どうしたらいいですか?」と。

でも、当然ながら面接では「(会社に入って)何をしたいの?」みたいに聞かれるわけですよ。「いや正直やりたいことなんてないですよ! みんな社会貢献したいとか言うじゃないですか。ぶっちゃけそんなことぜんぜん思っていない。いつかは年収1000万円くらいは欲しいとか、それくらいですよ……」「そりゃそうだよね」という感じで。

本当にやりたいことがある学生さんは、2,000人会って2-3人ぐらいでした。あとの99.9パーセントの人はやりたいことがないんですよね。そこで「やりたいことがないのは普通のことなんだな」というのを知った、ということがまず一つありました。

リーマンショックの真っただ中で営業のキャリアをスタート

当時、リクルートエージェントは「新卒100人採るぞ」と言っていたんですけど、リーマンショックがきちゃった影響で、蓋を開けたら8人しか採らなくて。なのに採用担当が15、6人くらいいたんですよ。「なんで採用担当が2倍いるんだ」みたいな。

それで人事採用チームが解散となりまして、僕は念願叶って法人営業に異動できたんですけれど、リーマンショックなわけですよ。そもそも求人がないんですよね。

リクルートエージェントは、当時売上440億円くらいあったのが次の年は200億円みたいな。1,500人くらいいた会社が300人くらいリストラするような事態になって、もうね、毎日がお通夜状態です(笑)。もう社内の会議室のいたるところでリストラの肩たたき面談やってて、「地獄か」みたいな(笑)。

そんな空気の中で、新規開拓で営業をして電話をかけると「求人なんかあるわけないだろう、お前バカか?」「今の景況感を知っているのか?」と。そんなふうに罵られつつ、「社長、何言ってるんですか」「今だからいい人が採れるんですよ!好景気だったら人材の奪い合いでいい人採れなかったでしょ!会うだけタダですよ!」みたいな営業トークのテレアポをやって、1日100本ぐらい電話したり飛び込みしたりしていました。

(リーマンショックだったので)みんな全然売れないんですよ。売れるわけがないですよね。なんですけど、お給料と売上の目標数字がすごく連動している会社だったので、年収上げたかったので、そんな状況でも僕は一応「リーダークラスの人たちと同じくらいの目標数値をやりたい」と主張して、周囲からは頭のおかしい奴とか、現実を知らないイキがった新人だと思われてたと思います(笑)。

リーダークラスの年収800万ぐらいの人たちと、ペーペーの500万くらいの人たちの目標数字はぜんぜん桁が違うんですが、僕はそうやって謎に自己申告で、リーダークラスの人たちと同じくらいの目標数字追いかけてました。

仕事がなくなり社内ニート状態に

その部署にいたのは確か3年だったんですが、その数字をひたすらやっていました。クオーターというのが四半期なんですが、1年間4クオーター、3年で12クオーターいたんですけども、その12クオーターのうち10クオーター(目標を)達成して。そのうちの7クオーターで連続達成をして、一応部門のトップセールスとして表彰されているお立ち台の常連という感じでした。

そのタイミングではリテール、いわゆる中小企業の担当で、業界もいろいろ横断してやっていましたね。そのあとはいわゆる大手のナショナルクライアント、みんなが知っている新卒の人気企業みたいなところを担当する部署に行きました。

そうしたら、そこで社内ニートみたいになっちゃって。ぜんぜん仕事がなくて、毎日午前中に仕事が終わって、17時に帰って飲みに行くみたいな。「そんなリクルート社員おらんやろ」という感じでしたね(笑)。実際、周囲はそんな時間に帰れる人はいないので、一緒に飲みに行く人がいなくて、飲みにも行かなくなって、結果ちょっと痩せました(笑)。

「どうせなら、全社トップセールスを獲ってから辞めよう」

そこで1回辞めようかなと思ったんですが、そのタイミングで1回目の結婚と1回目のマンション購入をしてしまいまして、「ちょっと辞められないな」と(笑)。なんかプラプラしていたんですけど、「どうせだったら部門のトップセールスだけじゃなくて全社のトップセールスを獲ってから辞めようかな」と一念発起しました。

ちょっと社内で上手く立ち回って、先輩からお客さんを奪いとるみたいなこともしました(笑)。そこで獲得したお客さまを大きく育てて、最終的にプロジェクトものになって。それで全社トップセールスが取れて、すごいピークアウトをして辞めました。「全社トップセールス表彰おめでとう!」「ありがとうございます! じゃあ、辞めます!」みたいな(笑)。

もともと30歳で独立しようと決めて入ったのですが、そもそも新卒で24歳スタートなんですよね。本物の院卒の方には申し訳ないんですけど、大学6年行ってたので、院卒みたいな感じで(笑)。24歳から社会人をスタートして、丸6年リクルートにいて、30歳で辞めてフリーランスとして独立をしました。

クライアントワークをすれば、やりたいことが見つかると思った

ちなみに、なんでリクルートエージェントに入ったかというと、やっぱり僕もやりたいことがなかったんですよ。なので「やりたいことが見つかるかな」と思って。

いろんな業界が見られる仕事がしたいなと思ってたんですよね。人材の採用はどこでも(需要が)ある仕事なので。いろんな業界を見れば、自分がやりたい仕事が見つかるんじゃないかなと思って入ったんですけど、結果、「この会社に行きたい」「この仕事がやりたい」みたいなものが一個もありませんでした(笑)。

でも振り返ってみたら「俺、この人材の仕事けっこう好きやな」と気付いて。たまたまやっていた仕事なんですけれど、せっかく見つかった好きな仕事だから「飽きたらやだな」と思って、飽きないように、ほかの仕事もやることで「まぶそう!(笑)」ってなって。じゃあ人材以外の仕事は何をやろうかなと思ったときに、リクルートの人は、みんな年収は高いんですけど、ぜんぜんお金を持っていないんですよ(笑)。

基本的にタクシー・酒・合コン(笑)。だいたいこれで消えちゃって、本当に貯金がないような感じだったんです。僕も経済学部出身だけど、自分自身ぜんぜん金融のリテラシーがないよなと思ってたので、金融のリテラシーを高めて、リクルートの同僚たちの資産をちょっと増やしてあげることができたら、めちゃくちゃ感謝されるんじゃないかと(笑)。それで、外資系の生命保険会社で、フルコミッション(完全歩合制)のセールスをやろうと考えました。

ユーザーの“負”が大きな保険業界

株式の投資をする人って日本の人口のだいたい5パーセントぐらいなんですけど、保険は世帯の90%が入っているんですよね。でも、けっこうユーザーの負が大きい領域でして。単純に言うとユーザーが騙されやすい業界なんですよね。

なんでそうなるかっていうといくつか理由があるんですが、一つは(フルコミッション型の)生保が不人気業界だからなんです。リーマンショックのときも、保険のフルコミッションのセールスの求人だけ大量にありました。景気が悪くなると、全体的に求人が減って、その分、不人気の業界で人が採りやすくなるので、ひたすら求人が出るっていう構造ですね。

保険のセールスって、正直イメージあんまりよくないですよね? だから、優秀な人がぜんぜん入ってこない業界なんです。しかも、フルコミの生保の営業をやろうとする人の動機は「お金を稼ぎたい」が圧倒的なんです。もちろん、想いや使命感を持ってお仕事されてる方も大勢いるんですけどね。

だから、あまりフィットしていない保険に加入していたり、不愉快な営業を受けた経験を持つ人が多いなと感じていました。そこから、「信頼できる保険の営業がいたら、みんなにとって便利じゃないかな」と思って、メットライフ生命という外資系の生命保険会社で保険のコンサルタントをやりました。

ちなみに、生保の完全歩合のフルコミッションセールスって、個人向けのセールスの中でも難易度が高い仕事なんです。なんとなくイメージが湧くと思うんですけど、友達がプルデンシャルに転職して「今度お茶しようよ」と来たら、「いや、お前保険のセールスだろ!」みたいなね(笑)。すごくやりにくい(笑)。

2年目で年収5,000万、ただ成長実感は得られず

でも、僕は本当にリクルートの友達のためになりたいなと思って。別に保険の話をしようとはあまり思ってなかったです。

まず、みんながなんで悩んでいるのかを知りたかったので、新卒採用でやっていたみたいに、ひたすら人に会いましたね。ランチのダブルヘッダーは流石にあんまりしなかったんですけど(笑)、朝から晩まで人と会って。

やっぱりだいたいみんな何かに悩んでいるんですよ。「悩みがない人っていないんだ」というのがまず気づきでした。で、大人が悩むのは「仕事、金、パートナー(恋人や伴侶探し)」、だいたいこの三つのどれかなんだっていうことが分かりました。これを全部ワンストップでやれたらお客さんにとってめちゃくちゃ便利だなと思って、キャリアコンサルタントをやりつつファイナンシャルプランナーもやりつつ、婚活のコンサルタントみたいなこともやっていました。これ、文字だけ聞くとめちゃくちゃ怪しいんですけど(笑)。

(会場笑)

おかげ様で、普通に話して悩み相談をしていたら「いろんなソリューションを提案してくれていいね」みたいな感じで、お客さんの紹介だけで商売できるようになりまして。フリーランスとして独立して2年目でMDRTっていう、一応保険のトップセールスの基準であるところを満たすことができました。

このときざっくり年収が5,000万円くらいあったんですよ、フリーランスになった最初に「年収5,000万円くらいはいきたいな」と思っていたので、2年で当初の目標を達成できたんですね。ただ、正直あんまり成長感がなかった。

あと、このままいけば、あと数年で1億までは目指せるなとも感じたんですが、同時に、個人の年収の限界って多分1億円くらいなんだろうなというのも見えてきました。

「目先の小銭より成長」を選んだ

1社、法人の顧問先とのコンサル契約が終わって、ちょっと暇になる時期があって、僕が独立したのと同じタイミングで創業した、リクルートの先輩たちが作ったスタートアップがあって。LiBzCAREERという、女性版のBizReachみたいな転職のメディアで、キャリア女性に特化しているスタートアップなんですが、そこをちょっと手伝っていました。そうしたら「子会社の社長をやってくれないか」とオファーをもらいまして。

年収5,000万円から700万円にダウンするんですけど、「目先の小銭よりも成長だよな。覚悟決めてやってみるか」と思って、フリーランスをたたんで、スタートアップの役員をやりました。2年で自分の担当の部門は売上が10倍くらいになったんですけれども、スタートアップってまずはひとつのプロダクトをとにかく伸ばす!というのが至上命題なので、自分としては「もうちょっとスピード感持って色々やりたいな」と思って退職し、今のTanpan&Co.という会社を作りました。

今は創業して1年半ぐらいなんですけれど、今年の1月にその「カモンサラダ」を作って6月にダイエットサービスもローンチしました。色々やりたかったので前職を辞めたので、色々手を出したんですけど、サラダは2ヶ月くらいで止めています。早いですね(笑)。色々と学びがありました(笑)。

とはいえ、自分のプロダクトはやっぱり我が子のようなものなので、それを止めるのはすごい苦しみがありまして。そのストレスで、2ヶ月くらいで10キロ近く太ったんですよ。

「お前、ボディメイクのサービスやってるくせに太ってるやんけ!」という感じで、うちの担当の営業には本当に申し訳ないのですが、これから3ヶ月かけて15キロくらい落としたいなと思っています(笑)。

長くなってすみません。ということでこんな感じの半生でして、今36歳で、結婚は2、3回しております(笑)。

(会場笑)

「夏の長ズボン」は意味がわからないものの代表格

ぜんぜん話が進まなくてすみません。今日のテーマに深く関わるので、もう少しだけ、私の特性や性格、原風景、原体験なんかについてもお話させてください。

まず、僕、異常な暑がりで汗っかきなんですよ。みなさん暑くないですか?(会場に向かって)暑くない? 俺だけ? すみません、めちゃくちゃ暑いです(笑)。

(会場笑)

もともとすごく短気で怒りっぽくて、いわゆる癇癪持ちの子どもみたいな感じで、父親も兄貴もそっくりなんですよ。子どものときは、キレたらその辺に物をぶちまけるぐらいのすごいショートテンパーでした。

あとは、すごく合理的というか。意味がわからないことが嫌いだったので、夏の長ズボンは僕にとって本当に意味がわからないものの最たるものだったんですよ。

そんな僕に母親が「お前はこういう性格だから、公立の中学校に行ったら先生に嫌われて内申点がとれないから私立に行け」と言ってくれて。今にしてみれば賢い母親だなと思うんですけど、それで私立の中学を受験して。さっきのブレザー受験ですね、ぜんぜんモテなかったやつに行ったんですよ。

それから、人と同じなのが死ぬほど嫌いなんです。(短パンとモヒカンを差して)見たらわかるような感じだと思うんですけど、人と違うことが昔からすごく好きで。あとは自営の父とそれ以外の大人の男性、というのが先ほどのスーツの話ですね。

飲食費を使いすぎて、あだ名が「エンゲル」

あとは食べることがすごく好きで、独立してからは360日毎日会食みたいな感じです。(スライドを指して)下にも「2,000万使った個人事業主時代」と書いているんですけど、もうエンゲル係数がやばくて。(金額が多すぎて)係数じゃなくてエンゲルと呼ばれているんですけど、実際エンゲルなんですよ。

(会場笑)

担当の税理士にも「こんなに飲食費に使えるわけがない」と言われているんですけど、使っています。だから太っているんです(笑)。それから常に「モテたいな」という欲求が。今もあるので、過去形じゃないですね。常にモテたいと思っています。

あとはやっぱりうつですね。死にたい毎日。とくに大学生のときでしたね。そこから新卒採用担当をやって転職エージェントをやった、というところですね。これが今日のテーマに関連する特徴、性格、原風景、原体験です。あとでまた折に触れてお話ししようかなと思います。ホント長くなってすいません(苦笑)。