ベテラン経営者が語る最大の失敗

平尾丈氏(以下、平尾):ひととおり自己紹介が終わったということで、直近のお話をしていただきました。

今日はやっぱり若手の経営者の方が多くいらっしゃるのかなと思っておりまして、裏番組は「スマホの潮流」なんでどちらかというとサービス志向の方が来てるのかなと。こちらは、経営に興味がある方が来てるのかなと思っております。

事前にいろんなテーマ、「経営」であれば事業開発や組織だったり、事件が起きたり、競合との争いがあったりとか……。

川鍋さんだったら官公庁だったり、所管のお上もいらっしゃったり。お国、法律面だったり。いろんな問題が起きてくると思うんですよね。

今日はどちらかというと、インタビューなどでおっしゃっていることもあるかと思うんですが、できればお初のネタがうれしく存じます。「これはできればみんなの共有知になったらいいんじゃないかな」と思うのがあれば。

じゃあ、オプトの鉢嶺さんから教えていただきたいなと。いろんな経営におけるしくじりを、できれば大きい「みんなもここが失敗するんじゃないかな」というところをぜひ。

ホールディング化したオプトの決断

鉢嶺登氏(以下、鉢嶺):前回この場でその話をしたら、ほとんどカットされてましたので(笑)。同じ話を聞きたい人は、今日の夜に声をかけていただければいっぱい話します。

僕の中の最大の失敗を振り返ると、大きな目標を設定しそこなってた時期がありました。これは根本的に大きな失敗だったなと思うんです。

2004年に上場しましたが、それまでは明確に「333計画」という、「3年で売上30億円・利益3億円出して上場しよう」という目標を役員で握り合えていました。そこに向かって全社一丸になってたんですよ。そういうときって、すごいパワーが出るというか。

そのあと上場して、口では「上場は通過点です」って言っていましたが、あとから思い返してみると、自分の中で腹に落ちる大きな目標がそのとき設定できていなかったんですよね。

そのとき自分なりに明確な目標が腹落ちできていれば、そして「それを絶対にやるんだ」って気持ちに、その当時なっていれば、違う選択肢を取ったと思うんですけど。

やっぱりその明確な目標、大きな目標を設定できていなかったというのは、今振り返ると自分の中での本質的な失敗はそこにあったんだなって思いますね。

平尾:なるほど。やっぱり上場前と上場後もあるのかもしれませんが、リリースを拝見しましてホールディングスの話もありました。

例えば、これからまた組織が変わっていったり、いろいろあると思うんですが。ご決断されていく背景って……せっかく皆さんもいらっしゃいますし、私もホールディングスを検討している時期もありましたので、どういう意図であったりとか、もしくは失敗経験があったとか。そういったものがあるとうれしいなと。

鉢嶺:そういう意味でいうと、今グループで十数社あって、本来はグループ会社全体を束ねたところで「どういう戦略でいくか」とか、「どうシナジーを組み立てるか」とか、「新規投資をどこにすべきか」とか、そういう議論を本来は役員会でしなければいけない。

だけど、「事業会社オプト」の役員陣でその役員会をしてましたから。そうすると役員会の半分以上は「事業会社オプト、つまり広告代理店オプト」の戦略についての議論になってしまって、グループ全体の議論が非常に少なかったのです。それがやっぱり効率的ではない。

一番はやっぱりそこですね。そこを切り分けて、事業会社オプトは事業会社オプトのことだけを考えるし、ホールディングの役員は全体の資産のアロケーションとか、どこに投資していくのかということに完全に切り分けることができた。

なので、4月からは僕はすごくすっきりしましたし、事業会社オプトの業績が良くなったっていうのは、それが非常にあるんじゃないかなと思います。

平尾:私も前職でリクルートにおりましたので、時期でいうともうちょっと前なんですが、分社化してホールディングスになった。

私のようにリクルート本体に新卒で入った組からすると、OBとして見たらホールディングスになったときにいろんな気持ちがあったんです。

もちろん良い面もありますし、ちょっとさみしい気持ちもあったりしたんですが、組織の中でいろんな幹部の方や現場の方のご調整とかは非常に大変だったと思います。そのあたりってどういうふうに思われてますか。

鉢嶺:いや、そんなにね……わからないです。現場のみんなには「さみしい」とかたまに言われますが、僕のほうはそこまでさみしくないのです(笑)。オプトだけではなくて、全部のグループ会社をタッチできるようになったので。

今までは自分の時間の9割方がオプトだけだったけど、そうではなくなった。他のグループ会社からすると「うれしい」という声を聞きますから、より良くなったと僕は思ってます。

平尾:ありがとうございます。では川鍋さんお願いします。

1900億円の借金をさらに増やした

川鍋一朗氏(以下、川鍋):最大の失敗ですよね……ずっと悩んでたんですけど。私が30歳のときに、ファミリービジネスである(日本交通に入社した)。

私がつくったわけではなくて三代目として入った。ただ、その会社が借金が多くて「これはやばいぞ」というときに、自分が取った最初の行動というのがものすごく外してたんですよね。

それは「新会社をつくった」。その頃は川田さんと一緒で(注:川鍋氏・川田氏ともにマッキンゼーに在籍)マッキンゼーを終えてすぐだったので、なんとなく理想に燃えていて。とにかく、入った会社があまりにもひどい会社なので「こんな会社は救えない」と思って新会社を設立した。

でも、結局4年かけて4億5000万円の累損(累積損失)を重ねて、最後は親会社にくっつけて節税対策したのですが(笑)。その頃は(日本交通本体には)約1900億円の借金があって、「親父バカだな。バブルに踊りやがって」とか言ってたのが、1904億5000万円にしちゃったっていう(笑)。しかも、取り立てられてる最悪の時期に。

私が入社することで「生意気だけど、一応マッキンゼーとかビジネススクールとか行っててオーナーのファミリーだし、彼が頑張ってくれれば少しは銀行も取り立ての手を緩めるかも」という希望があった。そのエクスキューズになったかもしれないときに、自分がそういう体たらくだったということはものすごくトラウマで。

以降10年間くらい、自分で新しいことってできなかったんですよね。すごく怖くなっちゃって。「自分には新しいことをやる才能がない」って。それから10年くらい貝となって(笑)。

会社は借金を返したり、やることはずっとあったのでそれはそれで良い。「V字回復」とかいろいろ取り上げられて、私もこっち(トーク)はわりと好きなので、ストーリーで(語って)。

でも、本質的に自分が新しいものをつくってきたという感はあんまりなくて。とにかく自分の存在意義である、幼少の頃から刷り込まれた「日本交通株式会社の社長になるということ」の……自分のためにかもしれないけど、その場所がなくならないようにひたすら守ってきたって感じなんですね。

そういう意味では、その間の4億5000万円は非常に痛くて。今考えると、さっきのオザーン(ヤフー・小澤隆生氏)の「誰か何か言ってくれよ」というのがまさにそう。最初に思ったのは「なんで誰か止めてくれなかったの?」って(笑)。誠に無責任で。

「親父、ちょっと会社つくるぜ」とか言って、ワーッて計画書いて50台車買って50人雇えば、そりゃ2000万円ずつくらい毎月赤字が出るわけですよ。売り上げはぜんぜん立たなくて、初年度で2億円の赤字で。それはものすごくトラウマですよね。以来、やるときはとにかく小さく小さく、失敗しても痛みがあんまり後に残らないように。

それ(トラウマ)を溶かしてくれたのは……2010年になってTSUTAYAの増田(宗昭)さんに自分のやってきたことを聞いてもらうチャンスがあったんですよ。そしたら、まずは「いやあ川鍋くん、よくやったね」ってほめてくれるわけですよ。「そうなんだ、増田さんでもほめてくれるんだ」と思って。

でもそのあとに「川鍋くん、そろそろ新しいものにチャレンジしたほうがいいよ」って言われて。それ以来、アプリとかにチャレンジし始めているんですけど。

すみません、ぜんぜん失敗じゃなかった(笑)。最後が失敗じゃない。「きみの弱みはなんですか」って面接で聞かれて、弱みから始まって強みで終わるみたいな(笑)。そんな答え方だったような気がします。

東日本大震災で役人と口論

平尾:私がお聞きしたかったのは……お話しされてなかったのでもしかしたら切り込んじゃまずいのかもしれませんが、たぶん今日来てらっしゃる方の中には「最後発なんだけど入り込みたい」というようなネットのスタートアップって結構いらっしゃると思うんですよ。

ちょうどこのセッションの1個前で、ラクスルの松本(恭攝)社長も「古い印刷業界に切り込んでいく。競合はもういない」っておっしゃってたんで。そういう掟がいろいろあってなかなか入り込みづらいんだけども……というしくじり、失敗経験を出せる範囲で何かあればと。

川鍋:今でもしょっちゅうやるのは「めんどくさいからいきなり上に行っちゃう」ということ。でも結局実際に省庁で法律を書く人とか、最後に行間を読んで阿吽の呼吸でラインを決めるのは現場の人たちなんですね。そうすると、その人たちをやっぱり……。

平尾:やっぱりいきなり上に行っちゃダメですか?

川鍋:いきなりそれやると基本的にはすごく嫌われますよね。それがまた、結構残っちゃうんですよ。「あれはああいう人ね」「調子いいときはしょうがねえけど見てろよ」みたいな。それで、ちょっと株価が下がったらみんなにすごく怒られる(笑)。

僕自身もそれを相当やっちゃうんですよ。ついめんどくさくなって。しかも行政の下のほうの人も、すごく志を持った良い人が6割くらいだとすれば、「何もしないでこの2年間終わろうと思ってるでしょ?」という人がやっぱり2〜3割いるような気がします。そういう人が重要なところを握ってたときって、本当に腹立たしくて。

例えば、僕が今までで一番「ふざけんな」って思ったのは、東日本大震災が起きたとき。ガソリンがないわけですよ。タクシーはLPGなんですが、黒塗りのハイヤーのほうはガソリンなんですよ。

LPGは、タクシーには公共性があるから優先的に配給みたいなのを受けることができた。そもそも、私は東京のタクシー協会の会長だったものでそれをお願いに行ったんですよ。

そこで「ウチはハイヤーもやってるので……」と。ウチは福島の「○○電力」とかそういう会社の仕事も請け負ってやっていて、ウチの乗務員もこういうの(防護服)を着て、運転してたんですよ。でもガソリンがないんですね。

そのときに国土交通省に行って「ハイヤーにもなんとか優先的に割り当ててほしい。公共性があるんだ」と言ったら、「ハイヤーはラグジュアリーグッズだから、お偉い人が笑って乗るものにはあげられない」って言われて。

カチンときてさんざん議論したんですけど、しょうがないからあの手この手で知り合いのガス会社の社長の人に電話しまくって、「優先はできないけど弾が入ったら教えるから先に並んで」みたいな。

それでロープが張ってあるところに一番先に並んで。しばらく「なぜかロープ張ってある一番最初に日交が並んでる」って、お客様からクレームが来たんですけど。すいません、話が長くなって。

平尾:いえ、大変勉強になります。

川鍋:行政は本当にね、難しいですよ。基本的に人間関係が必要だし、本当にやりたいときはそういうのができる先輩とか、やってる人の信用を借りるしかないですよね。時間がかかりますから。いきなり行って何度か飲んだくらいではぜんぜん効かない。その人がパッと代わっちゃったら次は同じですから。だから、そういうのをやってる人に三顧の礼を尽くすくらいしかないですよね。

平尾:勉強になります。ありがとうございます。

創業時のDeNAを潰しかけた

平尾:じゃあこの流れで川田さん。僕の中では川田さんは失敗されてないってイメージしかないので。

川田:何をおっしゃいます。

平尾:いやいや。でもご投資されている起業家の方とかの、出せる範囲で「これやっちゃったな」みたいなのとか……。

川田:僕は、DeNAを潰しかけた男なんですね。

平尾:それをお伺いしたいです(笑)。

川田:これはわりと出てるネタではあるんですけど。僕はDeNAのCOOで開発を担当してたんですけども……これも(南場智子氏の著書)『不格好経営』を読まれた方は知ってるかもしれないんですが、もともとDeNAはオークションの会社だったんですね。インターネットのオークション。これは皆さん知らないかもしれない。

ヤフオクが始まる前に、So-net・リクルートとアライアンスを決めて「日本でもオークションをやります」とバーンと出しちゃったら、僕らのサービスが始まる前にヤフオクが始まってしまった。で、非常に苦しい立場で「急いでつくんなきゃ」と開発してたんですね。

その当時は、僕も南場さんもマッキンゼー出身だし「システム開発とか外に出せばいいよね」って。良い外注先を見つけてきてそこのマネージを(して)、「まず要件定義が一番大事。開発は外にやらせる」みたいな、そういう無能なノリで外注した。外に出すにしてもあんまり知り合いがなくて、しっかりした見極めとかもできないまま、とにかく時間がなくて出しちゃったんですね。

フタを開けてみたら、サービスのリリース直前になって実はコードが1行も書けてないということが発覚したんです。これはパニックですよ。しかも、So-net・リクルートからは金額的には小さめ、1ケタ億円の出資で、その直後に2ケタ億円の大きな出資が待ってたんです。その直前。

かつ、今から思い返すと本当に冷や汗もんなんですが……守安(功)を含めて某データベース会社から若手6人くらいがウチに転職してきたんですが、まだ彼らがウチに入る直前だったんです。

そういう諸々の重要なイベントの直前に、フタを開けたら「システムが1行も書けてません」。全員パニックになって「南場さん!」「うわ、だまされた」っていろいろ株主とかに説明しに行って。僕はもう「絶対外は信じない」と。「もういい、俺が書く」って言ってクレジットカードでパソコンを買いまくって、タクシーでひたすら会社に運び込んで。

川鍋:タクシー(笑)。

川田:タクシーで(笑)。即席のマシンルームをつくって。「昔書いてたよ、書けるよ」みたいな感じで。頭が完全にいかれてたんですね(笑)。もう1人、僕がIBMから引き抜いた、大学の研究室の後輩だったエンジニアがいて、「俺たちで書こうぜ」みたいな。

ことの重大さがまだわかってなくてバタバタしたんですけども。パニック状態のままどんどん時間が過ぎていって、過ぎれば過ぎるほどやばいってことがわかってきて。最終的にSo-net・リクルートに話しに行かなきゃってときに南場さんを呼び出して「完全に僕の責任です。僕が開発全部の指揮をとっていた」。

そのときには取締役・COOをやってたんですが、ああいう大きい会社っていうのはケジメが必要でしょう。だから「僕のクビを持ってってください」と。小さいオフィスのベランダに呼び出して。そしたら「何言ってんの。辞めるときは一緒だ」って一蹴されて。

平尾:かっこいいですね。

川田:辞めても、僕は別に(引き続き)やるつもりだった。「クビだけをとにかく持ってって」と思ったら一蹴されて。で、その日の夜に南場さんは旦那さんの紺屋(勝成)さんに話したら、紺屋さんが3つインプットをくれたわけですよ。これも本とかに書かれてる話なんだけど、すごく感動的で。

まず「だまされたとか言うな。責任は自分たちにあるんだ」と。だから人のせいにしてはいけない。圧倒的に正しい。あと「嘘をつくな。適当に繕うな」。本当にまずい状況でも、詳らかに状況を説明しろと。3つ目が「あきらめるな。これくらいの状況はある」。立て直せるから、1ヵ月リリースを伸ばして立て直せと。

それで南場さんも僕もすごく冷静になったんです。……かっこいいよね。紺屋さんめちゃめちゃかっこいいんですよ。

川鍋:なんかぜんぜん失敗じゃないんですけど(笑)。

平尾:しくじり感がまったくないですよね(笑)。

川田:僕が失敗したの(笑)。

真田:紺屋さんかっこいいですね〜。なんか、普段弱いのにね(笑)。

川田:(笑)。紺屋さんはいつもは酔っぱらいのイメージがあるんですけど、違うんですよ。

平尾:当時はSo-netさんとリクルートさんと3分の1ずつくらい持ってたんですよね?

川田:そうですね。33・33・創業メンバーで34。村口(和孝)さんを含めた、バリュエーションを上げたうえでの大きな資金が入る直前です。

平尾:今のスタートアップの皆さんからすると、資本政策上すごくガバナンスが効いてると言ったらアレですけど、すごい資本比率だなと思ってまして。資本比率ってどういうふうに決まるもんなんですか?

川田:あれはわりともう「エイヤッ」っていうか。とにかくアライアンス前提でいろんなことを進めてたんで。マッキンゼー出身だとアライアンスとか好きなんですよ(笑)。

平尾:お強かったんですね(笑)。

川田:アライアンスとマーケティングエクセレンス。あとはいわゆるファイナンス。これが肝だと。システムは外注でいいと。偉大なる間違いだったんですけど(笑)。大いなる間違い。

川鍋:コンサル的ですね(笑)。

川田:コンサル的な地雷をすべて踏んでしまったという感じですね。

平尾:そこが4社だったらうまくいったかもしれないですね。資本政策の最初に、ベンダーさんとかそういうところを入れて4社にしていたりとか。

川田:そういうところを入れていたら大変なことになってたと思います(笑)。

平尾:ありがとうございます(笑)。

川田:「自分でつくる」って感じになんなきゃいけないっていうのをそこで確信して。人数が少ないから外部のベンダーを使いつつも、最終的にはやっぱり守安が書いてたし、外から来たエンジニアもみんな書いてたし。中でつくるようになって、それで安心した。僕がカードで買ったパソコンたちは、ちゃんと無駄にはならなかった(笑)。

平尾:川田さんのインタビューでよく拝見するんですけど……やっぱりそのご経験があったからかわからないですけど、システム開発に関しての言及が多いですよね。これからのスタートアップに対して。

川田:そうですね。僕は創業メンバーに開発者がいない会社って、あんまり(資金を)出さないです。

平尾:なるほど。皆さん聞きましたか? これはもう最重要事項ですからね。エンジニアさんの起業家の方は、これが終わったら川田さんに「出資してください」と集まってください(笑)。