IVS特別インタビュー「WiL 創業の軌跡と今後」

佐俣アンリ氏(以下、佐俣):この時間のセッションは、インタビュー「WiL 創業の軌跡と今後」ということで、WiLの伊佐山さんにお話を伺っていこうと思います。伊佐山さん、よろしくお願いします。

伊佐山元氏(以下、伊佐山):よろしくお願いします。

佐俣:まず簡単に、伊佐山さんの自己紹介をいただいてよろしいですか?

大企業のイノベーションを支援するWiLのビジネス

伊佐山:WiLの共同創業者の1人で、今、CEOを務めている伊佐山と申します。WiLはシリコンバレーを本社にして、東京にも拠点を持ち、大企業のイノベーションを支援する会社ということで、ワールドイノベーションラボと命名しています。

WiLの略は、ラボということで、研究所という名前の付いた会社です。コンセプトはシリコンバレーで起きているようなイノベーション、もしくはダイナミックなベンチャーの風を、どうやって大企業に届けるかということをミッションにして、具体的なビジネスに繋げて活動していると。まさに始まったばかりなんですけれども、これから日本の大企業を変えていきたいということで、活動しています。

佐俣:WiLの話で昨日伺っていて、すごいおもしろかったのは、WiLからはプレスリリースを、あまり積極的に打っていないということで。WiLの情報って、日本から見ていてもまだそんなに見えてない部分がすごい多いなと思っていて、僕は事前に伺わせてもらって、これはおもしろいなと思っています。いろいろ根掘り葉掘り伺っていきたいんですけど。

伊佐山:はい。

銀行員からスタートしたキャリア

佐俣:まずは伊佐山さんが、ビジネスマンとしてどういうキャリアを積んできたかというのをお伺いしてもいいですか?

伊佐山:僕は小さいときにニューヨークに住んでいて、ちょっと海外の経験はあったんですけれども。でも中学、高校、大学は日本の教育を受けて、逆に言うと日本の大学の頃も、まだインターネットがなかった時代なので。

ただパソコン通信は、すごいダサいんですけどオタクの人たちが一部使ってて、世界の人とコミュニケーションしてるというのはツールとしてはあったんだけれども。インターネットという言葉が出てきてなかったような時代で、大学生時代を過ごした経緯があります。

中学の頃からPCを使い、新しいものにすごい興味があったんですけれども、現実的には大学を卒業してから日本興業銀行という、現みずほになってますけれども、銀行員になりました。そのときも銀行に興味があったというよりは、やっぱり将来海外で何が起きてるかというのにすごい興味があったと。

職業を選択する最終的な要因

伊佐山:その(理由の)1つは、僕が就職したのは90年代中盤なんですけど、80年代とか日本が世界一という、ロールモデルみたいな注目をされた時代から、ある意味もう下り坂になっていて、逆に海外は盛り上がっていると。

日本をもう1回盛り上げるためには、何が必要なのかなというのにすごく興味があって、海外を経験できるような職場に行きたいということで。商社とか金融とか役人になるとか、いろんな選択肢があるんですけれども。

その中で最終的に決めてる要因は、今もそうなんですけど、何をやるかという以前に、人との相性とか、この人が好きかどうかということをベースに今まで職業の選択というのをしていて。

そのときもたまたまOBの方がすごくおもしろい方だったので、そこに行こうということで、銀行員になったんですね。だから銀行員になりたくてなったというよりは、そこにいる人とか文化に、その企業文化がすごく好きで、常に選択をしてるという形で日本のサラリーマン生活を始めたんです。

銀行員4年目で迎えた転機

伊佐山:実際に銀行員をやって、初めは大阪に行ってそのあと東京に来たんですけれども、日本の問題、いわゆる大企業がどんどん右肩下がりで、外国人に負けていて。ある意味日本を象徴するような会社が、どちらかというと追い込まれてるような姿を金融サイドから見ることができて。

ますます僕が銀行員になる前の、「日本に足りないのは何なんだろう」という体質の「何で外国人は上手くできて日本人はできないんだろう」という思いが、さらに高まったと。

銀行に入って4年目に留学する機会をいただいて、2001年にまさに今私がいるシリコンバレーという場、スタンフォード大学に留学するきっかけをいただいたというのが、サラリーマンとしての1つ目の転機ですね。

学生時代に抱いたシリコンバレーへの思い

佐俣:その頃はシリコンバレーとかスタンフォードみたいなものに憧れはあったんですか?

伊佐山:それはすごくあって、留学というと普通は東海岸のハーバード大MITとかが日本人受けがいいんですけど、僕の場合は少し変わった経験があって。

学生時代に家にホームステイを受け入れてまして、そのときにスタンフォードの学生が大学2年のときからホームステイしてて。

西海岸にはスタンフォードというすごい大学があって、大学生がみんな卒業後に自分で会社つくるとかそういう話をしてるわけですよ。アメリカではパソコンが当たり前でと。

僕はパソコンを持っていたんですけど、いわゆるノートパソコンを学校に持って行くなんて発想はなくて、すごいなと思って。そういうところに行ってみたいなと。

佐俣:その留学生を受け入れたことが、人生の転機だったんですね。

スタンフォード大学で受けたカルチャーショック

伊佐山:結構人生変わりましたね。いまだにショックだから覚えてるんですけど、僕がノートと鉛筆を持って大学に行くじゃないですか。「何か日本の大学って化石だよね」と言われて。

まずそこで結構ショックを受けたのと。あとパソコンを使って電子的にすべてを処理しているとていう感覚が今じゃ当たり前ですけど、昔は全部書いたものは印刷する。もしくは手書きで書いてホッチキスで止めてじゃないですか。

佐俣:そうですよね。わかります。

伊佐山:確かに化石って言われたことのリアリティがすごいあって。でも日本人はみんなこうだから、自分の中では普通だと思ってるのが、外国から来た学生から見たらそれが異常に見えたっていうのがすごいショックで。

でもそれだけ新しいものが生まれている場所に行ってみたいなというのは、すごくあったんで、もう行くとしたらそこしかないという形で、もうそこだけを。どうやったら入れるかってことを考えて、それこそ上手く入れたので良かったんですけれども。

シリコンバレーの空気に洗脳された

佐俣:スタンフォードに留学されて、そのあとはどういう。

伊佐山:わかりやすく言うと、留学してまさに予想通りで、洗脳されるわけですよ。留学していろんな経験して、いろんなこと勉強してとか、それはあるとは思うんですけど。

それ以上にあったのは、やっぱりそのシリコンバレーという環境に行った瞬間、あそこの空気に触れて、世界中の人たちが集まって、いろいろ議論をしているうちに(洗脳された)。銀行員やってても、今まで日本国内しか見てなかったわけじゃないですか。

それがどんどん、南アフリカの人だったり、フランスの人だったり、タイの人だったり、いろんな人が自分の国の話をして、世界全体を見ながら話をするようになって、自分が見てる世界がすごい広がったというのがまず1つあります。

その中で、テクノロジーというものが完全に国境を越えて、国を意識せずに事業がつくれるとか。一番わかりやすい例は、僕が在学中にGoogleという会社がスタンフォードでものすごいポピュラーになって、Googleが上場したのは2004年。

2001年に行ったときは、Googleは結構使われていて、便利なんだけどまだビジネス化ができてない状況だった。ちなみに日本ではそのとき何が一番流行っていたかというと、Yahoo! JAPANで、タグからいくプロセスで、ほとんどの人はサーチというのはまだわかってなかったときなんですよね。

佐俣:そうですね。

伊佐山:どっちかというとディレクトリー型で、インターネットをサーフィンしている時代だったので。そういうのを見たときに、「なるほど」と。やっぱり日本の中だけにいると、気づいたら日本という国が制約のようになっていると。

海外から日本を見たときの危機感

伊佐山:日本の国だけでもいろいろやれることがあるし、日本自身が豊かだから、外を見なくていいという現状が、良くも悪くもあると。いまだにGDPは下がってても、日本はまだ3位なわけだから、まだ行けるじゃんという。

でもそれを続けると、もう下がるしかないので。さっき言った僕の「どうやったらもう1回上がれるんだろう」ということに対しての解はないわけです。

佐俣:どうやったらもう1回、日本が上がっていくんだろうというのは、伊佐山さんの中ですごく大きいテーマなんですね。

伊佐山:大きいテーマですね。「別に下ってても、みんな豊かだったらいいじゃん」と割り切る人もいるし、「ベンチャーだ何だって、そんな一生懸命頑張って無理しなくたっていいじゃん」といろんな人が言うわけですよ。

確かに一生平穏に過ごしたければそれでもいけると思うんですけど、海外に行って、もうひとつの問題は、これはたぶん、海外に住んでみないとわからないことだと思うんですけど、マイノリティになるじゃないですか。そうすると自分の国が衰退していくというのが、ものすごく自分の心理的に嫌なんですよね。

佐俣:なるほど。

伊佐山:わかりやすく言うと、学校のクラスにいて全く相手にされない。どんどん人気がなくなっていくような感じなわけですよ。嫌じゃないですか。はっきり言って。

佐俣:はい。嫌ですね(笑)。

伊佐山:チヤホヤされるというか、みんなよりちょっと目立ちたいじゃないですか。

佐俣:はい。

伊佐山:目立ちたいというか、注目されなくなるのってきついじゃないですか。1人の人間として認められたい。存在感を持ちたい。そういう感覚になるんですよ。地域の住民で、昔は日本人が行くと、「いや、日本すごいね」と。

佐俣:はい。

伊佐山:ソニーもあるし、トヨタもあるし。ソニーもトヨタもすごいんですけど、今と明らかに違うだけのブランド力があったから、日本人というのは海外に出ても、注目を浴びれたわけですよ。

佐俣:そのブランドを、ある意味背負ってたってことですね。

伊佐山:過去の栄光の恩恵に預かっている。だからそういう観点でいくと、今海外に住んでる人というのは、日本のイメージがどんどん消えていき、他の国がどんどん目立つのを肌で感じている。特に僕がアメリカに住んでるこの15年間というのは、やっぱり韓国。「Samsungだ」「LGだ」って韓国のブランドが台頭してきたわけですよ。

佐俣:なるほど。

伊佐山:今度は、中国やインドじゃないですか。その中で日本が当然シェア伸ばせなくて、守るか、減ってるかという苦戦を強いられてる。それは、自分自身のプレゼンスの低下にも繋がると。