「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」について

堀潤氏(以下、堀):このコーナーは専門分野に長けた論客の皆様に独自の視点で今、知るべきニュースを角度持って思う存分お話いただきます。

脊山麻理子氏(以下、脊山):改めてゲストをご紹介します。元財務官僚の弁護士、山口真由さんです。お願いします。

山口真由氏(以下、山口):よろしくお願いします。

脊山:そして、コミュニケーションプロデューサーの若新雄純です。お願いします。

若新雄純氏(以下、若新):よろしくお願いします。

:では山口さん、テーマの発表をお願いします。

(テーマ「ヘイトクライム」について)

脊山:先月17日、サウスカロライナ州の教会で9人の黒人が射殺される事件が起きましが、その翌週、近隣の州にある5つの教会で連続火災が発生していたことが分かりました。

:火災が起こった5つの教会はどれもアフリカ系アメリカ人を中心にした教会でした。そのうち、3つの火災は放火と判明していて、2件は調査中です。火災の原因が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)によるものかはわかっていない、ということですが。

山口さんは、どのようなスタンスでこのニュースをご覧になっているんですか?

山口:まず、「ヘイトクライムっていうのが、何か?」っていうところからなんですけども。

私は「ヘイトクライム」って言う時、「日本でもあるよね」っていうのはちょっと違うと思っていて。「(ヘイト)クライム」っていうものと、「(ヘイト)スピーチ」っていうのは明確に区別しなきゃいけないと思うんですけど。

:「ヘイトスピーチ」は公の場で、「あいつを殺せ!」とかでね、そういう誹謗中傷するようなことを声高に言うヘイトスピーチと。

ヘイトクライム、犯罪。まさに、こういう実効的なアクションまで繋がってしまうものは、少し線引きをする必要があると。

「ヘイトクライム」は法の下の平等に反するか

山口:「ヘイトクライム」の定義っていうのは、まず初めに、絶対に犯罪行為っていうのがなくてはいけないと。その被害者っていうのが、人種であるとか、性別であるとか、性的嗜好であるとか、そういうものを理由として被害者を選んでいる、っていう場合に、「ヘイトクライム」っていうふうになってくる可能性が出てくるのが定義なんですね。

アメリカのヘイトクライムっていうのは、日本とは違う部分から来ていて。アメリカでは「法律でヘイトクライムというふうに認められると、それに対する処罰は重くなる」っていうような、そういう法律もあるんですけれども。

オバマが署名した新しく法律もできましたけれども、非常に黒人、アフリカ系アメリカ人って言うんですか、を標的にした犯罪がすごくあって、法律の名前にもなっている象徴的な方っていうのは、1998年にジェームスさんっていう40代の方なんですけれども。

ヒッチハイクをして、3人の白人の乗った車に乗せてもらって、ただ家に送り返されることはなく、暴行を受けた上で、車に縛られて1.5マイル引きずられて、その後に全部切断された遺体が教会のところに置かれていたと。その後の検査によって、引きずられている間、ほぼ意識があったであろうということまでわかっていると。

そういう幾多の明らかな犯罪行為っていうものに対して、「これは、やってはいけないよね」「これは、どう考えても言語道断ですよね」っていう形で法律ができましたと。

しかし、そうであっても、裁判所で「この法律は違憲ではないか?」っていうので争われたんですね。「憲法の平等に反するのではないか」と。

最高裁は合憲だというふうに判断したんですけれども、その時の判断は割れていて、さらに合憲と判断した理由が、「この法律というのは、スピーチは含みません」と。「スピーチを処罰するということは、含んでいませんよ」っていうふうにして、それでようやく合憲と認められたんですね。

:切り離してね。「表現なんていうものじゃないでしょ」と。

山口:そうですね。「これは、明確な犯罪ですよね」っていうふうに。

それに対して、今、徐々にヘイトクライムっていうのが、スピーチのところも処罰しようっていうふうに及んできていて、日本でもそうだと思うし、アメリカでもそうだと思うんです。

:なるほど。

格差の見て見ぬふりが招くもの

:今、「ジョンレノンさん(本物)」さんから「名誉毀損はcrimeに含まれますか?」ということで。今の拡大の話を。少し似てますよね。

山口:名誉毀損っていうのも、やっぱりクライムに含まれますし、たとえば、特定個人に対する誹謗中傷により名誉毀損っていうのは、立派な犯罪なんですけれども。

その他に、例えば「ヘイトスピーチ」とかって言うと名誉棄損よりは広い概念になって、そんなのは、確かに聞いて不快だし、みんなもそうじゃないですか。「やめてしまえ!」って思うじゃないですか。そういう文脈の中だと思いますけれども。

例えば、サマーズ(ローレンス・サマーズ氏)がハーバードの学長だった時に発言された内容の中で、「アメリカの上位25の大学で、科学者には男性が多い」と。

その理由を3つ挙げているんですけれども、2つ目の理由が、「生まれながらに女性と男性は違いがあるのではないか」っていう議論をしたんですよね。それを理由に不信任決議をされて、それで、辞めてしまったと。その発言を聞いて、不快になる気持ちすごくわかるんですけれども。

ただ、「発言をしちゃいけない」っていうんではなくて。そうすると、生得的な違いがあるかないかっていうことを議論することができないじゃないですか。

例えば、アメリカのバスケットボール選手にアフリカ系の人が多いですねと。これって、「生得的な生まれながらの違いがあるんじゃないか?」っていう議論とかをした時点で、今やレイシストっていうふうにされて、危険行為とされる。

違いがあるっていうことを見て見ないふりをする。格差があるということを見て見ないふりをする。それは、格差をなくすことになりますか? っていうふうに思うわけですよね。

:ただ、蓋をしているだけで、本人が傷んだままそこに置かれている状況になっちゃいますからね。

硬さと柔らかさの両方を求められる時代

:どんな話でも、いろいろそこで言って、「それは、違う!」と。「おかしい!」「そんなことない!」と議論して。それがないと、本当にどこにぶつけるんだ、っていうことで。それが犯罪になると。

山口:ガリレオ・ガリレイとかは、宗教に挑戦して、そこからイノベーション、革新が生まれた。言うべきじゃないと思って慎んでいくと、どんどん手前で止めていくようになって、そもそも議論すら起こらなくなって。ただ、差とか格差とかっていうのは、それではなくならないんですよね。

:ひょっとしたら、大西議員もそういうところを自分の中で持っているんですかね。ありがとうございました。

若新:ポリシーは大事だけど、ポリシーを持って衝突した時には、柔軟にそこを交われるっていう、硬さと柔らかさの両方を持つってことを求められる時代ですよね。

「違うものは聞かない」はできない時代じゃないですか。交わらざるを得ないっていうか、複雑なものが。