自分に自信を持てない暗黒の20代だった

司会:本日3名のゲストをお迎えしております。オプトから山田さん。サイバーエージェントから安斎さん。リクルートテクノロジーズから馬場さん。皆さん拍手でお迎え下さい。

では、さっそく始めていきたいと思います。まず最初に、お三方に自己紹介を頂きたいと思いますので、簡単にお名前とお仕事と、これまでのキャリアの変遷を含めて、お話頂きたいなと思います。まず、山田さんからお願いします。

山田智恵氏(以下、山田):山田智恵です。初めまして、よろしくお願いします。こんなにかわいい会に参加できて、すごい光栄です(笑)。楽しみにしていました。どうぞ、よろしくお願いします。

私は今、株式会社オプトのソーシャルメディア事業部で部長をしています。簡単に、大学を卒業してから今までのライフサイクルなんですが。最初は株式会社インクスという、製造業向けのコンサルティング会社に勤めていました。

そこで新規事業、開発とか企画という仕事をやっていたんです。私、20代は旧司法試験−今はロースクールになってしまったと思うんですけれども−昔、司法試験という制度があって、その勉強と両立しながら社会人スタートしたんです。

私はとにかく自信がなくて、暗黒の20代を過ごして、マイナスのスタートをしているんです。何か武器を付けたいなと思いまして、大学院に経営管理学科、いわゆるMBAのコースを取りに2年間もう一回学生に戻って。

そこで新しいことを学んだりとか、知り合う人も、いろんな業界の人も来ていたのでブワーと世界が広がって、一気に楽しい毎日を過ごしていました。

東日本大震災で人生観が変わった

山田:ただ、その後ですね、ガクンと下がるんですけど。リーマンショックが2008年に起こって、当時勤めていた会社が民事再生になって、転職活動せざるを得なくなって。ここで初めての転職になります。で、受かったのが凸版印刷なんですけれども、また新しい仕事を始めて新しい人生を送っていこうかなとワクワクしていたところ、3.11の地震が起こって。

民事再生で会社が危うくなって、安定って大事なんだなって思って、大手の企業に就職して凸版印刷を選んだんですけれど、地震で死ぬかな? って思って。どこにも安定ってないんだなというふうに人生観が変わって。新しいこととか自分の興味のあることという軸で仕事を選んでいこうと思って、また転職活動をしました。

オプトに入って、ソーシャルメディア事業部に入って新しい仕事を始めて、またワクワクして。新しいことをすると上がっていくんですかね。35歳の時に部長に昇格して、この時にボストンに1カ月留学して、女性のリーダーシップを学ぶプログラムに参加しました。

その後、戻ってきてちょっとずつ自信ができてきて、今は女性向けのリーダーシッププログラムを考えたりとかShuttleRockJapan(シャトルロックジャパン株式会社)の取締役になったりとか、Instagramマーケティングの本を出版したりとか。最近だと18時台に帰宅するようにしている、という感じになっています。

司会:はい、ありがとうございました。またのちほど詳しくお話聞こうと思います。

フロントエンドからサーバーサイドのエンジニアへ転向

司会:では、続いて安斎さん、よろしくお願いします。

安斎弘美氏(以下、安斎):株式会社サイバーエージェントの安斎と申します。よろしくお願いします。緊張しているので、変なことをしゃべってしまうかもしれませんけど(笑)。簡単に私の自己紹介をさせて頂きます。

経歴としては2008年にフロントエンジニアでHTML、CSSがやりたくてサイバーエージェントに入社して、アメーバに配属になりました。その後、HTML、CSSを使って広告制作をする専任になったんですが。

その後やっぱりBtoCへのサービスを作りたいという思いがあったのと、当時流行りはじめたFlashをやりたいということで、当時できたてのサービスだったアメーバピグに異動を希望しました。そして希望どおり、アメーバピグに異動にはなったんですが、ガラケーの全盛期という時期で、ピグモバイルというサービスで引き続きHTMLやCSSの制作をずっとやっていました。

その後チャンスがやってきて、社内でFlashの研修をやるという機会があったので、手を上げて参加をして、やりたかったFlashデベロッパーという職種に転向しました。

その後、ピグカフェというサービスの立ち上げに携わったあと、紆余曲折がありまして、自分がピグカフェのリーダーという形でプロジェクトマネージャーになり、チームを引っ張っていきました。この頃はすごい大変な時期ではあったんですが、とても充実した1年でした。

その後、皆さんおわかりかと思うのですが、Flashの技術の変革がありまして、次に何を学ぼうかなと思った時に、いろいろなフロントの技術もあると思うんですけれど、私は、もっと根本のエンジニアとしての基礎について自信がなかったので、サーバサイドのエンジニアになりたいと思いました。そして、今年の1月に社内の技術本部Advanced Dev. Centerという所に異動させてもらいました。

今は、ADCで社内の開発環境の改善とか、皆さんの相談に乗って「こういうツールを使うと良いですよ」とかコンサル的なことをしながら、社内の開発環境の改善をやっております。簡単な説明ですが、よろしくお願いします。

司会:ありがとうございます。よろしくお願いします。

デザイナーとして職を転々とした

司会:では、最後に馬場さん、お願いします。

馬場沙織氏(以下、馬場):リクルートテクノロジーズの馬場と申します。リクルートテクノロジーズってどんな会社かというと、リクルートグループの中には、事業会社のほかに機能会社と呼ばれる、事業会社を専門性の高い機能分野から支えるという会社というのがありまして。

リクルートテクノロジーズはその中でIT技術の様々なスペシャリストが集まった会社です。そこにいて、デザインの専門性があるというところでいろいろなプロジェクトを事業担当者と一緒に進めたり、事業会社に兼務で入るなどして、そこの仕事をしているというかたちになっています。

自分のキャリアの変遷なんですけど、私は美大卒でして。美大ではグラフィックデザインを勉強していました。ただ、就職活動時期が、就職氷河期だったんですけども、2、3社受けた時点で「もう、だめ」って思って早々に戦線離脱しまして。

ちょうど、地元でやりたかったことがあったので、実家に戻って、フリーランスのデザイナーとして、働き始めたんですが、稼げないなと。「もっと、お金が欲しいです」と思って、フリーランスでお仕事していた先の方のご紹介で地元のWeb開発・制作会社にアルバイトで入りました。でもやっぱり稼げないなと。

そこで、スキルを着けて、次どうしようかな? って考えた時に、ちょうどその時ってGoogleマップが出てきたところでWebアプリケーションの黎明期で、そっちの分野は面白そうって思ったので。

その当時の求人って受託会社のWebデザイナーというのが多かったんですけれど、事業会社のUIデザイナーに絞って、職を探して、たまたまV-CubeというWebテレビ会議システムを作っている会社にUIデザイナーの職があったので、転職して。

その時に、彼と一緒に上京して、一緒に暮らして結婚してます。

V-CubeでUIデザイナーをやっていて、V-Cubeの中で関わったサービスを別会社でやるってことになって。私は行けないよと言われたんですけれど、どうしてもそのサービスに関わりたかったので一旦退職して、転職しました。

うまく行けたのは良いんですけれど、なかなかサービスが伸びなくて、子供が欲しいと思い始めていたので、先が見えずに不安だなと思っていた時に、ミクシィの方たちに会う機会があって面接してもらえることになって。

それて、ミクシィに転職しました。ミクシィでは、SNSのmixiのUIデザインをやっていました。

「もうここしかない」と思って妊活した

馬場:それまでは小規模のプロジェクトでやっていたんですけども、mixiってサービスは、その当時で会員数が1千万人くらいの規模で、なかなか社内調整も多く、苦労したんですけども、それはそれで自分のプラスになったかなと思います。

子供が欲しいと相変わらず思っていました。タイミングを考えていたんですけども、社内調整が大変なプロジェクトの連続で。ある時、デスマ(デスマーチ)のプロジェクトが終わった時に「もうここしかない」みたいな感じで、今でいう妊活をしまして、産休に入りました。

その頃、UIデザイナーのキャリアに限界を感じていて、UI改善のロジックというのがあまり自分の中で見えなくて、提案しても議論が膠着しちゃう感じだったので。

そこで何かロジックを元に改善していく方法ってないのかな? と思って、人間中心設計っていう、ユーザーインタビューやユーザーテストをしながら改善していくプロセスにたどり着いたんです。

社会人向けの履修証明プログラムがあって、そこで学びまして。育休から復帰する時に、その時の上司に掛け合って、絶対効果あるからやりましょうって。それをやるチームメンバーとして復帰させてもらいました。いろいろな社内のプロジェクトに対して、こういう形でやるといいですよと、アドバイスしていくかたちで入っていって。

そのチームでしばらくやった後に、ミクシイの社内起業制度で「nohana」という家族向けのフォトブックのサービスの立ち上げに関わることができました。ユーザー獲得ができて、今100万人くらいです。

ユーザー獲得に成功して、別会社になったので、転籍しました。それから事業としてなんとか落ち着いて、じゃあ次、2人目が欲しいですって思って。環境に悩んで、産んでからでは転職しづらいので、今のリクルートテクノロジーズに転職しました。

司会:ありがとうございます。

Instagramのフォロワーの増やし方

司会:事前に打ち合わせさせていただいたときに、馬場さんは「常に産み場所を探している」って言っていたのが印象的だったので(笑)。そのあたり転職って選び方とか、質問にも出ていたのでどういうふうに選んだのかというところも、おいおい聞いていきたいなというふうに思います。

今日ちなみに、学生さんっていらっしゃいますか?

(参加者、手を挙げる)

司会:4分の1くらいですかね。これから勉強し始めるっていう方もいらっしゃるなかで、IT、エンジニアとか、デザインみたいな世界にいつ頃から興味を持ち始めたのか、というところをお伺いしたいと思います。

山田:私の場合は、最初からITに行きたいっていう感じでキャリアを歩んでいたわけではないんですけども、凸版印刷に勤めたあとに、これから何していこうかなって考えたときに、これから伸びていく業界で新しく自分も参加して、ゼロから何か作れるような場所に行きたいなって思ったときに、出会ったのがソーシャルメディアっていう世界で。

ソーシャルメディアも、例えばFacebook、Twitter、Instagramとかってあるんですけど、そのメディア自体はどのへんが生き残るかってのはまだわからないと思うんですけども、ソーシャルメディアっていうもの自体はずっと伸びていくだろうなって思って、おもしろそうだなと思って入ったっていう感じです。

司会:山田さん、Instagramの本を出されてるんですよね。

山田:ありがとうございます。そうなんですよ(笑)。

司会:この中で、インスタ使ってますっていう人?

(参加者、手を挙げる)

山田:すごい、さすが!

司会:フォロワーの増やし方のコツとかあったら教えてください。

山田:そうですね、Instagramはユーザーの7割は女性で、かつ若い方、まさにこのあたり(参加者)の世代が使ってると思うんですけども、すごい簡単なやり方としては、共通の関心がある人を探して自分の存在を知ってもらうっていうのが簡単で。

何するかっていうと、自分の興味あるハッシュタグで検索をかけて、その人たちに「いいね」したりとかコメントしたり、いわゆる「足あと」を残していくことで、自分に「いいね」がつくと「あ、知らない人からついてる」って見に行くと思うんですよね。そこから同じようなセンスだなとか、同じような趣味を持ってるなっていうのを知ってもらうっていう方法があります。

あとは、初めてのグローバルなメディアだなと思っていて、Facebook、Twitterとかって、言語の壁をなかなか越えられなかったので、日本国内だけとか、英語圏は英語圏だけって、わりと分かれてると思うんですけども。

Instagramは写真なので、ハッシュタグを英語で、例えば「#fan」とか「#selfie」とか入れるぐらいで、外国の人がどんどん見に来てくれるので、英語でハッシュタグを入れるっていうのも、結構大きなポイントかなと思います。

ぜひですね、本が出ているので(笑)。『インスタグラム・マーケティング入門』っていう本を、Kindleですね。アマゾンで売ってるんですけども、良かったら見てみてください。

司会:ありがとうございます。

これから伸びる分野でチャレンジする

司会:次、安斎さん、こちらの質問どうでしょう?

安斎:私の場合は、父がコンピュータとか好きで、中学生ぐらいのときからパソコンとインターネットが家にあったので、その時ちょうど掲示板とかチャットとかが流行っていて、投稿するときに文字に色をつけたり、文字を大きくしたり、装飾をするみたいなことを、HTMLだとか知らずに使っていて、こういうことをおもしろいなと思ったのがきっかけで。

その後コンピュータ系の大学が地元にあったのでそちらの大学に入って、そこからサイバーエージェントという存在を知って入社しました。興味はそこからです。

司会:大学時代は、周りに女性っていたんですか? コンピュータ系の大学で。

安斎:会津大学っていう大学で、コンピュータ理工学部なんですけど、ド田舎のコンピュータ系の大学で周りはほとんど男性で、1学年二百数十人いるなか、女性30人みたいな、すごい少なかったですね。なので、女子の友達は集まって、すごく仲良くしてましたね。でもすごく少なかったです。

司会:そういうところからずっと、この世界にいらっしゃるということで。馬場さんはいつぐらいからですか?

馬場:私は美大のグラフィック出身で、グラフィックの世界って当時花形が広告とか編集とか、メーカーのデザイナー、みたいな感じで。ITは、ちょうど私の入学した次の年に情報デザインの学科ができた、くらいの時期ですね。情報デザインの授業もあって、面白いとは思っていたんですが。

本格的にITに興味を持ち始めたのは、地元の仙台にメディアテークっていう公共施設があって、卒業の頃そこがちょうどできあがったばかりで、関わりたくって地元に帰って、入り浸ってフリーランスでちょっとしたお仕事ももらってたんですけども、市民向けの情報発信メディアとして、Webサイトにも当時先進的に力を入れていて。Webマスターと仲良くなって、「Web標準とは?」と教えられるみたいな感じで。そこからっていう感じですね。

メディアテークのイベントで、SNSのはしりの、興味領域でつながりを作る「関心空間」っていうサービスに触れたり、さっきも言ったようにGoogleマップとか、おもしろいテクノロジーが出てきて。

すごく盛り上がりそうだし、自分は就活ではドロップアウトしたけども、ここから立ち上がる市場だったら、いろいろなチャンスがあるんだろうなって思って。

司会:ありがとうございます。皆さん、きっかけはそれぞれ違うタイミングで、違うところからこの世界に入られたっていうところでした。

海外のサービスを日本へ広める方法をゼロから考える

司会:続いての質問ですが、職種も皆さん全く違うと思うんですが、一番ワクワクしたというか、楽しかったプロジェクトは何ですか? この業界にまだまだ女性は少ないと思うんですが、ITという世界の醍醐味みたいなものをお聞かせいただきたいなと思います。

山田:私はですね。去年の仕事で、今現在進行中の仕事なんですけども、ソーシャルメディアって海外のほうが開発が進んでいて、向こうから日本に輸入してくるっていうことが多いんですけども。私たちの会社でもニュージーランドのスタートアップの「Shuttlerock」という新しいサービスを見つけて。

去年から「Shuttlerock」に投資して、そのサービスを日本に持ってくるっていうことを取り組んでいます。それがユーザーコンテンツのメディアですね、ソーシャルメディア上に皆さんいろいろ投稿していると思うんですけども、そのユーザーコンテンツを企業側で集めて、ホームページに簡単に掲載していくっていうような。コミュニケーションを直接取れるようなものなんですけども、その仕事がすごくおもしろかったですね。

ニュージーランドの会社の人たちともよく仕事をしていて、こういう新しいもので世界を変えていくんだっていうような、ほんとにスタートアップの人たちと仕事したりとか、日本でも新しいサービスなんですけども、どうやってそれを日本市場に広めようかっていうのをゼロから考えたりとかするっていうのが今一番楽しい仕事です。

司会:ありがとうございます。結構、英語でお仕事されることも多いんですか? 現地の方と。

山田:そうですね、実はニュージーランドのCEOが日本語ペラペラで(笑)。

司会:すごい、貴重な人材ですね。

山田:そうなんですよ(笑)。なので結構楽なんですけども。他のメンバー、開発の方とかは英語で、たまにですけどあります。

一番楽しかったプロジェクトは?

司会:安斎さんはどこになりますか?

安斎:一番楽しかった、ワクワクしたプロジェクトは「ピグカフェ」の立ち上げです。なぜ楽しかったかっていうと、本当にゼロから自分たちで企画から「こういうサービスをやるとみんな喜ぶね」っていうところを考えて表現する、世の中に出していくっていうのがすごくおもしろくて楽しかったです。

そのあと、そこでプロジェクトリーダーもやったので、そこでさらにチームメンバーのみんなの話を聞いて、チームを作っていくっていうこと自体もすごくワクワクしたし、みんなで頑張ろうっていう、ほんとに雰囲気のいいチームができて、それがすごく楽しかったですね。

司会:プロジェクトのメンバーは、何人くらいいらっしゃったんですか?

安斎:プロジェクトは、多い時期で20人ちょっとくらいいて、エンジニアやデザイナー、イラストレーターから、カスタマーサポートの人までチームにいたので、いろんな職種の人がいました。

司会:参加者からの質問の中にですね、非エンジニアの方、営業とか、それこそデザイナーの方に対して求める能力は何ですか? みたいな質問もあったので、安斎さんに聞いてみたいなと思うんですけど、どうですか?

安斎:一番求めるのは、誰でもそうだと思うんですけども、どの職種でもやっぱりコミュニケーション能力が一番求められていると思っていて、非エンジニアの方でも、まずはわからないことはわからないと聞いてほしいというか、言ってほしいっていうところが大事かなと思ってますね。

ちゃんと言える方っていうのをこちらは求めてるかなと思います。なぜかっていうと、1人で抱え込まれると一番困るので。エンジニアって、自分のスキルを用いて物事を解決する仕事だと思うので、まずは問題を挙げてもらえれば、それを全力で協力して返せると思うんですけども、まずは挙げてもらわないと困っちゃうっていう(笑)。

司会:課題が出てくると、解決したいみたいな。

安斎:そうなんです、全力で「ああ、こういう課題があったんだね」って、頑張ります(笑)。

司会:特徴かもしれないですね。

安斎:まず言ってもらいたいと。

司会:じゃあ遠慮せず、わからなかったら、もう言ってほしい。

安斎:そうですね。人の懐に飛び込むっていう能力があると思います(笑)。

司会:ありがとうございます。馬場さんはいろんな会社を転々とされてますけど、どこが一番印象に残ってますか?

馬場:そうですね、前職のミクシィで社内起業した「nohana」っていうプロジェクトが一番楽しかったですね。やっぱりゼロからプロダクトを作るということももちろんですけど事業を立ち上げることの醍醐味を一緒に味わえたところはおもしろかったです。