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「私はピンクが好きな悪いフェミニスト」完璧さを求めがちなフェミニズム運動に対する、一人の女性からの提案

「私はピンクが好きな悪いフェミニスト」完璧さを求めがちなフェミニズム運動に対する、一人の女性からの提案

世間はフェミニストに対し、気難しくて、怒りっぽく、男嫌いという悪いという悪いイメージを持つ場合が多く、産業のリーダーを務める女性たちはフェミニストというレッテルを貼られることを恐れています。このような状況の中で、作家のRoxane Gay(ロクサン・ゲイ)氏はフェミニストに対するレッテル貼りや、フェミニズムが白人の中流から上流階級に向けられたものであることに疑問を呈します。ゲイ氏は人種や階級を問わず、同性愛者やトランスジェンダーの女性に対しても適応し、やるべきことはきちんとやる包括的なフェミニズム。「バッドフェミニズム」を提唱しました。(TEDWomen 2015 より)

スピーカー
作家 Roxane Gay(ロクサン・ゲイ) 氏
参照動画
Confessions of a bad feminist

自分は悪い方のフェミニスト

私は女性として失格です。フェミニストとしても失格です。性の平等について熱い意見を持っていますが、「フェミニスト」という肩書をそのまま受け入れてしまうのは、立派なフェミニストの方々と比べるとフェアでないのではないかと思っています。 私はフェミニストですが、どちらかと言うと悪い方のフェミニストです。なので自分で「バッドフェミニスト」と呼んでいます。エッセイを書き、『バッドフェミニスト』という本を書きました。それからインタビューを受けると、「ザ・バッドフェミニスト」と呼ばれるようになりました。 (会場笑) まずは私自身の内輪ネタと意図的な挑発から始めましょう。少し前の話に戻ります。私が若い頃、10代や20代の頃は、フェミニストに関する変な考え方を持っていました。気難しくて、怒りっぽく、男嫌いで、セックスも嫌いな女性。それが悪い女性だと思っていたのです。 (会場笑) 近年、世界で女性がどう扱われているかを私は研究しています。特に怒りは完全に理にかなった反応のように思えます。しかし当時に戻ると、多くの人が私が示したようなフェミニストに対するイメージを持っていたことを心配していました。 フェミニストのレッテルは非難であり、タブーであり、決して良いものではありませんでした。私はルールに則らず、過度な期待を持ち、自分自身を過大評価し、男性と平等または優れていると信じているというレッテルを貼られた女でした。 みなさんはそんな反抗的な女にはなりたくないでしょう。みなさん自身がそんな女だと気づくまでは。他の誰かになることをイメージできないのです。 歳を重ねるにつれて、自分自身を受け入れるようになりました。フェミニストであることを誇りに思うようになったのです。分かりきった真理を持つようになりました。女性は男性と平等だということです。我々は平等な仕事に対する平等な対価をもらう権利を持っています。 我々は世界中の自分が選んだ場所に移動する権利を持っています。ハラスメントや暴力からも自由です。バースコントロールや出産をサポートするサービスにも、簡単に安くアクセスする権利を持っています。 自分の身体に対する選択をする権利も持っています。立法上の監視や福音書の教義からも自由です。尊敬する権利も持っています。もっとあります。 我々が女性の必要性について語るとき、継承してきた他のアイデンティティについても考えなければいけません。我々はただの女ではないのです。我々は身体やジェンダー表現、信念、セクシャリティ、階級のバックグラウンド、能力などそれぞれに異なるものを持っています。 これらの違いを考慮に入れ、それらがどう我々に影響するのか、共通に持っているものをできる限り説明しなければなりません。これらのことを含めなければ、我々のフェミニズムは何にもなりません。 私はこれらのことは自明の理だと思っていますが、ここではっきりさせてください。私はめちゃくちゃで、矛盾だらけなのです。私のフェミニズムはいろんな方向で間違っています。

女性は選択によって経済的弱者になる

もうひとつ告白することがあります。車で通勤するとき、下品なラップをバカでかい音で聴いているんです。 (会場笑) たとえその歌詞が女性を貶めるようなものでも、それが私の核心をつくのです。イン・ヤン・ツインズの名曲『Salt Shaker』はマジでヤバいです。 (会場笑) 「濡れたTシャツで動かせビッチ お前のアレが痛くなるまで振り続けろ」 (会場笑) まさに詩ですよね。私は自分の音楽のチョイスによって、こんなにも屈辱を感じているんです。男性的な仕事なんてまったくやりたくないと思っています。 家事も含めてですが、虫を殺したり、ゴミを捨てたり、芝を刈ったり、車のメンテナンスをしたり。1つもやりたくありません。 (会場笑) 私の好きな色はピンクです。ファッションマガジンを読んでかわいい物を見るのも好きです。『The Bachelor』やロマンティック・コメディを観たり、おとぎ話が現実になるようなばかげた幻想も抱いています。目に余る違反もありますが。 もし女性が夫の姓を名乗りたければそれはその人の選択なので、私が判断するものではありません。もし女性が子育てのために家にいることを選んだのなら、私はその選択も受け入れます。 問題は女性がその選択によって、自分自身を経済的弱者にしていることではありません。問題なのはこの社会が、女性が選択する際に経済的弱者になるように仕組まれていることです。この問題の解決に取り組んでいきましょう。 (会場拍手) 歴史的に無視されてきたり、ニーズを逸らされてきたフェミニズムの主流を放棄します。ニーズとは有色人種の女性や労働階級の女性、同性愛やトランスジェンダーの女性に対するニーズです。白人の中流から上流階級でストレートな女性に味方するフェミニズムを捨て去りましょう。 いいですか、もしそれが良いフェミニズムだとしたら、私はとても悪いフェミニストです。 (会場笑)

フェミニストであることを公にしたビヨンセ

フェミニストとして、私は大きなプレッシャーを感じています。我々は目立つフェミニストを崇め奉りがちです。彼女たちに完璧にポーズを取ることを期待するのです。彼らは我々に失望すると、今度は逆にそのステージから嬉々として引きずり下ろすのです。 先ほども言ったように私はめちゃくちゃで、みなさんが私をそのステージに上げる前から、引きずり下ろされています。 (会場笑) 多くの女性が、特に革新的で産業のリーダーである女性は、フェミニストというレッテルを貼られることを恐れています。彼女たちは立ち上がり、「そうです。私はフェミニストです」と言うことを恐れています。 そのレッテルが意味するものへの恐れであり、非現実的な期待を背負って生きていくことへの恐れです。ビヨンセを例に考えてみましょう。私は彼女を「神」と呼んでいます。 (会場笑) 彼女はこの数年、フェミニストとして目立つようになりました。2014年のMTVビデオミュージックアワードでは、10フィート(3メートル)もある「フェミニスト」という文字の前でパフォーマンスをしたのです。 それはこのポップスターがフェミニズムを公に受け入れた輝かしい瞬間でした。若い男女にフェミニストであることが賞賛されるべきことだと知らしめたのです。 その瞬間が薄れるにつれ、ビヨンセがフェミニストかどうかという批判が際限なく議論されるようになりました。彼らはビヨンセを教養のある女性とする代わりに、彼女のフェミニズムを格付けしたのです。 (会場笑、拍手) 我々はフェミニストに完璧さを求めます。なぜならいまだに闘っているからです。望んでいるからです。理にかなった建設的な批判を越え、いかなる女性のフェミニズムをも分析し、何も残らなくなるまでバラバラにする。そんなことをする必要はありません。 バッドフェミニズム、またはより包括的なフェミニズムが出発点です。しかしその次には何が起こるのでしょうか? 説明責任に対する不完全性を認めるところから始めるか、やるべきことをやり、ほんのちょっと勇気を持つことです。 もし私が女性を貶めるような曲を聴いていたら、アーティストが際限のない供給に喜んで貢献する需要をつくっていることになります。これらのアーティストは我々が要求するまで、歌の中で女性に対する語り口を変えることはないでしょう。確かにそれは難しいです。なぜこんなにもキャッチーでないといけないのでしょうか? (会場笑)

女性が正しく評価される世界で生きてほしい

良い選択をすることは難しく、あまり良くないものを正当化するのは簡単です。しかし私が悪い選択肢を正当化すると、女性が平等を実現するのが難しくなるのです。我々はみなその平等を受けるに値し、その平等が必要なのです。 私の姪たちは3、4歳です。彼女たちは美しく、頑固で、才能と勇気にあふれた女の子です。彼女たちには、女性が正しく評価される世界で生きていってほしいと思います。彼女たちのことを考えていると、突然良い選択肢を取るのがとても簡単になりました。我々は以前よりも良い選択肢を取ることができるのです。 我々はTVがスポーツや「ゲーム・オブ・スローンズ」など、女性に対する性暴力を扱っているときチャンネルを変えることができるのです。女性の存在を無視するような歌を流すラジオ局も変えることができます。 女性を単なるお飾りとして扱う映画も観なくて構いません。アスリートがパートナーをサンドバッグのように扱うプロスポーツへの支援も止めることができます。 (会場拍手) 一方男性、特にストレートの白人男性は、「ノー、あなたの雑誌は発行しませんし、プロジェクトにも参加しません。一緒に働いたりもしません。あなたが参加者と意思決定者が公平になる数の女性を含むまではね。あなたの著作物や組織がさまざまな違いを包括するまでは一緒に働きません」と言うかもしれません。 このようなプロジェクトに参加するよう招待された人々もまた、ガラスの天井を越えて我々が必要とされるまでは、そのような申し出を拒否することができます。我々はもはやその象徴ではないのです。 これらの努力や立ち位置を取ることなしでは、到達点の意義はとても小さくなってしまうでしょう。我々はこの勇敢な小さな行動に貢献することができ、我々の選択が権力者のもとに上がっていくことを期待することができます。 編集者や映画・音楽プロデューサー、CEO、議員など、より大きく勇敢な選択によって永続的で意義のある変化をつくることのできる人々です。 我々は大胆に我々自身のフェミニズムを主張することもできます。グッドとバッドとその間のどの地点でも構いません。私の本『バッドフェミニスト』の最後の文で「私はフェミニストでないよりも、あえてバッドフェミニストでありたい」と書きました。 これにはたくさんの理由があります。しかし最初で最高の理由は、あるとき私が声を奪われ、フェミニズムが声を取り戻してくれたからです。ある事件がありました。その責任を背負っていけるように私はそれを「事件」と呼んでいます。 ある男の子に傷つけられました。かなり若いときで、男の子が女の子を傷つけるために何ができるかも知りませんでした。彼らは私の存在がないかのように振る舞い、私も自分が「無」なんだと思うようになりました。 彼らは私の声を奪い、その後は私が言うことには重要性がないことだとあえて思うようになりました。でも私は書くことができました。書くことによって自分を取り戻し、より強い自分に向かって書いたのです。 私のようなストーリーを理解してくれるであろう女性や、私に似ている女性の文章を読みました。それで茶色の肌を持って世界を移動することがどういうことか理解したのです。 私が「無」ではないということを教えてくれた女性の文章を読みました。彼女たちのように書く方法を学び、それからは自分自身として書く方法を学んだのです。 再び自分の声を見つけ、私の声は制限なくパワフルなんだと信じるようになりました。書くこととフェミニズムを通して、もし私がほんのちょっと勇敢だったら、他の女性が私の話を聞いたり、見たりして、世界中の誰も「無」ではないと認識してくれるのではないかと思いました。 一方では、私は何でも達成する力を持っています。もう一方では、ただの1人の女性としてごく普通の現実を持っています。私はバッドフェミニストであり、良い女性でもあります。 私を人間たらしめてくれるすべてのものを見捨てることなく、より良い考え方や言葉、行動を見つけようと挑戦しています。 私は我々みんなが同じことをできることを望んでいます。我々が勇気を必要としているときに、みんなが少しだけ勇敢になれますように。 (会場拍手)

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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